第一章 慧傳学園
─話は一週間前に遡る─
その朝、僕はいつもより三十分早く起きた。
パジャマのまま、顔を洗い、歯を磨き、ダイニングキッチンに行くと、コーヒーメーカーに粉と水をセットし、トースターでパンを焼いた。
いつも通り簡単な食事をひとりで済ませると(ちなみにカメラマンの親父は撮影の仕事で家にいなかった)、真新しい制服に着替え、足早に家を出た。
今日は僕の高校の入学式、僕は新入生なんだ。
慧傳学園—正式には私立慧傳学園高等学校。
それが、僕が今日から通う高校の名前だ。隣町の慧傳町にあり、電車で二つ先の駅が最寄りの駅だ。
僕は徒歩で通える町内の公立高校に進学希望だったのだが、叔母さんのたっての頼みで志望を変えたって訳だ。
僕の家族は親父しかいないが、親戚は叔母さん夫婦と同い年の従妹がいる。その従妹は結城沙織という可愛らしい名前なのだが…
「おい、シノブ!」
背後から声をかけられて振り向くと、その沙織が背後から飛び付いてきて、僕の首を片羽締めに極めた。さらに、両足で胴締めに極められて僕は身動き取れなくなった。
跳びつく前にわざと声を掛けたのは、僕の首を捻らせるためだ。首締めは首を捻らせた方が深く極まる。
僕はやむをえず足を捻って道路に転がったが、それでも沙織は離さない。
「参った。タップ(ギブアップ)!」
僕は自由な方の左手で沙織の腕を叩いた。
「なーんだ、相変わらず根性ないやつ」
沙織はそれでやっと手足を離して立ち上がった。スカートのほこりを両手で払う。
「公衆の面前でいきなりサブミッション(関節技)かけるのはいい加減やめろよな」
僕は座り込んだまま沙織に言った。
「だって、シノブ、不人情にもあたしを迎えに来てくれないんだもん。追いかけて来ちゃったじゃないか」
「中学の時は沙織の家の方が学校に近いから迎えに行ってやってたけど、駅には俺の家の方が近いの。それでも迎えに行けってか?」
「当然だろ」
この自己中心的暴力女が僕の従妹の結城沙織だ。僕は立ち上がり、服のほこりを払って沙織に文句を言った。
「喧嘩を売ってくるのも場所柄をわきまえろよ。同じ高校のやつに見られたら、変な噂にされかねないぞ」
「大丈夫だって。うちの中学から慧傳学園に入った生徒で、家が駅のこっち側にあるのはあたし達だけだし、この町内でしか仕掛けないから」
沙織がそう言ったとき、慧傳学園の制服を着た、ショートカットに黒縁眼鏡をかけた、大きな瞳が印象的なボーイッシュな女の子が通りがかった。
ちなみに慧傳学園の制服は男女とも紺のブレザーとネクタイ、白のシャツだ。ネクタイの色は赤青緑の四色が学年ごとに違い、一年ごとに繰り上がる。
今の僕たち新一年生の色は赤。そして胸に校章のバッジ。今時地味な制服だ。
スカートを履いていなかったら、男子と見間違えたかも知れない。その女の子は僕と沙織の方を大きな目でちらりと見て、かすかに笑みを浮かべて歩み去った。
「見られたじゃないか」
僕は沙織に言った。
「でも、あれ誰?中学じゃ見かけない顔だったけど」
「そんなことよりぐずぐずしてると電車に遅れるぞ」
僕が言うと、
「あ、そうだな、でも次の電車でも間に合うぜ」
と、沙織が男言葉で答えた。
「そうしたければそうしろよ。俺は先に行くからな」
僕はそう言うとすたすたと早足で歩き出した。
「おい、こら、あたしも行くってば!」
全く、高校に入ればこの腐れ縁の従妹とも縁を切ることが出来ると昨年までは思っていたのだが、その淡い希望も水泡と化した。
慧傳学園に入ることになったのは、叔母さんの頼み、と書いたが、つまりは、この喧嘩好きの従妹、沙織が放っておくと何をやり出すかわからないため、お目付役として僕に白羽の矢を立てたと言うことだった。
僕は最初嫌がったが、親父までが説得に乗り出すに及んで、被扶養者である僕としては承諾せざるを得なかった。
