第4話 焼死体の正体

 時間が遡り、夕方の定時前に社長が二人の息子を連れて、支店長と会食に向かったことで、K支店の中ではいつもの雰囲気が戻ってきて、木下課長も自分のペースを取り戻したことで、ホッとした気分になっていた。

 すでに、昨夜までの不思議な影のことを忘れているくらいになっていたが、やはりその日も八時を過ぎてしまい、事務所を閉めて表に出ると、今日も影が蠢いているのを感じた。

 だが、昨日とは違い、最初の日のように、同じようなパーカーにフードの二人の人物が佇んでいるのを見かけたのだ。

 断っておくが、まさかその後火事になるなど想像もしていなかった木下課長だったので、その二人が佇んでいるだけで何もしていなかったことで、二人を咎めるつもりはなく、ただ、どうしてそこにいるのか聞いてみたかったという意味で、

「おい、何をしているんだ?」

 と、軽く声をかけたつもりだった。

 しかし、二人は慌てて、クモの子を散らすように、それぞれ反対の方向へ逃げ出した。木下課長は、

「何も逃げなくてもいいのに」

 と、自分の声のトーンが低すぎたのかと少し反省したくらいだった。

 逃げる時にチラッと見えた二人は、男であり、まだ若いのは分かった。一人は体格がよさそうで、もう一人は華奢だった。顔はまったくと言っていいくらいに見えなかった。フードを被っているのだから、当然であろう。

 木下課長は、そそくさと倉庫に近寄った。表からプレハブ倉庫の入り口を触ってみたが、カギがしっかりと掛かっていた。途中の窓も調べてみたが、どこも開いているわけではない。高いところにある窓は調べてはみなかったが、二人が別に梯子を持っていたわけでもないので、まさか、二階の窓を開けて、そこから侵入したわけでもないだろう、そもそも二階から侵入しようとするならば、どちらかが表を開けて。そこから導くしかないのだが、表を開けたのであれば、そこから入ればいいだけの話である。したがって、倉庫は完全に密室になっていたので、誰かが侵入でくるはずもなかった。

「不思議な二人組が表から覗いていた」

 というだけで、何も取られることもない。

 前述のように、中には昔の書類しかないのだから、盗むにも難しいし、盗んだところでどうしようもない資料である。

 ただ、ここ数日、あの二人組を見たというのは事実であり、何となく気持ち悪さを残しながら、それでいて何もないのだから、騒ぎ立てる必要もないだろう。

 下手に騒ぎ立てたとしても、

「そんなの課長の気にしすぎだよ」

 とまわりから言われるだけにすぎないに違いない。

 そうなると、もう余計なことを考えても仕方がないと思うのだった。

 木下課長は、それでも、あと二回彼らを見れば、何らかの報告をしないわけにはいかないと思った。それを思うと何となく憂鬱な気分になり、

「もう、二度と見たくない」

 と感じたのだった。

 木下課長がプレハブ倉庫の前を通り過ぎて帰宅したのは、午後九時少し前くらいだっただろうか。怪しげな二人を見て、倉庫のまわりを確認しただけなので、それほど時間が経っているわけではなかった。ただ、薄暗く、浮き上がっている不気味な雰囲気に、手ずっと震えていたような気がしていた。

 その日はそれで終わりのはずだった。それからしばらくして、夜中に犬の散歩をさせている近所のサラリーマンが、普段は明かりなど見えない場所から、明かりが見えてきたのを不審に思って。その場所に行ってみたのが、その人の後から行った事情聴取によって、午後十一時少し前だったことが分かった。

