銃剣突撃の目的地は、たいてい地獄

「ゲホッ!」


 肺に空気が流れ込んできて、俺は勢い良くむせた。


「目覚めたか」


 漂う硝煙と血の匂い。あちこちで聞こえる呻き声と悲鳴。衛生兵や軍医が、重傷を負った兵士に麻酔なしで処置を施していく。


 俺は、相も変わらず塹壕にいた。だが、床と壁は隙間だらけでも木製で、その上、ボロボロの天井まで付いている。


 なかなか豪華な塹壕だ。少なくとも、俺が暮らしている塹壕に比べれば。


 俺は、乱雑な目覚めの挨拶をかけてくれた兵士を見る。戦闘服の袖に赤十字の腕章を巻いた衛生兵が、寝ている俺を不機嫌かつ疲れた顔で見下ろしていた。


「第一線塹壕で倒れているところを、ここに運び込まれてきたんだ。お前の怪我は軽傷だから、起きたなら早く部隊に戻れ」


 俺は入院一日目で退院し、休暇も与えられず前線に復帰した。




 アーラスト帝国陸軍、第121師団隷下、第320歩兵連隊が俺の所属部隊だ。


 毎日、ボルトアクション・ライフルで敵歩兵へと射撃し、立ち枯れた木や崩れた家屋の陰に隠れ、泥にまみれながら戦っている。


 開戦からすでに一年が経っているというのに敵の勢いは衰えるところを見せず、一進一退の攻防が続いている。


 敵陣地へと突撃しては追い返され、敵に突撃されては追い返している。


 その日、俺はミートローフの缶詰と乾パン、ビスケット、あと代用コーヒーの野戦糧食を食べながら、星空を見上げていた。


 昼間の激戦で発生した硝煙のせいで、ほとんど星は見えないのだが。


 まあ、下や正面を見ても、塹壕の血が混じった土と泥しか目に入らないので、それよりは、申し訳程度にも星が輝く空の方が、いくらかマシだ。


 俺は野戦糧食を食べ終えると、大きく伸びをした。眠いな。


 じめじめした塹壕の底で丸くなって、目を閉じる。昼の戦闘で溜まった疲労は、環境に関わらず、俺を眠りの世界へと引き込んだ。


 そして戦争が、すぐに俺を現実へと引き戻した。


「総員注目!これより敵陣地へ夜襲を仕掛ける。戦闘用意!」


 指揮官の怒鳴り声に、塹壕で雑魚寝していた兵士達が一斉に起き上がった。


 銃剣突撃の命令が末端の兵士へ伝わるのは、大抵の場合直前だ。それが真夜中だろうが真昼だろうが、変わらない。


 まあ、ライフル構えて突撃するだけなので、なんの問題も無いが。


 俺は素早くヘルメットをかぶり、自身のライフルに銃剣を付ける。ついでに愛用のスコップを、戦闘服のベルトに吊るした。


 20秒もしない内に、兵士達は準備を終える。


「突撃!」


 指揮官の号令で、兵士達は一斉に塹壕の外へと這い出した。そのままライフルを構え、全速力で走り出す。


 刹那、敵塹壕の重機関銃や迫撃砲が、一斉に火を噴いた。


 重機関銃の弾幕に、歩兵は次々となぎ倒されていく。鉄条網に引っかかった兵士の頭を、敵狙撃手が射貫く。


 俺は崩れた家の陰に身を隠して、激しい弾幕をやり過ごした。迫撃砲の飛来音と共に土埃が上がり、数名の兵士が吹き飛ばされる。


 銃剣突撃は非常に難しいが、成功した場合の戦果は計り知れない。


 兵士が身を隠す安全な塹壕も、肉薄されれば逃げ場のない牢獄に変わる。


 鉛玉に心臓をえぐられた兵士が、血を吐きながらしばらく踊って、倒れた。


 このままでは大損害が出る。俺はボルトアクション・ライフルを構えて、重機関銃の発火炎へと銃口を向ける。


 ライフルの射程としてはギリギリ。夜闇のせいで、機関銃手の姿はよく見えない。


 俺は深呼吸をして、引き金を引いた。発砲音が響く。弾丸は、上手く操作していた敵兵に当たったようで、数秒のタイムラグの後に発火炎が消えた。


 俺は、銃のボルトを引いて排夾する。くすんだ金色の薬莢が、ライフルからはじき出されて地面に転がり、硝煙が鼻腔を撫でる。


 俺はボルトを押し込んで次弾を薬室に送り込むと、走り出した。


 すでに味方歩兵の一部が敵第一線塹壕への侵入に成功していて、白兵戦特有の悲鳴と絶叫が荒野に響いている。


 肉薄した火炎放射兵が、敵塹壕へと激しい炎を流し込んだ。激しい炎が辺りを明るく照らし、焼かれる敵兵の絶叫が空気を揺らす。


 俺は、心の耳を塞いで敵の悲鳴を無視すると、まだ機能している重機関銃の砲火を潜り抜けて、敵塹壕へと飛び込んだ。





