第3話 曖昧な都市伝説

「夕方になると、いつも夕暮れ坂を一人の人が佇んでいる」

 というウワサが流れ始めたのはいつからだっただろう?

 それは三郎がその人を見てからしばらくしてから流れ始めたウワサであり、ただ、その人を見たと言っても、どんな人だったのかということになると、皆記憶が定かではなかったりしていた。

 記憶が定かではないというよりも、以前に見たという人と話をしても、自分の記憶している印象と違って感じられるからであり、それはその人を見た時に、後光がさしていたということをその人が忘れてしまっていて、なぜ一致しないかということを自分で理解できないことで、その記憶が正しくないと思うからだった。

 普通なら自分を疑うなどということは誰でもしたくはないはずなのに、それでもしてしまうというのは、自分の意識を認めることは、自分がその人の存在を怖がっているということを認めるようで、認めてしまうと、その人に呪われるのではないかという根拠はないが、言い知れぬ恐怖が根拠よりも恐ろしいものであるということを認めていることになるようで、それが恐ろしかったのだ。

 そんな中で、一人だけ、その人の正体に近づいた人がいた。

 その人は、三郎の近所に住む一人暮らしのサラリーマンで、一度ならず、何度かその人を見ているという。

 その人だけがどうしてハッキリと見えるのか分からないが、一つだけ言えることとすれば、ウワサになる前のその人を、一番最初に見たのが、サラリーマンのその人だったということではないかと本人も言っているし、まわりも信憑性はないが、他に理由もないことから、都市伝説のような感覚で信じているようだった。

「その人は男なんですよ」

 という、

「どうしてそう思うんですか?」

 と聞かれた人は。

「その人はいつも、濃いひげを生やしているんですよ。あご髭だったり、口髭が、明治の元勲や軍人のように伸びているわけではなく、朝にはカミソリを使ってちゃんと剃って出かけているのに、夕方になると、自然と伸びているという、なんていうのかな? 夕方に伸びているそんな髭が特徴なので、きっとその人は男性なんですよ」

 というではないか。

「きっと男性って、ハッキリと顔を見ているわけではないの?」

 と訊かれると、

「ええ、その人の顔でハッキリと分かるのはいつも、その髭が濃いというところだけなんですよ。たぶん、違和感がないということは、会った時には意識の中にあるんだろうけど、後になって思い出そうとすると、髭しか覚えていないという、おかしな感覚になっている。記憶なんて結構曖昧なものなんだなって、その人と一緒になるたびに感じるですよ」

 と言っていた。

 この感覚は他の人には理解できるものではなかったが、三郎なら分かったかも知れない。三郎はまだ子供なのに、大人の会話に参加することはない。だから、理解できるとしても、そこに接点がない分、二人が会話をすることはない。

 だからこそ、この人のウワサが広まるのを制御することはできなかったし、子供に話が伝わった時には、まるで伝言ゲームのように、ねじ曲がった話として伝わっていて、三郎少年が興味を持つような話になっていないのは、

「何かの作為が働いているからではないか?」

 と思われても仕方のないことのように思えた。

 そのおかげで、ウワサに戸が立つことはなく、万遍なく、ウワサとして広まった。そこに何かしらの都市伝説的な曰くが入っていれば、このウワサは、タブーとなって、

「決して話してはいけないこと」

 という感覚で、七不思議の類に数えられ、誰も意識をしなくなるかも知れなかった。

 何かの作為があるとすれば、そこなのだろうが、そんなことを人間が意識的にできるはずもなく、できるとすれば、かなりの大きな欺瞞が働いているに違いない。もし、このことも全体として見ることができる人がいるとすれば、三郎少年しかいないだろう。実に皮肉なことであり、オカルト的な発想とすれば、そこにあるのは何かの犯罪の匂いではないかと思えてきた。

 それこそ子供の発想であり、大人であれば、妄想である。大人は妄想を悪いことだと思っているようだが、そもそもその発想が妄想を都市伝説として片づけてしまうことに繋がるのではないだろうか。

