第9話 積み木くずしと組み立て

「そんな時代がまだ名残理を残した中で、苛めや家庭内暴力などが生まれた。親と同じように権力があったのも学校の先生で、昔は子供を叩いても、教育と言われた時代もあったくらいだったものが、今はPTAが強かったりして、先生が自己防衛のためとはいえ、手を挙げると、暴力教師として、糾弾されるのが当たり前の時代になった。そのせいもあってか、教育が教育ではなくなってきた。最初が家庭崩壊だったのか、それとも学校崩壊だったのか、何とも言えないが、それはまるで、タマゴが先かニワトリが先かというような話であって、いたちごっこのような問題なんだ。その走りがここでいう、『積み木くずし』という話だったんだよな」

 と先輩は話していた。

「じゃあ、先輩は、どうすればいいとお考えなんですか?」

 と上杉記者が訊いた。

 こういう難しい問題に直面している場合、先輩の性格から言えば、何かの意見を自分でしっかりと持っていないと、話題にもしないはずである。それを敢えて話題にしたということは、

「自分なりに何かの意見を持っている」

 ということではないかと思ったのだ。

 すると、聞かれた先輩は、

「これは、私だけの意見ではなく、勝沼博士と意見が一致したことなんだけど、いわゆる『積み木くずし』というのは、一度できてしまうと、どんなにまわりが攻撃しても、びくともしないものだということなんだ。下手に表から圧力を加えると、反発する力が強いことで、余計に相手に力を与えてしまう。つまり、攻撃すればするほど相手が強くなっていくという、一種の『覚醒型』の力なんだろう。しかし、完全無欠のような鉄壁に見える『積み木くずし』でも、ウイークポイントがないわけではない。それは、『積み木くずしというものが、脱皮する』という考え方なんだ。覚醒するためには、脱皮を繰り返す必要がある。その時に、一度力が脱皮のために急激に薄れるというんだ。その時を狙って攻撃すれば、積み木くずしを壊すことができるというものなんだ。ただ、脱皮の瞬間は普通には見えない。よほど注意深く見ていないとなかなか分からないものなんだ。それをスルーしてしまうと、脱皮と同時並行で、実は積み木が再編成されるんだ。つまりは「組み立て」が再度行われる。そうなってしまうと、さらに強固なものになってしまうので、どんどん脱皮を繰り返すうちに、取り返しのつかないことになってしまうんだよ」

 というのだった。

「そんな恐ろしい状態になっていたんですね。まったく考えたこともなかった。僕たちの感覚では、今や校内暴力、家庭内暴力は当たり前、さっきの話のように、弱者が虐げられるだけではなく、弱者が自分を守るための、正当防衛っであったり、緊急避難的なことがまったく認められないというジレンマを抱えながら、家族の長であったり、学校の先生がいたなんて、想像もしていませんでした」

 と上杉が言った。

「そうだろうな。そのあたりの事情が分かっていないというのが、この社会の異常なところなんだ。弱者がすべてにおいて弱者になることで、世の中の辻褄が合ってくるなどというとんでもない時代になっていると言えるんじゃないだろうか?」

 と先輩がいう。

「そんな時代だからこそ、勝沼博士のような人の存在が必要であり、余命が少ない博士は、自分が亡くなってしまった後の研究がどうなってしまうのか、そればかそればかりを憂うる生き方をしているんだ。本当であれば、余命を時間のある限り何の憂いもなく暮らさせてあげたいよな」

 と先輩は涙ぐんでいた。

 それが先輩の涙ながらの本音であることは分かっていた。先輩も博士と同じように、余命がない立場なのだから……。

 博士にしても、先輩にしても、どうしてここまでのkとを考えられる人が、余命余命が分かるまで追いつめられなければならないのか、ひょっとすると、余命がハッキリした追い詰められた人間でなければ、おういう深い話には到達できないというのか。それはまるで悟りを開いたかのようなものではないか。それを思うと、何とこの世が理不尽なものかと感じ、

「家庭内暴力や校内暴力のような無法状態がのさばる世界になってしまうことも無理のない現実なのだろう」

 と感じるのだった。

 そんな話をしている時、飛び込んできたニュースが、

「勝沼博士殺人事件」

 であったのだ。

 その頃になると、先輩の方がいよいよいけなくなり、そっちにばかり気を取られていた。

 余命から考えると。先に死ぬのは先輩の方で、後を追うようにして勝沼博士が亡くなるのだろうと、上杉は考えていた。

 だが、実際には逆だったことが、上杉を混乱させた。これは二人の余命について知っていた唯一の人間だからであるが、この秘密や疑念を一人で抱えていくのは、かなり厳しいと思われたが、

