第2話 博士の死

 この雰囲気を、最初から、

「とても和やかで豪華絢爛」

 などという言葉にふさわしいものだと思っていた人がいるとは思えなかったが、なるべく皆が腫れ物に触るかのような表情の元、過ごしていたことは、逆に皆分かっていることだろう。

 たくさんの人に囲まれながら、歓談に勤しんでいた本実の主人公、川北助教授であったが、最後の歓談者の人と、

「本日は、どうぞこのままお寛ぎいただき、なごんでいただけるよう、お祈りいたしております」

 と言って、挨拶を済ませると、やっと一群の輪から逃れられ、ホッと一息ついたところだった。

 たくさんの人に取り囲まれている中で、入りこむというような無粋なマネは彼にはできなかった。

 いや。敢えてしなかったと言えよう。川北助教授が一人になるのを狙って、近寄って行った。やっと一人になってホッとしているところへの一騎駆けはいかに効果があるか、本人が一番よく分かっている。しかも、どのような効果があるかまでシミュレーションまでして分かっていることで、その場の雰囲気という特殊効果もあり、さらに疲れているところへの追い打ちで、自分が有利な立場になれるかまで計算していた。

 彼は、背後から、背を丸めて、人目もはばからんばかりに疲労困憊と言ったかんじの川北の肩を叩いた・

「川北助教授、少しいいですか?」

 と言われて、振り向いた先には、どこかで見たことがあると思ったが、すぐに思う出すことはできなかった。

 ということは、この会場の中でのことなので、

――自分とはそれほどの知り合いではないんだろうな――

 と感じた相手だった。

「ええ、構いませんよ」

 とニッコリと口では言ったが。心情的には、

――いい加減、勘弁してくれよ――

 という思いだった。

 そこへ彼は追い打ちをかける。

「川北助教授は、亡くなった勝沼博士に対して、本日の受賞をいかにご報告するおつもりですか?」

 という質問だった。

 川北はギョッとして、相手の顔を見返した。本日の今日の披露パーティでは、そのことは禁句だったはずだ。それでも川北は、いつその質問を受けるかひやひやして、先ほどの一群を無難にやり過ごせたことを。、本当にホッとして感じていたのに、やっと解放されたと思ったその瞬間に、一旦緊張の糸を切ったその瞬間、思い出したように受けるその質問は、覚悟していなかっただけに、何倍にも我に返らされた気がして仕方のないことであった。

「君、その質問は、今日はいけないだろう?」

 と自分からいうことは絶対にできない。喉から出かかった言葉をすぐに飲み込んだ川北は、一瞬凍り付いてしまったかのような、ごく身近の周辺で、またしても、自分に対しての視線が強くなり、さっきまでも和やかな雰囲気ではなく、言葉にしない、誹謗中傷を、その目で訴えられているかのように感じた。

――何をいまさら――

 これも口にはできない言葉だった。

 要するに、この場面において、川北は何も口にできるわけではない、

 何かを喋るたびに、そこには隙が生まれて。そこを一気に攻め込まれる気がした。

 たまに将棋をする川北は、こういう時よく思い出すのが、

「将棋盤に並んだ、最初の布陣」

 であった。

「一手打つごとに、そこに隙が生まれる」

 まさに、その言葉がピッタリの場面だった。

「あなたは?」

 いろいろ頭の中でその人物の正体をいろいろ考えてみたが、ただいきなり話しかけてきただけなので、どう返事していいか分からず、相手が誰なのかを訊ねるしかなかったので、このような聞き方にしかならなかった、

「私は、東亜新聞の記者で上杉信一郎と申すものです。勝沼博士を殺した実行犯として服役までされたあなたが、自分で殺害なさった勝沼博士に対して何を言うのだろうと思ってですね」

 とハッキリと答えた。

 この上杉という男の言っていることにウソはない。かつて、勝沼博士が亡くなったということは、前述の通りだが、どうして亡くなったのかということには触れてこなかった。それと同じで、今回の披露パーティでも、博士の死についてはタブーであることから、筆者は余計なことを書かずにここまで話を進めてきた。

