第6話 絶対にやぶれない自分軸を

 冬の夕暮れは早い。

 まだ五時前だというのに、太陽が西に傾き、急速に夜の帳がおりていく。


 オレンジ色に染まった夕焼け雲と、濃紺色の空は麗奈れいなの不安を煽っていた。


 街路樹を黒く浮かばせた路地を曲がり、見慣れた美容室が見えた時には、力が抜けるほど安堵してしまう。

 

「ああ…良かったぁ」


 麗奈が店に出勤したのは、年が明けてから七日もたっていた。


 オーナーは連絡が来るまで来てはいけないと言った。

 セキは、ユナが必ず迎えに行くから、待っていてほしいと言った。

 

 だが、五日たっても誰からの連絡もなく、心配で…心配で、やっとユナが来てくれたのが昨夜遅く。それなのに「明日から来てもいいから…」それだけ言って、消えてしまったのだ。


「何かあったんだ…」


 もう、何も知らされないのは嫌だ。

 心配は徐々に苛立ちにかわり、セキやオーナーだけでなく、ユナにまで怒りがふつふつと湧いてくる。


 …どうして、何も教えてくれないの!


 勢いのまま店の扉を開けようとして、ピタリと止まった。


「え?」


 恐る恐るレモンの木を振り返る。


「なんで…こんな所に?」


 そこにはおりの中でしか見たことがない大型の動物がいた。短いが逞しい四肢しし。しなやかな体の曲線。

 麗奈に気付いて閉じていた目が開かれると、金色の瞳が暗がりに灯され、光って見える。


「う、そ…」


 ここが幽霊美容室であると知る麗奈でさえ、理解の範疇はんちゅうを超えている。

 長い尻尾の先を持ち上げ、ゆっくりと木の中へと消えていくのだ。

 夢でなければ不可思議で、何度経験しても慣れはしない。


 だが、扉から動けないでいる麗奈を、店内へ招き入れたのはセキだった。


「麗奈ちゃん。明けましておめでとう」


 いつもの着流しに羽織を引っ掛け、婀娜っぽい笑顔で、麗奈の顔を覗く。


「お、おめでとうございますっ」


 怒りも忘れ「今、レモンの木に!」と、言いかけた麗奈に、セキは、さまになったウインクを投げた。


 どうやら、麗奈に見られたらしい。


 まあ、これだけ一緒にいれば気づくわよね。


  人は、存在し得ないものには気づかない。見ようとしない。

 だが麗奈は見る努力を続けている。


 …彼女もここで働く仲間なのよね。


 一週間前、麗奈を不安にさせたまま帰したセキは、余裕がなかったと悔いていた。


 知る必要がない…ではなく、麗奈の心配に、大丈夫なのだと言い切れる自信がなかったのだ…。


「…あれはね、木の契約者。囚獄しゅうごくの番人なの」 


「木の…番人、ですか?」


 もう大丈夫…そう言えるのは、当面の問題はオーナーが解決したから。

 

「あの、私には…黒い大きなヒョウに見えたのですが…」


「そう。クロヒョウ」


「っ。ユナちゃん!」


 ユナを見たとたん、小柄な彼女を抱きしめている自分に、麗奈自身も驚く。

 だいぶオーナーに感化されているらしい。

 だが、麗奈以上に驚いているユナは棒立ちでいる。


 私、ユナちゃんやみんなに、怒るつもりでいたのに…。


 怒れるはずがない。こんなに儚いユナを見て…。オーナー達の役目を知っていて。


 死ねば幽霊になれるのか?

 幽霊になったら、ユナ達のように実体を保てるのか?


 そんな事まで思ってしまった自分が情けない。


「私、約束を破って、店に来ようとしたんです」


「ここに、来たの?」


 セキの尖った口調に、慌てて首を振る。


「いえ。駅で下車した途端、尻込みしてしまって」


 本当は心配で、淋しくて、悲しくて…。


 その時、麗奈の肩を叩いたのが先日、店にお客で来た三海みうみだった。


 セキや、オーナー、ユナ達の話を、店以外の場所でできた麗奈は嬉しかった。


 一人で抱えていたような気でいたのだと思う。


 決して特別な相手ではないが、互いに共通した話題ができる友人ができ、心は軽くなる。


「…そう。アタシがちゃんと麗奈ちゃんの話を聞かなかったから、ずいぶん悩ませてしまったのね」

 

