第5話:優しい人

 七希くん達は一年七組、私とななちゃんは一年五組。教室は一つ離れているが、体育の時間だけは間の六組と合わせて合同授業になる。今日の授業はサッカーで、テストがある。パスとシュートの制度、そしてドリブルの成功回数を評価する。テストは代表のじゃんけんで七組、五組、六組の順番でやることが決定していて、ペアごとに行われる。テストを待つクラスは試合をする。とはいえ、三クラスもあれば当然全員が一度に試合を出来るわけではないため、試合を見学する時間が出来るのだけど、一部の女子は試合ではなくテストをする五組の方を見ている。私もそちらにふと目を向けると、ちょうど新くんの番だった。ボールを自分の手足のように自在に操ってドリブルをしている。しばらくみていたが、全く落ちない。あまりにも長く続きすぎてこれ以上はキリがないと判断されたのか強制終了させられたほど。彼は普段はのほほんとしているが、意外と運動神経が良い。逆に七希くんはあまり得意ではないようで、ドリブルのテストは一瞬で終わった。しかし、そこが可愛いのだと女子たちは言う。こういう時は運動神経がいい方がモテそうだが、ななちゃん曰く、恋をするとマイナス要素もプラスになるらしい。逆に幻滅するというパターンもあるようだが。人の恋心は難しい。


「れいちゃん、私次試合だから。見ててよ」


「うん」


 私の隣で立ち上がり、サッカーコートの方に走っていくななちゃん。ななちゃんは体育は得意なようで、ボールを巧みに操りながら敵を上手くかわしてゴールに走っていく。勉強は得意だけど体育は苦手で口数が少なくて無愛想な七希くんと、勉強は苦手だけど体育は得意でおしゃべりでいつも明るいななちゃん。双子なのに見事に対照的な二人だ。


「テスト終わったー」


 試合を見る私の隣に新くんが座り、その隣に七希くんがため息を吐きながら座る。


「体育なんて無くなればいい……」


「運動は楽しいけど評価されるのやだよね」


「新くんは運動得意じゃん」


「まぁ、うん。けど俺、水泳だけは苦手で。高校は選択だから選ばなければやらなくて済むの助かるよね」


「泳げないんだ?」


「犬掻きだけは得意です。ポチだけに」


 何故かドヤ顔をする新くん。その表情が近所で飼われているトイプードルに重なる。やはり彼は人の姿をした犬なのかもしれない。思わず撫でたくなるが、人前でそんなことをしたらまた陰で色々言われそうなので出しかけた手を引っ込める。しかし、試合から戻ってきたななちゃんは新くんを見つけると人目を憚らず飼い犬を可愛がるように新くんの頭を撫で回す。


「わー! なに!? なんで!?」


「私の試合そっちのけで三人で楽しそうに話しやがってー!」


 どうやら拗ねているらしい。「やめてよー! もー!」と楽しそうに笑いながらも抗議する新くん。「ぼさぼさにしてやるー!」と笑いながら続けるななちゃん。『あれで付き合ってないとか嘘だろ』『いや、むしろあれはガチで付き合ってない。小さい子と戯れてるようにしか見えん』と、周りで交わされる付き合ってる付き合ってない論争など気にも止めずに二人はじゃれ合う。私も混ざりたくてうずうずしていると、ななちゃんがふと手を止めて、私の方を向いた。そしてわしゃわしゃと私の頭を掻き回す。


「わっ、ちょ! ぼさぼさになる!」


「とか言ってー。してほしかったんでしょ? ほれほれー」


「もー!」


 私の頭を撫で回すななちゃんの隣で誰かと話す新くんの声が聞こえる。乱れた髪のせいでよく見えないが、声からして六組の三船みふねさんだ。ななちゃん同様、運動神経が良くて体育の時間になるといつも目立っているから私も名前は知っているが、話したことはない。


「あれ、ポチ。いつの間に三船さんと仲良くなったの」


 ななちゃんが手を止めて新くんに問う。「姉ちゃん経由で」と新くんは答える。新くんのお姉さんが三船さんと同じ演劇部で、それをきっかけに話すことになったということらしい。そうなんだと思いながら手櫛でぼさぼさの髪を直していると「使う?」と三船さんが櫛を貸してくれた。


「ありがとう」


「どういたしまして。私は三船みふね歌羽うたは


「海野玲楽です」


 よろしくねと微笑む姿が誰かと重なる。あぁ、そうだ。小桜先輩だ。上品で色気のある雰囲気がなんとなく似ている。先輩はお姫様、三船さんは王子様って感じだけど。彫りが深くはっきりとした顔立ちをしていて、背が高くてシュッとしている。青商の演劇部は女子の方が多いから男役も女子がやることがほとんどらしいが、やはり三船さんも男役をやるのだろうか。問うと彼女は「ええ」と頷き、新くんが「うたちゃんは第二王子だから」と続ける。三船さんは王子様のような雰囲気だが、演劇部には王子様と呼ばれる先輩がすでに居るため第二王子や二代目というあだ名がついたらしい。


