第29話:一つだけ分かったこと
あれ以来、彼女のことを考えない日はなかった。だけど、一切連絡を取らないまま夏休みが明けてしまった。もう関わらないと言ってしまった手前、どう話しかければ良いか分からなかった。お昼休みも、彼女は会いに来なかった。こちらから会いにいくことも出来なかった。体育の時間に一緒になることはあったが、目を合わせることすら出来なかった。
そうして、彼女と気まずいまま一ヵ月が過ぎた頃、帰り際に本田さんが教室にやってきた。
「海野さん、今日暇かな。……話がしたいんだ。うたちゃんのことで」
「三船さんのこと……」
「うん。良い?」
「……うん」
学校の近所のカフェに入る。本田さんとは仲が悪いわけではない。しかし、こうして二人きりで話すのは初めてだ。なんだか気まずい空気だ。
「海野さん、何頼む?」
「あー……っと……じゃあ、レモンスカッシュと……レモンジェラートを」
「レモン好きなんだ」
「うん」
「私はコーヒーとカツサンド」
「ガッツリ食うな……」
「いや、でも照り焼きチキンサンドも捨てがたい……」
「……両方頼んで半分こする? といっても私、一切れずつくらいしか食べられないかもしれないけど……」
「大丈夫。残りは私が食う。多めに払うね」
「お、おぉ……ここのメニュー、量多いけど大丈夫……?」
「ふっ……任せな」
ドヤ顔をして胸を叩く本田さん。やってきたサンドウィッチは私からすれば、一つでもギリギリ入るかどうかというサイズだったが、本田さんはそれを見て「意外と小さいな」と呟き、四等分にされていたサンドウィッチを一切れずつ皿に乗せながら「やっぱ少なくない? もっと食べる?」と申し訳ないなさそうに聞いてきた。
「いや、別に遠慮してるわけじゃないから大丈夫だよ。むしろ、よくそんなに食べれるね……」
「海野さんとは胃の体積が違うんだろうね」
はっはっはと豪快に笑いながらサンドウィッチをを手に取る。大きな口に運ばれたサンドウィッチは一口で吸い込まれた。もごもごする口元を抑えて「うんま!」とキラキラと目を輝かせる。思わず笑ってしまう。
「いや、美味しそうに食べるなって思って」
「んふふ。よく言われる」
「だろうね。……私も、いただきます」
カツサンドから口に運ぶ。タレが染み込んだカツはしっとりとしているが、ジューシーで美味しい。美味しいのに、なんだろう。この物足りなさは。
「……夏祭りの日のこと、引きずってる?」
本田さんが真面目なトーンで私に問う。頷くと、彼女は「引きずらないわけないよな」と苦笑いした。そして一度サンドウィッチを置いて語る。
「夏祭りの日、何があったかはうたちゃんから聞いたよ。あれからうたちゃんを避けてる海野さんのことを責める気はない。むしろ、うたちゃんが悪いと思ってる。避けられるのは当たり前だと思う。けど……どうしてうたちゃんがあんなことを言ったのか、ちゃんと知ってほしい」
「元カノとのことなら、本人から聞いたよ。私のことを信じられないのも無理はないと思う」
「そっか。……でも、私は信じてるよ。海野さんのこと」
「え……」
改めて本田さんの顔を見る。彼女は真剣な顔で言った。「君ならきっと、うたちゃんの呪いを解けると思う」と。
「呪い……」
「……中学生の頃は、今みたいに同性同士の恋愛なんて当たり前って空気じゃなかった。だから二人は付き合ってることを隠してたし、私も、二人の味方だよなんて口では綺麗事を言えても、周りに対して差別すんなとは言えなかった。お前もそうなのかって、疑われるのが怖くて。……だから、今度はちゃんと、力になりたいの。今度こそはちゃんと守りたいの。うたちゃんは私の、大切な親友だから。もう、傷ついてほしくないんだ」
「……本田さんは、三船さんのこと好きなの?」
「好きだよ。大切だと思ってる」
「……それは、恋じゃないの?」
「違うよ。うたちゃんは大切な親友。同性愛者だと思われたくないから否定してるわけじゃなくて、本当に違うから」
「……そっか。ごめん。私にはわからないんだ。恋と、恋じゃない好きと、ただの独占欲の違いが。ななちゃんはそれは恋だって言ったけど、三船さんはただの独占欲だって言ったの。本田さんからはどう見える? 私は三船さんに恋してると思う?」
「それはなんとも言えない。でも……うたちゃんのこと大切だと思ってくれてるのは伝わるし、少なくとも、ただの独占欲だけには見えないよ。私には」
