第7話 追いかけてくる弟

 恭一は一人になるために、失踪したと言っても過言ではない、迷惑を描けてしあう人には申し訳ないが、ただ、一人だけ相談したのが、岡崎教授だった。

 教授の本来の立場から言えば、自分の患者が、

「失踪を試みたいんだけど」

 などというとそれを否定しないといけない立場にあるはずなのに、教授は快く承知してくれた。

「本当は、断じてダメだというべきなんだろうが、今の君なら体力的にも精神的にも失踪しても、何とかなると思うんだ。ほぼ回復しているからね。でも、心情的には、お世話になっている人たちを欺くようにして失踪することは、許されないことなのかも知れない。だが、君の立場や精神状態を考えると、今のまま、トラウマやストレスを抱えたまま、偽りの精神状態で暮らしていると、今ここで失踪するよりも、さらに大きな迷惑を掛けることになって、取り返しのつかないことになるかも知れない。私は取り返しのつかない事態になる前にという意味で、失踪に承諾したと思ってもらいたい」

 と言ってくれた。

「ありがとうございます」

 というと先生は続けた。

「いいかい? だから余計に君が失踪したことに後ろめたさを感じたり、綾羅木さん一家に悪いと思って、変に躊躇はしてはいけないよ。あくまでも君は自分の意志で失踪するのであって、そこには君の意志を貫くためという覚悟と責任がいるんだ。ただ、後ろめたさを持ってしまうと、その覚悟と責任が、まるで裏切った人への懺悔の気持ちと重なってしまい、決していい方向には向かないんだ。そのことをゆめゆめ忘れないようにしないといけないよ」

 と言うのだった。

「覚悟と責任という言葉を伺って、僕も開き直れる気がしてきました。僕は最近、一人でいることを望むようになったんですが、この感情は悪いことなんでしょうか?」

 と聞くと、

「そんなことはない。人は一人でいるのが、本当は自然なんだ。だが、人と一緒にいる姿も人間なんだよ。だから、どちらかなどというのを、人間という括りで見てはいけないんだ。孤独がいい人もいれば、人と一緒にいる方が力を発揮できる人もいる。人によっては、人に委ねないと生きていけないような人がいるだろう? 依存症というのか、異性への依存なんかもそうだと思うんだけど、それって結局は自分の中にないものを欲しがっているということなのではないだろうか? ただ、それも自分で分かる人もいれば、人から指摘されて初めて気づく人もいる。どちらが悪いといういうわけではないんだ。どちらもいいこととするならば、どちらも悪いことなんだ。それだけたくさんの考え方があるということさ」

「なるほど」

「特に人からマインドコントロールされた人は、催眠術にかかっているようなものだからね。何か一つにだけ特化して催眠を掛けられているので、その感情に関係のある身近な感情は変わっているわけではないので、きっと矛盾に苦しむはずなんだ。それでも、違和感なくできているということは、催眠状態に陥っているか何かで、かなりの無理を強いられていると思うんだよ。そうなってくると、その状態が積み重なると、感情が崩壊してしまわないとも限らない。麻薬中毒者などが起こす禁断症状などというものは、まさにその通りで、それが進むと廃人同様になり、他の人が、無意識にできていうことすらできなくなってしまって、悲惨なことになってしまう。例えば、一人でトイレができなかったり、食事も摂らなかったり、起きていて、身体も動くんだけど、自分の意志で動いているわけではないから、一種の植物人間のような感じになってしまう」

 という、恐ろしい話にまで先生は言及した。

 本来ならここまでの話をする必要などないのかも知れないが、、敢えて教授がしてくれたというのは、それだけ覚悟と責任というものが重要なのかということを知らしめるためであろう。

「催眠術というのは、薬などに頼らずに、人の気持ちをコントロールするものなので、ある意味クスリよりも恐ろしい。クスリは計算されて調合ができるが、人間が人間をコントロールする場合、コントロールする側の人間が、自分を本当にコントロールできているのかすら疑問だよね。コントロールできないから、人をコントロールしようなどという大それたことを考えるのかも知れない。悪の組織に操られ、脅迫されて嫌々手下として開発に従事するというのをドラマなどで見るけど、悪の首領も自分にできないくせに、よく他の人にやらせて、威張っていられるなって、子供の頃に感じたものだったよ。勧善懲悪というのは、そういう悪があるから善が目立つんだよね。いくらドラマや特撮で、テレビは視聴率は重要だといっても、これこそ子供を洗脳するものではないかと今では思うよ。本当に本末転倒な気がしてくるよ」

