第5話 ペンションへ
恭一は、記憶が完全に戻ることはなかったが、身体の状態もよくなり、仕事をする分には、別に問題もなくなったので、退院を許され、退院後の一か月後に会社への復帰も決まった。ただ、病院には週に一度は顔を出さなければいかないので、週休二日のうちの土曜日を出社日として、それ以外の曜日を通淫靡と決められた。週に一度の通院日は、ほとんど一日検査を行い、それができなければ、会社への復帰も許されないという状態になっていた。
それでも会社に戻ることができたのはよかったことであり、なるべく会社でも、彼が自殺経験があることを口にしてはいけないと言われていた。
今の時代は、コンプライアンスが厳しく、不当解雇はできないようになっているので、会社側も気を遣っての雇用になっているのだった。
しかし、それだけに難しい仕事をさせるわけにもいかず、一番無難な総務部で、雑用に毛が生えた程度の仕事をしていた。幸いにもまだ一人前の業務をこなせるだけの体力も気力も戻っていないということで、一人の人のサポートのような仕事をすることで、仕事を覚えることもできて、一石二鳥だろうと思っていたのだった。
ただ、何と言っても彼には、先の交通事故にて、
「右腕が上がらない」
という障害を受けてしまったことが、ある意味致命的であったが、器用だったこともあって、左でも十分にできていたという認識があったことで、サポートとして仕事をすることも、さほど苦痛なことではなかった。
彼は交通事故で婚約者を失い、自分も障害を受けてしまったということをよほど苦にしていたのか、自殺を図った。警察の調べでも、そのことを裏付けられる内容の遺書が見つかったことから、自殺の原因は、
「世を儚んで」
という、いわゆる、
「一般的な自殺の理由」
として、疑わしいところはないということで、治療後の会社復帰になったのだが、会社に復帰して一年が経った頃、彼が会社に出社しなくなっていた。
最初に彼をサポートをして手伝わせていた総務部員が、出社してこなくなって二、三日は様子をみていたが、さすがに四日目になると、一度は自殺を図ったいる人なだけに心配になり、総務部長に相談した。
「それは問題だな、とりあえず、彼の家に行ってみよう」
と総務部長はその部下を伴って彼の住んでいる部屋に行ってみた:
彼は元々の一人暮らし、コーポのようなところに住んでいて、部屋に行ってみると、部屋のカギは開いていた。
別にオートロックでもないので、簡単に入ることができる。しかし、いきなり入ってはいくら会社の人間とはいえ、住居不法侵入だと言われれば、言い訳もできないこともないが、後々ややこしいことになりかねない。
とりあえず、声をかけてみた。
「坂出君、いるかね?」
と声をかけてみたが、中から返事はない。
どうやら部屋の中の電気はついているようで、それが上司を不安にさせた。
「しょうがない。何かあったら、私が責任を持つので、中に入ってみよう」
と言って入ってみると、そこには誰もいなかった。
別に部屋が散らかっているというわけでもない。かと言って、すべてが綺麗に片づけられているわけでもない。明らかに最近まで誰かが住んでいたという形跡を残したまま、この部屋は放置されてしまったのだ。電気がついているのも、その証拠だった。
ただ、最初に上司の頭をよぎらせたのは、
――彼がまた自殺を試みたのではないか?