 おそらく、三海を麗奈の所へ導いたのはオーナーだろう。何もかもわかっていて、 三海ただの人を麗奈の相談相手に選んだ。 


 そして、麗奈もそれに気づいている。


 やっぱり、オーナーにはかなわないわねぇ。


 それでも、それを良しと思えるから、セキはオーナーの側にいるのだ。


 すると、店内に柔らかな風が吹いた。新春に相応しい、春の匂いがする穏やかな風。

 綺麗に磨かれている鏡がより艶やかに店内を映し、店の明るさまでが違って感じる。


「何をしんみりしているの?」


「オーナー!」


 駆け寄る麗奈を、両手で抱きしめたオーナーは、闇から戻った時も、同じようにセキ達を抱きしめた。


 ゲンスケとエモトは真っ赤に赤面して固まり、ユナもオーナーの胸で泣きじゃくった。


 セキはというと…思い出したくない決まり悪さに、あえて笑いながら困惑を振り払う。


「麗奈ちゃんが、クロヒョウを見ておどろいちゃったのよ!」


「あら、そうなの? 太陽が登っているうちに、熱を吸収しているのよ。綺麗でしょ?」


「あ、はい。キレイでした」


「ふふふ。あの毛並みは撫でがいがあるわ。抱きまくらにして寝るのも悪くないわよ」


 まったく、本当にこの人は…。


「だいいち、どうしてクロヒョウなの?」


「あら、黒は太陽の光を吸収するんでしょ?」


 それで人をクロヒョウに変えようとするのは、オーナーくらいだ。


「木は根から吸い上げたものを、地上に放出しているのでしょ?」


「闇の放出はいいの。私の役目だから」


 当たり前のように言うオーナーは、結局セキ達の力などたいして借りず、自分の力で店に戻って来たのだ。


「あなた達がいるから戻れたのよ」


 そう言うオーナーに、セキは「はいはい」と素知らぬ顔で照れを隠す。


 すると清涼の香りとともに、華やかな花魁までが姿を現した。


「おめでとうさんどす。おや、セキや。少しは男を上げたかえ?」 


「はあ…。オーナー相手にどうやって男を上げるのよ」


 キセルを持つ指先には、主張しすぎない清楚なマニキュア。セキが奪衣婆に選んだ色。


「バアさま。次、何かあった時は、しっかり手伝ってもらうわよぅ」


「三途の川の好かねぇことやけん、期待はしないでおくんなし。あとセキや。わっちの事は、ねえさまと呼びんしゃい!」


「うわ、なんでバアさまがいるんだ?」


 ゲンスケとエモトも姿を見せ、いつもと何も変わらないスタッフが顔を揃える。


「いいじゃないの。スタッフが揃った仕事初めよ!」


 仕事初め…と言っても、幽霊達の初参はつまいりとなっている美容室は、昨日まで大忙しだった。

 

 かいを得ようと集まる幽霊を、追い払えば良いものを、彼女はどんな来店客の話にも耳を傾け、髪と汚れた衣を払い、前を向く勇気を与える。


 今回、対処次第ではオーナーと奪衣婆、双方に、そしてレモンの木にも、大事を招きかねない事態だった。それなのに全てが終わればいつも通り。


「契約や決まり事に、縛られる必要なんてないのよ。大事なのは自分の心の軸に何があるのか…」


 確かにオーナーの強さは、側にいる者の心を熱くする。


「絶対にやぶれない自分軸。それさえあれば、あとは楽しみを増やすだけね」


 古風こふうで、聡明で、人情深い。幽霊一ゆうれいいち美しいオーナーがにっこり笑った。


「人それぞれ違っていいの。だから、私の楽しみも増えるのよ!」


 リン!


 涼やかな音が響き、木目の扉が開く。


 セキはクスクス笑いながら羽織を脱ぎ捨て、タスキを回した。

 ゲンスケが丸メガネを指で押し上げ、エモトは長い片耳ピアスを揺らし歩み寄る。


「いらっしゃいませ、お客様。本日も楽しいおだいを期待してます」



             おわり





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美容室での年越しは レモンと月にご用心【陸】 高峠美那 @98seimei

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