第4話 記憶の断片
「赤とんぼ」を聴いているという恭一の表情は恍惚の表情だった。まるで昨日自殺を企てた人の表情だとは思えない。
――やっぱり、先生の言っている通り、彼の赴くままに今は記憶を紡いであげるのがいいのかも知れないわ――
と、その表情を見ていると感じるのだった。
「少し疲れたから、寝てもいいかな?」
と、恭一は言った。
さっき目覚めてから、まだ一時間くらいしか経っていない。普通であれば、そんなに睡魔に襲われるのは異常なことなのだろうが、先生から、
「彼は精神的な疲労が普通の人よりもかなり激しくなっているだろいから、すぐに眠たくなると思う。そんな時は無理をさせないように眠らせてあげてくれないかな?」
と言われた。
だから、分かっていたことであったので、別に違和感を感じることもなく、彼の言う通りにすることができた。
普段なら、このまま眠らせておいて、自分は帰ろうかと思うのだろうが、この日はもっといることにした。彼の顔を見ながら、何か妄想に入るのもいいと思ったし、どうせなら普段考えないようなことを考えようとも思った。
「せっかくだから、少し病院内を見回ってみようかしら?」
と考えた。
何かがなければ病院などは、長居したくないところなので、ゆっくり見て回るなどという感覚が生まれる余地はなかったはずだ。しかし、
「目覚めを待っている」
という大義名分があることで、気持ちに余裕ができたのか、逆にいえば、気持ちに余裕がなければ、病院など見回ってみようなどと思わないだろう。
由紀子は、中学時代、看護師になりたいと思っていた時期があった。すぐに挫折したのだが、それを自分の諦めの早い性格によるものだと思っていた。確かにそうなのだが、彼女にはアレルギーがあった。いくつかのアレルギーがあるために、子供の頃は何度か入退院を繰り返していた。看護師になりたいと思ったのは、その時の記憶があったからで、看護師の仕事の何たるかすら分からずに諦めたのは、ある意味、
「知らぬが仏」
だったのではないかと思うようになった。
アレルギーの影響があるのか、血の匂いにも拒否反応を示した。そんな状態で、看護師になどなれるわけもないではないか。
病院を見回っていると、外科病棟から内科病棟、さらに循環器科など、いろいろあるのをいまさらのように感じ、診察室の前の落合室に座っている人の加患者にそれぞれ違いがあるのも分かったような気がしていた。
新たな発見がいくつかあり、発見をしながら子供の頃を思い出していた。アレルギーに敏感だったことで、食事制限や、環境にも制限があり、退院してからも学校に行っても、体育の授業はほとんどが見学だった。だが、中学に入る頃にアレルギーの特攻う役のようなものが開発され、それが驚異的と思えるほど自分に適用したことで、中学以降は、自分にアレルギーがあったなどということを忘れさせられるくらいになっていた。だから、最初に恭一が自殺を図って病院に運びこまれたと聞かされた時、由紀子をどうしようか、母親も一瞬迷ったかも知れない。いくら小学生の頃のこととはいえ、昔の記憶が戻ってきて、トラウマがよみがえってきても困ると思ったのだろうが、
「私も行く」
と由紀子が言ったことで、反対する理由もなく、連れていくことにした。
由紀子が行くと答えたのは、恭一のことを一番に考えたからだ。それに病院の記憶は小学生の頃からそれほどきついものだという意識はなくなっていた。いまさら何も問題などないはずであったが、実際に行ってみると、最初ちょっと足が震えていたのは間違いなかった。
由紀子が病院にトラウマを持っていることを恭一は知る由もないだろう。だから、何とか頭の中で、
「恭一のため」
と思ったことで、精神的に持ち直すことができた。
最初に崩れていればどうなったか分からないが、持ち直したことで、自分の中にあったトラウマも消えた気がした。それが心の余裕であり、
「病院を見て回ってみよう」
とまで思えるようになったのだろう。
三十分程度病院内を見回ってみたが、由紀子には満足だった。三十分も病院内を一人で、しかも何事もなく歩くことができたのだから、トラウマもある程度までなくなったことだろう。
今から思えば、中学の時に看護師脂肪をすぐに断念したことを、
「諦めが早いからだ」
と思った理由が今では分からない。
どう考えてもトラウマによるものだったはずなのに、自分の中でトラウマの存在を認めたくないという意識があったからだろうか。
そんな思いを抱きながら、
「今の自分だったら、恭一の気持ちに寄り添えるんじゃないか?」
と考えていたが、それも気持ちに余裕が生まれた証拠だろう。
そんなことを考えながら病室に戻ってみると、恭一は目を覚ましていた。
「あら? もうお目覚めなんですか?」
と聞くと、
「うん、でも、自分では結構眠っていたような気がするんだよ。どれくらい眠っていたんだろう?」
と訊くので、
「そうね。三十分とちょっとくらいかしら? 一時間も眠っていなかったはずよ」
と答えた。
「由紀子ちゃんが来てくれてよかったよ。さっきまで唯子がいてくれたんだけど、どこかに行っちゃったみたいでね。見かけなかったかい?」
と言われ、由紀子は驚愕した。
――ええっ? どういうことなのかしら?
