第2話 静寂の中の倦怠感

 三郎少年がいつも遊んでいる公園は、市内でもまあまあ大きな児童公園だった。中央には金網のネットで仕切られた、檻のような場所で、球技ができるようになっている。

 さすがにバットの使用は禁止されているが、サッカーボール、バスケットボール、やきゅうもキャッチボールくらいは許されていた。だが、許されないことであっても、誰もが従うわけではない。最初の頃こそ、バットを使う人はいなかったが、途中から誰かが使うようになると、後は歯止めが利かない。立札はあるが、

「そんなもの、守るやつなんかいるもんか」

 と言われるのが関の山だった。

 夕方近くになると、学校帰りの中学生などが、野球に勤しんでいる。金属バットの鈍い音が響いているが、決して上手とはいえないバッティングなので、表まで打ち出せるだけのテクニックを持ったやつもいないのは、不幸中の幸いだった。

 公園のまわりは遊歩道になっていて、こちらもスケートボードは基本禁止なのだが、それでも集まってくるのは、スケボーを楽しみに来ている連中が多く、アクロバット的な技を繰り出すたびに、木製の乾いた音がコンクリートの遊歩道にこだましていた。

 そんな中、同じ遊歩道を犬の散歩に興じている人たちもいる。小型犬や中型犬がほとんどなので、子供が寄って行っても、それほど危なくはない。小型犬などは、怖がりなせいもあってか、すぐに吠えるが、慣れている子供が頭を撫でると、イヌ派すぐに尻尾を振って従順になっていた。

 中には、デップリ太った、歩き方からして滑稽なのに、その顔はペシャンコなくせに、愛嬌を振りまいて、憎めないイヌがいた。

 小型犬のその犬はペキニーズという種類のイヌで、飼い主の人がいうには、

「実に気まぐれなイヌで、飼い主に対しても、気分やなところがあって、愛嬌を見せないことがあって困っているのよ」

 と笑っていたが、子供たちには結構人気のようだった。

 最初は他のイヌと同じで、結構吠えられるが、慣れてくると吠えなくなる。しかし、他のイヌと違うのは、慣れたはずなのに、急に吠えてくることがあるから厄介だ。飼い主から、

「気まぐれなイヌ」

 という話を訊かされているから気にはならないが、

「なるほど」

 と思わせるところは、一緒にいて楽しいところなのだろう。

「この子が飼い主の私たち以外で。本当になついている人が一人いるんだけど、その人は毎日、この子の相手をしてくれるんだよ。三十歳くらいの人じゃないかな? いつも帽子をかぶっていて、少し華奢な感じなんだけどね。でも、これは珍しいことなんだけど、この子は、自分が太っていることをきにしているのか、あまり華奢の人には心を開かないんだよ。だから、基本的に、子供には人気があっても、そんなこともに従うようなことはしない。面白いでしょう?」

 と飼い主は言った。

 三郎は、このイヌと何度か顔を合わせて、もうほとんど吠えられることはなくなっていたが、なぜか、飼い主さんのいう、このイヌがなついているという華奢な身体つきの人を、いまだに見たことがなかった」

「その人はいつも何時頃に来るんだい?」

 と飼い主に訊いてみると、

「そうだねえ、日暮れちょっと前くらいかな? これは時間に関係なく、その人が来て、このこと遊んでくれるとちょうど日暮れを迎えるんだ。だから、時間としては決まっていないんだよ」

 と言われて、その頃には、日の出日の入りが季節によって違うということを分かっていたので、飼い主の言いたいことの意味が分かる気がしてきた。

「だから、会ったことがなかったのかな?」

 言われてみれば、自分が公園を後にするのは、日暮れ前だった。日暮れまで遊んでいても、ボールが見えるわけではなく、まだ、太陽がビルの影に隠れる前に遊びは終わって、犬たちの相手をするのが、三郎少年たちの日課だったのだ。

