第5話 大切に思う気持ちの計量法

「さあ、どうしようかしらね」


 自らレモンの木に飛び込んだオーナーは、地上と異空間の狭間はざまに立っていた。


 空気の流れがない…。


 光が差さない暗闇くらやみに眉をひそめる。


「ユナを逃がした道で、私も抜け出せない事はないけど…。それじゃあ解決にならないわね」


 それにしても…と、店があるであろう暗黒あんこくの空を見上げた。


「あの子達に、あんな覚悟ができていたとはね」


 成長したわ〜と、嬉しく笑う。


 ただ、もう少し時間があれば話ができていたかもしれない。


「ま、それも仕方ないわね」


 店に戻るのであれば、やる事は決まっている。


 セキがあの場所を自分の居場所と思うように『Hair dressingヘアドレッシグ Lifeライフ』は、オーナーにとっても欠くことができない店。


 でも、あまり時間をかけると…。


「黙って私の帰りを待っているスタッフでは…ないのよね」


 心配されることは、不快ではない。


 人であれば、大切な人を守りたいと思う事は当然であり、面倒でも、その人の願いを叶えようと努力する行動こそが、相手を本気で思うあかしだったりする。


 時間がなくても会いたかったり、どんなに疲れていても、話を聞いたり…。

 喜んでくれる顔を思い描けば、無理もする。

 それが相手を思う計量法。

 

「でもね…、私がユナを助けるために飛び込むのと、誰かが私の身代わりで消失するのとでは、全くわけが違うのよ」


 わからないのかしらね…。


 カツン!!


 少しだけ拗ねた顔で闇を蹴る。すると小さな光が四方八方に弾けた。

 無数の光りは、カラフルなビー玉に変化しゆっくり転がりだす。


 青や赤の単色のもの、中に模様の入ったもの、無職透明なものなど色々だが、みな意思があるのか…オーナーの周りから、コロコロと広がっていく。

 転がったあとは、くっきりと帯状おびじょうに輝き、暗闇に光の線ができていった。


 まるで、水面に映った太陽か、石を投げ込んでできた水の波紋を切り取ったよう。


 辺りが明るくなれば、大木たいぼくから伸びた木の根が遥か地下まで伸びているのが見える。


 木の根は長い年月をかけ、底の底、生前悪事を重ねた人間が閉じ込められている囚獄しゅうごくにまで届き、闇を吸い上げているのだ。

 

「…俺は、まだやれる」


 突如、もり上った木の根から現れた男に、オーナーは頷く。


「…ええ、そうね」


「俺は、この木の契約者」


「その通りよ」


「汚れた部分を浄化したい」


「できるわ」


 身体のすみずみまで刺青イレズミを施したような肌。どこまでが闇に腐蝕されているのかと見極める。


 だが、会ってみて確信した。


「やれるわ。私がこの地と契約する前までは、あなた一人でこの木を維持できていたのだから」


 物音がしない世界で、オーナーの穏やかな声は普段と何も変わらない。


「…あんたは、神か?」


 そう思うのも無理もない。だがオーナーは、意地の悪い目で笑う。


「私が、神様ならあなたの妹にはめられたりしないでしょう?」


 はめられた…という言い方は適切でないかもしれない。だが事実であり、彼女が抱える責任の重さを、男もじっと推測する。


「…あんたは、なぜユナを恨まない?」


「恨めば、何か変わるの? 契約が解消されるのかしら?」 


 …契約とは、そんな簡単なものではない。


「あいつは、俺一人にこの苦行を押し付け、自分は逃げた!」


「違うわよ。牢屋奉行ろうやぶぎょうのようなレモンとの契約を、あなたが一人でやると言ったのよ。そしてユナは、力量を見極める力があった。だから、あなたにこの木を任せ、私をこの地にとどめたのでしょう」


 実際、それは成功して長い年月均衡を保ってきた。

 しかし、このままでは男もレモンも朽ちてしまう。


「そこで…提案なんだけどね」


 太陽の光が届かない深海にも、生命は生きている。海流にのってわずかな酸素が運ばれるからだ。

 それなら…。 


「まずは受け入れるべきだわ。あなたの坊主頭も、黒く変わった皮膚も環境に適応したのよ」


 深海の生き物は、独自に進化を遂げた。

 切られた木も、新しい芽がでる。


「人も、自ら道をみつけて進むものでしょ?」


「…何をする?」


「ここに光と外気の流れを通す。そして、あなたの身体をこの世界でも生きていけるようにするのよ」


 闇の世界に風はない。音もない。遥か底には暗黒の囚獄。普通であれば気が狂う。

 せめて一筋の光があれば…。


 ふわっ…と、風が流れたように思ったのは、男が着ていたローブを落としたからだった。

 

「…この身体は、醜い」


 木と同化した身体は、肌の何処もかしこも螺旋に渦巻くレモンの葉が浮き出ていた。


 だが一糸纏わぬ男を目の前にしても、オーナーはにっこり笑う。


「とても綺麗だと思うわ」


「…なに?」


 男の眉が跳ね上がる。

 オーナーの笑顔はかわらない。


「とても綺麗だと言ったのよ。でも、棘が刺さらない身体が必要ね」


 そうして、思いついた答えに「いいわ!」と満足気に頷いた。


「後は、光と水よね?」


「…何を言っている?」


「地下深くまで、どう光と空気を通すかよ。…あなたが光ったりできないかしら?」


「何が、言いたいんだ?」

 

 男にわからなくとも、オーナーの中では道筋ができていた。


「チョウチンアンコウじゃあ、ちょっとね」


 どこまで本気なのかわからないオーナーに、とうとう男の苛立ちが爆発する。


「…だからっ、何が言いたいんだ?!」


 しかし、オーナーにも心に決めた信念がある。


 この地にいるかぎり、誰の命であろうと、どんなに愚かな魂であろうと、絶対に消させはしない。


「もう、あなたの契約維持に、人の姿は必要ないって言っているのよ!」


「!!」


 目を見開く男をよそに、オーナーの顔には笑みが浮かぶ。音のない世界に、微かなサクラの旋律が聞こえていた。

 

「あら、案外早かったわね。琴は、ゲンスケ、三味線は、セキかしら。信頼に溢れた優しい音は好きよ。でも、心配が混じった音は、気に入らないわ!」


 すっ…と、音が聞こえる地上へ腕を上げれば、散らばっていたビー玉が一斉にオーナーの指す上空へ飛んだ。


 カツン! カツン!!


 ビー玉はