第三章:もやもやの正体
第24話:もやもやの正体
夏祭りまであと約二週間。ななちゃんに誘われ、浴衣を買いにいくことに。当日一緒に行く三船さんと本田さんも一緒だ。
「楽しみだねぇ。れいちゃんの浴衣」
ニヤニヤしながら三船さんの腕を組むななちゃん。三船さんは「うるさい。暑い」と鬱陶しそうに腕を振り払う。
「なによー。私とハニーの仲じゃない」
「誰がハニーよ」
「じゃあダーリン?」
「違う」
「えー」
「……」
やっぱり、二人のやりとりを見ているともやもやする。ただのやきもちというわけではない気がする。ななちゃんは私のこのもやもやの正体に心当たりがある感じだったが、教えてくれなかった。
『私はれいちゃんとは考え方や感性が違うけど、何があっても君の味方だよ』
その言葉の意味も、私のもやもやの正体に関して自分の意見を言うのをやめた意味も、私にはまだわからない。ななちゃんは七希くんに比べるとよく喋る。七希くんの分までよく喋る。よく喋るし、言いたいことは容赦なく言う。だけどたまに何を考えているか分からない。その辺は七希くんと正反対に見えて、よく似ている。だけど、何があっても味方という言葉は信じてもいいと思う。それをあのタイミングで言った意図はよく分からないけど。
「にしても七美さん、気になってる人が居るんじゃなかったの? その人は誘わないの?」
「ん? あー……あの人は良いの。思ってたのと違ったから」
「七美さんってもしかして、めちゃくちゃ理想が高いんじゃない?」
「別に高くないよ。恋人に望む条件なんて、私を大事にしてくれること、私だけじゃなくて他人も大事にすること、その二つくらいだよ。そんな簡単なことも出来ない人が多すぎるってだけ。私を大事にしてくれても、他人を大事に出来ない人とか、付き合う前までは優しかったけど付き合えた途端自分の所有物扱いしてくるとか……私に寄ってくる男なんてそんなんばっか。女の子はそうでもないけど、同性同士は無理って人がほとんどだし。いけるけど、私がバイだからって信じてくれない人もいるし。まぁ、バイ以前に恋人と長続きしてないからってのもあるかもしれないけど。でもさ、長続きしてる方が偉いって考える人多いけどさぁ、本当にそうなのかな」
「と、申しますと?」
「昔から親に言われてんの。『君の人生は君のためのもの。誰のために使うかは君が決めなさい』って。だから、付き合った途端物扱いしてくる人間と長々付き合ってるなんて人生の無駄」
「……か、かっけぇ……」
私を大事にしてくれること、私だけではなく他人も大事にすること。ななちゃんがあげた二つの条件は多分、三船さんも満たしている。本当に冗談なのだろうか。
「……三船さんは、なんで、ななちゃんじゃ駄目なの?」
「え?」
「あ、えっと……三船さんならななちゃんが求める条件に、合ってるなって思って。三船さんはきっと、恋人のことも、恋人じゃない人のことも大切にする人だし。でも、三船さんはななちゃんじゃ駄目なんだよね。なんで駄目なの?」
ななちゃんは言い方がきついところがあるから誤解されがちだけれど、本当は優しい人だ。芯がしっかりしていて、人に流されない。いつも笑顔でネガティブなことを言っているところを見たことがない。可愛くてかっこよくて、人として、魅力があると思う。彼女と付き合いたいという人は多い。三船さんは、どうして彼女じゃ駄目なのだろう。
「そんなの、恋じゃないから意外に説明しようがなくない?」
三船さんの代わりに本田さんが答える。それは分かっている。私が知りたいのは、恋にはならない理由だ。恋は理屈じゃない。友人達から散々言われてきた言葉だ。だから、聞いても無駄だということもわかる。分かるけれど、何故だか、聞かずにはいられなかった。恋じゃないことを、恋にならないことを、証明して欲しい。
「……ごめん。そうだよね。聞かれても困る質問だよね」
謝ると三船さんは悩むように唸る。そして一言。
「私、猫はちょっと苦手なの」
「え?」
「七美さんって、猫っぽいでしょ。自由奔放で、自分勝手で、我が強くて、わがままで、気まぐれで、自分の可愛さ自覚してて、人の扱いがうまくて、何考えてるかわかんなくて……あと、嫉妬深そう。恋人として付き合っていくにはきっと凄く疲れるタイプだと思うの。友達の距離がちょうど良い」
それを聞いたななちゃんは何故か嬉しそうに「三船さんのそういうところ好き」と笑う。やはり彼女の感性はよく分からない。
しかし、そういえば三船さんは言っていた。犬っぽい人が好きだと。確かにななちゃんは犬よりは猫っぽい。
「私は逆に犬っぽい子の方が疲れるなぁ。犬は好きだけど飼いたいとまでは思わないみたいな感じ?」
「えっと……毎日一緒にいるのは無理だけど、たまに会いたくなるってこと?」
「そう。別に恋人だから毎日会わなきゃいけないわけでもないんだけど、普通の友達よりは会う頻度も一緒にいる時間も長くなるからね」
「ななちゃんは三船さんに毎日会いたいの?」
