第26話:証明してよ
それから数日後、ななちゃんと浴衣を選びに行くことに。浴衣は自腹で買ったが、帰り際にそれに似合う白い花のかんざしをななちゃんがプレゼントしてくれた。絶対つけてきてねと言う彼女は、何かを企んでいるような笑みを浮かべていた。
当日、ななちゃんに選んでもらった水色の浴衣を着て、かんざしを帯に刺して、待ち合わせ場所へ向かった。ヘアセットは待ち合わせ場所の近くにある美容院でやってもらうことになっている。家で自分でやるつもりだったが、せっかくだしプロにやってもらいなよとななちゃんに半ば強引に予約させられた。
着替えている時、母に「好きな人でも出来た?」と言われた。「まだ分かんない」と答えたが、母には私が恋をしているように見えるらしい。相手が女の子だと知っても変わらずそう見えるのだろうかと恐る恐る確認してみた。両親は一瞬黙ったものの「れいちゃんが選んだ人なら性別なんてどうでもいい」と母が言ってくれた。父もそれに無言で頷いた。歌姫と書いてなんてレイラなんて、浮かれた変な名前をつけた両親だけど、私のことを愛してくれていることは間違いないと思う。弄られることに耐えられないから名前を変えたいと訴えた時も、複雑そうな顔をしつつも私の意思を尊重してくれた。キラキラネームで一番辛かったことは、両親が毒親だと決めつけられることだった。ちょっと変で、ちょっと過保護なだけで、普通の両親なのに。
電車はいつもの夕方より混んでいた。浴衣を着ている人が多い。待ち合わせ時間まではまだ二時間近くあるが、夏祭り自体はもう始まっている。みんな夏祭りに行く人達なのだろう。人の波に押しつぶされる。背が高い人は息苦しくなさそうで羨ましいなと、上を見上げる。見上げた先には三船さんの顔があった。待ち合わせまではまだ二時間近くあるのに。恋をすると幻覚まで見えるようになってしまうのかと思ったが、彼女は私に気付くと目を丸くして、見間違いじゃないよねと確かめるように二度見した。幻覚にしてはリアルすぎる反応だ。人混みをかき分けて彼女の元へ移動していると、電車の揺れでバランスを崩してしまう。伸びてきた三船さんの腕が私の身体を支え、引き寄せる。
「大丈夫?」
「う、うん……ありがとう」
「あ……ご、ごめんなさい。つい」
彼女は気まずそうに私の肩を抱いた手をすぐに離す。その気遣いがもやもやする。友達なのに。いや、友達だからなのだろう。
「海野さん……?」
離れる腕を掴むと、彼女は困惑するような声で私を呼ぶ。友達でいたいと言ったのは私なのに。恋愛感情を向けないでほしいと望んだのは私なのに。邪な気持ちを抑えるために私に触れることを避ける彼女の気遣いが嫌だなんて、わがままだ。だけど……。
「……手すり、近くにないから。吊り革は届かないし。だから……ごめん。三船さんを手すりがわりにしても、良い?」
ずるいことを言っている自覚はあった。だけど、彼女は躊躇いつつも私の身体を支えるように私の肩に腕を回してくれた。もっと近づきたくてずるい言い訳をしたのに、いざ近づくとドキドキしすぎて、浴衣の裾を握るのが精一杯だった。相手がななちゃんなら、躊躇いなく抱きつけるのに。三船さんもずっとこんな気持ちで私と接していたのだろうか。今も、ドキドキしているのだろうか。顔を見上げる。一瞬目が合うが、逸らされてしまった。顔が赤い。私も今、同じように赤くなっているのだろうか。
「……三船さん、早いね。待ち合わせまでまだ二時間近くあるよ?」
「……電車混むだろうから、早めに行って向こうで時間潰そうと思って」
「一人で? 本田さんは一緒じゃないの?」
「急なシフトが入ったみたいで、後から来るって」
「そっか。……浴衣、本田さんと一緒に選んだの?」
「ええ。海野さんの浴衣は七美さんが?」
「うん。ああ、あと、このかんざしもななちゃんがくれたんだ」
「……へぇ。かんざしを。七美さんが。髪に刺さないの?」
「うん。まだ。これから美容院行ってセットしてもらうんだ。ななちゃんが、どうせならプロに頼みなよって」
「……そう。七美さんがね」
なんだろう。何故かだんだん声が不機嫌になっていく気がする。恐る恐る顔を見上げると、彼女は「どうしたの?」といつものように微笑む。いつもの優しい笑顔。見慣れたはずのその笑顔が何故か眩しく見えて俯く。胸がきゅっとする。これも恋というやつのせいなのだろうか。