 と先生がまた熱弁をふるった。

 こういう話を訊くと、先生はこのような話をいつも頭に描いていて、誰かに聞いてもらいたいと思っているというのが本音ではないかと思った。

 それは悪いことではなく、ある意味、恭一に対して話している言葉に嘘はない。

 それが自分の気持ちからでもあることを言いたかったのではないだろうか。恭一のように、精神疾患からある程度立ち直り、精神的にはまだ生まれたばかりの子供のように無邪気な頭の中に、一番叩きこみたい思いだったのかも知れない。

「それこそ洗脳じゃないか」

 と言われるかも知れないが、

「確かに洗脳かも知れない」

 という、罪悪感のようなものもあったが、これまで否定してしまうと、精神疾患の医者など、存在自体がありえないのではないかと思えてきたのだった。

 だが、教授は臆することなく熱弁をふるう。まるで子供のようなそんな姿はきっと他の誰にも見せないはずだ。

――僕にだけ見せてくれたんだ――

 と思うことで、教授に対しての感情移入が間違っていないと思う。

 ただ、今は、

「一人になりたい」

 と欲しながらも、それに賛同してくれる考えの人もほしいと思っている。

 だからと言って矛盾しているわけではない。それだけ精神的に不安定なのであって、それを補ってくれる人を探している。

 その相手が教授であるのは、相手の立場からいっても安心だった。

 最初に訪れる場所だけは、教授が紹介してくれた。

 その場所には一週間ほど逗留したのだが、タイミングが悪かったのか、ちょうど人が多い時期だった。

 教授も少しは人がいるのは分かっていたが、想定外の人出に、教授もビックリしたようだった。そこから先は当初の約束通り、一人で次の逗留先を探した。

 ただ、一人というのは、教授を頼らないというだけのことで、途中で知り合った人にはその限りではなかった。

 また、恭一が行き詰って、教授を頼りにするのはありだった。あくまでも教授の方からの発信で、恭一の行先を決めるということはしないというルールだったのだ。

 今までの逗留先で知り合った人がいないでもなかった。同じようにいろいろな温泉街を巡ったり、ペンションのようなところで、時間を使うという人であった。

 その人は一人の女性だった。三軒目の逗留場所で一緒になったことになるのだが、いろいろ話を訊いてみると、

「今まで出会わなかったのがおかしいくらいだね」

 というように、恭一が訪れた二軒のペンションにも彼女は逗留していた。

 日数的には恭一が最初に逗留した場所には、三日ほど、そして次に逗留した場所では、恭一よりも長い日数を逗留していたのだ。二人が同じペンションにいた時期は重なっているはずなのだが、お互いに気にしていなかったということであろう。

 恭一は、一人になることを目指していたし、彼女の方は、自分のことで精いっぱいだった。

 彼女が何をしにペンション巡りをしているのかは、その風体を見れば大体分かった。車での移動なのだが、トランクの中から出してきたのは、キャンバスに絵の具の道具、彼女は恰好から入るタイプなのか、いかにも絵描きさんという風体で、ベレー帽などもかぶっていた。

 小説を書くために逗留しているという建前なので、同じ芸術に造詣が深いということで、彼女は恭一に興味を持った。

「小説なんてすごいわ。私、想像力がないから、目の前にあるものを忠実に描く絵描きしかできないのよ」

 と言っていたが、絵を見せてもらうと、かなり独創的な絵を描く人で、絵具ももったいないくらいにふんだんに使っていて、立体感溢れるその絵は、絵と工作の間のようにさえ見えた。