「いや。別に。ただ……三船さんの恋人になる人は幸せだろうなとは思う。私は多分、三船さんみたいなタイプと付き合っても幸せにはなれないだろうけど」
「なんで?」
「言ったでしょ。犬っぽい人と毎日一緒は疲れるって。私はね、今の塩対応の三船さんだから好きなんだよ。その塩加減のままの三船さんとなら、付き合いたい。けどきっと、好きになったらデレッデレに甘やかすタイプだからさぁ……あ、いっそセフレになるのが一番良いのでは」
「な、なるわけないでしょ!?」
動揺する三船さん。セフレという単語の意味はわからないが、三船さんと本田さんの反応から察するにあまり良い意味ではないのかもしれない。
「だよねー。あははー。三船さん堅物だもんね」
「あなたが軽薄すぎるのよ……!」
「……七美さん、もしかしてそういう関係の人が何人かいたりするの?」
「ちょ、ちょっとたぬ子、何聞いてるの! もー!」
三船さんが慌てて私の耳を塞ぐ。見上げた彼女の顔は真っ赤になっていた。こんなに動揺してる三船さんは初めて見た気がする。目が合うと彼女は少ししゃがんで私の耳元まで顔を寄せて言う。「あの二人、下ネタで盛り上がってるから、置いて先に行きましょうか」と。何故だろう。胸がドキドキする。もやもやしたり、ドキドキしたり、こんなこと、今までなかったのに。
「海野さん? 聞こえてる?」
三船さんが私の顔を覗き込む。頷くと、彼女は私の耳を塞いだまま、私を連れてゆっくりと二人から遠ざかる。彼女が耳から手を離したところで「ちょっとー! 置いていかないでよねー!」とななちゃんの声が近づいてきた。すると三船さんは私を守るように抱き寄せ「近づかないで。海野さんが汚れる」と冷たい声で言い放つ。
「「下心から近づいた人がそれ言う?」」
本田さんとななちゃんの呆れるような声が重なる。三船さんはすぐに私を離し、目を逸らしながらごめんなさいと小さく謝った。
「う、ううん……平気だよ」
私はずっと、恋愛感情は怖いものだと思っていた。友情を破壊する恐ろしいものだと。
触れたいとか、独り占めしたいとか、そういう感情を私に抱いているのだと告白され、受け入れてくれと迫られ、受け入れられないと断ったらもう友達じゃいられないと言われた。訳がわからなかったけれど、みんな、それが当たり前だと言った。わからない私がおかしいのだと。分からない私は、残酷な人なのだと。モテ自慢だと僻むように言った人もいた。人から恋愛感情を向けられることは、一種のステータスだとみんな言う。私にはそれが理解出来なかった。あんな恐ろしい感情を向けられることが何故嬉しいのか、わからなかった。分かりたくなかった。分からない人間なのだから、分かる必要はないと思った。けれど、そのままではいけないと思った。分からなくても、知る努力はしなければいけないと。そうしないと私はいつか、恋をする人達に憎しみや嫌悪を抱きながら生きることになってしまうから。ななちゃんや三船さんのことも否定するようになってしまうから。
相変わらず、恋という感情はよくわからない。分からないけれど、三船さんがくれたそれは優しかった。友人だった彼が私に向けたものと同じものだと思えないほどに。
三船さんは多分、今も私に対する恋心を捨てられていない。そんな気がする。だけど、抱き寄せられても嫌じゃなかった。むしろ、触れてくれないのが寂しいと思ってしまう。告白してから三船さんは、軽いボディタッチすら避けるようになった気がする。ななちゃんにはするのに。私に気を使ってくれているのだろう。私を怖がらせないように。その気遣いが何故か寂しいと感じてしまう。そうさせたのは私なのに。
「どうしたー? れいちゃん。ハグしてやろうか?」
戯けながら両腕を広げるななちゃん。三船さんがため息を吐きながらその両腕を強引に降ろさせるより先に、彼女の腕の中に身体を捩じ込む。
「お、おぉう……冗談のつもりだったんだけど」
そう言いつつも、彼女は私の頭の後ろに腕を回してとんとんと優しく撫でる。
「マジでどうした? 体調悪い?」
「……わかんない。胸が苦しいの」
「……解散しよっか。私が家まで送っていくよ」
「……分かった。お願いね」
「あれー? 三船さん、ついて来なくていいの? 私とれいちゃん二人きりになっちゃうよ?」
「……海野さんを傷つけるようなことはしないでしょう。あなたは。……早く行きなさい。海野さん、お大事に。気にしなくていいから、ゆっくり休んで」
「……うん。ありがとう」
ななちゃんに連れられ、二人と別れる。結局、浴衣は見れなかった。三船さんと本田さんには忙しい中来てもらったのに。今日くらいしか空いてないと言っていたのに。四人のグループチャットにごめんとメッセージを送る。すぐに二人から「気にしないで」と返ってきた。
「……これは私の考えなんだけどさ」
電車に揺られながら、ななちゃんは私の方を見ずに、少し躊躇うように息を吐いてから言った。「この間言ってたれいちゃんのモヤモヤの正体、恋だと思うんだよね」と。
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