 それがその人の特徴だといえば、その通りなのだろうが、髭が夕方になると濃くなるというのは、別に都市伝説でも何でもない。一般に言われていることであり、

「ファイブオクロックシャドー」

 という言葉にもなっているくらいだ、

 ただ、ここから先の話は、かなり後になってから分かってきたことであるが、この人に髭があるということが分かるまでと、分かってからでは現れ方が違っていたのだ。

 そのことをどうして他の人が誰も気づかなかったのかというと、出現の仕方に変化があるわけではなく、現れる時間に違いがあることだった。ハッキリと言えば、髭を意識するまでというのは、

「時間が決まっていたわけではなく、夕暮れに合わせての出現だった」

 ということである。

 つまりは、微妙ではあるが、毎日夕暮れの時間というのは少しずつ変わってきているということである、それを人間は季節の違いでしか感じることはない。夏であれば、夜と言ってもいいくらいの午後七時を過ぎても、まだボール遊びができるくらいの明るさがあるのに、冬になると、午後五時にはすでに真っ暗になっているほどの差がある。

「冬至と夏至」

 という言葉があるように、昼が一番短い日と、一番長い日が存在し、さらに彼岸と呼ばれる日は、昼と夜の長さがまったく同じ日になるのだ。

 毎年日にちが決まっていないのは、厳密には地球の構造によるものなのだが、ここで言及する必要もないだろう。

 そんな毎日の普遍的な時間に最初の頃はその人が現れていた。

 しかし、その人が

「髭が目立つ」

 ということを言い出したその頃から、その人を目撃するのは夕方の午後五時というハッキリした時間であることは、皆熟知のこととなった。

 夕方の五時ということに異論を抱く人は、その人を見たことのある人の中には。一人もいなかったのだ。

 なぜそんなことが分かるかというと、毎日午後五時になると、行政が市内に向かって音楽を流すからである。

 このあたりに聴かれる音楽というのは、

「ドヴォルザーク交響曲第九番の第二楽章『ラルゴ』」

 である。

 分かりやすくいえば、

「新世界より」の中の「家路」という曲だと言えば、分かる人も多いのではないだろうか。

 昭和の頃、

「遠き山に日は落ちて」

 というタイトルで、小学校の音楽の教科書に載ったことから、有名になり、原罪では、学校や公共施設などが、夕方の帰宅時刻などを告げる音楽として、世間一般に広がりを見せ、皆周知の温覚となっていることは、有名な話であった。

 だから、この人の出現のテーマ曲となっているのが、

「家路」

 ということになる。

 ちなみに、同じ市内でも、いくつかのスピーカーから流されているようで、別の場所からも、音はかすかにはなっているが、若干遅れて聞こえてくるのが特徴的だ。

 もしまったく時間にずれがなければ、普通の人は何か所からも音が聞こえてくることに気づかないだろう。

 それは、音というものが空気を伝わってくる時に光などに比べて遅いからではないだろうか。

 雷が、距離によって、光と音との反応がずれてくるのと理屈的には似ているのではないかと思うのだ。

 その人の出現には、最初からいろいろな曰くが感じられたが、その曰くが分かっていなかったから、皆不気味な存在としてその人の存在を信じられないのだと皆が感じていたのかも知れない。

 その人を誰かが毎日のように見ているのだが、なぜか何人かで見ているはずなのに、覚えているのは一人だけなのだ。

 その時に他に誰かがいたはずだという意識はあるにも関わらず、その人にいざ記憶の有無を確かめてみようとするのだが、

「あれ?」

 と感じて、それができなくなる。

 なぜかというと、その時にまわりにいた人が誰だったのか、記憶から消えてしまっているからだった。

 自分のとっての、

「夕方の音楽」

 というと、

「家路」

 だけではなく、

「夕焼け小焼け、赤とんぼ」

 などが定番だった。

 小学校では、赤とんぼが流れていて、学校の近くでは、少し離れたところから普段は聴かない音楽が聞こえてくると思ったが、それが、

「赤とんぼ」

 だったのだ。

 まるで音楽の授業で聴いたような輪唱を思わせる。小学校での輪唱というと、

「カエルの歌」

 が定番だったが、意識しての輪唱と、距離があることで出来上がった輪唱とでは、明らかにその完成度は違っている。

 わざとではない作品には、完成度があり、聴いていると、思わず低い音に集中してしまっている自分を感じ、人間というものが、どちらかを選ぶわけではなく、なるべくならどちらも得ようとするのが本性であるということを示しているかのようだった。