「二人の余命については、誰にも言わないでくれ」

「それは亡くなってからもですか?」

「ああ、何かあって、調べられた時には分かることだろうが、少なくとも君からそれを後追いであっても、暴露することだけはないようにしてもらいたい」

 というではないか。

「それは遺言と捉えていいんですか?」

 と本来ならタブーであるだろう言葉を口にした上杉だったが、それを咎めるようなことはなく。

「ああ、そう思って結構だ。いや、そう思ってくれた方がいいんだ」

 と言っていた。

 そんな時に飛び込んできた殺害事件のニュース、それを聞いて、先輩はそれほど驚いた様子はなかった。

 まるで最初から分かっていたかのように、話を訊いた時、

「そうか」

 と一言呟いただけだった。

 それは、

「自分には分かっていたことなんだ」

 と言わんばかりのことで、これも、すでに長くない自分の人生を考えてのことなのだろう。

 そんな先輩もすぐにこの世を去った。まるで勝沼博士を追いかけるようにである。しかし、その時の先輩は、

「俺の方が先だったはずなのにな」

 と呟いたことは想像がつく。

 それだけ、この世での末期をお互いに感じていた者同士にしか分からないことがあるのだろう。

 それこそ、博士が研究していて、今回その一角が発表された

「周波数の研究」

 のように、同じ周波数が、二人の間にあったことを、身に染みて証明していたことだろう。

 逆にその思いがあるからこそ、川北氏に託することに心配や憂いが少なかったのかも知れない。

――もう、自分でなくても、研究の完成を見ることができるんだ――

 という思いである。

 だからこそ、博士はいよいよ余命がハッキリしてきた時に、自分の余命を川北氏にだけ教えたのかも知れない。

 川北氏が急に自白を始めた知友が一つだとは思えないが、その中の一つが、

「寿命のことを博士が自分に教えてくれたということに違いない」

 と、上杉は考えるのだ。

 いまさら蒸し返しても仕方のない事件であったが、蒸し返すというよりも、真実を知りたいという思いがこれほど強く感じられるということに、上杉自身でビックリしてしまった。

「周波数におけるイヌの声であったり。モノを捨てられないという感覚が、果たしてどのように影響するのか」

 ということを組み合わせていくと、何かが見えてくる気がした。

 その際に、積み木くずしの話のように、

「一度出来上がっているものを、壊すのか、それとも脱皮させるのかという考えの元、佐渡組みなおすという発想」

 それが今の組み合わせにどう絡んでくるのかということが、先輩が残した「遺産」の中で一番言いたかったことなのかも知れない。そのために先輩は残しただろうし、ひょっとすると、残したい相手が本当は別にいて、ただそれが不可能であっただけのことなのかも知れない。。

「残したい相手」

 それはまさしく、勝沼博士なのではないだろうか。

 先輩と博士はかなりの共通点を持っている中であり、ひょっとすると、博士の研究でいうところの、

「周波数がもっとも合っている」

 という相手だと言えるのではないだろうか。

 先輩よりも、むしろ博士の方がハッキリと分かっていることなのかも知れない。それを思うと、博士の方も同じように、誰かに「遺産」と呼べるような、メモであったり、日記のようなものを残しているかも知れない。

 その可能性はかなり高いものであり、しかも残すとすれば、その相手は川北氏しかいないのではないだろうか。

 それを考えた時、

「どうして川北氏が掌を返したように、自白に転じたのか、理由付けになるのではないか?」

 と思えたのだ。

もちろん、内容はその遺産を見なければ分からないが、一番その内容を読まずとも近づけるとすれば、今まさに先輩の遺産に近づくことができた自分しかいないだろう、

 専門的なことは、実際の宛先人である川北氏にしか分からないだろうが、信教その他であれば、先輩の意向を意識できている自分しかいないと思うのだった。

 だが、勝沼博士は、いつも研究ばかりしている川北氏に、その「遺産」の本当の意味が分かるということを最初から意識していたということであろうか。

 そもそも、この「遺産」のような伝言は、最初から意識していないとr買いできないものだと上杉は思っている。

 博士と先輩の周波数が同じで、先輩の周波数と受け継ぐのが自分であり、博士にも受け継がせる相手である川北氏がいるということになると、

「私と川北氏も同じ周波数の中にいることになる」

 という、三段論法が成立することになるであろう。

 イヌや同種ではない動物の言葉をすべて同じ周波数で皆変わらないように思うことで、言葉としては通用しない。それは敢えて動物の創造主が敢えて仕込んだことなのだろう。そこに何らかの理由を人間という立場から求めていいのかどうか分からないが、求めてしまうのは、博士が、そして川北氏が、周波数というものにこだわっているからであろう。