「一年早かったら女たらし四天王の仲間入りしてたな……」


「なにそれ」


「女にモテる女の王道、王子様系女子の鈴木すずき海菜うみな、可愛らしい見た目とは裏腹のオラオラ番長のギャップが堪らない自称世界一の美少女こと月島つきしまみちる、薙刀を振る姿がクールでカッコいいと評判の騎士系女子こと北条ほうじょう舞華まいか、王子の隣を歩く高貴なお姿はまるで姫のよう、みんなのお姉様こと小桜こざくら百合香ゆりか。以上四人が青商女子を狂わせる魔性の女たらし四天王です。ちなみに松原先輩も含めて五天王とする説もあるよ」


 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに早口で語るななちゃん。確かに咲先輩は中学の頃から女子に人気があったが、女たらし四天王と並ぶほどモテているとは知らなかった。というか、なんだ女たらし四天王って。一体誰が呼び始めたのか。


「ちなみに四天王は全員女子で、演劇部の王子こと鈴木海菜は私と七希の従姉で、自称美少女の番長はポチのお姉さん」


「……番長? 新くんのお姉さんが?」


「咲先輩のお兄さんから姐さんって呼ばれてる」


「歳上の男性から!?」


「見た目はポチを女体化した感じだけど、蹴りで金属バット破壊したり、リンゴを素手で握り潰したり出来るくらいのパワータイプゴリラだよ」


 見た目は新くんに似て可愛らしい感じだが、中身は番長で、歳上から姐さんと呼ばれていて、リンゴを素手で握り潰して金属バットを蹴りで破壊して、女にモテる女子高生——情報量が多すぎて人物像が想像出来ない。というか、どこまでが本当なんだ。新くんに問うと「金属バット折ったのは姉ちゃんじゃなくてうみちゃんだよ」と返ってきた。それ以外は本当の話だということだろうか。その問いは笑顔で誤魔化された。ちなみにうみちゃんというのは、演劇部の王子こと鈴木海菜先輩のこと。王子様と言われているから高貴なイメージだったが、案外やんちゃなのだろうか。


「ところで……海野さんと七希くんって付き合ってるって本当?」


 三船さんが話題を変える。またその話かと思わずため息を吐くと、謝られてしまった。


「付き合ってないよ。新くんも七希くんも、ただの友達。と言っても、何回否定してもしつこく聞いてくる人もいて。だから正直、その話をされるのはうんざりなの。ため息吐いてごめんね。三船さんは別に悪くないよ。知らなかったもんね?」


「そう……大変ね。世の中には男女の友情は成立しないって考えの人もそこそこいるみたいね。私はそうは思わないけど」


「男女の友情は成立する派の三船さんから見てどう? 私と七希くん、そんなにただの友達に見えない?」


「そうねぇ……確かに恋人同士の距離感に見えなくはないかもしれないけど、本人達が否定してるなら違うのでしょうね。照れ隠しで否定してるようにも見えないし」


「そう。照れ隠し。それだよ。みんなそう言うんだよ。良かったぁ。三船さん話が通じる人で。大体、男女の友情は成立しないなんて、同性しか好きにならない人のこと考えてないから言えるんだよ。……まぁ、私も知り合いがそうだって知るまでは頭から抜けてたんだけど……」


 本人から言われるまで、咲先輩がレズビアンだという考えは頭になかった。同性愛者が存在するということは知っていたのに。七希くん達のこともそうだ。高校生にもなって恋が分からないなんて私くらいだと決めつけていた。実際は、話してみないとわからない。


「……もしかしてあなた、レズビアンだったりする?」


 周りに聞こえないように気を遣いながら三船さんは私に問う。恋愛に興味ないと話すとじゃあレズビアンなのかと聞いてくる人は珍しくないが、周りを気にしながら聞いてきた人は初めてだ。


「私、そもそも、恋がわかんないだ。なんで一人の人にそんなに夢中になれるのか、理解出来ない。……これ言うとよく、冷たい人だって言われるんだけど、そんなこと言われたってわかんないものはわかんないから」


 この人なら、恋が分からない私を否定しない気がする。ななちゃん達みたいに、受け入れてくれる気がする。そんな安心感から思わず愚痴ってしまうと、三船さんは黙ってしまった。よく考えたら彼女と話すのは今日が初めてだ。彼女なら信用できそうだと思えたとはいえ、流石に踏み込みすぎてしまったかと反省すると「私には今日初めてあなたと話したから、あなたのことはまだよくわからないけど」と彼女が口を開く。言葉はそこで途切れ、その先はなかなか出てこない。言葉を選んでくれているのが分かる。黙って続きの言葉を待っていると「私には、冷たい人には見えないわ」と締めくくり間を置いて「言葉を選んだ割には大したこと言えなくてごめんなさい」と困ったように笑った。


「……ううん。三船さんって、優しいんだね」


「……そうかしら」


「優しくない人は気を遣って言葉を選んだりしないよ。ありがとう。……でもごめんね。困らせちゃって」


「……ふふ。本当に冷たい人なら、そんなに優しい顔で笑ったりしないし、困らせてごめんなんて謝ったりしないわ。あなたも優しい人なのね」


 そう言って彼女は柔らかく笑い返す。高校に入学して約二ヵ月。高校に入学して約二ヵ月。私は相変わらず恋というものが理解できない。きっとこの先もずっと変わらないのだろう。この時はそう信じて疑わなかった。

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