 俺が飛び込んだ塹壕は、味方火炎放射兵による攻撃を受けたようだ。


 丸焦げになった死体が、熱に苦しんだ姿勢のまま事切れている。表情がうかがえないのは、夜闇のせいではなく単純に顔が無いからだ。


 肉の焼ける匂いが鼻を突き、俺はつい先ほど食べたばかりの野戦糧食を、そのまま塹壕の底へとまき散らした。


 喉がひりひりする。


 俺は吐き気が収まるまで吐くと、戦闘服の裾で口元を拭って立ち上がった。


 肺に空気を送り込んで覚悟を決めると、敵塹壕をゆっくりと歩き始める。


 ずっと、狭い塹壕に死体が転がっているだけの風景が続いている。


 切り裂かれた者、撃たれた者、焼かれた者、ガス攻撃に際してガスマスクを付け損ねて、泡を吹いて死んだ者。死因も様々な死体が、あちこちに転がっている。


 味方部隊は、すでに連絡壕を通って第二線塹壕、第三線塹壕へと進んでしまったようで、あたりに生者は一人もいない。


 今回の銃剣突撃は大成功だな。


 突撃が成功してよかったのか、それとも悪かったのか、積みあがった死体を前に、俺にはさっぱり分からないが。

 

 死んだ塹壕内を呆然と歩いていると、何処からか呻き声が聞こえた。


 どうやら、まだ生きている敵兵がいるようだ。もう助からないだろうし、せめて介錯らくにしてやるか。


 俺は、呻き声が聞こえた方に歩き出した。




「驚いたな。まさかお前がいるとは思わなかったよ」


「ボクもだよ。まさか君に殺されるとはね」


 いつかの敵歩兵が、全身から血を流して、塹壕の壁を背もたれに座り込んでいた。


 皮肉げな口調は変わらないが、ワインレッドの瞳には、苦痛と疲労と、僅かな絶望が見て取れ、空色の髪は煤けている。


 表情も、痛みに耐えるように苦しげだ。


 おそらく、手榴弾の爆発に巻き込まれたのだろう。手榴弾は5mの範囲に致命傷を、さらに広範囲に殺傷能力のある破片をまき散らす。


 逃げ場のない塹壕内に転がり込んで来たら、どうしようもない。


「そのまま生かしてやろうか?死にたくないだろ」


「人間の尊厳うんぬんかんぬんと唱えていたのは誰だったかな?」


 敵兵は、呆れたような目で俺を見た。我が国の捕虜は、再教育じんもんと強制労働で歓迎するしきたりになっている。


「さあ、覚えてないな」


 俺はしらばっくれた。


「で?ボクを殺すのかい?流石のボクも、もう抵抗は出来そうにないよ?」


 敵兵は、ズタズタになった自分の体を見て、そう言った。その姿は、自らの死を確信しているようにも見えた。


 俺は、殺すべきか殺さないべきか逡巡した。


「いや。殺さないよ。俺も一度、お前に生かしてもらったからな」


「あはは。いいのかい?もしかしたら、君を殺すのはボクかもしれないよ?」


 敵兵は、明るく笑ってそう言った。こいつは、本当にどんな時でも笑っているな。


「その時はその時だ。あそこまで見事な格闘術に殺されるならば、本望とまでは行かないが構わない」


 敵兵が、あっけにとられた表情で固まった。まさか、真に受けたか?


「冗談だ。頼むから殺さないでくれよ。俺は死にたくない」


「‥‥もちろん。また君と戦ってみたいしね」


 彼女の瞳から絶望が消え、代わりに燃えるような闘志が宿った。


「名前は?」


 俺は、なんとなしにそう聞いた。


氷真ひさね。君は」


「ファルアス」


 氷真は、ライフルを杖のように使って、ゆっくりと立ち上がる。


「じゃあ、ボクは早く敗走しないとね。取り残されて、捕虜にでもされたら大変だ」


 彼女は、そのまま痛みをこらえるように、地面を踏みしめて歩き出す。


「頑張れよ」

 俺は、その背中に言った。


「また会おうね」

 氷真は、自分のライフルを掲げて、言った。また会おうか。その願いが叶うことは、多分無いのだろうな。


 俺は、氷真が去ったのと反対の方向を向いて、ライフルを構え走り出す。


 爆音と悲鳴が流れる戦場で、ちょっと悠長過ぎたか。


 俺は、迫ってきた敵歩兵の心臓に銃剣で穴を開けつつ、そう反省した。




 我が軍は、今回の戦闘で2㎞近く前線を上げることに成功した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る