 そのサラリーマンは、仕事が終わって帰宅し、日課の犬の散歩をさせたのだが、その日は残業だったこともあって、いつもより一時間以上も遅れてしまったと言っていた。

「いつもの時間でもほとんど人がいない一角で、普段は見ることのできない明かりが見えたので、不審に思ったんです。そのうちに、イヌがやたらとそっちの方向に向かって吠えたてるので、何とか宥めようとしたんですが、普段であれば、怪しい方に向かって私を引っ張っていこうとするイヌが、その場から動こうとしないんですね。何か変だと思っていると、その明かりが、明るい時と暗い時とに微妙に分かれているのに気付いたんです。まるで瞬いているかのようにですね。それに、蛍光灯のような明かりではなく、黄色かかった。いや、赤っぽかったようにも見えたので、、明らかに普段と違いました。その変な匂いがしてきたんです。その時にやっとどうしてイヌが近づこうとしないのか分かりました。その明かりの正体が、火だったからです。そう思っていると、煙を感じるようになり、咳き込んできました。ちょうど風下だったんでしょうね。その次に目がしょぼしょぼしてきて、涙が出てくるようでした。もう疑いようもない。火が出たのだと思いました。あんな真っ暗なところで、しかも、午後十時頃に、この夏の時期、焚火なんかしているわけもない。どこかから火が出たんだと思いました。火事だと思うと明かりの方までくると、プレハブ倉庫があって、その中が真っ赤になって、手の施しようがないと思えるほどになっていました。急いで消防署と警察に連絡を入れて、後は皆さんのご存じの通りです」

 というのが、第一発見者の供述だった。

――皆さんが、ご存じのこと――

 つまり、こういうことである。

 第一発見者の人がまず消防に連絡を入れる。。

 この場所とプレハブ倉庫が燃えている旨を知らせて、消防車を呼んだ。その間に警察にも連絡を入れた。それは、その場所が寂しい場所で火の手が上がる気配がないこと、さらに夏のこの時期に火事というのもおかしいと感じたこと、さらにmプレハブ倉庫の中が異常な燃え方をしているにもかからわず、表には決して燃え移る気配がなかったのも不思議に感じたこと、もう一つは、その人はこのあたりにすんで久しい人だったので、倉庫がずっと使用されていないことを知っていたので、中だけが燃えていることを不思議に感じたというのが理由だった。

 他にもいろいろ考えれば理由もあるのだろうが、すべてが、今考えたことの派生でしかなかった。それでもこれだけの理由があれば、十分に不審火である。消防が駆けつけてから消化できるまでに、約三時間くらい。表に燃え広がっていなかったことが早い鎮火に繋がったのだろう。

 消防車が来てから鎮火までに二時間ほど、警察は何もできないわけではない。何しろけたたましいだけの消防車の音に、普段は閑静な住宅街が広がるこの一帯は、色めき立ったと言ってもいい。当然野次馬がやってくるのも想像ができる。警察はそんな野次馬を中に入れないようにしなければいけなかった。下手に入ってくると、火に巻き込まれて危険であった。煙だって、有毒ではないと言えないからだ。煙に巻き込まれて気分が悪くならないようにしないといけないので、警察は少々広めに、立入禁止の区域を広げていた。

 消防車の威力は結構なもので、警察が考えていたよりも早く鎮火に成功した。さっそく中に入って、火元の確認や、被害状況の確認が行われた。

「どうやら、中には可燃物が置かれていたようですね」

 という鑑識の調査で、すでに呼び戻された木下課長がそれを聞くと、

「あの建物の中には、昔の書類しか入っていなかったはずなんです。段ボールや紙類があったので、可燃物といえば可燃物ですが、それがここまで燃え広がるとは思えないんですけども」

 と鑑識官に言った。

「ええ、もちろん、それだけではここまで黒焦げになるほどの被害はないことでしょう。どうやら、この中でガソリンのようなものが巻かれたのは事実のようですね」

 という話だった。

 それを聞いた木下課長は、

「ということは、これは放火事件だということになるんでしょうか?」

 といい、

「そうでしょうね。普通に考えても、この燃え方は尋常ではないですよ。明らかに放火ではあいかと思います」

 と言われて、駆けつけてきた刑事は、

「誰かのいたずらにしては悪質すぎますね。中でガソリンをまいて火をかけるというのは、明らかにこの倉庫を狙ってのものということになりますね」

 と言った、

「そうなると、我が社への恨みを持った人間の犯行ということになるんでしょうか?」

 と木下課長がそういうと、

「その可能性もないとは言えません。少なくとも、まわりには、燃え広がるような建物があるわけでもなく、しかも、建物の中にガソリンが巻かれている。普通の放火というと、建物の表から火をつけるのが一般的ですからね。ところで昨夜はこの建物。カギがかかっていたんでしょうね?」

 と言われて、木下課長はハッとした。

 カギがかかっていたという確証を、木下課長は持っていたからだ。しかも、怪しげな二人組を見たおかげで、えてしてカギがかかっていたという証明になるというのも、何とも皮肉なことだった。

 黙っておくつもりだった怪しげな二人の話を、まさか警察に最初に話すことになるとは思ってもいなかった。

 木下課長は、その怪しげな二人がここ数日自分の前に現れたことを話した。

「なるほど、別にその二人組は怪しいということがあるわけではないので、警察にも会社内でも誰にも言わなかったわけですね?」

「ええ、でも、明日の朝礼で、今日何もなければ、怪しげな人物を見たことを話すつもりではいました。ここまで来ると、私だけの胸に収めておくというのも、何かが違っているような気がしますからね」

 と言った。

「何か、二人組に狙われるようなことってありますか?」

 という刑事の漠然とした質問に、少し考えてから、

「いいえ、ありませんよ」

 と答えたが、正直刑事の方としても、こんな漠然とした質問で答えが返ってくるとも考えていなかった。

 被害者側もまず、怨恨を考えただろうから、もし心当たりがあるなら、狙われる理由を考えるはずだ。それは狙われる相手がいるかどうかという漠然としたことを考えるよりもより一層深く考えるはずなので、考えている姿を見ると、どの段階の考えかということも分かるというものだ。

 木下課長の素振りを見ていると、別に怪しい感覚はなかった。それを思うと、心当たりがあるようには思えない。だから、いまさらあらたまって聞いたとしても、何も出てくるはずはないと分かっていた。木下課長が少し考えたのは、考えたふりをしたのだろう。これが普段から人に気を遣っている人のくせであり、下手をすれば、無意識の行動だったのではないかと、担当刑事は思うのだった。

 木下課長が二人組の特徴を話していると、

「そういえば、以前にもそういう通報があって、放火事件があったようなのを覚えていますが、あれは、もう十年以上も前の話だったので、今とは違いますね」

 と捜査員の一人が言った。

 確かに事件が相当昔の話であるが、謂れてみれば、木下課長も、その話を訊いた記憶があるのを思い出した。

 捜査員の話ではもう十年以上も前ということであったが、木下課長の意識としては、五年ほどしか経っていないような気がしたのだが、それは話を感じる人の個人的な想像であって、きっとそれぞれの生きてきた環境によっていろいろ感覚が違っているのだろう。

 年齢的にも違うかも知れないし、平凡に暮らしてきた人、波乱万丈の人生だった人、さまざまである。

 しかし、例えば波乱万丈な人の皆が皆、ここまでがあっと言う名だったというわけではないだろうが、結局は二択の中のどちらかであった。

「長いと感じるか、短いと感じるか」

 というだけであるが、その感覚は、微妙に違っているのであろう。

 このあたりは、治安はいい方で、あまり凶悪な事件が発生することはなかった。しかし、たまにちょっとした犯罪は起こっていて。意外と多いのは、少年犯罪だったりした。学校での苛めを背景に、溜まったストレスの発散にちょっとしたことをしてみようというもので、放火も確かにあった。