親父は叔母さん—正確には叔母さん夫婦—に頭が上がらず、僕は親父に頭が上がらないんだ。
ついでに言えば、僕は沙織には子供の時から喧嘩で勝ったことがない。
電車は満員だった。
「ちょっと、もう少し離れろよ」
僕は沙織に言った。
「それはこっちのせりふ。混んでるんだから仕方ないじゃない」
沙織は答えた。
こんな毎日をこれから三年間続けなければならないのか、と思うと暗澹たる気分になった。
僕は結局翌日から、遠回りして沙織の家に寄ってから学校に行かなければならなくなった。
自宅から駅までは約十分、電車の乗車時間は二駅で約八分、駅から高校までは約十二分、計約三十分かかった。
八時半の始業時刻にはまだ十五分、今日の入学式の開始時刻まではさらに三十分もあった。これなら沙織の言うとおり次の電車でも十分間に合ったな、と思ったけれど、入学式の前にはお決まりの行事がある。
いや、行事ってほどのものじゃないかも知れないけど、クラス編成の発表だ。掲示板には既に先に着いていた生徒が群がっていた。
僕は人垣を押しのけて掲示板に自分の名前を見つけた。あっさり見つけた僕のクラスはA組だった。
A組に沙織の名前はなかった。横を見ると、沙織が最前列に割り込んで自分の名前を探していた。
沙織の弱点のひとつは身長が低いことで、百五十センチしかない。
僕は列から抜け出し、しばらく待っていると、ようやく沙織が列を抜け出してきた。
「どうだった?」
僕が訊ねると、沙織は、
「シノブはどうだった?」
と、聞き返したので、
「A組だよ」 と答えると、
「あたしはL組」
沙織は少し残念そうに言った。
僕は内心ほっとしていた。これで少なくとも授業中は、沙織とかなり離れていられるわけだ(しかし、その考えが甘かったことを僕は間もなく思い知る)。
「おい、ノブオ(僕の嫌いなあだ名だ)」
声を掛けられて振り向くと、中学の同級生、佐伯祐二が立っていた。彼は情報収集能力に長けていて、いわゆる情報通だ。中学の時もよく利用させてもらっていた。
「そう言えばお前もこの高校だったな」
僕はそらっとぼけて言った。
「お前も、はないだろう。俺もA組なんだ。一緒のクラスだからよろしくやろうぜ」
祐二は僕がA組だと先刻ご承知らしい。
「ああ、こっちこそまた頼むぜ」
「かわいい女の子の情報か?」
「それじゃギャルゲー(美少女ゲームのこと)のまんまじゃんか」
「なんだ、違うのか?」
「まあ、それも少しはあるかも、だけど。」
「ノブオはいいよなぁ、沙織ちゃんと毎日一緒にいられて」
「欲しいなら、のし紙つけていつでもくれてやるぞ」
「でも、沙織ちゃんは軟弱な男とは付き合わないっていつも言ってるからな」
「まあ、高校に入って環境も変わったことだし、だめモトでアタックしてみたら?」
「まさか。この学園には沙織ちゃんの好きそうな硬派な連中が沢山いるんだぜ。俺なんか鼻にも引っかけてもらえないよ…あれ、そう言えば沙織ちゃんは一緒じゃなかったのか?」
「さっきまでは一緒にいたんだけど…」
僕にはわかっていたが、軟派な祐二を以前から毛嫌いしている沙織は、祐二の姿を見た途端姿をくらましたのだった。
入学式は定刻の九時に始まった。クラスごとの男女ごとに出席番号順に並ばせられたのだが、列の前の方には今朝すれ違ったショートカットで黒縁眼鏡の子が座っていた。
(あの子同じクラスなんだ…)
そう思っただけで冷や汗が背筋を伝った。
入学式は、理事長の祝辞で始まった。それはごく当たり障りのないものだったが、次の校長の祝辞はぶっ飛んでいた。
ベッコウ縁風(本物ではあるまい)の眼鏡をかけてにたにた笑いを浮かべたロマンスグレーの校長は、壇上でやおら扇子を取り出して襟元を仰ぎながら、言った。