「遊び疲れた後で、イヌを見ていると癒される」

 こんな気持ちも、ゲームばかりしている連中に分かりっこないというのも、表で遊ぶ醍醐味であった。

 今では表で遊ぶことが、子供の本当の姿なんだと思うことができる三郎少年だった。

 あれはいつのことだっただろうか、公園からの帰り道のことだった。

 その日は、まだ夏の終わりくらいのことで、時間とすれば、すでに午後六時半を回ったくらいだっただろうか。秋を過ぎて、冬が近づいてきた今となっては、すっかり日も暮れて、夜のとばりが降りている時間であった。

 公園からの帰り道、小さな丘があるのだが、そこに差し掛かる道に、

「日暮坂」

 と呼ばれるところがあり、ちょうど住宅街になっているところであった。

 住宅街というのは昔から存在している街並みで、今は別のところにも住宅街が開発中であるが、新しく住宅街ができるとなると、急にこの住宅街が古めかしく感じられるようになったのは、住宅街に住んでいる人よりも、むしろこの住宅街を表から見ている人たちであった。

 この日暮坂界隈には、学校も郵便局も交番も揃っていて、この住宅街ができた昭和の終わりころは、このあたりが街の中心にも近いということで、たくさんの人が都心部から移住してきたとのことである。

 丘の上の方には、大きな総合病院もできていて、この住宅街の人たち以外もたくさんやってきているのだが、最近は病院への通院者も多くなっていて、丘の上の病院行きのバスも、結構人が多いようであった。

 三郎少年の家から駅までは、歩いて行ける距離でもあり、バス停も少々距離があるので、そのバスに乗ったことはなかったが、日暮坂の途中にバス停があり、そこで停まっているバスを見ていると、夕方などは、駅に向かうバスの乗客が結構多いのにはビックリした。

 駅からのバスであれば、会社から帰る通勤時間ということもあり、多いのは分かるのだが、駅に向かう客が結構いるのは、患者だけでなく、入院患者のお見舞いも多いからではないかと、子供心に考えていた。

 その日は、九月に入ってからもずっと暑い日が続いていて、久しぶりに、最高気温が三十度くらいに下がった、夏の終わりを感じさせる九月下旬だった。

 涼しくなってきたことに違和感がなくなったのは、それまで感じていた夏を感じなくなったからだ。それは、セミの鳴き声であり、セミの鳴き声がほとんど聞こえてこなくなった代わりに、スズムシやコオロギなどの声が聞こえるようになったのが、秋を知らせる音だと思っている。

 だが、それでも、坂を歩いて昇っていくと汗も掻くもので、正面を見上げながら歩いていると、なかなか辿り着かない次の角までの果てしなさが感じられるくらいだった。

「ふぅ」

 と思わず声を出して、少しだけ下を向いて歩いてみた。

 すると足元からの影が、細長く伸びていて、自分が西日を背に歩いているということをいまさらながらに思い知らされた気がした。

 まっすぐに前を見て歩いていると、

――自分の影を踏めるのではないか?

 という、まるで小学生の考えそのものの、子供らしさに思わず、我ながらの可笑しさを感じた。

 少し早歩きになって、大股で歩きながら、自分の影を踏みつけようとするのだ。

 しかし、そのうちに、それが無駄な抵抗であることに気づいてくる。バカでもなければ、すぐに分かることだった。

 三郎少年は、自分のことを決してバカだとは思っていない。しかし、勉強のできる賢さだとも思っていない。それは、両親からの遺伝を自分で認めることになるからだった。

 両親のことが嫌いな三郎は、自分がかしこいと認めてしまうと、それが親の遺伝だということで片づけられるのを恐れたからだ。

 何かにつけて臆病な両親。しかも、両親ともに、別々の違う性格を持っている。それも、三郎が毛嫌いしそうな性格である。

 どんな性格だと言えばいいのか、表現には困るが、少なくとも、

――あんな大人にはなりたくない――

 と感じる大人であった。

 小学生の子供にすら、子供心に考えただけで、そこまで思わせるのだから、相当なものだったことだろう。

 実際に前章で記したことは事実であり、両親ともに、気持ちの中に隠されたものであった。

「大人という者にならなくてもいいというのであれば、僕は敢えて大人になんか、なりたくはない」

 と思っていた。

 そんな風に自分を考えさせる両親に対して憤りを感じ、ひしひしとこみあげてくる怒りを、自分なりに隠すことができなかった。

 一つ両親のことで気になっているのは、自分たちが世間から隔絶したところにいるくせに息子である三郎に対して、世間体を気にする素振りをするところが、三郎には違和感があった。