と感じた。
先ほどは自分のことを姉の唯子と間違えて話をしていた。それから一度寝て、目を覚ましたら、お姉さんと一緒にいたという記憶はあるんだけど、目の前にいる人を姉だと意識していたことを忘れている。しかも、自分のことを由紀子だという間違っていない感覚を持っているというのは、意識が正常に動作したということだろうか?
では、正常って何なのだろうか?
人が正常だと思う過去のことというと、それは、記憶の中の人物や出来事を思い出したことに対して、真実と思うはずである。実際には違っていても、その人の記憶として残っていれば、それがその人にとっての真実だということになるだろう。
真実が正常ということになるかと言えば、その点については由紀子には疑問だった。
なるほど、その人にとっての真実はその人を正常だと見えるのかも知れないが、正常というものは、あくまでも多数を正常とした場合に、少数派が異常ということになるというだけのことではないかと思えてきた。
異常と呼ばれるものが多数派を占めていれば、その世界では以上と思われることが正常であり、正常なことを異常として判断する。それが社会を回していく理屈であり、どんな主義や体制であっても、その理屈からは抗えないものと言えるのではないだろうか。
由紀子はそんなことを考えていると頭が混乱していた。ただ、先ほどの先生の話にあったように、彼の意識に抗ったり、否定しないようにしないといけないという思いを持って接するように考えた。
しかし、それはかなりの困難を思わせる。
なぜなら彼の中で三十分までの意識の中と今の意識の中で、明らかに違っているのである。しかもその違いが自分ということになっているので、自分がどのように接すればいいのかが、難しかった。
「ええ、分かった。お姉ちゃんに言っとくね」
としか答えることができなかったが。そう言ってしまうと、今度はスーッと自分の中で気が楽になってくるのを感じた。
なぜなら、今の状況が、異常か正常かと言われれば、正常に近いからである。
何と言っても、自分を自分として演じることができるのだ。
由紀子は、今の恭一の前では、いくら自分だといえ、
「演じる」
という意識を忘れないようにしていた。
相手が病人であるという意識があるからで、この思いは小学生の頃の意識から出ているものだと思っていた。
小学生の頃に入院していた自分は、まわりの人が入れ替わり立ち代わり見舞いに来てくれていたが、それはきっと、
「寂しい思いをさせたくない」
という意識があったからだろう。
つまり、あの時に自分を見舞いに来てくれていた人も、自分を寂しがらせないようにしようということで、一芝居打っていたのではないかと思った。
学校にいる時とは、皆様子が違っていたからである。
一応アレルギーがあることで、気は遣ってくれているようだったが、遣っている気は、演じているという感じではなかった。
自分が病院のベッドの中で、ほとんど動けないような状態を上から見下ろすことで、本当の芝居ができているのではないかと思えたのだ。
だから、今の由紀子も、自分という俳優を、
「演じていた」
のである。
子供にだって、自分を演じることくらいはできる、意外と子供の方が、もう一人の自分を分かっているというのか、いや、いくつかある自分の性格の中で、どれが本当の自分なのかを選定できないでいるから、演じることに長けているのかも知れない。
「多重人格」
という言葉があるが、そう思うと、子供の頃は、皆、多重人格なのではないかと思うようになった。
そのうちに一つの性格を自分のものにすることで、他の性格は忘れてしまったり、捨ててしまうわけではなく、っこれも記憶と一緒に封印しているのではないかと思うのだった。時々表に出てきて、他の性格が顔を出すように見えるのは、
「自分で封印していた性格を、演じているからなのではないか?」
と考えるからだった。
自分を演じているという意識は、たぶん誰もが感じていることだろう。しかし、演じているということを、
「異常なのではないか?」
と感じることで、演じるということ自体を自分の中から否定していると思えるのではないだろうか。
今の恭一を見ていると、意識がいくつもあるようで、目が覚める時、どれが顔を出すのか、分からないようだ、
もちろん、本人にも分かるはずがない。だが、本人が今意識していることが真実であり、眠ってしまうと、その意識がリセットされるだけではないかと思った。
「そういえば、お兄さまは夢を見られたんですか?」
と言った瞬間、由紀子はビックリした。
――お兄さま――
という言葉が飛び出したからだ。
本当は言ってみたい言葉が他にもあった。男兄弟のいない由紀子が兄がいれば行ってみたかった呼び方、それは、
「お兄ちゃん」
だった。
どうしてお兄さまという言葉が出てきたのか、由紀子は分かった気がした。それは、
「子供の頃から一緒にいて、まるで腕にぶら下がって慕っているような気持ちが頭の中にあればお兄ちゃんだったのだろうが、恭一さんはあくまでも先にお姉ちゃんが知り合って、私に紹介してくれた人。本当は兄として慕いたいのだが、義兄ということもあって、姉の手前のあり、なかなかお兄ちゃんとは言いづらい、それを言ってしまうと、姉に対して悪いという気持ちと、由紀子自身の思惑を知られてしまうような気がして、恥ずかしさもあって言えなかった」
と思っていた、
だが、
「お兄さま」
という言葉であれば、甘えているという気持ちを最小限に抑えることで、由紀子は義兄を敬うこともでき、密かな淡い恋心を隠しながら、慕うこともできるようにしたかった思いだった。
今までに一度も、
「お兄さま」
と言ったことはない。
「お兄ちゃんという言葉も口が裂けてもいうことはなかった。今回のように、姉がいなくなってしまったことで、思い切ってお兄ちゃんと言いたかった気持ちがあったはずなのに、どうして出てきた言葉がお兄さまだったのか?」
と思えるのだった。
由紀子にとって、何が大切なのか、考えさせられた気がした。
それにしても、記憶というものはどうなっているのだろう?