 しかし、少年の浅はかな考えは、衝動的なものだという意識もあり、放火というものがどれほど厳しい罰を受けるかということを知らない。

 放火をして、それが明るみになって捕まった少年、彼らは警察官から、

「放火というのは、実際には殺人罪よりも重いんだぞ。お前たちは未成年だから、極刑にはならないが、放火をして、それで人が死んだりすれば、放火殺人となって、下手をすれば死刑判決だって受けかねない」

 と言われて、初めて自分たちが犯した罪の深さを知るのだった。

「どうせ、お前たちは自分のストレスのはけ口を求めて、衝動的に起こした犯罪なんだろうが、それが悪いと言ってるんだ。犯罪を犯すなら犯すだけの理由をちゃんと持っていればまだ分かるが、衝動的に、ストレスがたまったからと言って、ムラムラした精神状態でもっとも安易なストレス解消を思いつく。それがお前たちにとっての火付けなんだろうが、その後のことをお前たちはまったく考えていないだろう? 火をつければ、何でも燃えてしまうんだよ。その人の財産というすべてのものを一瞬にして奪ってしまうんだよ。それまでその人がどんなに努力をして手に入れたものか、努力もしたことのないお和えたちには分かるまい。その人が手に入れた財産だって、借金をしているものかも知れない。借金を背負ってでも手に入れたものを守ろうと皆必死に働くんだよ。だから、そんな人たちが働いてくれているから、お前たちのようなロクでもない連中だって生きていけるんだ。お前たちのような人間がこのまま大人になったって、しょせん、野垂れ死ぬのが関の山だったかも知れないな。人の命を一瞬にして奪うのが、殺人だが、お前たちのやったことは、一瞬にして人の生きがいや、今まで生きてきた証をすべて消し去る行為なんだ。それは殺人よりも罪が重いということになるのさ。どうせ今私がこうやって言っていることも、頭の中に入っていないんだろう? お前たちのようなやつは、死んでも治らないさ。死刑にするのがもったいないくらいだ」

 と、その時の警察官は思い切り、自分の意見を言ってのけた。

 本当ならまわりにいる人が途中で止めるくらいの話なのだろう。

「もう、それくらいにしとけ」

 というくらいにである。

 しかし、その時、その警察官の意見があまりにも的を得ていたということと、皆の気持ちが一致していたという思いとが一緒になって誰も止めることをしなかった。黙って下を向いて頷いているのが関の山で、本当は自分が言いたいセリフだったのかも知れない。

 二人の少年は、まだ未成年ということもあり、死刑になることもなく、実刑は受けたが、今まだ服役しているのではないだろうか。

 その時の警察官の言葉を覚えている警官は、今もまだこの署にはたくさんいることだろう。

 あれから時々この街でも放火が発生したが、そのたびに、やつらのことを思い出し、皆嫌な気分になっていた。今までの火事は、本当に犯人にとっても衝動的なストレス解消であり、それでもあの時のようなまったく考えていないわけではなく、それなりに気を遣った犯罪だったことがよかったのか、大きな事件に繋がることはなかった。

 しかし、今回の犯罪は明らかに故意に行われたことであり、悪質でもある。一様に捜査員の表情が皆緊張しているのもそのせいである。

 木下課長も、管理部にいる関係で法律については、少々詳しい。放火なるものがどれほどの犯罪なのか、分かっているつもりであった。

 今度の放火が悪質であることを一番最初に分かったのは、この会社の人間だった。何か盗まれて困るようなものがあるわけでもなく、ここが燃えたからと言って、誰が得をするわけでもない。

 しかも、愉快犯が狙うような立地でもないのに、なぜ苦労して中だけを放火するようなことをするというのか?