 そのくせに危ないと思うと滑り止めという救済措置も忘れない。どちらも人間らしいと言えるのだろうが、

「二兎を追う者は一兎をも得ず」

 という言葉もある通り、どちらも得ようとすると、普通は、欲張りとしてあまりいい意味には使われない。

 つまり、このことわざは、そのことに対しての戒めであり、欲というものが、世間体ではあまりよくは思われていないということであろう。

 しかし、子供心に三郎少年は、その言葉を何か理不尽に考えていた。

「欲張りがあまりよくないと言われるが、人間欲があるから、前に進めるんじゃないか?」

 と考えていた、

 食欲があるから、食費を稼ぐのに一生懸命に仕事をするのだし。目標があるから、目標に向かって頑張れるのだ。

 それと同じような意味で、自己顕示欲の強い人も同じである。

「自分で自信をもって人に勧めることでなければ、人も信用してくれないのではないか」

 と感じるのであった。

 最近、この坂を通って帰ることが多くなった三郎少年は、この人の存在を気にはしていたが、この人のことを気にしているのは自分だけではないかと思っていた。しかし、実際には大人の間でもウワサになっているようで、大人のウワサは子供の三郎には回ってこない。

 しかも、三郎のように親に対して嫌悪を感じていると、親の話を訊いたとしても、その信憑性には疑問を感じることだろう。

――どうせ、あの親がいうことなんだから――

 と感じるに違いない。

 親が臆病な性格だとは、その頃の三郎には分からなかった。子供に対しての姿勢と、世間体に対しても違いを、小学生の三郎に分かるわけもなかった。

 そもそも、

「相手によって態度を変える」

 などというのは、少なくとも自分の知り合いの中にはいないという思いがあったからだ。

 その思いがあるからこそ、逆に親に対して、

「何かおかしい」

 という気持ちになれたのではないだろうか。

 そう思うと、親に対しての憤りがどこから来るのか、分からなくなってしまうのであった。

 親を無視しているくせに、気になる時には気になってしまう。無視しても、出来ない部分があるのは、やはり親子だという証拠であろうか。

 日暮坂という名前の由来をある時聞いたことがあった。

「あの坂には、昔から逢魔が時に妖怪が出るという話があったんだよ」

 と襲えてくれたのは、小学校の先生であった。

 担任の先生ではなかったのだが、その先生は美術の先生で、趣味ではあるが、このあたりの地元の歴史を研究しているという。

「このあたりには昔からいろいろな言い伝えであったり、伝説が多いんだよ。中には都市伝説と言われるものものも多いんだけど、研究してみると結構楽しいよ」

 と言っていた。

「帰り道の近くに、日暮坂というところがあるんだけど、あそこって名前も意味深な気がして、何か言い伝えでもあるんじゃないかって思うんだけど、どうなんでしょうね?」

 と話した。

「うん、なかなか目の付け所がいいね。確かにあの場所は昔からいろいろな言い伝えがあるようなんだよ。今はもうないんだけど、あの坂の途中に四つ角が三か所あるでしょう? そのうちに一番上のある四つ角には、昔地蔵があったんだよ。今は住宅街を整備した時に、別の場所に移転したんだけど、以前は、家も何もない道の間に地蔵がポツリとあったんだよ。もちろん、昭和の頃の昔のことなんだけどね。道だけはあったんだよ。ただ、その四つ角の左に曲がってちょっと行ったところに、昔の財閥の別荘があったようで、今でこそまったくその残像は残っていないんだけど、その財閥の屋敷というのは、和風、洋風と入り混じったようなお屋敷で、そこではたくさんの人が住んでいたということなんだ。