第四章 キャリー

 「フレーズ・ルージュ」から自宅に帰ると、辺りはすっかり暗くなっていた。


 家の前の道路を渡ろうとすると、後から車が近づいてきて、僕は一度立ち止まった。


 すると、その時、家の玄関の入り口辺りで車のライトに照らされて小さな丸いものが二つ光るのが見えた。


 近付いてみると、玄関の前に段ボール箱が置かれており、その中に仔猫が一匹入っていた。


 段ボール箱には

「可愛がって下さい。名はキャリーと言います」

 と、書いた紙がぶら下がっていた。


 捨て猫というわけらしかった。捨て猫にわざわざ名前を付けるのもおかしかったが。


 僕は取りあえず、段ボール箱を家の中に持ち込もうとして、持ち上げようとしたが、それは仔猫一匹にしては妙に重かった。


 家の中に段ボールを持ち込んで調べると、その中にはバスタオル、粉ミルク、ベビーフード、トイレの紙砂などが仔猫と一緒に入っていたのだが、それらを吟味する余裕が出来たのはしばらく後のことで、僕の目は、その仔猫に真っ先に引きつけられた。


 生後いくらも経っていないと思われる三毛猫だった。そして─左右の目の色が違っていた。右目は金色、左目は青。


 僕は猫に関する造詣は深くないが、こんな猫がいるなんて知らなかった。でも、珍しい猫なら、飼い主はなぜ捨てたんだろう?しかもわざわざ僕の家の前に…


「キャリー…」

 僕は紙に書かれていた名前を呼んでみた。


「ニャァ…」

 仔猫─キャリーは答えるように一声泣いた。


 その左右の色の違う目は僕を見据えていた。その目は何か神聖なるものの使いのように神秘的であると同時に奇妙なほど理知的に見えた…


 僕には猫を飼った経験はない。けれど、わざわざ家の前に捨てられた仔猫を無下に扱うのも気が引けた。


 何より、仔猫─キャリーの左右の色の違う目が僕の心を引きつけていた。


 どうしたものか、と考えて、沙織のうちで猫を何匹か飼っていることを思い出した。当然、仔猫の育て方も知っているに違いない。


 僕は沙織に電話をかけることにした。


 短い呼び出し音の後、沙織が直接出た。

「はい、結城でございますが」


「あ、俺だ」

「なんだ、シノブか。なんか用?」


「さっき家の前で仔猫を拾ったんだけど…」

「ふうん、なんならうちで引き取ってもいいけど、ね、どんな猫?」


「…それが、三毛猫なんだけど、左右の目の色が違ってて…」

「ああ、オッドアイか」


「なんだオッドアイって?」

「まあ、いいから、これから行くから直接見せてもらうわ」


 それだけ言うと、沙織はこちらの確認も取らずに電話を切ってしまった。相変わらず勝手なやつだ。


 とは言え、沙織は何匹も猫を飼っているだけあって、猫のことには詳しい。仔猫の飼い方も基本的なことは十分教えてくれるだろう。


 沙織がやって来るまで十分とかからなかったが、その間、僕は冷凍ピザをオーブンレンジにかけて温め軽い夕食を済ませていたところだった。


「フレーズ・ルージュ」でケーキを食べてきたので、お腹があまり空いていなかったんだ。


 ところが、僕がピザを食べようとしたとき、キャリーが鳴き声を上げ始めた。どうもお腹が空いている、と主張しているようだった。


 だが、僕は餌のやり方を知らない。仔猫がピザを食べるだろうか?


 沙織がやってきたのはそんな時だった。


 チャイムも押さずに沙織は入ってきた。


 ずかずかと居間まで入ってきたその手には、大きなペット用のキャリングケースを提げていた。


「どこ、仔猫って?」

「あ、沙織、ここにいるけど」


 僕はピザの切れ端をくわえたまま立ち上がり、仔猫の入った段ボール箱を示した。


「ほんとオッドアイだ…」

 沙織は段ボールの前にしゃがみ込み、キャリーの顔をまじまじと見て、ため息をついて言った。


「なんだ、そのオッドアイって?」


「日本語では金目銀目、学問的にはヘテロクロミアって言うらしいけど、ごらんの通り、遺伝の気まぐれで左右の目の色が違うことを言うのよ。人間にもいるらしいよ。白人なんかには」


「珍しいのか?」


「うーん、ペルシャ猫なんかにはわりと多いらしいけど、他の猫にも出るよ。あたしも実物は初めて見た」


「ふーん」


「雉三毛かぁ…色の混ざりかたもバランス取れていていいわね…しかもボブテール…」


「ボブテールって何だ?」


「ほら、しっぽがお団子みたいに短いでしょ。こういう猫は日本の在来種に多いいんだけど、欧米ではジャパニーズボブテールって言うのよ…ね、この仔、貰ってっていいでしょ?うちは今、三毛はいないし、オッドアイなんて結構珍しいし」

 沙織がキャリーを抱きながら言った。


「ちょっと待て、勝手に決めるな。この仔は俺が飼う」

「なによぉ、ケチ。この仔だって日中人のいない家なんかで飼われるよりは…ああっ!」


 沙織が突然仔猫を抱いたまま叫び声をあげて立ち上がったので、僕も驚いた。


「どうした、おしっこでもかけられたか?」

「ち、違うって、こ、この仔、オスだよ!」


「オスだとまずいのか?」

「信ちゃん知らないの?三毛猫のオスってめったにいないんだよ。ましてや金目銀目の三毛猫のオスをわざわざ捨てる人がどこにいるのよ!?」


「そんなに珍しい猫なのか?でも、その仔がうちの玄関に捨てられていたのは事実なんだぜ。きっとこれも何かの縁さ。その仔はやっぱり俺が飼う。なあ、沙織、飼い方教えてくれよ」


「ちぇ、けち。なになに、『名前はキャリーと言います』か。なるほど、キャリコだから、『キャリー』か。まさか雄だとは思わなかったな…あれ、餌とか飼育用品一式揃ってるじゃん…信ちゃんが買ってきたの?」


「違うよ、最初から箱に入ってたんだ…ところで『キャリコ』ってなんだ?」

「ずいぶん至れり尽くせりの親切な捨て猫だこと…『キャリコ』は英語で三色のこと。『キャリコ』って金魚がいるだろ」


「…なるほど。でもいい名前だと思うよ。なんか高貴そうでさ。ほら、映画女優にいただろ、モナコ王妃になった…」


「それは『グレース・ケリー』。『キャリー』って言ったら、英語で『荷物を運ぶ』って意味じゃない。信ちゃん、ほんとに入学試験受けた?」


 沙織は軽蔑の眼差しで僕を見た。


「うるさい。きっと俺に『幸福を運んでくれる神様の使い』なんだよ」

 その時、仔猫が思い出したように泣き始めた。哀願するような泣き方だった。


「そうだ、餌だよ、餌。こいつ腹が減ってるんだ。沙織、餌のやり方教えてくれよ。」


「やれやれ、こいつには『餌を運んでくれる母親の代わり』が必要みたいだね…しかたない、わかった、飼い方教えてあげるよ。この仔は生後一ヶ月くらいだから、離乳食をあげるんだよ…」


 餌のやり方、トイレの紙砂の交換などを説明してから、キャリングケースを置き、沙織はフレーズ・ルージュのケーキを持って帰った。


 僕と親父の分、二個は抜いて冷蔵庫に入れて置いた。

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