 犯罪享楽者が、愉快犯である自分を宣伝するかのように思える犯罪を、なぜこのようなところで行うのかが分からなかった。

 放火なのだから、どんな愉快犯であっても、情状酌量などありえない。実刑は免れないだろうし、それを思うと、犯人にとって、何のメリットがあるというのか。

 メリットがあるとすれば、犯罪が大きくなっていないということくらいで、それならわざわざ危険を犯すこともないだろう。

 考えれば考えるほど矛盾だらけの犯罪であるが、その理由が何となく分かったのは、火が完全に消えてから、火元の確認をしているところからだった。

「分かっていると思うが、鎮火はしたが、まだ燻っている火があるかも知れないので、十分に注意すること、燻っている火を見つけたら、自分だけで消そうとせずに、皆に声をかけること」

 というお達しの元に、火元が捜査されたのだった。

 捜査を初めて、十五分くらいしてからだっただろうか、倉庫中央あたりを捜査していた人が、

「うわっ」

 という奇声を発した。

「おいおい、どうしたんだ?」

 と言って、その声を発したやつを見ると、まるで幽霊でも見たかのように身体が硬直していた。ガスマスクをしているので顔の表情までは分からなかったが、明らかに尋常ではなかったようだ。

 彼が近づいて、その人が見つめている一点を見ると、自分の場で息を呑み込み、一瞬固まってしまった身体を動かすことができないのではないかと思うほどだった。

 思わずその場から逃げ出したいような衝動に駆られたが、さすがにそれもできない。身体が動かないのだ。

 それでも、声だけは出るようで、

「なんだ、一体これは」

 と声を掛けたが、最初に発見した人の方が、自分とはいかにショックの度合いが違うのかが分かる気がして、それ以上聞くことができなかった。

「おおい、ちょっと来てくれ」

 とまわりに声をかけるのが精いっぱいで、さすがにまわりも、一人だけではなく、二人までもが固まってしまったことを尋常なことだとは思えなかった。

 人が集まってくると、それぞれに皆怯え方に違いがあった。

 そこに転がっている真っ黒焦げとなった物体が何であるか、きっと皆分かったことだろう。もう悲鳴を挙げる人はいなかった。息を呑む人はいたが、悲鳴を挙げると、三度目になるというのが分かっているのか、なぜか声を挙げる人はいなかった。

 そして、誰かが一言、

「おい、こっちにもあるぞ」

 と言って、少し離れたところにも同じように転がっている真っ黒焦げの物体を見つけたのだ。

 それはもう誰が見ても死体であった。なぜこんなところに死体が。しかも、二体もあるのか不思議だった。誰か一人が、

「自殺じゃないのか?」

 と言った。

 なるほど、自殺であれば、放火をした理由も分からなくもない。まわりから火をつけたわけでなく中からの火だったのは、わざと中で火を起こしたわけではなく、中からしか起こせないからであって、この場所を選んだのも、他の人に迷惑をかけないように死のうという意思からではないだろうか。

 しかし、自殺をして黒焦げになってしまうと、自分が自殺をしたということが分からないかも知れない。このまま建物と一緒に燃え尽きてしまうと、自殺をしたということ自体、分からない可能性だってないとは限らないではないか。

 確かに自殺をする人の中には、断崖絶壁から飛び降りる人もいるが、その人は皆遺書をの残して、飛び降りた形跡を残している。だが、

「待てよ?」

 と考えていた。

 それは、表に出ていることだけを見ているからそう思うのであって、実際にただ飛び降りただけで、そこで死んだかどうか分からない人もいるのではないか。行方不明のまま、失踪宣告を受けた人の中には、何も残さず、死体も見つからずに人知れずに死んだ人だっているかも知れない。

 見つからないのだから、それらの人が、死んだということを考える方がどれほど自然なことなのか、ちょっと考えれば分かるというものではないだろうか。

 動物の中には。自分の死期をわかってしまうと、人に死ぬところを見られるのを嫌がるものもいるという。飼い主から離れて、人知れずに死にたいという心境は、いつも寂しいと思っている人には想像もつかないものなのかも知れないが、これは人だけではなく動物にも言えることで、