「やー、皆さん、暑いですな。え、暑くない?そりゃ、失礼。新入生の皆さん、我が校へようこそ、と言っておきましょう。例年、我が校の生徒さんは良くお出来になるので、教師一同としても、心配しようがないほどで、私としても、よく昼寝が出来るというものです…(以下略)」
校長の祝辞は威厳がなく、下手な漫談かと思うほどで、どうしてこんな人が、とあきれるくらいだった(後で祐二に聞いたところ、「ひるあんどん」というあだ名だそうだ)。
PTA会長の祝辞、生徒代表の答辞などは、わりとおざなりで目新しいものではなかった。
ちなみに答辞を読んだのは僕と同じA組の佐上晃って言う、いかにもインテリですっていう顔をした嫌みっぽいやつだった。
答辞の内容はエリート意識ぷんぷんで不快だった。こんなやつと少なくとも一年間は一緒に過ごさなければいけないかと思うと、せっかく沙織と別のクラスになれたのに、また少し気が滅入った。
僕は他人を第一印象で判断することが多く、大抵の場合、それは当たっている。
入学式には父兄も出席していたが、その数は意外と少なかった。慧傳学園と言えば、この近隣では結構名門校なのに(後で知ったところでは、卒業生しか参加出来ないのだった)。
慧傳学園について書いておくと、スポーツ、文化活動が盛んで、全国大会の常連のクラブも多い。一方、学業の成績も高く、有名大学に合格する生徒も毎年多い。
これは、推薦入試の枠が四割と広いこともあり、スポーツや学業成績の優秀な生徒を集めているからだという。
ちなみに沙織は、柔道の地区大会準優勝の実績を買われて推薦入試で合格した。僕と祐二は一般入試で合格した。
入学式が終わると、クラスごとに別れてガイダンスが行われた。
慧傳学園のクラス編成について書いておくと、一学年はA~L組までの十二クラス、一クラスは平均二十五人で(以前はもっと多かったらしいが、少子化に伴い少人数編成になったらしい)一学年で約三百人、全校生徒は約九百人、男女比はほぼ一対一となっている。
ガイダンスは担任の挨拶から始まった。担任の先生は西敏夫という温厚そうな中年の先生で、淡々とした話し方をした。担当は社会科だという。
次いで副担任は南波明海という若い女の先生で、担当は国語。美人ではないが、礼儀正しい態度に好感が持てた。
続いて、生徒の自己紹介が出席番号順で進められた。小柄でぽっちゃりした丸顔の女生徒が最初に壇上に立った。
「音無瀬静流です。趣味は読書です。好きな分野は歴史小説で、好きな作家は司馬遼太郎です。彼の小説は中学までに全作品読み終えました。彼の小説の魅力は…」
彼女の演説—いや、自己紹介か―は五分間続き、西先生に促されてようやく終わった。
まもなく、例のショートカットに黒縁眼鏡の女の子が挨拶した。アニメなんかで女性の声優が演じる少年役のような、中性的な声だった。
「黒輝瞳です。趣味は写真です。主に風景を撮っています。以上、よろしく」
黒輝と名乗った女の子は直立不動で挨拶し、礼儀正しく礼をしてから着席した。
佐伯祐二は、
「みんなで明るい学園生活をエンジョイしましょう」
とか、当たり障りのないことを言った。
そのうちに僕の番が回ってきた。
「結城シノブです。信夫と書いてシノブと読みます。趣味は絵を描くことと読書です」
さっきの女の子、黒輝瞳がまじまじとこっちの方を見ていた。最初に立った音無瀬さんはぼんやりと窓の外を見ていた。
「次にクラス委員を男女各ひとりずつ選ばなければならないんだが、誰か立候補、推薦はあるかな?」
西先生が言った途端、教室が静まり返った。
当たり前だ。そんな面倒な役、やりたがるやつがいるわけがない…と、思いきや。
「はい、女子クラス委員に立候補します。それから、男子には結城シノブ君を推薦します!」
いきなり手を挙げて言い放ったのは、黒輝瞳だった。
こ、こいつ、自分が立候補するのは勝手だが、どうして僕を推薦しなければならないんだ?