 それは、

「一定の年齢以上であれば聞こえなくなるというモスキート音と同じ発想だ」

 と同じ感覚なのではないかと思った。

 聞こえなくはならないが、言葉として理解できないという意味でいけば、モスキート音とは逆に、

「一定の能力を有していれば、動物の言葉が分かる人というのが現れたとしても何んら不思議のないことだ」

 と思うのだ。

 しかし、実際にはそんな人は現れない。もし、本当に分かるとして、自分から、

「私は動物の声が分かる」

 として訴えたとしても、その証明は誰がするというのだろう。

 そもそも、それが誰もできないから、誰も分かる人はいないと言われているだけであって。一人でも分かる人がいれば、二人目からは、言葉が分かるというアピールをしても、まったくまわりに響くことはない。最初の人間だから価値があるのだ。

 しかし、それを証明してくれる人がいないのも、最初の人間の宿命のようなもので、誰も分かってはくれないということである。

 そんなジレンマを感じていると、誰も、自分が動物の声が分かるという人はいないだろう。それが、世の中の矛盾であり、大きなジレンマを背負って生きているという証拠なのだ。

 そもそも、今回の学会への発表は、すぐに公開されたものではあったが、世間への公表は、少し控えていたのだ。

 学会で吟味され、受賞者へは、その省の受賞が通知され、マスコミにも発表されたが、内容だけは、公表の時期を、

「近日」

 として、控えられた。

 こんなことは実に稀なことであり、その理由も一切明かされなかった。上層部の一部の人間が、その内容と理由を知っていたが、上層部の中にも、

「理由は知っているが、内容は分からない」

 という政治的な立場の人で、研究にはずぶの素人であったり、逆に、

「内容に関しては理解できるが、理由に関しては意味不明だ」

 と言わんばかりの、学者肌の人もいた。

 ただ、研究の発表にはどこかから圧力がかかったようで、研究んお発端である勝沼博士が、今回の発表者である川北助教授に殺されたということが影響しているのだろうと思われた。

 それはただのウワサにしかすぎなかったが、果たしてウワサだけのことだったのだろうか。いや、火のないところに煙が出るわけもなく。理由が生まれるだけの何かがあったのは事実だった。

 それでも、いつまでも公表を控えていくわけにもいかず、発表記念パーティが開かれた数日後に、学会からプレス発表があったのだ。

 その時、研究者の川北助教授はその場にいなかった。それを見た会場の各記者たちは騒然としていて、

「あの、演台に立つのは発表者である川北助教授ではないんですか?」

 と聞かれた、発表側の主催者は、

「ええ、本当は川北助教授にお願いしたかったのですが、川北助教授からは拒否されました」

 という内容を訊いた時、記者席側では、先ほどよりも大きなざわめきが聞こえて、明らかに戸惑っているのが見て取れた。

 この様子であれば、主催者側からその真意を聞き出すことは難しいだろうと記者連中も思ったのか、それ以上、誰も川北氏がいないことに質問を浴びせる人はおらず、騒ぎはすぐに収まった。

「それでは、発表に映らせていただきます」

 ということで、会場は静粛なムードに包まれたが、その中に上杉記者は、いなかった……。

 上杉記者は、その日、川北氏を訪れていた。川北氏も上杉記者の訪問を意外に感じることはなく、快くとまでは言わないが、訝しがることもなく普通に訪問を受け入れた。

 上杉記者は、別に川北氏にインタビューを申し込んできたわけではない。だが、今回の訪問を、

「インタビューではない」

 と明言していたわけではない。

 記者がインタビューを口にせずに訪問を申し込んでくるというのは、さほど珍しいことではないが、上杉記者とすれば、自分の中では、

「もう、こんなことをするのは、最初で最後なんだろうな」

 と思っていたし、実際に最後にしたいという意思が強かった。

「今日、この時間、学会からの会見が行われているんですね」

 と、上杉記者が言うと、

「あなたは行かなくていいんですか? 私のところに来るよりも記者とすれば、あっちに行くのが正解なのでは?」

 と川北氏が話した。

「いいえ、こっちが私にとっては正解なんです。どうせ発表される内容というのは、おおよその想像はついていますからね。そして私にはその発表をあなたが拒否されるであろうことも、想像済みです。そうでなければ、今日のような日にアポイントを取るわけはありませんからね」

「ふふふ、まさにその通りだ、どうやら、あなたはある程度までのことはご存じのようだ。どうです? その状態で私という人間を見て、軽蔑されますか?」

 という川北氏のにこやかではあるが、挑戦的な顔に対して、

「いいえ、軽蔑などはしません。あなたがとても頭のいい人で、その時、一番いい選択をしたのだと私は思っています。ただ、それが正解なのかどうか、それは私には分かりません。正解というジャッジを下せるだけの技量はありませんし、そこまでの責任も負いたくはありませんからね」

 と、挑戦を受けて立った。

「なるほど、あなたは、正解を責任だと思われたわけですね?」

「ええ、ただし、今回に限ってのことでですね。つまり正解というものに対して責任を伴うかどうかは、その時々の事情によって違うと思っているからですね」

 と、上杉記者は、ハッキリと言ってのけたのだ。

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