最終話:だから私はこれを恋と呼びたい
二日間の文化祭が終わった翌日。私は彼女の家に呼ばれた。親は仕事でいないらしい。つまり、彼女の部屋に二人きり。『それで伝わらなかったらもう身体に直接分からせるしかないな』というななちゃんの言葉が蘇る。あの後、私は調べてしまった。きっとえっちな意味なんだろうなということは分かりつつ、興味が湧いてしまった。今まではそういうことに興味なんてなかったのに。
「どうぞ」
「お、お邪魔します……」
声をかけて家に上がるが、返事がない。本当に誰もいない。靴すらない。
「そこが私の部屋。中で待ってて。お茶持ってくる」
「……うん」
案内された三船さんの部屋の中に入る。ぬいぐるみだらけで、王子様扱いされている人とは思えない可愛らしい部屋だった。色んなぬいぐるみがあるが、犬のぬいぐるみが圧倒的に多い。本当に犬好きなのだなとほっこりする。ベッドの上には一際大きな犬。布団をかぶって寝かされている。もしや、彼女はいつもこの子を抱いて寝ているのだろうか。ベッドで寝ているぬいぐるみに手を伸ばす。扉が開いた音がして、ハッとして手を引っ込める。
「……王子様らしくない部屋でしょう」
テーブルにコップを置きながら彼女は言う。確かに、王子様というイメージからすればギャップのある部屋だ。だけど、実際の三船さんは可愛い物好きだということは私はもう知っている。そう答えると彼女は複雑そうに顔を逸らし、私の隣に一人分ほどのスペースを開けて座る。
「……私、あれからずっと三船さんのこと考えてたよ。考えない日はなかった。でも、自分の気持ちをはっきりさせなきゃ話せないなって思って、考えてた。これは恋なのか、それともただの独占欲なのか。ななちゃんに聞いたら恋だって言ったけど、本田さんはわからないって言った。三船さんを大切に思う気持ちは本物だと思うって、言ってくれたけど……三船さんはきっと、それだけじゃ駄目なんだよね?」
問うが、彼女は答えない。彼女の方を見ると、自分の膝に頭を埋めた。頑なに私の方を見ようとしない。
「……良いよ。顔見るのが怖いなら見なくても。でも、話だけはちゃんと聞いてね」
「……ええ」
「うん。で、えっと……もう一人、部活の先輩にも聞いてみたの。そしたら先輩は、決めるのは自分だよって。だから……私はこれを、恋と呼ぶことにしました。みんなの意見を踏まえて、そう決めました。三船さんはどう思う? ただの独占欲だと思う?」
問いかけるが、彼女は答えない。
「……分かった。じゃあとりあず保留ってことにするね。……私がこれを恋と呼びたい理由はね、三船さんと一緒だったら良いなって、思うからなんだ。私、三船さんが好きなの。大切なの。守りたいの」
床に置かれた彼女の手に手を重ねる。彼女はびくりと怯えるように跳ねたが、振り払うことはしなかった。
「三船さんはずっと私のこと守ってくれた。恋をしないことを否定せずに受け入れてくれたし、七希くんのファンの子に意地悪された時も助けてくれた。友達のままでいたいっていう私のわがままも、受け入れてくれた。だからね、今度は私にも君のことを守らせてほしいんだ」
「……」
相変わらず顔を上げてくれないし、何も答えてくれない。だけど、代わりに握っていた手が少し動いた。躊躇うように開いて、私の指の間に指を絡ませてきた。そのまま握ってやると、彼女も恐る恐る握り返してきた。そしてゆっくりと顔をあげる。私の顔を見ると目を逸らし、躊躇うように視線を彷徨かせ、また私を見る。目線を逸らしつつ、恐る恐る近づいてきた彼女を腕の中に迎え入れる。抱きしめて頭を撫でてやると、恐る恐る背中に腕を回してきた。彼女の方が身体は大きいはずなのに、酷く小さく思える。
「……私のこと信じるのが怖いなら、今はまだ怖いままでも良いよ。今はただ、私と向き合おうとしてくれただけで充分嬉しいから。逃げないでくれてありがとう」
「……して」
「ん?」
