第23話:この気持ちは捨てなければいけない

 今日から夏休み。と、言ってもほぼ毎日部活で学校に行くからあまり実感が無い。八月下旬に大会があり、二学期には文化祭があるため、夏休みは忙しいが、夏祭りの日は休みになっている。顧問の配慮らしい。行く予定は無かったが、その日の夜、何故七美さんから誘われてしまった。海野さんも一緒と聞いて断ろうと思ったが『れいちゃんも浴衣着てくるよ』と言われ、気づいたら行くと返事をしていた。

 私は海野さんにフラれた。恋を終わらせるために。それなのに、彼女に対する恋心を一向に捨てられない。だから、夏休みの間くらいは少し距離を取ろうと思っていたのに。彼女の浴衣姿を見たいという欲に勝てなかった自分に頭を抱えていると、海野さんから『三船さんも浴衣着てきてね』とメッセージが届く。どうやら今、七美さんと一緒に居るらしい。思わず時刻を確認する。午後八時。こんな時間まで二人で? いやいや、練習が長引いているだけだろうと言い聞かせる私を煽るように『お泊まりなの』と、七美さんからハートマーク付きのメッセージが届き、思わずスマホを落とした。心を落ち着けるために深呼吸をしてスマホを拾い上げると『手は出さないから安心して』と七美さんからのメッセージが追加で届く。そこは信用している。彼女はそこまでゲスじゃない人だと理解している。しかし、動揺はする。一度は私を海野さんから遠ざけようとしたくせに、何故こんな煽るような真似をするのか。問うと七美さんは「楽しいから」と答え、海野さんと写る自撮り写真を送ってきた。背景にはベッド。七美さんに肩を抱かれた海野さんは右手をピースにしつつ、気まずそうに苦笑いしてカメラから目線を逸らしている。『改めて見たらNTR写真すぎて草』と七美さん。NTRというのは、寝取られの略らしい。また無駄な知識が増えたとため息を吐く。

 その後三人でのグループチャットを作り、しばらく三人で他愛もないやり取りをしていると『れいちゃん寝ちゃったから置いてくるわ』と七美さん。数分して、ベッドに寝かされた海野さんの写真が送られてきた。寝顔は猫のスタンプで隠されている。『心配しなくても私は床で寝るからね』と、床に敷かれた布団の写真。『私も寝るわね』と送ると、グループではなく個人の方から『寝る前に女子トークしようよ』ときた。既読だけつけて無視していると『最近気になる人がいて』と、一方的に語り出した。本当に勝手だなこの人と呆れてため息を吐く。無視して寝ようとスマホを置いてベッドに転がるが、通知音がうるさくて寝付けない。


「ああもう!」


 通知を切ってやろうと思いスマホを手に取ると『三船さんならどうする?』というメッセージが見えた。仕方なく、彼女から送られてきたメッセージに一通り目を通す。恋をしない友人から『友達が他の人と仲良くしているとモヤモヤする』という相談を受けたが、それは恋というものではないかと指摘しても良いのかという相談だった。


『あの子はずっと恋が分からないことで悩んでたの。けど最近、アロマンティックという言葉に出会えて、自分はそういう人間なんだって吹っ切れたんだって。同じセクシャリティを持つ友人が出来て、居場所が出来た。だから、今抱いてる感情が恋だと気づいたらまた悩んじゃうんじゃないかなって思って』


 どうやら本気で悩んでいるらしい。その友人というのは、まさか海野さんだったりするのだろうか。いやいや、それはない。ない。違う人であってほしい。


『これは、私の話になるんだけど』


 七美さんは語る。自分がバイセクシャルだと気づいてから、SNSでバイセクシャルを始めとしたLGBTQの人達の投稿を見るのが趣味になったと。色々なセクシャリティを持つ人と交流することで、世の中には色々な人が居るということが分かって、普通にこだわる必要なんてないんだと思えた。しかしある日のこと、何気ない彼氏との惚気に『LGBTQなのに異性の恋人が居るのはおかしくないですか』というコメントがついた。『バイセクシャルだから何もおかしくないですよ』と反論すると『女でも抱けるってだけで恋愛的な意味では好きじゃないんでしょ』『本気で女を愛したことないだろ』『これだから自称バイは』と否定的なコメントが次々と寄せられた。そこで彼女は、LGBTQやクィアは異性を好きになる人間の居場所ではないのだと感じたという。そういえば彼女は私に付き合うかと提案した時『バイは信用出来ない?』と言っていたことを思い出す。何故そんな発想になるのかあの時はわからなかったが、そんな過去があったのかと納得する。

