第一章:その優しさの理由を彼女はまだ知らない

第1話:恋が分からない人

 歌姫と書いてレイラと読む。それが私の名前。苗字の海野と合わせて、海の歌姫。だからローレライをもじってレイラ。らしいのだけど、ローレライというのは美しい歌声で舟人を破滅させる魔女のことだ。名付けた母はきっと、美しい歌声を持つ人魚の歌姫くらいの認識だったのだろう。

 そして、歌姫という名前の割には私は歌が下手だった。「そりゃ船も沈むわ」と揶揄われるほどに。楽器は得意だったから音楽は嫌いではなく、むしろ好きだったが、歌だけは嫌いだった。名前は親からの最初のプレゼントなんて言うけれど、私にとっては呪いでしかなかった。自分の名前が嫌いだと言う私に、一人の先輩が言った。「十五歳以上なら親の許可なくても改名出来るらしいよ」と。それを知った私は、十五歳になったら何が何でも改名すると決めた。


「でもさぁ、名前変わったら大変じゃない?」


「はい。だから名前はそのままに、漢字だけ変えようと思います」


「なるほど、じゃあ今まで通りれいちゃんって呼んでいいんだ」


「はい」


「レイラ……レイラかぁ。あ、じゃあこんなのはどうよ」


 そう言って先輩が紙に書いて見せてくれたのは玲楽の文字。その上にはとひらがなでルビが振られていた。


「玉の鳴る美しい音を意味する玲に、音楽の楽。どうよ」


「いかにも音楽やる人って感じの名前ですね」


「音楽自体は好きでしょ?」


「……そうですね。歌は苦手ですけど、音楽は楽しいです。吹奏楽部に入ったことがきっかけで先輩とも出会えましたし」


「……口説いてる?」


「口説いてません。……ありがとうございます。候補の一つにしますね」


「うん。あとさ……改名のことは一応、親には言った方がいいと思うよ。許可なくても変えられるとはいえ、悪意があってつけたわけじゃないだろうし」


「……そうですね」


 先輩のアドバイスの通り、私は改名の件を親に相談した。最初は反対されたものの、高校生になるまでにはなんとか説得でき、先輩が最初に提案してくれた玲楽という名前で高校生活を送れることが決まった。進学先はその先輩と同じだったため、私は真っ先に彼女にそのことを報告した。


「採用してくれたんだ」


「はい。ありがとうございました」


「いえいえ。良かったね」


「それにしても先輩、ズボン似合いますね」


「あぁ、ありがとう」


 私が進学した青山商業高校は、LGBTに対する配慮という名目で性別問わず制服のボトムスをスカートかズボンの二択から選べる仕様だった。先輩はその日はズボンを履いていたが夏は暑いからスカートにすると言っていた。


「そうなんですね。……ズボン穿いてる女子、多いですか?」


「そこそこ。その日によって変えてる子もいるよ」


「そうですか。なんか、ネット見てると、こうやって校則で許可されていても『LGBTに配慮して』の一言が引っかかって結局選べないって声も多いみたいで」


 私もそこが引っかかって悩みに悩みスカートしか買わなかった。実際最初の頃は『ズボン穿いてるからLGBTなんだ』と決めつける人は居たが、今はもうそんなこと言う奴は居ないと先輩は語る。しかしそれは上級生の話で、新入生にはもしかしたら居るかもしれないと続け、こう締めくくる。


「そういう奴はただ単に無知を晒してる痛い奴だから気にしなくていいよ。放っておけばそのうち自分が間違ってることに気付くから」


「……さき先輩、なんだかちょっと雰囲気変わりましたね」


「えっ、そう?」


「はい。なんというか……大人の色気が出て来た気がします」


「色気って。なにそれ。口説いてんの?」


「い、いえ。そんなつもりでは」


「色気ねぇ……恋人が出来たからかなぁ」


 照れ笑いする先輩。恋人という言葉に、一瞬驚いた。先輩は恋愛の話を振られるといつも「私は別に興味無いかな」と言っていたから。私も他人の恋愛話を聞くのは好きだが、恋というものは分からない。先輩も同じだと思っていたから、少しショックだった。


「驚きました。先輩、恋愛に興味あったんですね」


「うん。男には興味ないけど恋愛には興味あるよ」


 サラッと先輩は言う。一瞬どういうことだと思ったが、すぐにその意味に気づいた。言葉を失う私に「今はもう隠してないから」と、先輩は少し気まずそうに笑った。


「……そうなんですね」


「そう。……あんま気を使わないでね。今まで通り接してくれれば良いから」


「はい。わかりました」


「話が早くて助かるよ」


「先輩はその……女性が好きなんですか?」


「うん。レズビアンだよ。あぁでも、女性なら誰でも良いわけじゃないよ。れいちゃんのことは可愛い後輩としか思わない」


「……そうですか」


 別に、わざわざ言われなくても分かる。分かるが、その恋人と私は何が違うのだろう。何故先輩は恋人のことが好きなのだろう。問うと先輩は、よくぞ聞いてくれたと言わんばかり恋人のことを語る。その姿は恋愛は興味無いと言っていた先輩とは別人のようだった。恋愛に興味が無いのではなく、当時はそう言うしかなかっただけだったのだろう。女性が好きだと素直に言えるようになって良かったと思うと同時に、裏切られたような気分だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る