「……海野さん、もしかして、体調悪い?」
「えっ。う、ううん。大丈夫だよ」
「……そう? 無理しちゃ駄目よ」
「う、うん……」
お互いに顔を見合わせないまま、無言の時間が続く。気まずい。何か話題をと探しているうちに、駅に着いた。彼女の浴衣の裾から手を離し、人の波に流されるようにして電車を降りる。
「じゃあ三船さん、また後で」
「ええ。また後で」
一旦彼女と別れて美容院に入る。ヘアセットの間も、ずっと彼女のことを考えていた。終わると、担当してくれた美容師のお姉さんは「とびっきり可愛くしといたから。デート頑張ってね」親指を立てた。デートでは無いんだけどと苦笑しつつ、否定するのも面倒で適当にお礼を言って店を出ると、三船さんとななちゃんの声が聞こえてきた。近くのベンチに二人一緒に座っているのを見つけ、駆け寄る。
「ど、どうかな」
「可愛いー。ね。三船さん」
「……そうね。可愛い。似合ってる」
そう言うと三船さんは立ち上がり、私に近づいてきた。
「……これ、もらってくれないかしら」
渡されたのは水風船をモチーフにしたイヤリング。浴衣の色と同じ水色。
「うわぁ、可愛い。どうしたのこれ」
「その浴衣に合うと思って」
「ありがとう」
早速付けてみる。三船さんに感想を求めると、彼女は「似合ってる」と微笑む。やっぱり、彼女のその顔を見るとドキドキする。嬉しくて顔がニヤけてしまう。
「結局かんざしやめてイヤリングにしたんだ?」
「かんざし見てたのは自分用よ」
「えー。私があげたかんざしが気に入らないから入れ替えさせるかと思ったのにー」
揶揄うようにななちゃんは言う。先ほど不機嫌だったのはもしや妬いていたのだろうかと今になって気づいた。ななちゃんが私にかんざしをくれたのも三船さんを煽るためだったりするのだろうか。
「そんな性格悪いことしないわよ。あなたじゃないんだから」
三船さんが呆れるようにそう返すとななちゃんは「いや、私もしないし。失礼だな」とスンッと真顔になる。どっちがだよと心の中でツッコミを入れながら、二人と一緒に会場を歩く。三人で射的をしたり、ボールすくいをしたり、わたあめを食べたり——楽しいけれど、三船さんと二人が良かったなんて思ってしまう。友達のことを邪魔だと思ってしまったことに罪悪感を覚えていると、ななちゃんは「私ちょっとトイレ行ってくる」と言って去っていった。私の気持ちを察したのか、たまたまなのかはわからないが、三船さんと二人きりになってしまった。確かに二人きりになりたいと望んだが、いざ二人きりになると気まずい。やっぱり戻ってきてほしい。そう思いながら会話もなく歩いていると、ドーンと弾けるような音が鳴った。音から少し遅れて、夜空に花火が咲く。思わず二人揃って空を見上げて「綺麗」と声が重なって、顔を見合わせてどちらからともなく笑う。
「……海野さん、疲れたでしょう。そこ、座りましょうか」
「……うん」
空いていたベンチに座り、二人で夜空を見上げる。
「……七美さん、遅いわね。どこまで行ったのかしら」
三船さんがため息を吐くと、スマホが鳴った。「ポンちゃん回収したけど、合流した方が良い? 告るならこのままポンちゃんと一緒に消えるけど」と、ななちゃんからのメッセージ。隣に座る三船さんを見る。私の視線に気づいた彼女は「どうしたの?」と少し困ったように首を傾げた。話すなら今だということはわかるが、何から話せば分からなくて口篭ってしまう。
「何か言いたいことがあるの?」
「……うん。でも、何から話せば良いか分からなくて」
「上手く話せなくても良いから話してみて。何か悩んでるなら、力になりたい」
「……私、三船さんが友達のままでいたいって言ってくれて、ホッとしたの。これで今まで以上に仲良くなれるかなって、思ってた。けど……あれ以来三船さん、私に触れないように気を使ってるよね」
「……ええ。そうね」
「私を傷つけないようにって思ってくれるのは伝わるし、嬉しい。でも……なんだか、前以上に距離ができた気がして、寂しくて」
「……ごめんなさい。私はまだ、あなたへの恋心を捨てきれないの」
「うん。……今も、ドキドキしてる?」
「……ええ。ああでも、イヤリングはその……ただ、あなたに似合うと思ったからで……下心があるからじゃないから……」
