第3話 自殺の果てに

 姉は由紀子へ彼を合わせることにかなりの緊張感を持っていたようだ。その後、両親に合わせる時の方がまだマシだったようで、緊張感で胸も張り裂けそうな恭一を慰め、叱咤激励しているくらいだった。

「由紀子がいてくれて、本当に助かった。お姉ちゃんにとっての由紀子は、本当にいないと困る存在なのよ」

 と言ってくれた。

 これは、

「かけがえのない存在」

 と言われるよりも、より一層リアルな感じがした。

 かけがえのないという表現が、あざといというよりも、漠然として感じたからであって、困るというのは、切羽詰まっている時に使う言葉だと考えれば、姉のセリフはどれほど自分を鼓舞してくれるものなのか、考えるのだった。

 その時のことを思い出していると、目の前の恭一が、

「うーん」

 と言ったのが聞こえ、我に返った。

 目の前で男性が覚醒するところを今まで見たことがなかった由紀子は、目覚めていく彼に集中していた。少し表情が歪んでいるが、これは誰でも目が覚める時に見せる表情だと分かったので、頭痛から来るものではなかった。

 ただ、次の瞬間、カッと見開いた目が由紀子を捉えた気がしたので、思わず後ずさりした由紀子だったが、、すぐに目をつぶり、再度開いた目は、いつもの優しい恭一だった。

「目が覚めましたか?」

 というと、優しそうな顔でいながら、こちらを見る目は眩しそうだった。

「唯子。僕はどうしたんだい?」

 というではないか。

 唯子というのは姉の名前で、由紀子と唯子はあまり似ているわけではないのに、姉と間違えるということは、まだハッキリと目が見えていないということか、意識の方も記憶同様にハッキリとしていないようで、目の前にいるのが姉だと信じて疑う様子はなかった。

 これにはさすがに由紀子も戸惑った。

――お医者さんからは、ショックを与えてはいけないと言われているので、ここでいきなり自分が姉ではないと告げるとどうなることか――

 と思い、自分が妹であることをいうのを思いとどまった。

「あ、いえ、大丈夫よ。ちょっとお医者さんを呼んできますね」

 と言って、その場から立ち上がり、逃げるように病室から離れた。

 これは本能的な行動であり、咄嗟に取った緊急避難のような気持ちだった。幸いにも由紀子の行動に対して恭一は興奮状態にならずに済んでいた。まだそれだけ意識がハッキリとしていない証拠ではないだろうか。

 由紀子は急いで医局に向かい、彼が意識を取り戻したことをいうと、さっそく医局から岡崎教授に連絡を入れてもらい、岡崎教授が医局迄来てくれた。その間、病室には担当看護師が入ってくれることになり、ますは教授から恭一の目覚めについて聞かれたが、こちらも話したいことであっただけに、気持ちの一致に由紀子は安堵したのだった。

「どのようなご様子ですか?」

 と訊かれて、一度目をカッと見開いたことや、最後には眩しそうな目で自分を見つめ、自分のことを姉だと勘違いしていることを説明した。

「なるほど、意識としては、ある程度ハッキリとしているようですね」

 という岡崎教授に対して、

「じゃあ、彼は私のことを姉だと思い込んでいるんでしょうか?」

 という由紀子に対して、

「これは私の意見ですが、ツバメなどのひな鳥が、『最初に見たものを親と思う』という現象に似ているのではないだろうか? いわゆる『刷り込み』という現象なんだけど、今の彼はまさに生まれたままの子供のような感覚になり、少しずつ覚醒しているのかも知れない。ただ、あなたをお姉さんだと思った感覚は、少なくとも今日の間はあるかも知れませんね」

 と教授は言った。

「じゃあ、私はどうすればいいんです?」

 と教授に詰め寄ると、

「今日はこのまま、お姉さんのつもりで接してあげてください。とにかく今は彼の感じたことや思っていることを、否定するということが一番悪いことだと思いますからね」

 と言った。

「分かりました。じゃあ、そのあたりはうちの家族にも話しておきます」

 と言って、由紀子は母親と父親に電話を入れて、今の状況を話した。

 その時に一緒に、

「今度からお見舞いや付き添いにそれぞれ単独でくる時は刻々と事情が変わっているかも知れないから、まずは医局で確認をとってから病死つぃに向かうこと」

 という取り決めを行った。

 この話は、その後、功を奏するようになるのだが、由紀子はこれくらいのことが気の利く女性であるということを、しっかりと認識しておいてほしいのだ。

 さっそく病室に戻った由紀子は、ボーっとしている恭一を見つけた。恭一がボーっとして表を見ているのを見た時、どこかホッとした気分になったのは、少し変な気がした。本当であれば、心の中で、