という疑念である。
これは人それぞれなのかも知れないが、聞いた話によると、
「一度自殺をした人は、自殺を繰り返す傾向にあるって話だよ」
と言っていたのを思い出した。
だが、他の人の話として、一度自殺を図って、失敗した人は、
「死ぬ勇気なんて、そんなに何度も持てるものではない」
と言っている人がいると言っていたが、恭一がどちらなのか分からないが、この状態を見れば、自殺を試みたという考えは、自分の中でかなりの信憑性を帯びていた。
部下と二人で部屋の中はもちろん、風呂場やトイレまで調べてみたが、いる様子はなかった。
郵便受けに刺さっている新聞を見ると、二日前のが残っていたので、三日前まではここにいたことは分かっている。とりあえず会社に電話をして、彼が行方不明になったということで、捜索願を出すような手配をすることになった。警察や病院にも話が行って、岡崎教授の方から、綾羅木家に知らせがあったのは、その日の夕方だった。
綾羅木家の方では、やっと恭一が退院し、通勤ができるようになったのを自分の家族のことのように喜んでいた。
何よりも、岡崎教授についで、恭一の回復していく姿をずっと見てきた綾羅木家の人にとっては、不幸にも交通事故で亡くしてしまった娘の好きになった相手、つまりは、義理の息子になる相手だったのだから、その思いもひとしおだったはずだ。
由紀子にしてもそうだった。
自殺未遂を行ってすぐの頃は、
――このままだったら、どうなってしまうんだろう?
と意識と夢の境目が分からなくなっていて、どう接していいのか分からない時期があっただけに、最初の頃の危惧がまるでウソのように回復していく恭一を、暖かい目で見ていたのだった。
最初のあの時期の恭一は、今思い出しただけでも、まるで別人ではないかと思うほどだったのだが、その頃の恭一が嫌いではなかった。むしろ由紀子にとっては大好きになった時期だったのだ。
なぜと言って、
「あの時のような落ち着いた様子の恭一を知っているのが自分だけなんだ」
という強い思いが由紀子にあるからだ、
――あんな恭一さんを姉だって見たことないんじゃないか?
と思うほど、由紀子の知っている恭一とは明らかに違っていた。
元々、恭一のことが気にはなっていたが、姉の婚約者で、いずれは義理とはいえ兄になる人なのだから、好きになってはいけない相手だった。
しかし、姉は今やもうこの世にはいない。恭一が姉のことをまだ引きづっているというのは正直見ていて痛々しかった。それは、
「そこまで姉のことを好きでいてくれたんだ」
という思いももちろんあるが、
「姉がいなくなったことが、ここまでこの人を苦しめるなんて、しかも、この私では彼の気持ちを癒してあげることができないんだわ」
という憤りがストレスとなって、時として鬱状態にさせていることに気づいていた。
しかも、そんな鬱状態の自分をまわりの誰も気づいてくれない。
変に鬱状態だからと言って気を遣われるのも嫌ではあったが、自分のことをここまで誰にも気づいてくれないという思いは、由紀子にとって、これほど辛いものはないと初めて感じさせた時だったのだ。
まわりは皆幸せな姉に目が向いている。
――私は、姉の影に隠れて、誰にも意識されない、まるで道端に落ちている石のように、見えていても誰にも気にされないということをどのように受け止めればいいんだろう?
と考えていた。
確かに姉を隠れ蓑にすれば、ある程度は自由に動ける。しかし、そのためには自分が黒子に徹することが絶対条件だった。
そんなことが果たしてできるのだろうか?
黒子に徹するということは、見られているという意識を持ったまま、まわりに対して気配を消さなければいけないという思いを持っていなければならない。
部隊の上で演技をしている黒子の存在に気付いていながら、観衆は黒子を意識しないのは、黒子がプロであって、気配を消すだけの何かの魔力のようなものを持っているからなのだと思っていたが、それ以外に、黒子以上に、主人公が目立っていなければ、そもそも黒子の成立すらありえないものとなってしまう。
この場合の主人公は姉であり、姉に自分という黒子を従えるだけの力があるというのだろうか?