―ーどういう種類で構成されているのか?
と言った方がいいかも知れない。
一つの事実を元に、現実が構成されているのだとすれば、記憶というものも、何か一つの強力な事実を元に残っていくものなのかも知れない。
夢というものが、記憶によって作り出されたものであるならば、記憶喪失の人が見た夢は、そのすべてが勝手な想像でなければ、記憶はやはりどこかに残っているものであり、それを封印しようとしている人が自分なのか、それとも、何かの見えない力によって封印されているものなのかによって、夢というののへの意識が変わってくるだろう。
由紀子の感じている夢とのものへの感覚は、まず、
「怖い夢ほど覚えているものであり、もう一度見たいと思う夢ほど、目が覚めるにしたがって忘れていくものだ」
という感覚があった。
もう一度見たいと思う夢は、二度と見ることができないと由紀子はこの間まで思っていた。しかし、ある時に見た夢で、目が覚めるにしたがって、
「忘れたくない」
と思いながら、夢から覚めていたその時、
「この夢、前にも見たことがあって、その時も忘れたくないと思ったのではなかったか?」
と感じていた。
自分の中では繋がっていることであっても、
「夢とはそんなに都合よく見ることのできるものではない」
と思ったことで、逆にその時は、前に見たことがあったということを意識できたのではないだろうか。
似たようなシチュエーションであっても、いつも同じことを考えれるとは限らない。夢を見る時の体調であったり、夢に入り込む時の心境によって、まったく変わった意識を持つのが故を見るということなのかも知れない。
由紀子は、恭一に夢を見ていたのかを聞いたのは、今の恭一の見る夢が、自分とどれほどの違いがあるのかというのを知りたいという思いがあったからだ。
恭一の心境を思い図ることもできないくせに、夢のことが分かるはずもないことを理解していながら、由紀子は恭一にできるだけ近づきたいと思っている。
だが、自分で苦痛を理解している時は、その辛さをまわりの人に知られたくないという思いがあるのを分かっていた。
あれは中学生の時だったが、学校が坂の上にあり、通学を徒歩でしていた時、小学生の頃からのアレルギーの関係で、ほとんど運動らしい運動をしてこなかった関係で、時々、足が攣ってしまったりしたことがあった。
足が攣る時というのは、予感めいたものがあるようで、
「あっ、痛い」
と思った瞬間には、すでに身体中が固まってしまって、身動きが取れなくなってしまっている。
きっとそんな自分をまわりから見ると、自分で感じているよりも何倍もつらそうに見えるのではないかと思った。まわりから必要以上に辛そうに見られることで、痛みが増してくるという負のスパイラルのような現象から、少しでも痛みを抑えようとするには、まわりの人に悟られないようにするしかなかった。
だから、痛くても必死で我慢しようと思うのだ。
痛みを堪えていると、その表情は完全に内に向かっての痛みとなり、必死に我慢している自分は、痛みを忘れようと、まるで夢のように感じようと思うのではないだろうか。
そんなことができるはずもなく、結局、痛みをこらえるという意識を何とか無意識に感じるようにするのが一番いい方法だという結論に至るのだが、それを達成させるためには何をしなければいけないのかが分からなかった。
由紀子は、さっきまで考えていた恭一の記憶の欠落が、今回一度眠ってしまったことで、様子が違っていた。
さっきは由紀子のことを姉の唯子だと思っていたのに、今回はその意識を持っている。しかし、前に見た夢を覚えていると言えるのかどうか微妙なところだった。
なぜなら、先ほどの夢で、誰か女性を見たという意識はあるのだが、それが最初の姉ではなく、由紀子に代わってしまった。それは、
「目の前にいたのが由紀子だったので、さっきも由紀子を見たという感覚から来ているのだろうか?」
と考えてもみた。
そこで一つ気になったのが、さっき目が覚めてから、二度目に目を覚ますまでの間、眠くなってから眠ってしまい、その時に夢を見たという感覚があるのだという。
夢を見たことが失った記憶の断片に何か別のものを結び付け、夢と現実の境目が分からなくなったことで、矛盾していることでも、納得できる感覚を持つようになったのかも知れない。
記憶の欠落を、
