第15話:人の振り見て

 アロマンティックという言葉を知ってから、より多くの当事者と繋がりたくてSNSを始めた。その中には私と同年代の人もいれば、大人もいる。恋に共感出来ないという共通点で繋がった人達だったけれど、ある日その中の一人が呟いた。『初めての感情に戸惑っている。もしかしたらこれが恋というものなのかもしれない』と。文面から、彼が初めての感情に戸惑っているのが伝わってきた。その時ふと、友人が言っていたことを思い出す。恋はするものではなく、ある日突然落ちるものだと。フォロワーの彼も友人に似たようなことを言われたようで、その意味が分かったかもしれないと語る。自分はアロマンティックではなかったのかもしれないと悩む彼の投稿に、一件のコメントがついた。『今すぐアロマンティックを名乗るのやめてください』と。その人はこう続ける。『ただでさえ、いつか分かるよって言われがちなのに、あなたみたいな人がアロマンティックを名乗ると余計にそうだと思われる』と。確かにそうかもしれないが、悩んでいる人に対して少し言い方がキツくないだろうか。私と同じことを思った人もいたようで、宥めるようなコメントもつくが、批判に賛同する意見も増えていく。その中には『これはクィアベイティングだ』という意見もあった。初めて聞く言葉だった。調べてみると、セクシャルマイノリティの総称である"クィア"と、釣りなどに使うエサを意味する"ベイト"を組み合わせた言葉らしい。要するに、彼は注目を集めたいがためにアロマンティックを装ったのではないかと言いたいのだろう。ショックを受ける気持ちは分かる。だけど、やはりそれは言い過ぎだと思う。彼を擁護する人と彼を批判する人との間で対立し、やがて、ことの発端となった彼は耐えきれなくなったのかアカウントを消してしまった。そのことがさらに対立を煽る。見ているのが辛くなり、一旦SNSアプリを終了させ、ベッドに転がる。


「……クィアベイティング……か」


 私は七希くんや新くんと出会って、アロマンティックという言葉を知って、SNSで多くの仲間と繋がって、恋を理解できなくてもいいんだとホッとした。恋を理解出来ないままでもいいのだと思えた。理解できなくても人間でいて良いのだと。むしろ、理解できないままでいたいと思っていた。けれど、恋を知った彼に対して一斉に手のひらを返す仲間達を見て、ふと咲先輩がレズビアンだと知った時のことを思い出した。あの時はショックだった。この人も私と違うんだと、裏切られた気分だった。フォロワーの彼を批判したみんなはきっと、あの時の私と同じ気持ちだったのだろう。

 あの時私が咲先輩に抱いた気持ちは今はもうすっかりなくなった。だけど、一歩間違えば彼がアカウントを消すまで追い込んだ人達のようになってしまっていたかもしれない。いや、この先、なってしまうかもしれない。この間三船さんに八つ当たりしてしまったことを思い出す。大好きな三船さんやななちゃんや、咲先輩のことを嫌いになってしまいそうで怖い。みんなのことを好きなままでいたい。そのためにはどうしたら良いだろうか。考えて、そういえば彼はもう一つアカウントを持っていたことを思い出す。そちらはまだ生きているようだ。『大丈夫ですか?』と、ダイレクトメールを送ってみる。しばらく返事はなかったが、数日後に返事がきた。


『心配してくれてありがとうございます。かなりショックでしたが、みんなの気持ちも痛いほど分かります』


『でもやっぱり、流石にあれは言い過ぎだと思います。普段の投稿を見ていれば、あなたが冷やかし目的で私達と繋がろうとしたわけじゃないのは分かります』


『ありがとうございます』


 分かんないものは分かんない。そういうものだって割り切るしかない。新くんはそう言っていた。確かに、彼の話を聞いたところで理解出来るとは思えない。だけど……


『答えたくないなら答えなくて良いんですけど、聞いても良いですか。どうしてそれが恋だと思ったんですか? その人に対する好きは、友達に対する好きと何が違うんですか?』