 絵にまったく造詣が深くない恭一は、その絵を見て、

「何て素晴らしい絵なんだ」

 とあまりにもベタ過ぎる褒め言葉であったが、彼女は素直に照れ臭く感じてくれたことで、一気に恭一の気持ちが氷解したようだった。

 恭一にとって求めていた感覚はこれだったのだ。会社では相手のあざとさに引っかかってしまい、脅迫されることになってしまった。淡々にたぶらかされてしまったわけだ。だが、相手が素直に照れてくれるような雰囲気を感じたこともなかった。だが、俊一にとって初めての感覚ではなかった。

「どこか、懐かしさがあるんだよな」

 自分にとっての一部の記憶が欠落していることを知っているはずなのに、この時は欠落している記憶の中に、そんな懐かしさがあるのだとは思ってもみなかった。

 このような忘れたくない記憶は、同じ思いを再度した場合に、思い出すものだと勝手に思い込んでいたからだ。

 実際には思い出すことはない。そうなると、この記憶は懐かしいと思いながらも、自分の中で、

「本当に思い出したい」

 という記憶ではなかったということだ。

 それはきっと、唯子のことが忘れられないという思いの中にあるのかも知れない。

「忘れられないと思っている記憶を、シチュエーションによって思い出すというのは、何か理屈が違う気がする」

 という勝手な思い込みであった。

 だから、この懐かしいという思いと、唯子への思いとは違うのだと考えてしまう。そのおかげで新鮮に感じることができるのだが、危険にも気づかないのだろう。

 彼女と仲良くなってから、それまでまったく小説を掛けなかった恭一が書けるようになった。

 別に小説家でもなく、ただ気持ちのリフレッシュのために来ているだけなので、書けないことに後ろめたさを感じることもなかった。

――俺は精神疾患があり、そのために会社でいいように利用されたりもした。しょせん人間なんて信用できない。自分だけがよければそれでいい――

 という思いを自分にとっての正義だと思いたくて、その気持ちのリフレッシュに、行方府営となってまで、この方法を選んだのだった。

 前の世界に戻ったとしても、そこは、まったく違った世界が広がっていることだろう。まっすぐに進むはずの未来を自分から変えてしまったのだ、当然変えてしまったことで、一直線に過去に戻ると、その世界は、自分が歩んできた世界とはまったく違った世界が広がっているに違いない。そうなると、その過去から続く未来も本当に今なのか、疑問が生じてくる。その疑問に何らかの答えを見つけることができるとすれば、今回の絵描きの女性との出会いではないかと思うのだった。

 初めて味わうはずの新線な気持ちを、

「懐かしい」

 と思った、

 いわゆる、

「デジャブ」

 と言われる現象なのだろうが、そのデジャブは誰にでもあるという。

 ということは、一部の記憶の欠落なるものくらいであれば、特殊な疾患がなかったとしても、誰にでも普通に訪れるものなのだろうか? それとも、普通だと思っている人であっても、疾患があることに気づいていないだけなのか、デジャブという現象を、科学的に解明できていないようなので、そのすべては想像でしかないのだ。

 デジャブの話も岡崎教授としたことがあった。

「これは私のまったくの私見でしかないのだが、デジャブという現象についての意見を聞いてくれるかい?」

 と教授に言われ、興味があったので、

「ぜひ、お聞かせください」

 というと、教授は実にニコニコと、まるで子供が母親に百点を取ったことで自慢したいのをまだ言わずに堪えている時の表情を見るようだった。

「デジャブという現象は、初めて見たり聞いたりしたことのはずなのに、以前にも見たことがあるというものだったね?」

「ええ、そう理解しています」

「まだ、科学的には何んら証明はされていないんだけど、説としてはいくつかあるんだ。だが私の説はそのどれでもないんだけどね。考え方として私の中にあるのは、『辻褄合わせ』のようなものなんだ」

 というではないか。

「どういうことですか?」

「過去に似たような経験を、自分の中で過去に見たり聞いたりしたことだということで、何かを納得させたいと考える時、記憶の中の辻褄を合わせようとして、デジャブと言われるような現象を引き起こすと思うんだ。つまり矛盾が存在していれば、普通その矛盾を自分なりに解決していくだろう?」