 もちろん、まだ子供の三郎に、親の育ってきた環境や、実際の精神状態を計り知ることができるはずもなく、ただ、親が世間体を気にすることに、なぜ自分が違和感を覚えなければいけないのかが疑問だった。

 ただ単に世間体を気にしているだけであれば、そのことを容認できるかできないかというだけのことで、違和感を覚えるかどうかという問題ではないはずだ。

 それなのに、違和感があるということは、その違和感は両親のことへの考えとのギャップにあるということまでさすがに考えが及ばないことで、これも、両親を訝しがる一つの原因であった。

――確かに世間体を気にするのは、自分としては嫌なことだ。だけど、ある程度までは必要なことであるというのは分かっているつもりだ。それなのに違和感を感じるというのはそれだけ両親の考え方の中に、矛盾のようなギャップがあるからに違いない――

 と感じるのだった。

 その頃、両親の背中を見ながら歩くことが多かったような気がする。それは別に親に遠慮しているからではない。一番前に立って歩いていると、後ろからの視線が気になって、まともに前を向いて歩けないという意識と、横に並んでいると、まわりから仲のいい家族として見られることを嫌だと思ったからで、そうなると、消去法で最後に残ったのは、自分が親の後ろから歩くということだけであった。

 三郎と親との関係は、

「消去法で成り立った親子だ」

 と考えていた。

 これは、自分だけの考えではなく、まわりの子供も感じていることなのかも知れないが、自分にとって嫌なことを排除していくことで、結果、最後に残ったものが明白になるということは、明らかにその一つ以外は、嫌だということになる。

 一つのことを決めるのに、正しい尖閣が出やすいという意味では消去法も決して悪いことではないのだろうが、そこに至る過程として、嫌だと思うことが多すぎるのは、決していいことではないと感じる三郎だった。

 三郎が、自分の足元の影を追いかけている感覚は、いつも追いかけている親の背中とは違って、新鮮さがあった。

 三郎は影というものを本当は、

「怖いものだ」

 と感じていた。

 それは、テレビ番組で見た特撮ドラマで出てきた影の怪人を思い出すからだった。

 影が特殊撮影で、急に立体化して、人間に襲い掛かるというものであったが、影が立体化するという撮影は、今の時代であれば、もっと高度な作り方ができるのだろうが、リアル感よりも、より恐怖を煽る形での撮影には、敢えて昔からの撮影方法が用いられたことで、今のリアル特撮に慣れ切っている子供には、新鮮に映ったことだろう。

 それは影のシーンにこだわるだけではなく、他の場面でも用いられることで、特撮の幅を広げている昔気質の監督もいたのだ。

 そのせいか、影に対しては特別な感情を持っていた三郎は、足で踏みつけることで、広がろうとする影の勢いを自分で止めているような感覚に入っていた。

 それは正義感のようなものから来ているのではなく。恐怖に裏付けられた感覚であり、夕方という特殊な時間が、余計に三郎を駆り立てるのかも知れない。

 夕方が特殊な時間だと思うのは、たくさん夕方言われている伝説めいた迷信があるのは少しは知っていたが、少なくともリアルに足元から伸びる細長い影への恐怖などに代表される恐怖であった。

 昔の人が夕方にどういう思いを馳せて、夕方というものに恐怖を感じていたのか分からないが、他の時間には感じない黄昏の色、その色を見ただけで、身体に反応を与える倦怠感、それらは自分の中の何に答えろ見出そうとしているのか、分かっていないことで感じることなのではないだろうか。

 しかし、もっと怖いのは、一心不乱に足を踏み出し、余計なことを考えずに影を追いかけていると、どれくらいの時間が経ったのか、先に見える丘の上が、少なからず近づいてくるのを感じているはずなのに、まったくその長さを近づいたと感じさせないというのは、おかしなことだと言えるのではないだろうか。