 いや、この小説の性質上、敢えて言わなかったというのが正解だったとも言えるであろう。博士は確かに五年前に殺害された。そして、その容疑が一番強かったのは、のは、のは、川北氏であり。

「動機が一番明確だ」

 という理由と、取り調べにおいての、本人の自白、さらに、彼が行ったと言われる偽装工作などが決めてとなり、逮捕ということになった。

 川北氏が、佐久間弁護士に一番お世話になったというのは、まさにここにあるのであって、彼の弁護はすべて佐久間弁護士に任されることになった。

 最初こそ、川北助教授は、

「自分が犯人などというのは、まるで青天の霹靂だ。私を誰かが陥れようとしているに違いない。それが誰なのか、調べていただけないだろうか?」

 と、佐久間弁護士にお願いしていたくらいで。当然佐久間弁護士も、犯人が川北氏ではないという確信めいたものがあるという意識があるので、必死になって弁護をするつもりだった。

 だが、取り調べも進み、いざ起訴されて裁判になってしまうと、最初の頃の勢いは徐々に薄れてしまった。

「先生、もう私が殺したということで構わないから、そろそろ楽にさせてもらえないだろうか?」

 などという言葉まで出てくる始末だった。

 これにはさすがに今度は佐久間弁護士の方が青天の霹靂だった。

「どういうことなんだ。あれだけ自分がやっていないと言って、しかも、誰かに嵌められたとまで言っていた君が、なぜ、そんなに気弱になる必要があるんだ。そんなに警察での取り調べが厳しかったのか? それだったら、こっちにも裁判での戦い方がある。今は君は弱気になる時ではない。いいかい? 罪を認めてしまうと、君は終わってしまうかも知れないんだよ。君だけの問題ではない。奥さんのつかささんだって、どんな気持ちになると思う? 科学者、研究者としての君を君自身が殺してしまうことになるんだ。博士が不幸にも亡くなってしまった今、次の第一人者は君じゃないか。博士のことを思うのであれば、今ここで諦めるというのは、ナンセンスだと思うんだけど、いかがだろうね?」

 と、佐久間弁護士は言った。

 最後の、

「ナンセンス」

 という言葉は、一種の刺激のようなものだ。

 普通であれば、ナンセンスなどというと、怒りに震える言葉として、タブーなのだろうが、気力を失くしかけている川北氏に対しては、効果があると思ったのだ。実際にその言葉を聞いて、表情は一切変えなかった川北氏だったが、その気持ちの奥に何が潜んでいるのか分かりかねていた佐久間弁護士は、ある意味焦っていたと言ってもいいだろう。

 焦りの中から佐久間弁護士は、

「何か作戦はないか?」

 と考えたが、ムスカしい注文だった。

 何しろ、弁護する相手はすでに憔悴感をあらわにし、半分諦めの境地に入り込んでしまっているのだから、

「罪を認めて、情状酌量を得る」

 という方法も視野に入れなければいけないだろう。

 弁護士の本分というのは、あくまでも、

「依頼者の利益を考える」

 ということであり、罪を何が何でもなかったことにするのがその仕事ではない。

 事実を知ったうえで、その中で、

「依頼者にとって、最良の利益というのが、何かということを考える」

 というものなのである。

 その方向転換が功を奏したのか分からないが、殺害を認めたことで、被告である川北氏には実刑ではあったが、三年の懲役で済んだ。検察側の求刑が五年であったことから言えば、少し情状酌量も認められたということになるのだろうが、佐久間弁護士としては、消化不良であったに違いない。

「なぜ、あの時、罪を認めようと川北氏は言ったのか?」

 このことをいまさらながらに蒸し返すつもりはさすがに佐久間弁護士にはなかったが、今後の勝沼研究所の存続を考えたり、代表としての川北氏の今後を考えると、問題は山積みだった。

