第2話 わたしたちはままならない

 ライブのチケットをうけとってくれる人がいない。このままでは中間テストは不合格まっしぐらである。教室にもどると、ジョルジュが普通コースの子にチケットをわたそうとして断られていた。


「ミュージカルはじまっちゃう。はやくいこう」

 同級生たちは楽しげに廊下をかけていった。


「ままならないよな」

 芸術コースの鬼門きもんとよばれるだけある。手元に二十枚あるチケットは一枚もなくなっていない。なぜ同級生たちはチケットをうけとってくれないのだろうか。無料なんだからライブにこなくてもいい。うけとってくれればいいのにさ。

 ふたりでいつもの帰り道を歩いていると、魔道具屋から最近売れはじめたアイドルの音楽がながれていた。いつもの公園のベンチにすわり、いつものようにしばらく無言になる。ヨハンはポケットから魔道具をとりだした。先週、投稿した曲はたった十回しかきかれていなかった。コメントもイイネもない。〈スマホ〉をポケットにしまい、ぼんやりとすべり台をながめた。


「やっぱ売れるためにはもっとうまくなんなきゃいけないのかな」


「見た目も大事かも」

 芸術コースの優秀者はそうじて顔がいい。


「でも俺らの曲、一回きいてもらったら忘れられないとおもうんだよ。やっぱり宣伝がたりないのかな」


「やっぱ新しい曲を投稿して、それからどっかでライブして集客しよう」


 夕日が山脈に半分しずむと、ふたりの気分はいつもどおりあがりはじめる。ジョルジュにさそわれて、意気揚々いきようようと曲づくりにむかった。

 彼は部屋の半分をしめるベッドをせもたれに、二本のギターをとった。ヨハンはそのかたほうをうけとって、むかいがわにすわった。近所の人におこられないように小さな音で、ああでもないこうでもないと合奏したりだべっていると、いつまにか外は暗くなっていた。


 翌日の授業おわり、教壇にたつ音楽の先生のまわりには相談をもちかけるライバルたちがいた。今日は父さん帰ってこないんだったな。学院と商店街のあいだにある住宅街を歩いていると、ある家のまえで学生服の男の子が素振りをしていた。一年生か————希望にみちた去年の春をおもいだしながら、ヨハンはおにいりの喫茶店にはいった。


「先生、こんばんは」


「おおヨハンか」

 さくな先生に相席するかと声をかけられた。ヨハンは迷ったすえ、今日は彼のむかいにすわった。先生はそそくさとお酒を飲みほし、かくすようにグラスをさげてもらっていた。ヨハンもパスタとサラダのセットをたのんだ。


「今日も親御さんは仕事なのか」


「はい、魔石の配送が忙しいみたいで」


「そうかしかし珍しいな。なんか、あったのか」

 いつも相席を断っているから先生は不思議がっているのだろう。


「いいづらいんですけど、どうして授業でチケットノルマを達成しなきゃならないんだろうって」

 さっきついでもらったばかりのお冷を飲みながら、先生はほほえんだ。


「たしかに。芸術コースのみんなにからしたら意にそぐわない授業だよな」


「先生もそうおもうんですか?」


「俺もここの教員になって七年だからな。芸術コースの子たちにおしえてもらったんだよ。芸術コースの先生がたも販売の授業が嫌いな人はたくさんいるらしいじゃないか」


「それはなんとなくわかります。本意じゃないけどチケットをさばけない者に単位はあげられないっていってました」


「うわさじゃ大昔は芸術コースに販売の授業なんてなかったらしいな」


「おまたせいたしました。本日のパスタセットです」


「ありがとうございます」店員さんは伝票をおいてまた別のテーブルへと去っていった。パスタの芳醇な|湯気ゆげ《ゆげ》にお腹が鳴った。パスタをフォークにまきつけて二口、三口と食べると空腹がすこしおさまった。


「だったら余計なことしなくてよかったのに」


「はははは。そうだな。年配の先生がたにきいたはなしだと、芸術コースへの希望者が激減してしまった時期があったらしい。それで授業で販売教育をおしえるようになったそうだ」


「単位がとれない生徒は転科するしかないですもんね」



「……そうだなあ、もう一年ゆっくりがんばるか。転科するか。ままならないもんだよな」

 先生はのんきに焼きそばをすすった。パスタを食べおわるころには、夜の商店街を外灯がてらしていた。


 ◆


「ただいまー」家にあがると、アトリエのほうから「おかえりー」と妻の返事がした。きっとまだ仕事にはげんでいるのだろう。おもち帰りのたまごサンドを机のうえにおいて、氷室ひむろからビールとグラスをとりだした。ビールがグラスのしもをとかすおとが心地よい。

 妻がリビングへやってきたのは、一杯目を飲みほそうというときだった。

「お疲れさま、ほらビール」ウィリアムは新しいグラスとビールを氷室ひむろからとしだして、妻のまえでついだ。カミラはあっというまにビールをのみほすと、グラスをさしだした。二杯目をつぎおわるころにはたまごサンドはなくなっていた。


「今日はずいぶんとおそかったじゃない。浮気?」


「いつもの喫茶店で生徒————ヨハンって子のはなしをしたの覚えてるか」


「ああ音楽の子でしょう。もうひとりいたわよね」


「ああジョルジュだ。今日はヨハンの悩みをきいていたんだ。創作に集中するにはもってこいだろう」


「ありがとう。をつかってくれて」

 カミラが椅子をとなりにもってきて腕を組んでくれた。アトリエでの作業は順調らしい。


「それでどんな悩みだったの」


「学生時代の君と同じようにチケットが売れないといっていたよ」


「っごほっごほ。なるほどね。それはまたあなたの得意分野じゃない。それで、わたしにしたみたいにマーケティングと時間の重要性を説いてあげたの?」

 カミラがビールにむせた。ウィリアムがかぶりをふると、妻はひどくおどろいていた。


「あなたらしくない。わたしのときはいい争いになっても説教をやめなかったのに」


「それで学んだんだよ。どんな意見も押しつけると人間関係に陰をおとすとね」


「たしかあのときは一か月は口をきいてなかったわね。別れる寸前だった。でもそのおかげでお金に困らず、自分の創りたいものに時間や心を使えるようになったわ。先生」

 カミラが手をにぎる。


「それは難しいよ。彼が授業をきいて、勝手に学んでくれることをいのるしかないね」


「あら冷たい先生ね」


「ふみこみすぐるのもよくないさ。ぼくだって芸術と商業がちがうことくらいはわかるようになったんだ。輪郭りんかくは早朝の霧くらいぼんやりしているけどね」


「わたしにはあんなにお節介だったくせに」


「それはぼくのエゴだね————君が誰よりも大切だからおさえられなかったんだよ。カミラ」

 がつけば、彼女とくちびるをあわせていた。


「今日もこのあと仕事をつづけるのかい」

 身体をはなそうとすると、彼女はそれをはばんた。


「さっきで一区切りついたの、今日は一緒に眠りましょう」

 ウィリアムは彼女を抱きあげて、ふたたびくちびるをあわせた。

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