第172話 運転免許更新に伴うある追憶 🐕


 この石段をトコトコのぼって行ったんだよね。あのとき、どんな気持ちだったの? ほかにも明るい建物はいくつもあっただろうに、国道沿いとはいえ広い駐車場の奥の大きな四角い建物の灯りに吸い寄せられて、人間の大人でもけっこうな高さの石段をのぼり自動ドアをすうっと通って。体長五十センチ、体重十五キロの小さな身体で。


 容赦ない木枯しにびょうびょうと吹かれながら、ヨウコさんはうっかり涙ぐみそうになりました。つい先日のことのような気がするけど、歳月は無造作に飛びすさり、二十年近く前のことになるんだよね。かあさん、すっかり年老いて、おばあちゃんと呼ばれそう。そっちで会っても、あれ、だれ? なんてうろうろしないでよ。(笑)



      🌃



 零下十度近くまで下がった極寒の夕方、帰宅したらおまえのすがたが見えなかったときの全身の細胞が粟立つような恐怖、いまも忘れられないよ。仕事にかまけて外の小屋で待つおまえのさびしさを思いやれず、チェーンの劣化に気づいてやれなかった怠慢を遅ればせにどれほど悔いたことか。本当に愚かなかあさんだったね。m(__)m


 保健所、警察、地元紙……思いつく限りのところに電話を入れてから真っ暗な近所に探しに出た。犬友だちも駆けつけてくれて名前を呼んでいるとき、ダウンコートのポケットが緑に点滅した。さっき届けたばかりの警察からで「いま、中型の黒い犬が当署の玄関から入って来ました」。ほんとに?! 思わず叫んでいたよ、かあさん。



      🚙



 迎えに行くと、そう、ちょうどこのあたりに置かれていた大きなストーブのそばでお腹に鼻先を埋めてスヤスヤと寝息を立てていた。寒中行軍でよほど疲れたんだね、呼んでもなかなか起きなくて、ぼんやり目を開けてもキョトンとしていたね。あとでご近所の女性が「かあさんを迎えに歩いて行ったんだよね~」と言ってくれたよね。


 可愛がってくれたおばちゃんも、いまは施設の人になっているよ。かあさんかい?  この家でひっそりと老いていくつもり。筋トレやヨガも、そのための積立保険かな。はい、ここまでと言われたら、また一緒に暮らそうね。老爺&老婆で、愉快だね~。いつも長引く免許の更新、講習なしでOKですって。おまえの魔法かな。(。・ω・。)ノ♡




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る