う〜ん、ドラマとしてはきっと、いい話し…ではあるのですが。
現実の世界では、もやもやな気持ちを捨てきれないような…微妙な感覚になります。
傷つけられた女性が、もし私の友人だったら、私は多分友人の”これだけは”を踏みにじったこの人を信用出来ないし、友人に再び近付くことに警戒をしてしまいそうですね。
でも、”時々お茶して話す事は悪くないんじゃない”と、友人に言うでしょうね。
それは、何より世間を知って反省している彼女の為になる気がする。
ちゃんと反省してるなら許される世界であって欲しいしとも思うし…
それに、そうして何度も会って話しているうちに、本当に心が通じあって完全にモヤモヤが消えるかもしれないですしね。
作者からの返信
あきこさん、だれかが命を賭けていることを察知できない無神経な感覚に馴染みきれないものがあったので、その後の親交の復活はなかったみたいですよ~、橙子さん。(^^;
生来なのか後天的なのか分かりませんが、心と言動の荒々しい人との会話には決まって神経を逆撫でされますし、心療内科からも義理のおつきあい無用と言われていますしね。
編集済
上月さんの経験談を読むと、自分も無神経な事していたことないかと心配しちゃいます。
意図してなくてもああ、これ不味かったのかなって時ありますね。
安請け合いすることも多く、妻からはお人好しをガチギレされることがあります。反面、人に厳しく当たった時には良くやったと褒められますが、大抵の場合は理不尽な事に抑えが効かなく怒っているだけなので、褒められる道理はないのですが 笑
作者からの返信
海藻ネオさん、いつも率直なコメントをありがとうございます。m(__)m
人にはだれにもみな原罪があるといいますか、等しく罪深いものと存じます。
自分も決してきれいなだけの人間ではない、そう自覚できるかどうかで人間味の深さ、さらには文学観などにも大差が生じるような気がします。