 私は元カノに、同性だからとフラれた。けど、バイセクシャルが嘘吐きだと思ったことは一度もない。そもそも、私が同性だから好きになれなかったと言った彼女はバイセクシャルですらないし、恋愛だと思ったけど、付き合ったら違ったなんてそんなのはきっと、異性愛でもよくあることだ。確かにあの時は悲しかったし恨んだりもしたけれど今はそう思う。そう思いたい。自分の意見を七美さんに伝える。すると彼女は少し間を置いて『三船さん、さては私に気があるな?』と送ってきた。またいつもの冗談かと呆れながら『ない』と返す。『分かってるよ』と七美さん。画面の向こうでケラケラ笑う顔が容易に想像出来る。


『仲間だと思ってた人から裏切り者扱いされるのって、しんどいからさ。あの子にはあんな思いしてほしくなかった。だから、私には言えなかった。私が言わなくてもきっと、何も知らない誰かが指摘して、本人もいつかは気付くんだろうけど』


『そうね。セクシャリティって、変わることもあるから。アロマンティックだった人が恋をすることもあり得ないことではないと思う』


『うん。そうだよね。でも、みんな差別されて生きてきてるから。マジョリティに対して憎しみや妬みを抱えてる人も多い。変わることを裏切りだって感じる人は少なくないよ。三船さんみたいに割り切れる人ばかりじゃない』


『七美さんは割り切れる人よね?』


『割り切れるっていうか、どうでも良いって思う。あの子が変わったところで私の人生に何か悪影響があるわけじゃないし。責めるのはただの八つ当たりだよ』


『なら、教えてあげても良いんじゃないかしら。本人は悩んでるんでしょう?』


『でも、仮に三船さんが気になる男の子が出来たとして、それは恋じゃないかって誰かに指摘されたら、受け入れられる?』


 そう言われて、文字を打つ手が止まる。『同性愛は思春期特有のもの。大人になれば、自然と消えるから。大丈夫。あなたもいつかは、ちゃんと異性を愛せる』担任に言われた呪いの言葉が蘇る。七美さんが言いたいことが分かった。

 仮に男性を好きになったとして——まずその前提を想像するのが怖い。自分はレズビアンだと信じて生きてきた今までの自分が否定される気がして。


『でしょ。私がその子の立場だとしても、それが恋だなんて言われてもすぐには受け入れられないもん。きっと、今まで散々言われてきてるだろうし。恋をしない人間なんて居ないとか、いつかは分かる日が来るとか。そんな無責任な言葉に傷ついて悩んで、今やっと恋をしない自分を肯定してくれる仲間に出会えたんだから。だから、恋じゃないかなんて、軽率に言えないよ』


『七美さん、優しいのね』


『なに? 惚れ直した?』


『元々惚れてない』


『はいはい。三船さんはれいちゃんに夢中ですもんねー。さて、話も終わったし寝るね』


『解決してないけど良いの?』


『悩んでるから話したわけじゃないよ。私は私の選択は正しかったと思ってる。三船さんの意見を聞きたかったわけじゃない。ただ、三船さんに話してあげたかっただけ。じゃ、おやすみ。頑張ってね』


 そのメッセージを最後に、通知が止まる。なんだそれ。悩んでいると思ったから聞いてあげたのに。本当に勝手な人だと呆れる。しかし、何故私にそんな話をしたのだろうか。この時の私は、海野さんへの想いを捨てなければならないという気持ちでいっぱいで、七美さんがこの話をした理由に辿り着くことは出来なかった。

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