「他に立候補、推薦はないか…それでは、クラス委員は男子結城信夫、女子黒輝瞳に決定する」
なんてこった!何で僕がそんな役やらなきゃならないんだ?
その後、校則だとか、選択科目の履修の仕方だとか、構内のレイアウトとかを、あれこれと西先生が説明して、お昼前にガイダンスは終わった。
一番興味深かったのは、校舎の構造で、入学試験の時に一部は見ていたから知っていたけれど、この慧傳学園の校舎は六芒星(いわゆるダビデの星)型をしているんだ。
鉄筋コンクリート四階建てで、外側の十二辺に普通教室、二階から四階まで順に一、二、三年の順に配置されており、それぞれA組~L組の順に時計回りに並んでいる(そこで気が付いたのだが、僕のいる一年A組と沙織のいる一年L組は隣り合わせってことじゃないか!)。
一階の内側の六辺は職員室、保健室、事務室、食堂、購買部などが配置されている。一階の外辺と二階から四階の内側の六辺には、美術室、音楽室、電算機室などの特別教室、会議室、生徒会室、用具室、格技場等の特別室が置かれている。
何でこんな凝った造りにしたのかはわからない。中庭には梢が三階まで届く巨木があるが、何の木かはその時はわからなかった。
西先生が帰った後、教室から出ようとする黒輝瞳を見つけて僕は後を追った。
「おい、黒輝」
「やあ、結城君、なんだい?」
「なんだい、じゃないだろう、どうして俺をクラス委員に推薦したりしたんだよ?」
僕は詰問調で黒輝に迫った。
黒輝は平然として、
「だって、適任だと思ったからさ」
と、答えた。
「て、適任って今日逢ったばかりなのになぜわかる?」
「一目見れば十分だよ。大丈夫。いいこともあるさ」
「もう勝手にしろ!俺は協力しないからな!」
僕は吐き捨てて教室に戻った。
ガイダンスでもらった資料を読んでいるうちに、昼休みになった。購買に行ってパンでも買ってこようと思い、教室を出ようとしたところで、沙織に出くわした。
「シノブ、食堂行ってお昼食べない?」
教室内に残っていた生徒にどよめきが走った。
また始まった。こいつは中学の時から学校でも僕にべったりで、僕が他の女の子と親密になれる機会はこいつのせいで著しく少なかったんだ。
「ひとりで行けよ」
僕はつれなくあしらった。
再び教室にどよめきが起こった。
こんな時、中学までの沙織なら、間接技のひとつもかけてくるのがいつもの事だったので、僕も精一杯抵抗しようと身構えていたのだが、今日の沙織は違った。
「ああ、そう。じゃあまたね」
そう言って立ち去った。
僕の隣りの席にいた男子生徒が、
「おい、お前、あんな可愛い彼女にそんなにつれなくしていいのかよ?」
と、言って肘で僕を小突いた。
「あんなやつ彼女なんかじゃないって!ただの従妹だよ。それにまともなのは外見だけだぜ!」
僕はクラス中に聞こえるように声を張り上げて言った。それでようやくクラス内に満ちていた喧噪は終わりを告げた。祐二は笑いを堪えていた。
沙織のやつ、入学初日からやってくれた。これで僕が同じクラスの女の子と仲良くなれる確率は大きく低下したことだろう。
なまじ外見だけは可愛く見えるから、沙織は僕にとっていつでもトラブルメーカーになっているんだ。
僕はその後しばらくして購買部に行き、パンを買ってきて教室で食べた。
午後からは任意参加で上級生による新入生歓迎会が行われた。パスした生徒もいくらかいたようだが、大部分は参加したようだ。