――人の気も知らないで――

 というのが、本音の気がするのに、心の底からホッとした気分になっているのは、相手が恭一だからなのか、それが分からなかったのだ。

「恭一さん、ごめんなさい。お待たせしちゃったかしら?」

 と言ったが、

「そんなことはないよ。僕はこうやってボーっとしているだけだから」

 というではないか。

「そこから何が見えるんですか?」

 と聞くと、

「いや、何が見えるということではないんだよ。一人でいると、いろいろ想像できるでしょう? それが楽しいだよ」

 というではないか。

「私も、一人でいて、いろいろ想像するのが好き。昔のこととかを思い出していると、時間が経つのを忘れてくるくらいだわ」

 という由紀子に対して、

「昔のことか。ほとんど忘れてしまった気がするな。でも、それは忘れてもいい記憶で、ある意味忘れないといけない記憶なんじゃないかって思うんだ」

 と恭一がいうと、

「怖い夢だから?」

 と訊きなおすと、

「違うよ。怖い夢というのは、忘れようとしても忘れられるものではない、自分で何とかできるものじゃないと思うんだ。普段の日常の中の意識、それは毎日積み重なっていくものだろう? それをうまくコントロールできないと、意識の容器というのは、限られた大きさしかないんだから、どこか記憶という容器のように移しておかないと、消してはいけない記憶まで消してしまうことになるんだ。皆そのことを考えながら生きているんじゃないのかな?」

 というではないか、それを聞いて由紀子は、

――どうやら、今この人は、普通の人が無意識に行ってきた、蓄積された記憶を移す容器の捜査を自分で無意識にできないことで、意識的にしようとしているんだ。ひょっとするとその部分が今回の自殺をしたことで弊害となって表れているのかも知れない――

 と思った。

 これが、教授の言っていた、

「記憶の一部分が欠落している」

 ということと何か関係があるのではないかと思った。

 しかし、ここは先生の言っていた通りに、彼に話を合わせるしかなかった。

「そうだね、意識という容器だって、限りがあるから、移してあげないとパンクしちゃうわよね」

 と話した。

 由紀子は、自分の中で、実は無意識のうちに、何も考えていないと思っている時、我に返ると、その時何かを意識していたというのを感じることがあるが、その時にはその意識は飛んでいた、思い出そうとしてはみるが、思い出せない場合は、すぐにそれを思い出そうとはしない、なぜならいくら思い出そうとしても、思い出せるわけがないと思うからだった。

 由紀子は、無意識に何かを考えるということが好きだった。無意識なのだから、好きだと感じるのは、我に返って、その時に何かを考えていたと振り返った時に、その場所にいる自分が好きだというのが、本音だと言ってもいい。

「唯子は、いつも何かを考えていることが多いと思っていたんだけど、僕はそれが僕の考えと一緒であってほしいと思っているんだ。そう思えたから、僕は君のことが好きになったんだよ」

 と話してくれた。

 由紀子は、彼がそんなことを思っているなど、考えたこともなかったが、

――姉はどうだったのだろう?

 と、姉のことを思い出した。

 姉の性格を考えてみると、どちらかというと、分かりにくい性格だったような気がする。それは、時と場合によって、言っていることがコロコロ変わることがあったからだ。

「お姉ちゃん、この間同じ話をした時に違うことを言ってたよ」

 と由紀子が指摘するほど、話に食い違いがあった。

 それを由紀子は、

――お姉ちゃん、前に言ったこと、忘れてるんじゃないんだろうか?

 という意識だった。

 姉の方も、妹の指摘に、反論するでもなし、納得がいっているのか、逆らう様子がなかった。

 自分でも認めているということだろうか?

 そう考えてみたが、今から思えば、最初にピンとくるべきことだったのだろうが、その人の短所になることだということで、姉には当てはまるはずがないと考えたことが、意識させないようにしたのかも知れない。

 その感覚というのは、

「二重人格ではないか?」

 ということである。

 これだと、一気に理屈も分からなくもない、その時々で別の性格が顔を出すのだから、当然二重人格だという考えが最初に浮かんでくるはずなのである。

 だが、妹から見ても、

「絶対的存在」

 だった姉を美化して考えるのは当たり前のことではないだろうか。

 そう考えると、姉の存在自体が絶対的なものであり、しかも死んでしまったことで、忘れるのではないかと思う人とは一線を画していたのだ。

 自分に関わっている人が、自分の前からいなくなったりすると、ほとんどの場合は忘れてしまうことになるだろう。

 ただ、思い出そうとすれば、断片的にでも思い出すことができるのだから、記憶という場所に格納されているに違いない。

 そんな中でも、

「思い出そうとするんだけど、どうしても思い出せない人」

 というのはいるもので、その人は記憶の中でも封印することになる場所に格納されているに違いない。

 思い出すことで自分が苦しむと分かっていること、トラウマを持ったまま、消えてしまったことで、思い出すためのスイッチを切ってしまった場合などが、それに当て嵌まるのではないだろうか。