 思わず後ろを振り向いてみる。すると、明らかにかなり進んだということが分かる、その理由は、かなり高いところまでやってきていて、眼下に見下ろす光景は、駅の向こうまで伸びている線路、さらに高速道路の高架まで見えていた。

 かなり高いところまで来なければ、分からない場所だからである。

 またしても、進行方向に向き直ると、まだ西日の残る明るかった方向から、西日を背にして最後の光を反射して何とか明るさを保っていた光景に戻ってきたはずなのに、すでに街灯はついていて、足元の影は太陽からの影ではなく、街灯による影に替わっていた。完全にこちら側は夜と化していたのである。

 急激な目の前の変化に、さほど違和感を感じ名がったのは、足元の影の異様さを感じていたからだ。

 街灯に照らされた影を見るのは初めてではないくせに、足元に見えているものに違和感を感じたのは、さっきの細長い影とのギャップを感じたからだった。

 それぞれを単独で感じたことは今までにも何度もあった。

 しかし、立て続けに、連続する形で感じるのは初めてだったので、自分でビックリしてしまったのだ。

 足元の影は明らかに太陽がもたらす影に比べて暗いものだった。

 なぜなら、太陽の明るさはいくら西日とはいえ、元々の明るさを自分が遮ることで出来上がった影である。

 しかし、街灯の影は、基本、真っ暗な状態に照らされた自分の姿を、まるで浮かび上がらせているようにも見え、さらに、街灯は一か所ではなく、一定間隔の距離を保って、暗くないように計算された位置に配置されている。明るすぎるわけでもなく、暗さも兼ね備えているという少し可笑しな表現であるが、歩いていると、片方は遠ざかっていき、片方は近づいてくるという状態で、角度もそれぞれに替わってくるので、足元から放射状に見えるいくつかの影が、自分の足元を中心に円を挙げくようにしてクルクルと回っている感覚に陥っていた。

――まるで、笠をクルクル回しているような感じだ――

 と思うと、前に見たテレビでドラマのシチュエーションの中で、斜め上から傘を差している女性を見ていて、傘の中がそんな人なのか分からなかったが、傘をクルクルと回しているのを見ると、その人がお嬢さん風であることに気づいた気がした。

 そのお嬢さんは、真っ白なドレスを着ていて、普段の自分なら近づくことっもできない女性を感じさせた。

 しかし、その女性は病に侵されていて、いわゆる、

「薄幸の美少女」

 という雰囲気を醸し出していた。

 最後の、

「薄幸の美少女」

 という発想はあくまでも、三郎の妄想でしかないのだが、間違っていないような気がして仕方がなかった。

 ただ、薄幸というのは、本人がどう考えるからいうだけで、本人が幸薄だと思っていなければ、薄幸とは言わないのではないかというのは、勝手の思い込みであろうか。

 坂道を歩いていると、いろいろな想像、いや、妄想が沸き上がってくる気がする。

 妄想が想像となるのか、想像が妄想になるのか分からないが、想像も妄想も紙一重の出界のことではないだろうか。

 この、

「日暮坂」

 という名前も何となく微妙な気がする。

 坂の名前に、このような名前を付けるのはいかがなものかとまではその時には思っていなかったが。大人になるにつれていろいろな場所を見る機会が増え、替わった名称の土地も知ってきたことで、改めて、日暮坂というのが、替わった名前であると思うようになった。

「黄昏峠や夕凪海岸」

 などと言った、夕方に関する地名もあるが、夕方の地名はどこかもの悲しさを感じさせる。

 そういう意味では日暮坂ももの悲しさという意味では負けていない名前のような気がしてきて、大人になってからも時々思い出す場所となった。

 だが、その時はそこまでになろうとは思わなかったが、そう思うきっかけになったことが、そのすぐ後に待っているのだが、その思いを影を見ることで、予感めいたものとして、後になると混同してしまいそうになっていた。

 だが、影をその時に、異様なものとして感じたのは、何かの虫の知らせのようなものだったのではないかと思うのは、無理もないことだったように思う。

 この坂道を歩いて帰るようになってから、半年くらい経っていただろうか。この公園で遊ぶようになってから久しいのに、坂道を通るのは、そんなに頻繁ではないと思われたのは、どこに原因があったのだろうか。