由紀子は少なくとも恭一に対しては、黒子である自分を従えさせることのできる存在だったのだと思う。しかし、その主人公がいなくなったその時、目の前に見えるのが、黒子の衣装を外したありのままの自分であろう。
そう思うと、自殺を図った時の最初に気付いた時、自分を姉だと思った彼が、次に目覚めた時は、由紀子という本当の自分を見つめてくれていることを、
「黒子の衣装を脱ぎ捨てた私を見ていたからではないか?」
と、実に都合よく由紀子は考えたのだ。
恭一が失踪した理由には、人間不信があった。一度自殺を図った彼は、とにかく臆病になっていた。人から何かを強要されれば、それを断ることができないくらいになっていた。それを巧みに狙った女性事務員が、彼を垂らしこんだ。
もちろん、婚約者を失って自殺を図ったということは知っていた。だが、その女事務員は、
「男なんだから、精神的なことよりも、肉体的な寂しさから、女が色仕掛けで責めれば、必ず堕ちる」
と思っていた。
悲しいかな、それは成功した。
その女は自分が恭一をたぶらかしておきながら、いかにも自分が誘われたかのような写真を他の人に撮らせて、その写真で恭一を脅迫してきた。
「どうせ、記憶も曖昧で、精神疾患のあるような男なんだから、ベタな方法で十分にいけるわ」
と嘯いていた。
オンナは数人の仲間がいて、恭一がお金を使い込んだかのように偽装し、実は自分たちが会社の金を着服するように巧みに伝票を操作した。
その頃には、総務の仕事だけではなく、経理の帳簿の記入くらいの仕事も、補佐としてやっていた。
恭一に補佐をさせた社員自体が女の仲間だったのでたまらない。その男は、
「私はそんな指示はしていない」
と言えば、その男は疑惑の中から消えるだけだった。
あくまでも伝票操作は恭一だけで行ったものだと思わせるかのように装うように計画されていた。
だが、寸でのところで、計画は頓挫した。一人が計画を意図しないところで漏らしてしまったのだ。
単純なミスだったのだが、完全に致命的で、ただ、犯人側に都合がよかったのが、自分たちの名前が表に出てこないことだった。
要するに犯人の名前が一切書かれていない計画書を見られてしまったという信じられないミスだったのだ。
そのために計画は中止され、恭一は計画に参加させられる寸前で何もなかったことになったが、逆に、何も言ってこない彼らに対して恐怖が募ってきて、そのまま人間不信に陥ってしまったのだ、
それはそうだろう。何かの悪だくみのために、脅迫され、手伝わされそうになっているという状態を分かっていただけに、急にそんな連中から何も言ってこなくなれば、
「これでよかったんだ」
と楽観的に考える人間もいるだろうが、普通は何も言ってこないことで、悪い方に考えてしまうのは、恭一に限らず、精神疾患のない普通の人であっても、同じことだろう。
特に精神疾患の強い恭一には、そんな連中の気持ちが分かるはずもなく、今の自分の立場を考えれば、平静でいられるわけもなく、完全に梯子を掛けて昇らされた場所で、梯子を外されてしまった感覚でしかないに違いない。
そんな状態を恭一は、日々苦しみの中で生活することが苦痛以外の何者でもなくなり、このまま自分が消えてなくなるか、それとも何もかも捨てて、どこかに行くしかないと思われた。
精神疾患がありながら、こういう現実逃避の計画への頭の回転には、疾患は関係那なった。
むしろ他の人よりも冴えていたと言ってもいいかも知れない、
幸い、お金も使うことはなかったので、安い給料でも、蓄えはあった。さらに、計画がとん挫したおかげで、やつらから、
「これからの計画に必要になだから」
ということで、少々のお金は貰っていた。
それを返せと言われない分、使うこともできる。
「交通と、当座の宿泊代くらいにはなるだろう」
という程度のお金であったが、ありがたかった。
とにかく、現実逃避には、誰も知られていないところに逃げるに越したことはなかった。仕事を失うことは覚悟の上だが、あんな恐ろしい会社で働くのはまっぴらごめんだ。
「自殺を試みて、精神疾患などを起こさなければ、きっとあんな連中がいたなんて、まったく知らずに今も普通に仕事をしていたんだろうな」