「生あるものは、生まれてくることを選べない。死ぬことすら選ぶことはできない。では死ぬことが分かっているのであれば、死に際の自由くらいはあってもいいのではないだろうか?」

 という考え方である。

 本当に死ぬというのが分かるのかどうかは、甚だ疑問ではあるが。死を意識する人にとって何を考えるのか、実際には想像もつかない。

 普通に生きている人は、死ぬということすら考えるのも嫌に違いない。

「不吉なことをいうなよな」

 と死の話をしようとする人をそうやって窘める人は、きっと生きるということに対しての執着はかなりのものであることには違いないのだろう。

 そんな人が、いや動物全般と言ってもいいのだが、まわりに死ぬところを見られながら逝きたいと思うのだろうか、その時捜査員の一人の脳裏に変なことが浮かんでいた。

「俺なんか、足が攣る時には足が攣るのが結構分かるものなんだけど、その時はまわりの人に知られたくないと思うことが多いんだ」

 と感じていた。

 なぜなのかというと、その人の理屈としては、

「自分が苦しんでいるのを、何か痛々しそうに見られると、余計に痛いと思うようになるものなんだ。きっと相手もその人が苦しんでいるのを見て、自分もその痛みを想像するんだろう。その時に苦み走った表情になり、それが苦しんでいる人にも伝わる。だから、まるでその変な想像をしている人の苦しみまで自分が背負っているような気がして、それで余計な痛みを感じてしまうのが嫌で、それだったら、苦しむなら、人のいないところでって考えるのも無理のないことだと思うんだよね」

 というに決まっている。

 苦しみというのは、誰も共有しているものではないと思われがちだが、人が苦しんでいると、えてして自分もその苦しみを分かち合っているかのように思えてくる。その思いを誰が知っているというのか、考えたくないと思うことで、この時ほど孤独をありがたいと思うことはないだろう。

 人と一緒にいないと寂しいのだが、死ぬ時は一人で死んでいくのだ。それが運命だとすれば、人が苦しむのを見るのが嫌だという理由も分からなくもないだろう。

 目の前で黒焦げになっている死体が本当に自殺かどうか分からないが、二体の死体があったということで、自殺だとすれば、心中というのが最初に頭をよぎる。

 しかし、本当に心中なのであれば、二人は抱き合っての心中になってしかるべきである。少なくとも結構距離は離れているので、自殺であるのは考えにくい。

 いや、無理心中というのもありえるだおう。だが、それも、相手を殺しておいての自殺なので、人殺しであることに違いはない。やはり、他の何者かによって殺害されて、ここで火を放たれたと考えるのが一番だろう。

 まずはこの二体の死体が誰なのか、なぜ火を放たれなければいけなかったのか。そして、二人の死体の関係と、この建物との関係、調べることはたくさんありそうだった。

 何よりも身元が問題だった。黒焦げになっているので、どこまで身元が分かるかが問題だった。

 少なくとも顔はまったく分からない。着ていたであろう衣服も燃えてしまい。男女の区別も見ただけでは分からない。専門的な捜査でどこまで分かるかであろうが、DNA検査もあるので、少しは分かりそうな気がしていた。

 まずは、この倉庫の持ち主である会社の関係者を当たるのが捜査の定石。そういうことで最初に駆け付けた木下課長に話を訊いたのだが、死体が発見される前に、興味深い話が訊けたのは、よかったかも知れない。

 死体が二体であること、大小と分かりやすい死体であることとは、課長が最近見た怪しげな人物に符合しているではないか。それを思うと、まったくの作り話ではないということは分かるというもの。ただこの証言によって、木下課長の立場が微妙になってきたということはハッキリしてきたと言えるのではないだろうか。

 ただ、はっき利していることは、密室と思われる場所で火事が起こり、その場所に転がっている、いわゆる、

「顔のない死体」

 これは、いかにも探偵小説っぽいのではないだろうか?

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