第七章 魔導士ギルド

 皐月祭の後の代休のある日、僕は百合華さんに電話で呼び出されてカフェ・ノワールに誘われた。


 僕は学校に寄って資料室に保管してあった百合華さんの絵を持ち、カフェ・ノワールに足を運んだ。


「こんにちは、麻帆さん、百合華さん来てますか?」

「いらっしゃい、シノブ君。百合華なら奥に…それにしても凄かったわね。皐月祭の渓川さんの歌…」

 僕を見るなり麻帆さんは話しかけてきた。


「え、麻帆さんも来てたんですか?」

「もちろんよ。自分の母校の学園祭だもの。生徒会副会長やめてから、もう一年経つのね…」


「私も聴いたわよ」

 奥から百合華さんの声が聞こえてきた。


「え、ずっと生徒会室に詰めていて展示を見る時間もなかったんじゃ?」

「DVD。5.1チャンネルサラウンド録音のやつ」


「え、そんなの撮ってたんですか?」

 僕は百合華さんに近づきながら聞いた。


 百合華さんは紫のワンピースに珍しく亜麻色の髪をポニーテールにまとめていた。百合華さんはリモージュ・ベルナルドのヴァルカンのカップでカフェ・オ・レを飲んでいた。


「映画研究会が撮ってたのを昨日見せてもらったの。そういえば渓川さん、皐月祭前に音楽部に退部届を出してたらしいけど、受理されずに、皐月祭に無断で欠席したとして除名処分になったそうよ」


「そんな…本人の意志なのに…ひどい」

「うちの学園ではクラブを移籍するのは簡単ではないのよ…セクトが違う場合。でも、君たちのおかげで我がギルドは貴重な魔導師を一人獲得できたわ。ありがとう、とても感謝するわ。魔導師総代として」


「何度も耳にしますけど、セクトって何のことですか?他にも、魔導師ギルドとか、精霊連盟とか慧傳学園にはわからないことばかりです」


「まあ、今日は時間もあるし、皐月祭も終わったことだし、ゆっくり話しましょう」

 百合華さんはどこかしらけだるげに見えた。


 疲れているのかも知れない。無理もない。皐月祭の運営という最後の大役を終えたばかりなのだ。後は新役員の選出を待つばかり…


 新役員!そう言えば新役員てどうなるんだ?まだ候補者も知らされていない…


「何にする?」

「ブルボン・サントスを」


「かしこまりました」

 麻帆さんが水を置き、注文を取って去っていった。


「そう言えば、次期生徒会役員の選挙ってどうなるんですか?」

「今週中には公示されて、来週中には投票、即日開票で決定されるわ。そうすれば私の生徒会長としての仕事は終わり…ただ、問題があるの。魔導師ギルドの中から誰を候補者として推すか…」


「ギルドの中から?」

「一年生は皐月祭までに所属するクラブを決めなければならない。知ってるわね」

「はい。校則に載ってますから」


「慧傳学園では各クラブはセクトと呼ばれるグループに分かれているの。だから上級生は一年生に偏見を与えないために、皐月祭までセクトに関わる情報を教えてはならない…実際には私は口が軽いからかなり教えちゃったけどね…」


「それなら、最初から教えてくれれば…」

「セクトによってクラブを選んだ?いえ、それ以前に慧傳学園を選んだかしら?これは慧傳学園の秘密なの。それに、大抵は自分の適性で自ずとセクトも決まるものよ…幽霊部員や帰宅部はともかく。渓川さんの場合は特別…」


「麻帆さんが皐月祭の後なら、と言っていたのはそのためですか?」

「そう。慧傳学園の主なセクトは私達魔導師ギルド、精霊連盟、妖魔連合。この三つが三大セクトと呼ばれるわ」


「魔導師って魔法使いのことでしょう?魔法使いは悪魔の手先ではないんですか?」

「それは違うわ。魔導師は魔法を使う人間で魔法そのものに善悪はないの。女魔導師を魔女とも言うけど、「オズの魔法使い」に良い魔女・悪い魔女が出て来るの知らない?」


「そう言えば、昔読んだ覚えが…」

「どのセクトも神にも悪魔にも属しているわけではないわ。ただ互いに対抗する手段として魔法を使うだけ」


「どのクラブがどのセクトに属しているんですか?」

「そうね。魔導師ギルドについて言えば、テニス部、合気道部、弓道部、剣道部、文芸部、美術部、写真部、映画研究会、軽音楽同好会、生活向上委員会よ。精霊連盟は、野球部、柔道部、バレー部、放送部、新聞部、チアリーディング部、吹奏楽部、応援団、音楽部、演劇部、手芸部。妖魔連合は、サッカー部、バスケット部、卓球部、空手部、生物部、化学部、物理部、天文部、電脳部、落語研究会。他に三大セクトに属さないクラブもいくつかあるわ」


(よかった。沙織も佐伯も黒輝も同じセクトだ…沙織が柔道部じゃなくてよかった…)