「うん。分かってる。分かってるよ。三船さんが私と友達でいるために、今も気持ちを抑えてること。分かってるし、私がそう望んだ。望んだはずだったのに……最近は嫌だなって、思っちゃうんだ。三船さんの恋が終わっちゃうのが」
「え……」
「……ごめん。叶わない恋に苦しんでるのを知っていながらこんなこと言うの酷いよね。でも……三船さんがくれた恋はね、今まで告白してきた人達が私に向けたそれとは違うなって、思うんだ。私、今まで恋愛感情と好意が結び付かなくて。ただの醜い独占欲じゃんってずっと思ってた。けど、三船さんの恋はそれだけじゃなかった。私のことが好きって気持ちが伝わってきて、嬉しかった」
「嬉し……かった……」
「うん。一度は断っちゃったけど、やっぱり、欲しくなっちゃったんだ。三船さんの恋が。三船さんの愛が。私以外の人に渡さないでって、思っちゃったの。なんでそう思うのかわかんなかった。けど、ななちゃんに言われて気づいたの。ああ、私は三船さんに恋を——「そんなわけない」
最後まで言い切る前に、強い口調で否定された。思わず言葉を失い、彼女の顔を見る。彼女は何故か今にも泣きそうな顔をしていた。
「三船……さん……?」
「……それは、恋じゃないわ」
「え……なんで……? なんで、そう思うの?」
「だってあなたは、恋なんてしない人なんでしょう? 自分でそう言ったじゃない」
確かにそう言った。そうでありたいと願った。分からないままでいい、分からないままがいいと。恋を知ったアロマンティックの人が仲間内から裏切り者だと攻撃されているのをみて、分からないからと拒絶していてはいけないと思った。知ろうと思った。知らなければいけないと思った。そう思えたから、三船さんからの恋心を受け止めることが出来たし、三船さんの恋を受け止めたことで恋が悍ましいだけのものではないと気付けた。確かに醜い一面もあるけれど、綺麗な一面もあるのだと。だから、私の中に芽生えた醜い感情が恋なのだと指摘された時、そうなのかもしれないと受け止めることが出来た。分かりたくないと拒絶していた頃の私ならきっと、そんなわけないと否定していただろう。もしそうなら、三船さんと同じ気持ちになれて嬉しいとさえ思えた。彼女もきっと、喜んでくれる。そう思っていたのに——。
「なんで……? 三船さんだって、私に同じ気持ちになってほしいって、望んだよね?」
「……ええ。でもあなたはなれないって言った。恋をしない人間だからって。だから……私はもう、諦めたの。そういう人だから、仕方ないんだって。なのに……どうして今更……今更気を使わないでよ……同情で恋人になりたいとか言わないでよ……」
「ち、違うよ。同情なんかじゃ——「だったら証明してよ! その気持ちが私と同じものだって! 後になってやっぱり違ったなんて絶対に言わないって!」
彼女の悲痛な叫びに、言葉を失う。彼女もハッとして、ごめんなさいと頭を下げた。いつも冷静な彼女が取り乱したところは初めてみた。何故。何故そこまで、私が変わったことを認められないのだろう。私だって自分が変わったことを認めるのは苦しかった。だけど、それで三船さんの想いに応えられるならと思えたのに。なのに、どうして。どうして拒絶されるのか。分からない。私はまた何か間違えてしまったのだろうか。
「……ごめんなさい。私……あなたの気持ちが恋だって、私と同じだって、信じることが出来ないの。ごめんなさい……せっかく、せっかく恋人になりたいって言ってくれたのに。私もなりたいのに。ごめんなさい。ごめんなさい」
彼女は泣きながら何度も謝る。そして話してくれた。前の彼女にフラれた理由を。それを聞いたら私は何も言えなくなってしまった。私のこの気持ちは恋だと、ななちゃんは言った。確かに、色々な人から聞いてきた恋と、私が今三船さんに抱いている感情の特徴はよく似ている。だから私もこれが恋なのかと納得した。だけど、後からやっぱり違ったと言うことは絶対にないと断言出来るほどの自信はない。では、この胸の痛みはなんなのか。それも分からない。分かることはただ一つ。彼女の涙の理由が私の告白によるものだということ、それだけだった。
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