 由紀子に今そういう人がいるのかどうかは分からないが、今いないとしても、いずれ現れるような気がしてきたのだ。

 だが、中には絶対に忘れることのできない人だっている。忘れようとしても忘れられない人を思い出している時、自分はその人と一緒にいた時の意識になっているのではないかと思うのだ。

 それが姉の中でくっきりと表れているのであり、二重人格に見えるどちらかの性格お一つが、忘れられない部分を形成している箇所であると思うと、姉というのが、本当に純情なのだということが分かるのだった。

 だから、絶対的な存在である姉に対して敬意を表してはいるが、恐怖を感じているわけではない。

――私は姉に洗脳されているわけではないんだ――

 と感じるから分かることであって、死んでしまったことで我に返っても、姉に対して呪縛を感じることがないというのは、それだけ姉を大切に思っているからだった。

――お姉ちゃんが愛した恭一さんを見ていると、恭一さんが私の中に姉を見ていたとしても、恭一さんを好きになっていいのかしら?

 由紀子は自分が恭一に惹かれていることを分かっていた。

 それは、姉が亡くなってから、姉の市というものをどんどん受け入れられるようになってきた自分の中で、そんな気持ちに反比例するかのように、どんどん膨らんできたものだった。

 それはある意味、悪いことであって、自分を苦しめるだけのものであるのは百も承知のつもりだったが、そこまで強く罪悪感を感じないのは、姉が許してくれているという、都合のいい解釈からなのだろうか。

 今までの自分の考え方の姿勢が、

「自分にとっての立場から相手のことを考える」

 という立場になっているということを、この時初めて気づかされた気がした。

 人に対して気を遣うということは、自分中心に相手を見ているから感じることで、中には、

「人から気を遣われることを嫌がる人もいる」

 と訊いたことがある。

 どちらかというと、由紀子も自分がそうだったのではないかと思うようになっていた。つまり、

「人に気を遣っているということは、相手のことを考えているわけではなく、自分が相手に、いや、それ以上にまわりから他人のように見られながらも、どのように見られているかということまで考えてのことなんだ」

 と思うようになったのだ。

「まわりの人の視線にも気をつけなさい」

 とよく言われていた。

「壁に耳あり障子に目ありって言葉があるでしょう? いつ誰が見ているか分からないから、まわりの人が見ても、気分を害さないような行動をとらなければいけない」

 ということであったのだろう。

 実際に相手に気を遣っている時に、まわりにまで気が向くかというと、難しいところである。逆にまわりにまで気を遣える人をすごいと思っていたが、実際にはまわりの目が中心であり、気を遣っているはずのその相手のことを考えているわけではないような気がする。まわりのことに気を遣えるようになっていれば、相手にも同時に気を遣えていることになっていると思っているのであれば、それは大きな見当違いなのではないかと思うのだった。

 由紀子が大学時代に友達の紹介で、お付き合いのようなことをした男性がいた。由紀子はどちらかと言えば天真爛漫なところがあり、たまに無意識に言った言葉が相手を傷つけることもあったが、かと言ってそれは、まだ十分に許せる程度である。それも彼女の友達から見れば、

「愛嬌みたいなものね」

 と言われていたが、由紀子になかなか彼女ができないのは、そんな天真爛漫で、無神経なところがあるからではないかという話になり、

「それなら、私が彼氏を紹介してあげる」

 と言って、一人の友達が紹介してくれた。

 その人は、大学内でも一種の堅物と言われているような人で、堅実なところはいいのだが、冗談が通じないところもあり、その人も彼女ができなかった。友達にとっては、幼馴染で、彼の堅実さはそんなに悪いものではないと分かっていたので、由紀子を薦めてきたのだろう。

 だが、どちらも異性と付き合った経験がなかったことと、根本的な性格の違いから、うまくいくはずもないものをくっつけようとしたという構図そのものだったようだ。

 由紀子にとって信じられなかった発想は、

「彼から、自分が気を遣っていないということを責められたこと」

 だったという。

 面と向かって、

「君のように相手に対して無頓着で気を遣わない人は初めて見た」

 とまで言われると、さすがに天真爛漫な由紀子でも耐えられるはずもない。

「なんで、知り合ってすぐの人からそんなことを言われなければいけないのか? 人前でそれを公然と言ってのけるあの人こそ、気を遣っていない証拠じゃないの」

 と怒りをあらわにした。

 確かにその通りだ。いかに自分の思った通りの行動をとってくれないとはいえ、公衆の面前で彼女候補の人に対して罵声を浴びせるというのは、まさに、相手に気を遣っていないということになるのではないか、