 さすがに、殺人犯の彼が代表というわけにもいかず、その代表としての表向きには退くことにはなったが、実質的な力は、相変わらず川北氏が握っていた。

 もちろん、そのバックに佐久間弁護士がついているからできることであって、その体制を維持するには、かつての殺害事件にこだわっている必要はないのだった。

「人のウワサも七十五日」

 ということわざもあるが、実際に川北氏への批判も、次第に世間が忘れていってくれるという意見は乱暴ではあるが、希望的観測も含めると、大いにありえることだった。

 下手に無罪を訴えていると、まだまだ裁判の結審もついていないで、宙ぶらりんな状態が続いていたかも知れないと思うと、罪と認めて、自分一人が被ることになっても、今の状態を脱することが一番だったというのは、結果論ではあるが間違っていなかったのかも知れない。

 そのことを川北氏と佐久間弁護士は分かっているのだが、果たして妻の立場から、つかさはどう思っているのだろう。

「殺人犯の妻」

 として、後ろ指をさされたり、誹謗中傷に晒されたり、中には玄関先に、誹謗中傷の紙を貼られたりという憂き目に遭っていたのも事実である。

 実際に、その時のつかさの心境を誰が分かるというのだろう。つかさ自身は黙して語らずであったが、その心境を知っている人がいるとすれば、佐久間弁護士だけではなかっただろうか。

 被告の川北氏には、拘束されているということもあり、自分のことしか考えられない状態である。奥さんのことを少しでの考えたのであれば、もう少し違った発想になったのではないかと思うと、さすがに佐久間弁護士も、刑期を終えて戻ってきた川北氏にも少なからずの思いはあっただろう。

 しかし、戻ってきたことで、それまでの憂いた気持ちが若干和らいだのも事実であり、つかさの方としても、

「私ばかりがこだわっているというわけにもいかない」

 という思いに至ったのかも知れない。

 つかさにとって、今はすでに新たな一歩を踏み出していたわけなので、今までのこだわりを捨て句時が来たのではないかと実際には思っていたようだ。

「奥さんのお気持ちは私が一番よく分かっております」

 と言った佐久間弁護士は、つかさの最大の味方であり、つかさ自身にとっては、

「私の味方は佐久間さんしかいない」

 と思っていたことだろう。

 つかさと佐久間弁護士は、結構頻繁に遭っていた。

 一緒に刑務所に面会に行ったこともあった。普通であれば、刑に服している人間の奥さんと弁護士が一緒に来るというのは問題はないのだろうが、元々三人は事件勃発の前から知り合いだったわけで、その関係は今となっては微妙でもある。

 つかさにとって、

「私が頼れるのは、夫ではなく、佐久間弁護士だ」

 という思いがあれば、つかさという女の性格上、自分の気持ちが表に出やすい。

 つまりは、素直だと言えるのであろうが、果たしてそれだけであろうか、この複雑な人間関係になったのは、少なくとも勝沼博士の殺害事件というものがあったからで、それによって被告となり、犯人として結審されたことが、複雑な関係をもたらしたのであるから、川北が犯人ではなかったとしても、彼の罪は大きなものであったことに違いはないだろうと思われる。

「奥さんが、そんなに気に病むことはありませんよ」

 と、佐久間弁護士はいうが、言う人間が渦中の人であるだけに、その説得力はない。

 しかし、立場的にいわなければならないことではあるので、この問題は、結局考えれば考えるほど、堂々巡りを繰り返すことになるだろう。

 佐久間弁護士とつかさの関係を、川北氏はどのように考えているのか、それは本人にも分からないことではないだろうか。

 そもそも、勝沼博士の死とはどういうものだったのか。それは難しい問題だった。

 勝沼博士は、六十五歳だったが、還暦を過ぎるまでは健康オタクでもあり、十分に元気だったのだが、六十歳を超えたあたりから、少し体力も精力も格段に落ち込んでいるかのようだった。

 だが、それが決定的になったのは、身体に癌が見つかってからだった。すい臓がんということであったが、転移も見られるようになり、殺される少し前には、すでに余命宣告を受けていたようだ。

 そのことは医者と本人しか知らないことであり、本人から、家族への報告も厳禁というのが本人の意向だったのだ。

 そのことが影響してなのかどうなのか、車での移動はすでにできなくなっていたので、その日も電車からバスに乗り継いでの帰りであった。

 その日は研究で遅くなり、家族も迎えに来れない状態だったこともあって、その日だけだったという事情で、帰り道が暗い夜道になってしまった。その日に限って、博士は最初、暴漢に襲われて、頭を殴られたことでの殺害という意見もあったが、金目のものを盗まれているわけでもなく、ただこの日はあくまでも偶然、このような暗い夜道を通ることになったというだけで普段では絶対にありえないことだった。ただの偶然が重なったというだけのことだったはずなのだった。

 しかし、それなのに、事件は起こった。

 通り魔だとすれば、金目のものに手を付けていないことは考えられないことだし、怨恨のようなものだとすれば、この偶然をずっと待っていたということになるが、ある意味計画性があるだろう。

 しかし、その日のありないなどは、皆それぞれにあり、殺害は難しいとされたが、ここでアリバイという意味で、完璧ではないのが、川北氏であった。

 その日は、友人と一緒にいたことになっていたが、川北氏はそのアリバイを強要していたことが後で分かったのだ。

 というよりも、彼を怪しいと考え、捜査をやり直すと、アリバイの脆弱性が浮き彫りになり、アリバイを証言した人を責めれば、あっさりと強要されたことを白状した。

 彼を怪しいと思った理由は、教授がなくなった時の遺産が自分に入るような遺書があったということが大きかった。

 その遺言は佐久間弁護士が持っていたのだが、さすがに殺人事件で、自分を顧問弁護士として雇ってくれた雇い主が殺された事件なのだから、警察に全面揚力するのは当たり前だった。

 そのため、やむ負えず、川北氏の不利になる遺言書を警察に証拠として提出したのだが、それを弁護士として悔やんでいた。

 佐久間弁護士は、個人的に川北氏と仲が良かったのだった。

 そのことと、妻のつかさが借金をしていたという事実迄出てきたことで、川北氏の犯行は決定的だと思われた。

 完璧な証拠はないが、アリバイを偽証させたり、遺言の問題。そして奥さんの借金などを考えあわせれば、消去法で考えて、川北氏以外には考えられなかった。

 そこで逮捕しての取り調べとなったわけだが、川北氏は諦めが早かったのだろうが、自白に追い込まれることになった。そのため、前述のような状況になったわけだが、つかさが一番責任を感じているのは間違いないことだが、佐久間弁護士も自責の念に捉われてしまっている。

 川北氏の自白は本人の心境もさることながら、それ以上に彼の身辺の人間に、多大なる後遺症を残したのはいうまでもない。

 だが、それでも川北氏は、出所してからその不屈の精神力で、博士の残した研究を受け継ぐ形で、博士の遺産でもある研究を完成させた功労者であった。

 博士側の方は、奥さんがいるだけで、博士にも息子が一人いたのだが、子供が成人する前に、病気で亡くなっていた。

 博士も大きなショックを受けたが、奥さんの方がショックは大きく、

「もう、子供はいらない」

 という思いに駆られてしまったことで、その精神的なショックが元なのか、博士の方では、

「養子をもらい受けるということも視野に入れて考えたい」

 という気持ちもあったということだが、奥さんの憔悴がハンパではないことで断念した。

「博士の気持ちも分からなくもないが、ここは、奥さんの気持ちを一番に考えてあげる方がいいのではないか?」

 という佐久間弁護士の意見もあって、博士は養子縁組を断念したという経緯があった。

 そのことを博士は佐久間弁護士に対して、恩義を感じていたようなのだが、博士は性格的に本心をなかなか口にしない人なので、佐久間弁護士は、

「博士に恨まれているのではないか?」

 という疑念がずっと燻っていたようだった。

 ただ、遺産w譲というのは、自分が死んだ時に、自分の遺産の全部ではなく、一部であるが、一部とはいえ、かなりの財産が川北に行くことになる。しかも、妻の借金を帳消しいした上で、さらにお金が十分に残っているというだけの条件には、気持ちが動いても無理もないだろう。

