第2話:変化

 家の屋根から別の屋根へと渡り、僕は闇に紛れつつ目的地へと向かう。

 吸血鬼は人間よりも遥かに身体能力が高い。だから何だというわけでもないが、このくらいは造作もなくできる。

 今回殺すのは二十代の女性のようだ。何をやったのかは知らないが有罪は確定とのことだった。

 いつも情報は全て風華さんがくれる。僕はあくまで実行するだけ。それは初めの時から変わらなかった。

 ターゲットはこの先にいる。誰にも見られないよう細心の注意を払い、少しずつ近づいた。

 暗い夜道を一人で歩いている。今なら安全に殺れるだろう。


 1、2、3……


 タイミングを見計らって一撃で首を飛ばし、僕は既に遺体となった物を路地裏へと運んだ。

 一滴残さず血を飲み干す。これが今の僕の生活。嫌な日常だった。

 長居する意味も無いので、早急にここを離れようとすると床に落ちている名刺を見つける。

 僕はそれを無意識に拾い、内容を見た。

 いや、見てしまった。

 「保険医……」

 呆然と、ただただその単語を呟く。

 自分が何をしたのか、何をしてきたのか。今まで無視していたものが少しずつ現れてくる。

 その場から離れ、僕はとある公園のベンチに座り風華さんに電話をかけた。

 コールのなる音が虚しく聞こえる。1コール1コールが今まで感じたことがないほど待ち遠しい。

 「もしもし。仕事が終わったのか?明日には金を払っておくから―」

 「今回のターゲットの罪は、罪状は何なんですか」

 待ちきれずに僕がそう聞くと風華さんの雰囲気が変わった。

 「……知りたいのか」

 「っ!」

 電話越しにも何らかの圧が伝わってくる。だが、ここで引くわけにはいかない。

 「……ええ」

 「そうか。お前は今まで罪の重さしか聞かなかった。内容には全く興味を示さなかったはずだろ」

 「……確かに僕は罪の内容、そしてターゲットの生活などはどうでもいいです。僕が欲しいのは正当性。殺しても問題ないと思い込むことですから」

 それがないと僕はやっていられなかった。いつも僕が殺したことによる影響を考えてしまう。

 「ですが最近分からなくなってきました。命を奪うことに正当性はあるのか。絶対的、つまり誰から見ても悪なんて人は存在するのか……」

 「贅沢な悩みだな」

 「……そうですね。でも悩んでしまうんです」

 「それを、その答えを私に聞く意味が分かっているのか」

 「分かっています。最低な質問ですよね。だから僕はその質問の答えを聞きません。僕が知りたいのはこのターゲットについてです」

 「……」

 長い長い沈黙が続く。何分たったのか、やがて風華さんが口を開いた。

 「……分かった。だが、私は何も口を出さない」

 「自分で、ですか」

 「あぁ。今の世の中に目を向けろ。そして自分で答えを探し出せ」

 それは僕にぴったりの言葉だと思った。確かに僕はいつも目を瞑っている。

 「答えをお前が見つけるまで私はお前に仕事を与えない。見つけたら電話をかけてこい。以上だ」

 ツーツーと電話の切れる音が聞こえる。

 仕事が与えられない。つまりは『正当化』して血を飲むことができないということ。

 「……ふふ」

 こんな状況にも関わらず、顔には笑みが浮かぶ。

 答えを得るか、昔に戻るか、死ぬかの三択しか僕には残されていない。

 元々今のままではいけないと思っていた。僕が変わるきっかけにはちょうどいいのだろう。

 『人を殺す』とは何なのか。僕は答えのない問いを追い続けるのだ。

***

 電話を切り、椅子に深くもたれかかった私―黒柳風華はため息をついた。

 この世界、血に汚れた最悪の世界を生きていくうえであの問いは必ず出てくる。

 答えを出せない者、あやふやな者は精神的に淘汰され、例外なくこの世界から消えていった。

 あいつを見ていると昔の私を見ているようで落ち着かない。私も、かなりこの問いには悩まされたものだ。

 正しい心を持っているほど『死』が近い裏世界。そんな場所であいつがどうなっていくのかは心配でしょうがない。だが―

 「少し、楽しみだな」

 私の顔には笑みが浮かんでいるのだった。

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