「どの口がいうって感じよね。あきれ果ててモノが言えないってこういうことなのかも知れないわ」

 と、別れは最悪だった。

 だが、この付き合いのおかげで、由紀子は何となく人に気を遣うということがどういうことなのか分かった気がした。あくまでも人に気を遣うのは無意識である必要がある。最初から意識してしまうと、相手に見返りと求めてしまったり、却ってきた相手の気遣いに対して、

「大きなお世話」

 と感じることもあるだろう。

 相手が何か求めていることに対して、自分が気を遣っていると思ってしまうと、うまくいきかけたことも、見返りを求めてしまい、お互いに相手のことを思うことが、すべて見返りを求める「気遣い」という言葉に繋がっていくのではないかと思うのだった。

 だから、大学時代から由紀子は「気遣い」という言葉が嫌いだった。あくまでも気を遣うのであれば、無意識に自分がしたいからしているんだということであるべきだと思うようになった。

 ちなみに彼は、由紀子に紹介してくれた友達と、由紀子に紹介したことで、自分の本当の気持ちを知ったその友達が、彼に告白したことで、今では結婚を前提に付き合っているということだった。

「収まる鞘に収まったということだね」

 と言って笑っていたが、実際に由紀子も安堵したのであった。

 そういう意味で、記憶を失ってしまったかも知れないという彼、もし最悪の場合、ほとんどの記憶が消えていたとしても、自分なら彼とともに歩めるかも知れないとまで思うようになった。

 ただ、そこには超えなければならない、大きな壁があった。それが、

「死んでしまった姉の存在」

 なのである。

 恭一がどのように記憶を失っているのかが分からない、自分が自殺をしようとしたという事実を受け止められるようになるまでどれくらいかかるというのだろう。

 教授からは、

「最初の頃は、あまりショックを与えてはいけないと思うので、彼が自殺を図ったということは口にしないでください。ただ、すぐに警察が事情を聴きに来ますので、その時には分かってしまいますが、皆さんからは言わない方がいいと思います。警察への事情聴取も医者としていつくらいgいいかということも示していくつもりです。これも治療の一環だと思って、ご協力ください」

 と言われた。

 由紀子も家族も恭一をどのように扱っていいのか分からず、今は医者の話を訊くしかないと思っていた。とにかく彼の一日も早い回復が、最優先であることに間違いはないのである。

 彼が自分のことを姉だと思っていて話をしていると思った時、

――あの人の頭の中にはまだ姉が生きていて、そこから時間が経過していないんだろうか?

 と思った。

 時間の経過とは、人によってさまざまだという話を訊いたことがあったが、それは心理学的な話でしかなく、実際には誰にでも平等に時間というものが与えられているので、時間の経過がさまざまだなどというのは、幻想にすぎないとしか思えなかった。

 そう、そんなことを考えているのは、彼が表の景色をボーっと見ていて、それを自分が見つめながらに感じていることだった。

 だが、彼が表をボーっと見つめている姿は、今自分が彼の中に乗り移り、そこから表をボーっと見ているような感覚になっているからではないかと思ったが、どうも彼が見ている景色と、自分が彼に乗り移って見るであろうその光景とでは、決定的に何かの違いがあるような気がして仕方がなかった。

「唯子って、こういう時、よく歌を口ずさんでいたね」

 と恭一に言われて、由紀子はハッとした。

 そういえば、子供の頃からそうだったような気がする。

 いつも小さい頃から姉と一緒にいた。三つ年上の姉は、由紀子にとって、小さい頃からのやはり絶対的な存在だった。憧れは姉であり、

「三年経てば、今のお姉ちゃんに追いつけるんだね」

 というと、

「うん、そうだよ。でも、お姉ちゃんも先に進んでいるんだけどね」

 と言って、絶えず姉は背中しか見せてくれていないイメージがあったが、あることを思い出すと、気が付けばいつも姉の横に並んで歩いていたような気がする。

 それが姉が歌を口ずさんでいる時だった。

 その歌は、「赤とんぼ」であり、この歌は、夕焼けをイメージさせる曲であり、夕焼けを見ると、昔から身体にいい意味での倦怠感を感じていたが、この歌を聴いた時もそうであった。

 この曲は三木露風作詞の山田幸作作曲という、巨匠による楽曲であるが、子供の頃にはそこまでは考えない。大学の友達の中にこの歌が好きな人がいて、発祥の地だと言われている兵庫県のたつの市まで行ってきたというのを訊いたことがあった。

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