「今の勢力はどこが強いんですか?」

「去年まではほぼ拮抗していたわ。でも、今年の新入生は魔導師ギルドが一番多いわね。だから、他からの風当たりも最近強くて…」


「生徒会役員選挙の立候補予定者がまだ決まってないっておっしゃってましたけど、セクトとどういう関係があるんですか?」

「生徒会役員が得票順に生徒会長、副会長、書記の三役になるのは知っているわよね。長い間三大セクトの立候補者によって三役はひとりずつ占められてきたの。生徒会役員は職務については中立でなければならないけれど、実質的にはセクトの支配力に強い影響力を及ぼしてきたの」


「麻帆さんや百合華さんみたいに?」

「麻帆さんはともかく私なんて未熟だけど…」


「そんなことはありません…それで、次期役員の候補者を誰にするつもりなんですか?」

「麻帆さんと相談して考えてあるわ。ここに呼んであるからもうすぐ来るでしょう」


「ちょっと待ってください。何のためにセクトなんてものがあるんですか。何のためにセクトは勢力争いをしてるんですか?」

「…それはね、遠い遠い昔から続いている伝統なのよ。君も魔導師になるか、林檎祭を経験すればわかるわ…」


「?…何のことかわかりません…」


 その時、ドアが開いて制服の少女がひとり入ってきた。


「こんにちは、姫野先輩いますか?」

「あらいらっしゃい。奥にいるわよ」


 入ってきたのは秋山先輩だった。


「秋山先輩、どうして?」

「結城君こそどうして?」


「よく来たわね美優。あなたにお願いがあるの」

「な、何でしょう、姫野先輩」


「次期生徒会役員選挙に魔導師ギルドを代表して立候補して欲しいの」

「ええっ、そんな、私なんかに出来るわけありません!」


 秋山先輩は叫んだ。その直後、麻帆さんがグラスとコーヒーをトレイに載せてやってきた。

 コーヒーは僕の頼んだブルボン・サントスだった。カップはリチャード・ジノリのイタリアンフルーツだった。麻帆さんはグラスを秋山先輩の前に置いて言った。

秋山さんは何にする?」

「あ、えーと、アイスコーヒーを…このこと、白籏先輩もご存じだったんですか?」

「アイスコーヒーかしこまりました…私が推薦したのよ」


 麻帆さんはそれだけ言うと身を翻してカウンターに去った。


「そんな…私なんて、白籏先輩や姫野先輩と違って、容姿だって人並み以下だし、人望もないし、人脈もないし、実行力もないし、演説なんてしたことないし、第一魔導師候補生ですらないし、無理に決まってますよ!」


「あなたは私が見る限り、十分に資格を満たしていると思うわ。あなたは謙遜しているだけよ」


「謙遜なんかじゃありません!本当に出来ないんです。そうだ、美術部だって、二年生は三人しかいないし、茜はあてにならないし、良子はおとなしすぎるし、きっと私が部長になるしかないんだわ。そうしたら、一人二役なんて無理ですよ!」


「あら、私もテニス部主将と兼務してたわよ。あなたのそういう責任感の強いとこ

ろ、適任だと思うけどなぁ…」

「それは先輩だから出来たんで、私には…」


「そう、じゃあ魔導師ギルドから立候補者が出なければ、精霊連盟か妖魔連合のどちらかが三役のうち二役を占めることになるわね」


「それは困ります」

「そう、私も困るわ。これはギルド全体の問題。誰かが責任を背負うしかないのよ。私や麻帆はあなたなら背負えると見た。その見立ては間違っていたかしら?」


「先輩方がそこまでおっしゃるのなら、きっとお飾りの役員にしかなれないと思いますけれど、引き受けさせていただきます」

 秋山先輩はそう言って頭を下げた。


「そう、ありがとう。やっぱり私達の見立ては間違っていなかったみたいね」


「大丈夫、秋山先輩なら、きっと出来ますよ」

 僕はまだ自信なげな秋山先輩に声をかけた。気休めにしかならないかも知れないけど。


「アイスコーヒーお待たせしました」

 麻帆さんが現れ、秋山先輩の前にバカラのグラスに入ったアイスコーヒーを置いた。


「白籏先輩…」

「気楽にやりなさいよ。別に書記でも十分なんだから」

 麻帆さんはそう言って去った。


 大声を上げてよほど喉が渇いたのか、秋山先輩は見る間にアイスコーヒーを飲み干した。


「百合華さん、ところで聞きたかったことがあるんですが、皐月祭の初日、僕が登校する前に絵を飾って、『百合華さんのヌード』なんてデマを流したのは百合華さん自身じゃないんですか?」

 秋山先輩が落ち着いたところで僕は例の疑問を聞いてみた。


「え、どうしてそう思うの?」

「まず、百合華さん以外にそんなことが出来る人を知りません。そして、結果的に音楽部─精霊連盟は評判を下げ、渓川いづみさんの移籍で軽音楽同好会─魔導師ギルドは評判を上げました。これは次の選挙をにらんでの戦略だったんではありませんか?」


