第10話 私は1人でも問題ないですが。
AI担当大臣を任命されてから早1週間。ローカルブログ「いさぎよシティ」の全ての記事をさかのぼって確認したが、問題のありそうな記事は見つからなかった。
残るは潔世市の公式HPだが、こちらの方に問題がある可能性は極めて低い。そもそも、本当に学習データに問題があったのだろうかと疑いたくなる。しかし、その疑いは数日前に行った検証で棄却されてしまった。自前のPCで構築したローカル環境においても、いくつかの質問に対してくわ助は反抗的な返信を行ったのだ。
観光協会にて動作しているくわ助よりも頻度は少ないものの
“潔世市に未来なんてないくわっ”
だったり
“くだらないPRなんてしても意味ないくわっ”
といった潔世市批判や観光協会批判を続けた。
人類を滅ぼす云々という内容の回答が返ってこなかった点は気がかりだが、この辺りの再現性は、製作者本人にもよく分からない部分が多い。何しろ、深層学習系のAIは中身の処理過程を把握することが困難な、いわゆるブラックボックスと呼ばれる特性が存在するからだ。
くわ助は一体どのようにして見えない謎のテキストデータを学習したのか。
いや、待てよ。
ウェブページにおいて見えないテキストを仕込むことは不可能ではない。例えば、背景色と同じフォントカラーを指定すれば、テキストを隠すことは可能だ。
そうと決まれば、調べてみる他ない。やるべきことが見つかると、モチベーションも自然と上がってくる。しかし、そんなやる気を誠司の一言がへし折った。
「賢太くん、暇そうだし、育ちゃんの打ち合わせついてってあげてくれない?」
あっけらかんとした誠司の表情は、賢太の心をざわつかせる。ゆっくりと呼吸を整えてから答える。
「ええと…… 別に暇という訳では」
暇じゃないです。と強い語調で否定するつもりが無意識のうちに及び腰になってしまった。20数年変わらなかった性格がほんの数日で変わるはずがないのだ。
「そう? でも育ちゃん1人で行かせるのも心配だなと思って」
「いえ、私は1人でも問題ないですが」
「むーん。でもなぁ」
賢太は育と誠司の顔を交互に見た。育は先日のことを忘れたのか、本気でそう思っているようだった。普段の育にはこういう根拠のない自信があるのだが、ああも取り乱した姿を見てしまえば、ひとりで打ち合わせに行かせるのが不安という誠司の気持ちも理解できる。
誠司の方はといえば、口をとがらせて、賢太にあざとく切望する姿は見るに堪えない。賢太は深いため息をついた後
「分かりましたよ」
と答えた。透明なテキストの捜索はまた後日ということになりそうだ。
「ありがとね」
パッと明るくなった誠司を恨めしながら心の中で睨みつけると、ノートPCをリュックサックに詰める。そして、法被を脱いでから観光協会の出入り口に向かった。
「本当に1人で良かったんだけどなぁ」
隣を歩く育は、頭を掻きながら首をかしげた。そうは言っても、いつまたトリガーが引かれるか分からないのだから、万が一のためにもついていった方がいいのだろう。
「1人でも問題ないってそれ本気で言ってる?」
賢太にとって、それはさりげない質問だったのだが、語気に含まれる棘に気づき、すぐに後悔した。
「え? 何が?」
そんな想いを気に留める様子もなく、育は答えた。
「いや、この間、なんかミスですごい動揺してたというか」
「ああ、あれか。私そんなだった?」
そう言う育は表情をほころばせるが、すぐに唇を引き結ぶ。そして、賢太から目を逸らすと前髪を手櫛で整えた。
幼馴染と言えど、育と共にいた時間は小学校の6年間がほとんど全てであり、それすらも遠い昔である。ただでさえ、賢太の知っている育からは大きく変化している上、社会人になり、東京へ出て、挫折して地元に帰ってきた彼女の頭の中はとてもうかがい知れるものではなかった。賢太が見ているのは彼女が積み重ねてきた人生のほんの表面でしかない。
観光協会の重いガラス扉に体重をかけて開ける。狭い駐車場を育と歩く。その横顔は安堵と緊張のどちらもが介在している複雑なものだった。
打ち合わせは市役所内の会議室で行われるそうだった。駐車場に停められたワンボックスの社用車の運転席に育が乗り込み、賢太が助手席に乗り込む。キーを差し込んで回すと、エンジンが始動した。ジャリジャリと目の粗いアスファルトをタイヤがはじく。車体がカーブを描いて滑っていくと、かすかに遠心力を感じた。
「打ち合わせとしか聞いてないんだけど、何の打ち合わせ?」
「廃校事業ってのを市役所と共同でやってて、それのやつ」
「へえ」
廃校事業とやらの内容について、賢太は把握していなかった。そもそも、AIが暴走した原因を突き止めるのが主な業務内容なのだから、当然ではあるのだが。すると、賢太の表情から察したのか、育が説明を始めた。
「何年か前に、
「いや、知らない」
「ああそう。まあ、要するにその廃校をレンタルするような事業が出来ないかって話なの」
「へえ」
「興味なさそう」
「いや、興味ないことはないよ。多分」
実際のところほとんど興味はなかった。松風小学校と言うと、潔世市の中でも西の山間部に位置する小学校だったはずだ。あの地域にはほとんど子供が住んでいないだろうし廃校もやむなしか。賢太が、小学生の頃はまだ健在だったはずだが、記憶は定かではない。
車は片側2車線の国道に出ると、しばらく直進する。国道沿いの飲食店やパチンコ屋が視界を過ぎ去っていく。曲がるとすぐに賢太の家がある道も通り過ぎる。色鮮やかな看板も、晴れ渡った青空も全てが色あせて見えた。
ウィンカーの音と共に右折すると、潔世市役所の姿が目に入る。雨のせいで黒ずんだ堅牢そうなコンクリート造りの建物は市役所というより要塞と言った方が正しいように思えた。
車を駐車場に停めると、2人は自動ドアをくぐる。市役所特有の秩序と混沌が入り混じったような妙な空間を突き進んでいく。各窓口での業務内容は、理路整然と明確に分割されているのに、無造作に設置された記入用の台座や、蛍光色の横断幕にはまるで統一感が感じられない。
2階へ上がり、さらに奥へと歩いていく。市役所での用事は基本的に1階で完結するため、2階へ来たのは初めてだった。関係者以外がやってくることはないであろう、市役所の最奥に潔世市役所第3会議室はあった。
育はドアノブをひねり、会議室に片足を踏み入れると突然足を止めた。賢太は勢い余って、育にぶつかりながら会議室の中を覗いた。そこには、スーツを着た40代くらいの男性が今まさに椅子から立ち上がって、2人に会釈しようとしていたところだった。それにしても、この顔どこかで見たことがあるような。
「お父さん?」
育が両眉を上げて言った。
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