でも、かつての戦争で空襲で屋敷の半分がなくなってしまったということなんだけど、残ったのは洋館のようなんだ。庭も大きかったようで、日本家屋、洋館ともに、かなり広大な庭があったらしいんだ。その日本家屋のところに井戸があったようで、その井戸が曰くのある井戸として戦前からいろいろ言われていたんだ。だけど空襲で焼けてしまったおかげで、その井戸もどこに行ってしまったか分からなくなってしまったことで、戦後、焼け野原になった土地は国に接収されて、国のものになったんだけど、井戸があったことで、お祓いなんかも行われたらしい。しかも、戦後になると、財閥というものが解体されたことで、特権階級ではなくなってしまったため、洋館の方の維持もできなくなり、広大な屋敷全部が国に接収されることになったんだ。そのため。洋館も立て壊されてしまい、区画整理の時点では、どこに昔の別荘があったのかすら分からなかったくらいなんだよね」

「そんなことがあったんですね?」

「ああ、でも、洋館の方では、建物が壊された後、空き地のようになったんだけど、その空き地から区画整理が行われると決まってから、戦時中の防空壕が見つかったらしいんだ。しかも、何とその防空壕から、白骨死体が何体か見つかったことで、当時は大きな問題になったくらいなんだ」

「防空壕から見つかったということは、戦時中に白骨になったということなんでしょうかね?」

 と聞くと、

「そうとも言えないよ。防空壕は戦後しばらくは残っていただろうから、その人たちの死体を隠すという理由で、防空壕跡が使われたのかも知れない。そうなると、あの死体は他殺だったということが濃厚になってくるけどね」

 と先生は言った。

「それが、いわゆる都市伝説のようなものなんでしょうかね?」

 というと、

「そうかも知れないね」

「でも、死体が誰だか分から中ttんですか?」

「まあ、白骨死体が発見されたのは、昭和五十年代だったということなんだよ。もしそれが殺人事件だったとしても、白骨死体の鑑定から、殺人の時効十五年は過ぎていたので、それ以上の捜査はしなかったんじゃないかな? もし捜査をしたとしいぇも、当時はDNA鑑定なるものも発達していなかったので。身元を特定することは難しかったんじゃないかな?」

 と先生は言った。

「ただね、その話だけではなく、よく言われている都市伝説としては、さっきも話をしたんだけど日本家屋の方の庭にあった井戸、そこは、元々、『首洗いの井戸』と言われていて、処刑が行われた時に、首を洗ったり、かつては、首実検にも使われたりとかしていたようなんだ。首実験というのは、戦国時代に報酬を得るために、相手の武士の位の高い人であれば、報酬も高額になるだろう。そのためには必要うなことなんだ」

 と、先生は話を続けた。

「ところで、逢魔が時というのは、どういうことなんですか?」

「ああ、逢魔が時というのは、夕方の日が沈むくらいの時間帯に、妖怪ともっとも出会う可能性の高い時間帯があるというんだよ。それを逢魔が時というんだけど、いわゆる魔物であったり、もののけも、妖怪の一種のようなものだね。そんな妖怪と出会うような時間に、結構事故が多かったり、殺人事件があったりと、あの坂には、昭和の頃にそういう歴史があったというんだ。戦前だっただろうか、例の財閥の暗殺計画があったらしいんだけど、それを実行したことがあったらしくって、その暗殺自体は失敗したんだけど、屋敷の中の書生や施設警官隊のような人たちが多数銃殺されたということで、しかも、それが夕方だったらしいんだよ。本来なら真夜中に行いそうなものなんだけど、夕方の逆光を利用しての犯行だったようで、本当は成功したかも知れない作戦だったらしいんだ」