「ふふふ、さすがシノブ君、名推理ね。あたりよ。私以外に出来る人間がいないって言うのは買いかぶりすぎだけど」

 百合華さんは微笑んで答えた。


「ええっ、姫野先輩が?…さすが魔導師総代。私にはとても真似ができないな…」

「美優、別にあなたに魔導師総代まで務めろと言ってるわけじゃないから安心して。魔導師総代は林檎祭まで私が務めるわ」


「でも、次の候補者は考えておかないとね」

 水を注ぎに来た麻帆さんが一言言って去って行った。


「候補者なら決まっているわ…」

 百合華さんがかすかに呟いたのを僕は聞き逃さなかった。


「…それから、この絵ですが…百合華さんに差し上げます。写真も全て破棄しました。この世でこれ一枚です。大分無断で写真は撮られてしまいましたが…」

 僕は包みを開けて百合華さんの絵を取り出した。


「ありがとう。部屋に飾って大事にするわ…いい絵ね、ねぇ、次は本当に私のヌードでも描く?」

 姫野さんはうれしそうに笑って言った。


「ゆ、百合華さん…」

「姫野先輩、冗談でしょう?」


「そうでもなかったりして…でも当分は、テニス部主将と魔導師総代と受験勉強が忙しいから無理ね」

「脅かさないでください」


「今日の話はおしまい。選挙対策はギルドを挙げて望むわ。シノブ君、君も協力してね」

「は、はい…」

 姫野さんの言葉を最後に僕たちはカフェ・ノワールを後にした。


 三大セクト、魔導師ギルド、僕の得た知識はまだ少ない。魔導師になるか、林檎祭を経験すればわかる、と百合華さんは言った。林檎祭でいったい何があるんだ?あるいは魔導師になるにはどうすれば?


 代休開け、学園では選挙戦が始まった。立候補者は魔導師ギルドから秋山先輩の他、例年どおり精霊連盟と妖魔連合から男子一人ずつの計三人が立候補した。


 各セクトの生徒は普通、自分のセクトの候補に投票するから、選挙結果は独立セクトや帰宅部・幽霊部員などの浮動票に左右される。新入生の数でリードしたと言っても、秋山先輩の優位はそれほど確かなものではなかった。


 しかし、その選挙運動は表向きそれほど派手なものではなかった。だが、生活向上委員会の手で、秋山先輩と渓川いづみさんのツーショットの写真が密かに大量にばらまかれていたことを僕は知っていた…


 そして、投票当日、即日開票の結果、秋山先輩は大差で生徒会長に当選した。


 即座に次点で副会長になった精霊連盟の候補から、選挙活動に不正があったとして抗議がされたが、選挙管理委員会は翌日これを却下した。

 こうして秋山先輩の新生徒会長就任が決定した。


 翌日の放課後、美術部の部会が開かれた。議題はもちろん、新部長の選出について。


「新部長は慣例として、二年生から選ぶことになっています。今年の二年生は三人いる訳だけど…」

 山内先生が切り出した。


「わ、私は無理だな…部長ってガラじゃないし…」

 室伏先輩が頭を掻きながら照れて言った。


「私も…ちょっと、上に立つ仕事は…」

 葉山先輩も遠慮した。と、すると…


「他にやる人がいないなら、私が引き受けます」

 秋山先輩が毅然とした表情で言った。


「賛成!」

 一、二年生から賛成の声が上がる。


「秋山さん、私もあなたが適任だと思うけれど、生徒会長と両立できるの?」

 山内先生が心配そうに言った。


「かまいません。姫野先輩もやっていたことですから」

 秋山先輩は答えた。秋山先輩、生徒会長に決まってから、急に自信が漲って顔つきも変わってきたような気がするけど…


 そのあと、三年生の引退セレモニーがしめやかに行われた。僕たち一年生は、三年生に花束を渡した。僕は萩尾部長に手渡し、握手した。


「短い間でしたがお世話になりました。いつでも遊びに来てください」

 と、僕は挨拶した(萩尾先輩は美大志望なので、その後もちょくちょく来ることになったが)。


 ささやかな拍手が起こった。


「み、み、みんな、こ、こん、こんな私を、さ、ささ、ささえてくれ、くれて、あ、あり、ありがとう」

 萩尾先輩は涙を浮かべて答えた。また拍手が起こった。


「さあ、お茶にしましょう。結城君、頼むわよ」

 山内先生が言った。


「はい、任せてください」

 僕は答えた。僕の紅茶の淹れ方も、毎日やるうちに大分進歩していた。


「あ、け、ケーキ」

 萩尾先輩が言って、鞄を開けた。


「あ、私が切ります」

 秋山先輩が名乗り出た。


「ちょっと、部長は自分でやるより部員を使うものよ」

 小野寺先輩が注意した。


「すみません…じゃあ、良子、切って」

「はい、部長」

 葉山先輩がすかさず包丁を手にした。


 その日のお茶会はいつもにもまして賑やかで楽しいものになった。明日からはこのうちの二人が抜ける…そう思うと僕は少し寂しさを覚えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る