「ええ」

「その矛盾をすべて解決すると、一つの線が出来上がるはずなんだけど、実は繋がらない部分、見えていない部分があったりする。そこを何とか想像で補おうとする。その意識がデジャブというものではないかと思うんだ。つまりは、点を線で結ぶための最終手段とでもいうべきなのかな? だから、意識としては残らないけど、何か不思議な感覚として気にすることになる。木にはするけど意識としては残らないから、まるで都市伝説のような感覚で、落としどころを見つけているんじゃないかな? それが『辻褄合わせ』ということになる」

 と教授は言った。

 なるほど、話としては面白いが、正直理解できなかった。

「なかなか興味深い話ですね。でも、それを意識していても、今後デジャブが起こった時に、果たしてこの話を思い出せるかどうか、僕には疑問ですね。デジャブというのは一瞬感じるだけで、すぐにまるで夢だったのではないかというような意識になってしまう。そんなものなんじゃないですか?」

 というと、

「まさにその通りなんだ。でも、私は自分のこの意見を頭に抱いている人は、他の人に比べて、たくさんのデジャブを感じることになるような気がしているんだ。そのうちに、私のこの考えを証明してくれる人がどこかに現れるのを願っているんだけどね」

 という教授に対して、

「じゃあ、もっとたくさんの人にお話しされればいいじゃないですか?」

 というと、

「それじゃあ、まるで『下手な鉄砲数撃ちゃ当たる』とでも言わんばかりじゃないか」

 と教授は笑ったが、

「確かにそうですね。皆この話を結局自分の理屈で聴いてしまう。それだけに感じ方も人それぞれ、理屈が解明されていないことに対して、最初から土台が違う人たちをターゲットにしても、最初から立ち位置が違っているのだから、照明は難しいですよね」

 と恭一がいうと、

「そ、そうなんだよ、僕の言いたいのはそこなんだ。やっぱり、恭一君の考えは私の理論に共鳴しているような気がするんだ」

 と、初めて教授が恭一の考えと自分の考えが酷似していると感じていることを話した。

 もちろん恭一も、心理学の権威でもある岡崎教授の考え方に共鳴できていると言われると、これほど嬉しいことはない。

 ただ、自分には精神疾患があると教授は言っただへないか。確かに多くな問題ではなく、記憶の欠落が一部あるのを気にはしているようだが、それ以外はほとんど治っていて、だからこそ、教授はいろいろな話を自分にしてくれているのだと思っていた。

 それがまさか、教授が共鳴してくれていると思うのは光栄だと思う反面、教授という人を尊敬以外の何者でもないとしか見たことがなかったことに、いまさらながら思い知らされた気がした。

 恭一は、岡崎教授の中に、自分を見ているような気がしてきた。それは岡崎教授も自分の中に、教授を見ているような気がしたからだ。

 お互いに相手を透かして見ているような感覚に、

「自分を見つけたいのだが、そう思って自分側で油断をしてしまうと、教授に心の中まで侵入されてしまう」

 という、危機感のようなものを感じた。

 教授に対して全面的に治療ということに対して依存しているのは間違いないし、そうでなければ、自分の疾患が治らないということは分かっていたが、自分の心の中まで侵入してこられるというのは、話が別な気がした。

 不法侵入と変わりはないと思ったからだ。

 しかも、教授のような立場であれば、心理的に相手の心に侵入し、相手のことを知らなければ治療もできっこないと思っている。

 しかし、精神疾患を治すのに、本当に相手の心の中に侵入しなければ治療できないものなのだろうか。もしそうだとするのであれば、どこまで侵入できるかが大きな問題となってくる。

 いくら治療のためとはいえ、侵入できる人の心の中というのは、決まっているような気がする。それは倫理の問題とか、プライバシーなどという問題ではない。もっとリアルで切実な問題である。

 つまり、人の心の侵入すれば、侵入された方にその意識があれば、本能から相手を表に逃がさないように、結界を設ける二違いないからだ。入り込んでしまった自分がどこにも逃げることができずに、どうなるかというと、きっとその人の心の中に取り込まれてしまうのではないだろうか。