と、恭一は考えていた。
恭一は精神疾患ではあったが、モノに対しての判断力や、理解力はほとんどと言っていいほど回復していた。
しかし、鬱状態だけはどうにもならず、そのために、ネガティブになってしまうと、とことん悪い方に考えてしまい、疾患が回復していることも悪い方に作用し、悪いことへの考え方が増幅してしまうのであった。
そのために、絶えず被害妄想と自己嫌悪の中で戦うことを余儀なくされ、失踪という形で、皆の前から姿を消したのだった。
それでもいきなり自殺を試みたわけではないので、まわりはそれほど心配しているわけでもなかった。
「恭一さんに、もし自殺癖のようなものがあったとすれば、失踪する前に、自殺を試みるはず」
と由紀子の母親は言った。
「そうね、恭一さんのような人は先に失踪してしまうと、自分の気持ちが死に対して揺らいでしまうのではないかと思うんじゃないかな? それにあの人、以前言っていたことがあったの。死ぬ勇気は、そう何度も持つことはできないってね」
と由紀子も、母親と同意見だった。
だが、失踪するほどの精神的な問題が発生したのは間違いない。それがどこから来るモノなのか分からないだけに、皆一様に不安でもあった。
自殺はしないだろうという思いだけで、問題の解決にはまったく至っていない。どこにいるのか分からないだけに不安が募っていたようだ。
恭一はその時、あるペンションにいた。失踪してから、一か月くらいは、そのペンションでゆっくりと過ごすことを考えていた。ペンションで一か月くらい逗留する人は結構いるようで、何か芸術に親しんでいる人が多いとのこと、中にはプロもいれば、アマチュアもいる。恭一は、
「素人小説家とでも思ってください」
と言って、ペンションの管理人さんに話していた。
そのペンションは、冬も万遍なく人が訪れるようで、家族連れも結構いる。ここの管理人はまだ、四十代前半くらいの夫婦で、脱サラ後の第二の人生だということだ。旦那さんも奥さんも料理の腕は確かで、二人ともレストランシェフの経験があった。
かといって二人が知り合ったのは、レストランのシェフ繋がりではなかった。
お互いにペンションめぐりが好きで、そこでたまたま知り合った相手が、偶然にもレストランのシェフどうしだったというだけのことだった。
レストランのシェフと言っても、雇われているのだから、サラリーマンと同じだった。会社の経営方針に従って料理を作るだけの機械の部品の一部に過ぎないことを早くから自覚していて、嫌な思いをしていたにも関わらず、ずっと我慢してきたようだ。
しかし、二人ともストレスの解消に関しては苦手な方で、蓄積されたストレスがお互いに同じタイミングであったため、ちょうどお互いに相手の気持ちを察することができるという奇跡のような関係で、ほとんど喧嘩などはなく、その分、相手の気持ちが分かることで自分のことを棚に上げて、相手にアドバイスができるまでになっていた。
元々ペンション経営をしていた老夫婦がいたのだが、もうそろそろ七十歳を迎えるので、引退を考えなければいけない年になっていたという。その話を訊いたこの二人が、
「じゃあ、自分たちがここをやりたい」
ということで、後継者を名乗り出た。
数か月、管理人見習いのようなことをやってみて、その仕事ぶりを十分だという思いを持って、二人は晴れて、ペンションのオーナーになることができた。
二人は見習いとして入った時点で、レストランを休職扱いということにして働いた。そして正式にオーナーと認められたのを機会に、レストランを辞めたのだ。
人によっては、
「退路を断つくらいの覚悟がないと」
と言われるかも知れないが、おれほど社会が甘いものではないことくらい二人も分かっていた。
だから、これは二人が臆病なので保険をかけていたと言われても否定はしないが、
「それのどこが悪い?」
という開き直りもあり、それが二人の特徴でもあった。
普通なら、嫌われるタイプなのだろうが、二人を悪く言う人は誰もいない。それだけ二人の意見が一致していたからで、見ていて、まったくの違和感がなかったのだ。