「……キス、して」
「……うん。いいよ」
顔をあげる。目が合う。キスなんて、気持ち悪いと思っていたはずなのに。彼女となら、しても良いと思える。むしろしたい。頬に手を触れると、彼女は驚くように跳ねた。そして目を泳がせ、拒否するように私の身体を押し返す。
「な、なんで……そういう目で見られるの、嫌なんでしょう……」
「うん。嫌だよ。……でも、三船さんなら、良いよ」
「わ、私に合わせないでよ……」
「じゃあ、私がしたいから、しても良い?」
「う、嘘……」
「嘘じゃないよ。したい。良い?」
「……」
「……どっち」
「……」
「答えないなら良いってことにするよ。嫌なら嫌って言って」
彼女は私を見て、何かを言うように口を動かしたが結局言葉にはならずにまた目を逸らす。「何も言わないならするからね」と一言断ってから、また顔を近づける。彼女は目を合わせようとはしなかったが押し返さず、私の手を握った。そのまま顔を近づけていくと、鼻がぶつかってしまった。避けるように顔を少し傾けて、唇を重ねる。彼女の唇は思ったより柔らかく、不快感はなかった。むしろ、気持ちいいと思った。キスって、気持ちいいものなんだ。初めて知った。相手が彼女だからそう思うのだろうか。
「……もう一回、良い?」
その問いに、今度は彼女も小さく頷いた。もう一度顔を近づけて唇を重ねる。離すと、彼女の方から「もう一回」と消え入りそうな声でねだってきた。潤んだ瞳と目が合う。心臓がぎゅっと締め付けられる。こんな感情、初めてだ。これが恋? 性欲? どちらかはわからないが、今はただ、彼女とキスがしたい。その気持ちに、正直に従っても良いと思う。彼女も良いと言っているのだから。重なっては離れ、重なっては離れを繰り返しているうちにだんだんと夢中になり、前のめりになっていき、そのまま、彼女を床に押し倒してしまった。
「ご、ごめん! 頭打った!?」
「……平気」
恥ずかしそうに視線を逸らしながら口元を隠す彼女。その姿に思わず息を呑む。これが色気というものなのだろうか。このままもう一度キスをしたらどうにかなりそうな気がして、一旦彼女の上から退いて座り直して心を落ち着かせる。心臓がうるさい。彼女はどんな顔をしているのだろう。横目で盗み見ると、膝に顔を埋めて泣いていた。
「い、嫌だった?」
私の問いかけに彼女は首を振り、私の方を向き直して頭を肩に預けてきた。震えるその身体を抱きしめてやると、遠慮がちに、だけど力強く私の背中に腕を回す。縋るようだった。
「……名前、呼んで。私の名前。歌羽って」
「……歌羽ちゃん」
名前を呼ぶと、彼女は応えるように「玲楽さん」と私の名前を呼んだ。そして「好きよ」と震える声で続ける。
「うん……私も好きだよ」
「……うん」
「……まだ、私のこと信じるの怖い?」
彼女は私の問いかけには答えず、私の背中に回した腕に力を込める。そして大きく息を吐き、語り始める。
「私……母子家庭なの。父は……私と母を置いて別の女性の元に行ってしまって。父も、元カノも……あれだけ私のことを好きだって、愛してるって言ってくれたのに……」
「……そっか。だから、裏切られるのが怖いんだね」
こくりと彼女は頷く。やはりまだ駄目だろうかと思ったが「だけど」と彼女は語気を強めて続ける。
「あなたのことは……信じたい」
「……それは、恋人になってくれるってことで良いですか」
「……うん」
うんと言った。聞き間違いではないことを確認したくて、目を見てもう一度問う。彼女は視線を泳がせながらも、小さく頷いた。堪らず抱き寄せる。彼女は驚いたのか「きゃっ」と小さく悲鳴を上げたが、私の背中に腕を回して肩に顔を埋めた。
「私今、凄くドキドキしてる。三船さんは?」
「……ドキドキしてる」
「……確かめても、良い?」
「……えっ。……ええ。……ど、どうぞ」