 彼にメッセージを送る。聞かなきゃいけないと思った。理解は出来なくても、知らなきゃいけないと思った。新くんは、分からないものはわからないと言っていたけれど、それはきっと、理解することを諦めて批判していいという意味ではない。裏切られた。何故私はそう感じたのかを、今一度考える必要がある。三船さんやななちゃん達を始めとした、恋をする友人達に妬みをぶつけてしまわないためにも。恋をしないはずの彼が何故恋をしてしまったのか、私はそれを知る必要がある。

 その日は彼からの返事はなかったが、また数日空けて返事が届いた。


『返事が遅くなってごめんなさい。考えこんでしまいました』


『いいえ。こちらこそすみません。でも、どうしても気になって』


『僕も、誰かに話したかった。できれば、アロマンティックがきっかけで繋がった人に。だから、否定せずに聞きたいと言ってくれて嬉しいです』


 彼は語り始める。


『彼女は以前、私に告白してきた人で、自分も好きだけど恋愛的な意味で好きにはなれないと一度は断ったんです。その後も交友関係は続いていたんですけど』


 そこで私はつい彼の話を遮ってしまった。

『ちょっと待ってください。告白を断ったあとも友達のままでいられたんですか?』と。

 友達から恋愛感情を向けられてしまったら、断って友達をやめるか受け入れて恋人になるか、その二択しかないと思っていた。今までみんなそうだったから。恋をしたら友情は終わる。それは仕方ないことだと思っていた。友達のままでいたいと言ったら、それは残酷だと言われたから。


『彼女の方が言ってくれたんです。友達のままでいたいって』


『そうなんですか』


『続きを話しても?』


『はい。お願いします』


『ある日彼女から恋人が出来たと報告を受けまして。その時僕は、嫉妬することもなく普通に祝福出来ましたし、彼氏が心配するから二人きりで会わないようにしたいという提案も、距離が遠くなって交流が減っても彼女が幸せなら良いかと思って受け入れられたんです。でも……彼女は彼と付き合い始めてから様子がおかしくなって、流石に放っておけなくて声をかけたら彼から酷い仕打ちを受けていると告白してくれて。守らなきゃって、思ったんです。友人として』


『その時はまだ友人としてなんですね』


『そう……ですね。人によってはこの時点で恋だったと解釈するかもしれないですけど、僕としてはこの時はまだ友愛だったと思ってます。確かに、特別ではあるかもしれないですけどね』


『なるほど……』


『はい。その後、彼女は彼と別れることになったんですけど、また変な男に引っかからないか心配で。それを伝えると、彼女は泣きながら言ったんです。そこまで大切に思ってくれるなら、君が私の恋人になってよって。で、断ろうとしたらキス、されそうになって。けど、彼女は寸前で止めて、泣きながら謝ったんです。ごめん。嫌だよねって。けど僕は嫌だと思わなくて。君なら良いよって、言っちゃって』


 そこまで語って彼は『生々しい話してすみません』と汗の絵文字付きのメッセージを最後にメッセージが途切れさせた。続きを促すと、彼は少し間をおいて『その時初めて、誰かとキスをしたいって思ったんです』と締めくくる。


「……キスしたい……か」


 私は誰かにそういう感情を抱いたことはない。彼も二十五年生きてきて初めての経験だと語る。


『最後に一つ聞かせてください。恋をして良かったと思いますか?』


 彼に問う。すると彼はしばらく間を置いてこう答えた。『あなたが話を聞いてくれたおかげでたった今、そう思えました。ありがとう』と。そして『どうして聞こうと思ったんですか』と聞き返してきた。理由を話すと彼は一言。『あなたは優しい人ですね』と。画面の向こうの彼の表情は見えないけれど、以前三船さんにも同じことを言われた。今彼は、あの時の彼女と同じ顔をしているのだろう。

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