「……でも、三船さんは恋じゃなきゃ駄目なんでしょう」
「そうだね」
「……本当に、私に彼女を救えると思ってる?」
「思ってる」
「なんで?」
「海野さんはうたちゃんのこと大切だと思ってくれてるから」
「それは本田さんも同じでしょう?」
「うん。でも、うたちゃんは私に恋してない。恋に対するトラウマを乗り越えるためには、私じゃ駄目なんだ。海野さんじゃなきゃ」
「……でも私は……まだ、自分の感情に結論を出せない」
「ゆっくりでいいと思う。どうせうたちゃんはそう簡単に次の恋に進めないだろうし。ゆっくり考えて……答えがどっちであっても、もう一度うたちゃんと話してあげて。それが恋であってもなくても、うたちゃんのことを大切に思う気持ちは本物でしょう?」
ななちゃんも同じことを言っていた。
「……うん」
「うん。それだけはちゃんと、彼女に伝えてあげてほしい」
「……うん。分かった。……でももう少し、考えたい。……本田さんは恋したことある?」
「えっ。あるけど……参考になるかなぁ……」
「聞かせて」
「……私、太ってるからさ、昔からよく馬鹿にされたんだ。豚とか牛とか言われて。けど……一人の男の子が、言ったんだ。『可愛いじゃん。豚』って」
照れながら彼女は語る。豚ということは否定されていないが、それは喜んで良いことなのだろうか。確かに豚は可愛い。しかしそれでも悪口に変わりはないと思うが。
「そりゃ、最初はムカついたよ。けど、話すうちに、彼なりに私のことを可愛いって伝えてくれたんだって分かってね。彼のおかげで、太ってる自分を肯定出来るようになったんだ。まぁ、流石に健康を害するほど太りたくはないから、多少は運動するようにしてるけど」
「運動って、ランニングとか?」
「ウォーキング。土日に一時間くらい。ウォーキングっていうか、ほぼお散歩デートみたいな感じだけど」
「もしかして、その彼と一緒に?」
「うん。一緒に。おかげさまで、健康的なぽっちゃりになりました」
こう見えて昔よりは痩せたんだよと彼女は笑う。標準よりは少しぽっちゃりしている彼女だが、他人の体型を馬鹿にする人達よりよほど魅力的だと思う。
「その彼とは付き合ってるの?」
「うん。中二の頃から。写真見る?」
見せてもらった写真に写る彼は細身で背が高い。本田さんとは対照的な体型だ。細すぎるくらいだったが、写真の日付けが今に近づくにつれ、徐々に肉つきが良くなっていっている。今の方が健康そうだ。
「昔の彼、食が細くてね。心配されるからって無理して食べてたせいで食事が好きじゃなくて。でも、私のおかげで食事が楽しくなったんだって」
「本田さんのおかげ?」
「私は特に何がしたつもりはないんだけど……私が美味しそうに食べる姿を見て、食事って楽しいものなんだって思えるようになったんだって」
「なるほど……ちょっと分かる気がする」
「ははは。照れるなぁ……」
「嫉妬とかはするの?」
「嫉妬は……私の場合はあんまりしないかなぁ」
「えっ、しないの?」
「最初はしたよ。彼、私と付き合うようになってから食べることが好きになって、自分で栄養バランス考えて作るようになってどんどん健康的になっていってさ。ヒョロガリ陰キャから料理上手なイケメンへと進化したおかげでめちゃくちゃモテちゃって。もう女なんて選び放題ってくらい」
「お、おう」
「でも……それでも彼は、私が良いって言ってくれて。私じゃなきゃ駄目なんだって。だから、嫉妬なんてする必要がないんだ」
「する必要がない……」
「うん。ああでも、する必要なくてもしちゃう時はしちゃうけど。全くしないわけではないけど、そんなに激しい嫉妬はしないかな。で、どう? 参考になった?」
「……ごめん。ますます分かんなくなった」
「そうか……」
「でも……一つ分かったことがある」
それは、三船さんは私にとって大切で、特別だということ。彼女は私が恋をしない人間であることを否定せずに受け入れた上で、自分の想いを伝えてくれた。恋人になれなくても一緒に居たいと言ってくれた。あれは私に気を使ったのもあるかもしれないが、本心だったと思う。だから私は三船さんが好きなんだ。でもやっぱり、それが恋だと、私にはまだ自信を持ってそえ言うことは出来なかった。
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