最初、恭一は、いくつかのペンションを巡って、
「ここならば、少々の逗留をしても、時間を感じることなく過ごすことができるというところを探していたが、三軒目くらいでこのペンションにぶち当たり、逗留を決めた。
俊一が、
「時間を感じさせない場所」
を逗留の場所として決めたのは、
「毎日の規則正しい生活を時間で制御されないため」
という意識があった。
そもそも規則正しいということの意味が分かっていなかった。
「いつも決まった時間に目を覚まし、同じ時間に食事をして、同じ時間に寝る」
という人間の基本的なリズムに対しての考え方になるのだが、俗世間で生活をしていれば、規則的な生活は無意識のうちにできてしまうだろう。
それは決まっている時間があるからだ。
子供であれば学校に通う。社会人であれば、会社に通うということがある意味決まっているからである。
学校も会社も、その日の始業時間、休業時間は決まっている。会社の場合は、残業というものがあるので、本当に決まっているとはいいがたいが、普通に生活していれば、その二つの決まった時間から逆算しての生活リズムになるというものだ。
一週間も同じリズムで生活をしていれば、自然と慣れてきて、自分が時間に支配されているという意識を持つこともなく、決められた時間に溶け込んでいるように思うだろう。
しかし、毎日の生活が決まった時間に縛られてしまうと、精神状態が同じであれば、
「規則正しい毎日」
ということで片づけられるのだろうが、精神的に苦痛であったり、鬱状態に入り込んでしまうと、規則正しい生活がいつの間にか苦痛でしかなくなっていることに気づかない。それは毎日の規則正しさを無意識に受け入れているからで、無意識がゆえに、意識することができないのだ。
そのため、柔軟に考えなければいけない時に、考える力がなくなってしまっていることにも気づかない。つまり、自分が苦痛であるということも、鬱状態にいるということを自覚していたとしても、どこから来るモノなのかが分からない。
これがすべてだとは言わないが、少なくとも、
「時間に支配されている自分が、無意識であることに違和感を感じていなかったことが原因だ」
と言えるのではないだろうか。
だから、
「規則正しい生活がからだのためにはいい」
とか、
「規則正しい生活をしていないと、精神的にきつくなる」
などと言われるが、果たしてそうなのかと恭一は考えていた。
彼は精神疾患が少しずつ治っていく中で、自分なりの理屈を考えていた。
それは、普通の人が無意識に感じていることであり、本能のようなものなのかも知れないが、彼は疾患があったがゆえに、意識として受け入れる必要があった。
いや、必要があったというよりも、受け入れる余裕があったと言ってもいいかも知れない。
規則正しい生活の中で、精神論を歌うのは、どこか間違っているのかも知れない。規則正しい生活は、何か一つの大きな、
「支配される時間」
というものが中心になっての、逆算ではいけないと思える。
時間というものは、誰にでも平等に二十四時間与えられている。しかし、人間というものが果たして、
「生まれながらに平等だ」
と言えるのだろうか。
確かに皆生まれながらに平等なのが人間だという教育を受けてきたのだろうが、それは与えられた権利や義務が同じものだというだけのことで、どの親から生まれるか、いつ生まれてこれるかなど自分で決めるわけではない。その時点で平等性は皆無と言ってもいいだろう。
あくまでも、大人が子供を洗脳するうえでの口実だというと、身も蓋もないが、決して人間が生まれながらにして平等だということはありえないと言えるのではないだろうか。
修一はそんなことを考えていると、失踪したくなったのだろう。誰も知らない人ばかりがいる中で生活してみたいという思いであるが、その場合の、
「誰も知らない」
というのは、自分が知らないということではなく、まわりが自分を知らないという意味である。
それが恭一にとって大切なことであったのだ。
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