 そして問題になったのは、

「川北は博士の病気のことをどこまで知っていたか?」

 ということと、病気を知っていたとして、

「遺言書のことを知っていたのか?」

 ということが、動機の面で大きく左右するのは分かっていた。

 警察が逮捕状を請求できたのは、そのどちらも分かっているという理由からだった。

 ただ、一つ気になったのは、

「教授が博士の余命を知らずに、遺言だけを知っていた場合」

 である。

 何と言っても妻のつかさによる借金も待ったなしではあったし、遺言が確かでなければ、殺害に至るだけの根拠もない、

 ただ、いろいろな人の証言で、

「博士が川北に絶大な信頼を置いていた」

 というのは、間違いのないことのようで、それだけに博士にとって、自分の死がリアルに迫ってくると、余計に誰を頼りにすればいいのかが明確になってきたことで、あの遺言になったのではないだろうか。

 それを実際に口にしたわけではないが、一番分かっていたとすれば、他ならぬ佐久間弁護士ではなかっただろうか、

 彼は遺言書を作成しながら、ひしひしとその思いが分かっていた。ただ、そのことで川北に嫉妬していたのかも知れない。

 しかし、佐久間弁護士は最後まで何も言わなかった。

 佐久間弁護士の博士殺害事件の時の事情聴取では、彼はあくまでも、

「他人」

 であった。

 顧問弁護士という立場以外で、博士と関係があったことはなかったという。博士殺害の捜査で、当然、弁護士も差tsy買いの容疑者の一人に数えられたが、一番犯人としては、遠いところにいたようだ。

 理由の一つに、結構早い段階で、川北の犯行を裏付けるような証拠が見つかり、しかも奥さんの借金というのが、決定的な決め手となった。

 実際に川北が観念したのは、妻の借金という話を警察が突き止めた時だった。

 だが、それくらいのことは遅かれ早かれ分かるというもので、分からない方がおかしいくらいだ。そうなると最初から川北が自供するのは、計算されていたことではなかったかという疑念が浮かぶ。

 川北一人に果たして、どこまで考えられたか。もしここに少しでも計算が含まれているとすれば、その知恵は弁護士によるものであろう。

 ただ、川北が犯行を自供し始めてから、素直にどんどん話し始めはしたが、最後まで素直だったわけではない。

 彼が途中で、

「俺がやったんじゃない」

 と犯行を覆したことがあった。

 それは、

「被害者の遺言書というものを知らされた時」

 というよりも、

「被害者の余命が分かっていた」

 という話を訊かされた時であった。

 その時川北は、取調室で愕然となり、その表情には、

「取り返しのつかないことをした」

 と言わんばかりに、焦りの色が明らかに浮かんでいて、取り調べをしている刑事としては、それくらいのことは当然知っていたであろうと思っていたことだっただけに、川北の焦った表情には、正直取り調べに当たった刑事もビックリさせられた。

「お前、まさか博士の病気を知らなかったというわけではあるまいな?」

 と訊かれて、

「いいえ、病気が重いのは分かっていましたが。まさか余命宣告を受けていたというのは、驚きでした」

 と川北がいうと、

「じゃあ、博士が癌だということを知っていたのは知っていたが、そこまでせっぱつ会っていたわけではないと思っていたということか?」

「ええ、そうです」

「だけど、癌だと分かっていれば、普通なら長くはないということも分かるだろうよ。そこまで驚くことではないと思うが」

 という捜査員に対して、さっきの驚きとは違う形の表情で、また驚いていた。

 最初の驚きは単純に知らなかったことを知ったのに対して、素直な驚愕だったのだが、次の驚きは、刑事が、自分の心境を分かってくれなさそうな雰囲気に見えたことへの驚きだった。驚きの度合いを相手が感じる場合、よりインパクトがあったのは、むしろ後者だったのかも知れない。

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