彼女の胸に耳を寄せる。少し早い鼓動が伝わってくる。なんだか安心する。すると、彼女の手が恐る恐る伸びてきて、私の頭の上に置かれた。思わず見上げると、彼女は目を逸らしながら私の頭をぎこちなくぽんぽんと撫でる。
「……ふふ。なんか、安心する。幸せって、感じ」
「……そう」
「三船さ——歌羽ちゃんは? 幸せ?」
「……ええ。幸せ。……幸せよ。……大好き」
「私も大好き」
幸せを噛み締めるように、彼女は私をキツく抱きしめる。離したかと思えば、私の顎を持ち上げて目線を合わせた。そして、何も言わずにゆっくりと顔を近づける。何をしたいかを察し、自ら顔を近づけて唇を重ねる。すると彼女は何故か固まってしまった。
「あ、あれ! 違った!?」
「ち、違わない……けど……」
「けど?」
「私の方からしたかったのに」と、彼女はどこか拗ねるように呟く。その姿がなんだか可愛くて、胸がきゅっとなる。
「じゃあどうぞ。してください」
「……」
「あれ? しないの?」
「……海野さんは……」
「ん?」
「……その……キス……より先のことも……したいって、思ってる?」
キスより先のこと。それが意味することを想像して、身体が熱くなる。その行為がどういうものなのか、大体の想像はできる。
「……三船さんとならしてみたい……です」
そうはっきり口にするのは恥ずかしかったけれど、彼女にとっては大事なことなのだろうと思い正直に答える。すると彼女は顔を真っ赤にして、両手で顔を覆った。
「聞いたのそっちじゃん!」
「そ、そうだけど……そんな、正直に答えると思わなくて……」
「恥ずかしいけど正直に答えるよ。だって、それが出来るか出来ないかは大事なことなんでしょ。君にとっては」
「……」
「恋という感情がどういうものなのか、正直よく分からないけど、綺麗なだけじゃないってことだけはよく分かってるよ。三船さんの恋も綺麗なだけじゃないって分かってる。それでも私は応えたいって思ったんだよ。だから、この気持ちが君が私に抱いた感情と一緒だったら良いなって思ったんだよ」
「……玲楽さん……」
「あ、で、でも、今はまだ……その……キスだけで精一杯……です」
「……ええ。大丈夫よ。私も同じ」
そう言うと彼女は私の頬に触れた。顔を上げて目線を合わせ、目を閉じる。頬に触れていた手が滑るように私の顔を撫でる。
「……玲楽さん。好きよ。大好き」
彼女がそう呟くように口にした後、唇に柔らかいものが触れた。ちゅ……と生々しい音を立てて離れたところで目を開ける。真っ赤に染まる彼女の横顔が視界に入った。その顔がたまらなく可愛くて、愛おしくて、思わず彼女を抱きしめたくなる。
「ふふ。きゅんきゅんするって、こういうことなんだねぇ」
「……」
「歌羽ちゃんもきゅんきゅんしてる?」
「……ええ。してる」
「そっかぁ。へへ……あ! そうだ。歌羽ちゃんに渡したいものがあったんだった」
「渡したいもの?」
一旦彼女を離し、カバンの中にしまっておいた二つのストラップを取り出し、彼女に見せる。
「それ、あの時のイヤリングと同じ……?」
「あの時のイヤリングだよ。ストラップに生まれ変わらせたの。はい」
「これを……私に……?」
「……本当はね、突き返そうと思ったんだ。けど……持ってたら嫌なこと思い出しちゃうかなって。私もこれ見るたびにあの日のこと思い出して辛かった。でも、辛いだけじゃなかった。一緒に花火見て、可愛いって褒めてもらえて、プレゼントもらって……楽しかった。辛いことは思い出してほしくないけど、全部は忘れてほしくない。だから、半分だけ返品します」
彼女の手にストラップを握らせる。彼女はそれを握りしめるとぽろぽろと涙を溢す。
「これで信じてもらえた?」
問うと彼女はこくりと頷いた。彼女の泣き顔を抱き寄せてやると、彼女は小さく呟いた。「愛してくれてありがとう」と。
「こちらこそ、信じてくれてありがとう」
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