「これより二、三年生によります新入生歓迎会を行います。司会は本校の生徒会副会長、わたくし冬野大地が務めさせていただきます。」
痩せぎすの男が壇の下でマイクに向かって口を開いた。
「まず初めに、本校生徒会長、姫野百合華が新入生の皆さんに歓迎の挨拶をいたします」
冬野と名乗った生徒会副会長が告げた。
その直後目撃した光景に、僕はショックを受けた。副会長の言葉を受けて、壇上に向かった女生徒は、亜麻色の髪をしていたんだ。!
いくら世間では茶髪などと呼ばれる、髪を染色したり脱色するのが一般化しているとは言っても、この高校の校則はそこまでフリーじゃない。
生徒手帳には、「頭髪はパーマ、染色、脱色等を禁ずる」と書かれているのはもう確認した。
まさか生徒会長が堂々と校則を破っているとは!
慧傳学園は校則に厳しいと聞いていたのに。僕は後ろを振り返って上級生を見渡してみたが、茶髪の生徒は見あたらなかった。
生徒会長とおぼしき茶髪の女生徒は校章である六芒星形—ダビデの星とも言う—をあしらった校旗に一礼し、壇上に上がってこちらを振り向いた。
その瞬間、彼女の鳶色の瞳が僕の目を捉えた、と思ったのは錯覚だったろうか?
気が付くと周囲の新入生達も一様にとまどった様子で少しざわめいていた。
その女生徒は、新入生に向かってお辞儀をするとマイクに向かって口を開いた。
「新入生の皆さん、初めまして。この慧傳学園高校にようこそ。わたくしが、本校の生徒会長を務めさせていただいております、姫野百合華と申します。」
姫野百合華と名乗った亜麻色の髪の美女は、深いアルトの声音でそう言って軽く会釈した。
顔を上げるとまた僕と視線があったような気がした。鳶色の目が吸い込まれそうな妖しい光を放った。
「最初にお断りしておかなければなりませんが、この髪は、染色しているわけでも脱色しているわけでもありません。持って生まれた地毛です。私の祖母はベルギー人で、私の髪もその血を継いでいるんです。
ところで、我が校の校則では、髪の毛を染色や脱色をすることは、禁じられています。ですから、私もこの亜麻色の髪のままでいなければならないと言うわけです。新入生の皆さん、お分かりいただけたでしょうか?」
そう言うと、姫野さんはニコリと笑った。
背中に戦慄が走るような、妖しい微笑だった。こういうのを蠱惑と言うのだろうか。
周囲の新入生からは、ため息が漏れた。
「これから三年間、皆さんと一緒に本校で学んでいけたらいいな、と思います…あっと、いけない、私はもう三年生ですから、皆さんと三年間一緒に過ごすには、二年間留年しなければなりませんね」
そう言って姫野さんは、苦笑しながら自分の頭をコツンと叩き、ウインクした。
出席者全員から笑い声が漏れた。
「ええと、少なくとも一年間—少ない方が私はいいんですけど—一緒に仲良くやりましょう。私の挨拶は、これだけです」
そう言うと姫野さんは深々とおじぎして退場した。
満場の拍手が後を追った。
挨拶の内容はともかく、生徒会長の発散する圧倒的な雰囲気に飲まれたかのように、我々一年生の間ではしばらくざわめきが収まらなかった。
その中で冬野副会長が告げた。
「続きまして、校歌斉唱を行います。新入生の皆さんは、二、三年生に合わせてお歌い下さい。校歌の歌詞と楽譜は手元のパンフレットに載っています。指揮は音楽部三年、春日駿輔、ピアノ伴奏は同じく音楽部二年、渓川いづみです」