「どうして失敗したんですか?」

「密告があったようなんだ。そうでもなければ、作戦は成功していただろうと言われている。でも、密告があったせいで、死人が増えたんじゃないかという話もあるんだ、暗殺計画としては、なるべく関係のない人を巻き込まないような計画だったらしく、下手に騒ぎが大きくなってしまったことで、書生や警官隊に、余計な死人が増えてしまった。残虐なクーデターとして伝わったけど、本当はそんなことはなかったんだ。しかも、クーデターが失敗に終わると、政府はクーデターが繰り返されることを恐れて、首謀者には死刑を、実行犯には死刑か無期懲役というようなひどい裁定をしたようなんだ。つまり、見せしめのようなものだよね」

 と先生は話してくれた。

「でも夕方の西日の眩しさを利用するというのは、危険な感じもしますよね;

 と三郎がいうと、

「実はそうでもないんだよ。だって、次第に暗くなってくるだけだろう? いきなりの閃光での眩しさの中から、、どんどん闇が襲ってくる。しかも、急に闇に向かってくるわけだから、当然目くらましになるわけだね。そういう意味では、作戦としては間違っていなかったと思うんだ。要するに、戦術では勝ったけど、戦略で負けたというところかな?」

 と先生が言った。

「ずるがしこい方が勝つということでしょうか?」

「それは少し違うような気がするな。防ぐ方は、クーデターの前と後ろを考えて、複線を敷いていたり、善後策もできていたりするんだけど、起こす方は、言い方は悪いが、場当たり主義のようなやり方になってしまうので、クーデターが成功していたとしても、その後の運命には変わりはないかも知れないね。しかも、クーデターで暗殺したい人が殺されたとしても、他に変わりの人が出てくるので、同じことなんだよね。トカゲの尻尾切りでしかないんだ。それが歴史というものかも知れないと、私は思う」

 と先生は言った。

 三郎も最初は先生の言っていることが難しすぎて分からなかったが、先生の話に追いつこうと、分からないところを質問したり、自分なりに勉強したりして、先生の話についていけるようになってきた。

 先生も三郎の理解力には敬意を表していて、他の人には言えないようなことを先生に話すことも珍しいことではなかった。

 先生にとっても、三郎と話をしている時、三郎をもはや子供とは思っていなかったりする。

 そんな先生であったが、どこかオカルト的なことを信じているところがあり、三郎にはそのあたりが疑問だったのだが、先生とすれば、

「歴史の勉強の一環だからね」

 と言っていたので、それを悪いことだとは言えないと思うのだった。

「でもね、このオカルトっぽい話がたくさん残っているということは、何か曖昧なことをごまかそうという意思が働いているんじゃないかって思うんだ」

 と、先生が言ったが、

「どういうことですか?」

 と聞くと、

「オカルトっぽい都市伝説的な話というのは、結構、いろいろなところで残っていたりするでしょう? でも、そのほとんどの話が似たような伝説だったりするんだよね。例えば浦島太郎の話などは、結構いろいろなところに似たような話として残っているでしょう? それを私は、どこまでが本当なのかって思うんだよ。おとぎ話などというのは、教訓的な話が多いでしょう? 他のところから盗んできた話であっても、信憑性を与えて伝えると、その土地の話にしてしまうことだってできる。それに昔の村というのは、閉鎖的な場所が多かっただろうから、他の地域の伝説など、気にもしないんじゃないかって思うんだよ。自分の土地での伝説のように伝えるために、曖昧な部分を全面に押し出すことで、余計に神秘性を煽ることで、他にはないかのように思わせるというテクニックのようなものがあるのかも知れないね」

 と、先生はいった。

 この街に存在する日暮坂という場所だけでも、かなりたくさんの言い伝えがあるのだと思うと、不思議な気がしてきたが、夕方に姿を現す、いわゆる、

「ファイブオクロックシャドー」

 の異名をとる人を気にするのも、無理もないことのように思えるのであった。

 奇しくも先生とよく話をするのは、どうしても放課後、無意識ながら、先生の口やあごに見える髭を気にしている自分がいることに、気付かない三郎少年であった。

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