 秋から冬という季節が何かの暗示を示していたのか、それとも夕暮れに差し掛かる時間帯が問題だったのか、その時は分かっていなかった。

 影を意識するあまり、時間の感覚が自分の中でマヒしているように感じていたが、急に影が気にならなくなった。そのかわり、自分の影に何か別の影がさしかかったような気がして、自分の前を誰かが歩いているのを感じたのだ。

 その瞬間、影が急に明るくなって、今まで暗かったのが夢だったかのように、さっきの夕暮れに自分か戻ってしまったかのような印象を受けた。

 一瞬、パッと目の前に光がさして、閃光を感じたからなのだろうが、その閃光の放ったように見えるのが、前を歩いている人だった。

 その人は夕日を背中に浴びているにも関わらず、その人の向こうにも別の明るさが見えるのだ。

 太陽の光のように後光がさしているのだが、あくまでもさしているのはその人の姿だけで、まわりに一切影響を与えない光だったのは、夕暮れがまだ残った光景だったからに違いない。

「こんなことってあるんだろうか?」

 と、恐怖のようなものを感じた。

 大人になれば、きっと夕焼けや夜になるという理屈も、学校で習ったりするだろうから、理屈が分かっているのだろうが、今は理屈が分からないだけに、おかしいという感覚を持ちながら、実際にはさほどの恐怖を抱かない。恐怖というよりも、あっけにとられた記憶を持ったまま、いずれまた似たような光景を見ることで、理屈を分かっている自分がたぶん、その理屈を知っていることで感じる恐怖を和らヘリために思い出すことになるのではないかと思っている。

 そういう意味では、これ以上のことが起こっても、最初に恐怖を感じなかったことで、意識の中では夢で片づけてしまったりできるような気がしたのだ。

 目の前を確かに誰かが歩いている。後光がさしているように見えるので、体格も上背も分からずに、向こうを向いていることで、男か女かということも分からないだろう。

 その人を意識しながら歩いていると、近づいているように思っているのに、それほど距離が縮まった気がしなかった。歩くスピードは明らかにこちらの方が早いし、まるで停まっているかのように見えるその人は、歩いているというよりも、佇んでいるという方が正解に感じられたのだ。

 そのうちに、光が暗くなってくるのを感じた。後光が次第に見えなくなり、西日に照らされているだけの明るさでしかなくなった時、実際の西日もビルの影に隠れてしまい、それを合図のように、夕暮れが襲ってくると、後は街灯がついて、夜のとばりが降りるまで、時間はかからなかった。

 いや、時間なんてなかったのだ。気が付けば日が暮れていて、その人の姿を確認することができなくなったかと思うと、その人の姿をその日は二度と確認することができなくなっていたのだ。

「夢だったんだ」

 と我に返って考えると、夢以外の何者でもないような気がした。

 いや、夢なら夢でもいいと思った。

 三郎少年が感じたのは、夢を見たことではない。なぜ自分がそんな夢を見ることになったのかが分からないことであった。

 その頃の三郎少年は。

「夢を見るには何らかの理由があって、その理由が分からないということは、自分にとって怖いことなんだ」

 という感覚を持っていた。

 だから、怖い夢であっても、そんな夢を見るだけの何らかの原因を分かっていれば、それは怖いとは思わない。しかし、怖いとは言えない夢であっても、その夢の根拠を自分で分からないと、気持ち悪さが残ってくる。

「これって正夢かも知れない」

 と感じるからで、嬉しいと感じる夢であればそれもいいのだが、嬉しいと感じるような夢を、理屈も感じることなく見ることはなかった。

 嬉しい夢には嬉しいだけのれっきとした理屈が存在しているのであった。

 それが、三郎の中に感じている、

「夢の構造」

 であり、近い将来、

「何事も理詰めで考える」

 という性格を裏付ける一つの理屈になったのであった。

 ただ、この時の坂道にいたその人物のことは、翌日になると、記憶の奥に封印されそうになっていた。その感覚というのは、

「何かのきっかけがあれば思い出す」

 という、記憶の断崖のようなものではないかと感じるのだった。

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