 オカルト的に考えるならば、撮りこまれた瞬間、その辻褄を合わせようと、その人がこの世に存在したという履歴をすべてリセットすることになる。

 つまり、彼を知っているすべての人から彼という記憶が消去され、しかも、その大きな穴を解消するために、皆が気持ちをリセットしようと試みる。つまり、記憶を消すところまでは見えない何かの力が働いているのだが、消された記憶の辻褄を合わせるのは、本人でしかない。

 それがいわゆる、

「デジャブ現象」

 として考えられていることだとすれば、結局そこに戻ってくるのであり、考え方が堂々巡りを繰り返すことになるのだが、この堂々巡りは実に理屈に合ったもので、唯一堂々抉りを正義のように考えられる心境になれるのではないだろうか。

 デジャブを悪いことのように思わず、懐かしさを感じるのは、そういう思いからではないかと、いろいろ考えているうちに恭一は思えてきたのだった。

 そんなデジャブのようなものを絵描きの彼女に感じたことで、小説もおのずと彼女を主人公にして書くようになった。まだ彼女のことをほとんど知らないのに、まるで何でも知っている中でもあるかのように、どんどん筆が進んで行く。

――俺って、ひょっとすると文才があるのかな?

 という勘違い迄してしまいそうだったが、思い立ったことをどんどん書き進めていかないと、すぐに忘れてしまうという問題gあったのも事実だった。

「小説は一気に書いてしまわないと、すぐに忘れてしまうんですよ。だから、何が大切なのかというと、集中力だと思うんですよね」

 と恭一は彼女にそう言ったが、その気持ちは言い聞かせている言葉でもあったのだ。

 恭一は小説家というものが、孤独であったり、人とあまりかかわりを持たないようにしている人ほど、名作が書けるということを理解できた気がした。

「人との時間が増えると、自分の世界に入り込んで妄想できる時間がそれだけ少なくなる。人とのかかわりを大切にした人は、逆に小説家には向かないのではないだろうか。つまり、そこに気持ちの矛盾であったり、ジレンマが生じてしまい、自殺を考える人も出てくる。考えてみれば、文豪と呼ばれる人たちに自殺者が多いというのも、このあたりが少なからず影響しているのではないかと思うんだ」

 と話した。

 絵描きの彼女は、

「私も絵を描くようになるまでは、絵描きというのが、目の前にあるものを純粋に書き写すだけのものだと思っていたんですよね」

 と言った。

「僕もそうだと思っていますけども」

 というと、

「実際に絵を描き始めると、全部が全部必要なものなのかって考えてしまうんですよ。つまり、必要な部分と不必要な部分が見えてくる。すべてをそのまま描写すると、必要なものだけではなく、不必要なものまで描かれていることで、見た人が、実物とは違うものが見えてくる。本人は忠実に書き写していたつもりなのに、出来てしまったものがまったく想像していたものと違っているんですよ。それはきっと、書く時はある程度点から描き始めますよね。でも、書きあがると線であったり、面で見るんですよ。そうなると、まったく違ったものに仕上がっているように思えて仕方がないんです」

 と、彼女はいった。

「じゃあ、大胆に省略した方が、より現実に近づくということですか?」

「ええ、理屈には合っていませんが、私はそうなんだろうと思っています。あくまでも、私の考えでしかないんですけどね」

 と言って、彼女は苦笑いをした。

「なるほど、何となく分かる気はします。絵を描くというのは、必要なものと不必要なものを見分けることができるようになるためのものなのかも知れませんね」

 というと、

「それ以外もあるのでしょうが、そこからが出発だと思うんです。そういう意味では、従順でまるで子供のような人にこそ、絵は掛けるんじゃないかと思うんですが、逆に少しでも邪な感情を持つと、不必要なものが見えなくなる。そのまま成長すると、結局絵が描けなくなると思うんですよ。それほど絵を描くというのは難しいことではないかと思うんですが、どうなんでしょうね?」

 とまた彼女は笑った。

 彼女の笑顔には、天使の笑顔が感じられる。それだけ贔屓目に見ている証拠であろうか……。

 そんな彼女の元に、弟と名乗る少年が訪ねてきたのは、それから四日が経ってのことだった。

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