「精神疾患」
のようなものとして見るのであれば、欠落した記憶を夢が補っているのかも知れない。
そもそも、人間というのは、皆が皆記憶を正確に覚えているわけではない。ちょっとしった時間しか経っていないのに、さっきまでのことを半分近くも忘れていたり、一度見ただけの人の顔は、そう簡単に覚えられなかったりする。
同じ記憶するにしても、人の言った言葉はまったく覚えていないが、その人の顔は少し見ただけで忘れることはないという人もいれば、逆に、人の言葉は一字一句忘れることはないが、人の顔は、何度見ても覚えられないという人もいる。
人の顔を忘れていくにも段階があり、
「すぐに忘れてしまうわけではなく、徐々に忘れていって、ある程度までくれば、そこから一気に忘れてしまうものだ」
と、人の顔を覚えられない人は考えているようだ。
実は由紀子も人の顔を覚えるのが苦手で、一時間くらいしか一緒にいない相手であれば、何度も会っていないとその顔を忘れてしまうのだった。
そもそも、覚えられないのか、それとも忘れ去ってしまうのか。どちらなのかと考えたことがあったが、由紀子は、覚えられないと思っている。忘れるというのは、最初に頭の中に刻み込まれたものが徐々に消えていくものであるが、覚えられないというのは、最初から何もないところに意識を構成していく中で、覚えておかなければいけないという気持ちがプレッシャーになって、次に会った時、
――もし、相手を間違えたらどうしよう?
という気持ちが大きく作用し、最初からあるものが消えていく感覚であれば、何とか忘れることはないと思うのだった。
それは夢の感覚とは逆のように思う。
夢というのは、明らかに自分で意識して見たものだったはずだ。
――無意識に見さされた――
という意識もあるだろうが、怖い夢のように、自分で望んで見ているわけではないことから、無意識だということはありえない気がした。
そのため、決して忘れないように、記憶のとこかに格納しているのだが、覚えておかなければならないことが多いことで、夢よりも現実を優先するあまり、夢で見たことは忘れてしまうという意識の中で封印されるものなのではないだろうか。
由紀子は、夢というものが意識の中に封印するものなのか、無意識の中に封印するものなのかを考えてみたことがあったが、それを知ったところでどうにかなるものではない。それよりも、
「夢というのは決して忘れ去られたものではない」
という感覚を持つことが大切だと思うのだった。
夢は確かに目が覚めるにしたがって忘れていくものだが、忘れ去ってしまうことのできないものであり、自分の中で必ず近い将来関わってくることになるということを感じさせる大切なものだと考えるようにしていた。
「お兄ちゃんの夢の中に、私が出てきた?」
と由紀子は訊いてみた。
すると、恭一は少し考えて、首を左右に振ってみていた。
普通であれば、片方に頭を傾けて考えている格好をするのだが、この時の恭一の考えている素振りは普通と違っていた。
――やはり、記憶を失っていることで、どこか精神的に疾患でもあるのだろうか?
と思ってはいけないと感じながら、そう考えてしまう自分が怖かった。
「由紀子ちゃんは出てきたんだよね。でも、それ以外の誰かもいたはずなんだけど、それが誰なのか分からないんだよ。自分の顔すら見ることができないんだ」
というではないか。
夢であろうとなかろうと、自分の顔を見ることなどできないと思っている。夢というものを自分から離れて、第三者として見ているという理屈を考えれば、自分の顔を見ることはできるのだろうが、やはり何か理屈に合っていないような気がした。
恭一が他の人を分からないと言ったのは、今目の前にいるのが自分だから、自分しか顔を見ることができないと言っているのだろう。それに関しては理屈が通っているような気がした。
恭一のその時を、精神疾患だと言えるかどうか、恐れおおいことだった。
恭一の見ている夢がどんな夢なのか、由紀子は一人になって考えている時、自分も似たような夢を見ているような気がした。そして、今感じているのと同じ考えを、今の恭一に言われると、誰もが彼の話に共感させられるのではないかとまで感じたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます