第26話 くわ助ではない何か
「撮影会、参加しますか……」
黒井さんが女性だったという想定外の事実に困惑し、思わず声尻が消え入るように小さくなってしまった。賢太との距離が近づくにつれて、彼女は一歩また一歩と後ろに下がり、距離を取ろうとする。ついには、振り向いて背を向けるとその場から走り去ってしまった。
「本当に通報せんでいいのかねぇ」
背後から会長の疑念の声が小さく届いた。
「内気…… なんですかねぇ」
思いのほか素早い足取りで、すっかり小さな点になってしまった黒井さんの後ろ姿を見ながら答える。恰好は不審者そのものだが、仕草は臆病な少女のようでもあった。育が不審者ではないと言った理由が少し分かる。人としての善性が全身からにじみ出ているのだ。しかし、だとしても、もう少し見た目には気を遣ってほしいが。
「ありがとうございましたー」
という快活な声と共に、数組の親子連れが広場から去っていくのが目に入る。どうやら、撮影会もひと段落着いたようだ。潔世高校演劇部とその友人たちは、まだその場に残って会話を続けている。賢太はひっそりとその集団に合流する。
「黒井さん、今回もどっか行っちゃったね」
育がパイプ椅子を撤収しながら言う。
「話しかけたら逃げちゃった。でも、育が悪い人じゃないって言ってたのが何となく分かった」
賢太も撤収作業に加勢する。
「私も前に声かけようとしたんだけど、その時も無視されちゃって」
「うーん。いつか心を開いてくれるといいけど」
言いながら自分が言えた立場でもないかと考え直した。むしろ推しの全てのイベントに参加するほどの熱量を持つ彼女に敬意を表するべきだ。賢太は何かに熱中している時であっても、それを冷めた目で俯瞰してしまうもう1人の自分がいた。一生懸命没頭したところでお前の程度はたかが知れているぞ、という嘲笑の声が聞こえるのだ。
「みんな、お疲れ! 初めてなのにすごかったよ」
マスクを外して、首から下だけイサギヨライダーの格好をした誠司が学生たちに声をかけた。ある生徒は照れくさそうに頭を下げ、またある生徒は満面の笑みで感謝の意を伝えた。
「そうだ、また着替えだ」
育がうんざりした表情で肩を落とす。賢太と誠司は互いの顔を一瞥すると、次に行うべきことを察し、そそくさとついたてをボックスカーの方へと運び出す。
女性陣が着替えている間、男性陣はリハーサル開始時と同じように余ったついたての裏で息をひそめるように着替えた。
「男女平等の道のりは遠いな……」
「ああ……」
数時間前に聴いたのと全く同じセリフを男子学生が呟く。何も遮るものがないせいで、寒風が吹きすさぶと直接体に衝突し、体温を奪う。学生たちと誠司が体を震わせながらうめき声をあげる。哀愁漂うその光景から目をそらす。この世はなんとも無常である。
*
帰りも行きと同じく社用車で自宅まで送ってくれることになった。会長は自家用車で帰宅したためこの場にはいない。結局、会長はあれから誠司に対して直接賞賛の声をかけることはなかった。流石にこの年齢で父親が息子を褒めちぎっていたら、会長としての威厳が損なわれると考えたのだろうか。
誠司が演劇部の学生たちをしきりに褒め、ショーの成功を喜ぶのもつかの間、怒気を含んだ育の声が車内を支配した。
「というか、誠司さん。更衣室の件忘れてないですよね?」
「ん? ああ、ごめんごめん。ほんとにLINEで言ってた?」
「言ってましたよ! 履歴見れば分かるでしょ」
「えーと、どれどれ」
ショーの成功に気をよくしているのかおどけた様子の誠司を見て、育の眼光は鋭くなっていく。
「あぁ、ほんとだ。2週間前に言ってた」
「全く、ほんとに気を付けて下さいね」
ため息を漏らすと、ドッと背もたれに体重をのせて窓の外へと視線をやった。この場面だけ切り取れば、誠司が育の尻に敷かれているようにしか見えない。業務時間中にもそのような光景を頻繁に目にするが、実際は誠司の方が育に気を遣っているように思う。彼女の心の傷は癒えきってはいないのだ。
さて、休日にこうしてヒーローショーの手伝いを行ってはいるが、本業はくわ助が暴走する原因の究明とその解決である。ここ数日は意図的にくわ助のことを考えないようにしていた。しかし、今回のヒーローショーで年甲斐もなく感動したこともあってか、モチベーションはすっかり復活していた。その要因には居酒屋で行われた歓迎会での出来事ももちろん含まれる。
車内は依然としてぎこちない空気に包まれていたが、賢太は頭の中で先ほど育が放ったLINEの履歴を確認しろ、という言葉をくわ助に繋げて考えていた。過去のくわ助の発言は、来訪者の投稿に対する回答も含めると相当な数になっているはずだ。それら返信内容を分析することで何か新しい発見が得られるかもしれない。
*
無事、自宅へと送り届けられた賢太は自室へと直行し、ノートPCを開く。くわ助のタブレットが手元にあるわけではないが問題ない。
そもそも、本来はQRコードを配布すればいつでもどこからでも、くわ助と会話できるはずであり、そのためにLINEbotを採用したのだ。自らのLINEアカウントにくわ助を友達登録し、質問を送信する。
“潔世市の歴史を教えて”
質問は適当なものだ。くわ助は瞬時に返信を生成する。
“1999年に木浪市と吉良村の合併によって誕生したくわっ”
潔世市の公式HPから学習したのか、あるいは大規模学習モデルの中に含まれていた知識なのかは判別できないが、ともかく適切な回答ではある。やはり、観光協会本部に設置されているあのタブレットの中のくわ助だけが暴走しているのだ。
テキストエディタを開くとLINEbotのAPIを叩く。作成したbotの履歴情報を抽出するという機能のAPIだ。人類に反抗的な態度の反道徳的な文面ばかりだろうが、何かの手掛かりにはなるかもしれない。そう思いながら、出力されたテキストファイルを確認すると、そのサイズは1KBと明らかに小さすぎるものだった。
コードを誤っただろうか、と訝しみながらファイルを開くとそこには
“1999年に木浪市と吉良村の合併によって誕生したくわっ”
という、つい先ほど行った質問の一行だけが存在していた。プログラムのコードが誤っているのだろうか。
しかし、いくら公式ドキュメントを確認しても、間違いらしき記述は見受けられない。ここから導き出される推論は、観光協会本部のタブレットに登録されているあいつはくわ助ではないというものだ。
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