男女二人の生徒が左右から壇上に上がって校旗に礼をし、振り向いて我々新入生にも礼をした。
春日と呼ばれた男の方は長身の尊大そうなやつだったが、もちろん僕の関心は渓川という女生徒の方に向いた。
渓川さんは、おかっぱ頭の色白で小柄な生徒だった。渓川さんは、壇上に置かれているグランドピアノに向かい、春日の振る指揮棒に合わせて、なめらかに序奏を弾きだした。
斉唱が始まる前から、新入生からどよめきが起こった。それほどに渓川いづみさんの伴奏は印象的だった。
僕は二、三年生の斉唱よりも、渓川さんのピアノ伴奏に聴き入っていた。それはあくまでも伴奏であって、決して校歌の斉唱を圧するものではなかったが、音楽に造詣のない僕にもその演奏の素晴らしさは、歴然としてわかった。
校歌が終わり、立ち上がって指揮者の春日と一緒に礼をした渓川さんの白い顔は、心なしかどこか淋しそうに僕には見えた。
「続きまして、各クラブの紹介をいたします。まず最初に応援団とチアリーディングクラブ、吹奏楽部の合同による運動部応援演習を公開します」
吹奏楽部などの応援演習が終わった後、副会長が告げた。
「続きまして、美術部の紹介です」
舞台の裾から中肉中背、セミロングの髪にメタルフレームの眼鏡をかけた女生徒が歩み出た。
美術部と聞いて僕は身を乗り出した。彼女の容姿に取り立てて言うことはなかった。美人でも不美人でもない。十人前と言ったところだ。
女生徒はがちがちに緊張していた。
無理もない。チアリーディングや応援団、それに吹奏楽部の派手なパフォーマンスを見せられたばかりだ。美術部と言う、どちらかと言えば地味なクラブとでは、落差がありすぎる。
「あの、あの、び、び、美術部のぶ、ぶ、部長、は、はぎ、萩尾絵夢です。こ、こ、こん、今週からい、い、一週間、び、びじゅ、美術室で、ぶ、ぶ、部員の作、作品のて、て、展示をおこ、おこ、行っています。よか、よか、良かったら、み、み、見に来てください。い、い、以上です。す、す、すみません!」
萩尾部長は顔を真っ赤にしてそれだけ言うと、小走りで壇上から去った。どうも、極度のあがり症で、吃音癖もあるらしい。
周囲の新入生からは、萩尾さんの不器用なしゃべりに忍び笑いも漏れたが、僕は彼女が相当に感受性が強い人物だと感じ、彼女がどんな作品を創るのか、大いに興味を持った。
それから、いくつかのクラブ紹介が続いた。
「続きまして、女子テニス部」
壇上に再び現れたのは姫野百合華さんだった。
「もう一度お邪魔させていただきます。女子硬式テニス部主将の姫野百合華です。入部希望者は放課後テニスコートまでお越しください。初心者大歓迎です」
一礼して姫野さんは壇上を去った。
「そうか、彼女はテニス部か…」
僕は思わず呟いていた。
「なんだ、お前も生徒会長に興味があるのか?」
隣にいた佐伯祐二が僕に声をかけた。
「『俺も』ってどう言う意味だ?」
「知らなかったのか?姫野さんは学園のマドンナなんだぜ。お前はいいよなぁ。クラス委員は毎週クラス委員会で姫野さんを間近で拝めるからな」
「あ…そうなのか」
(クラス委員会か…いいこともあるじゃん)
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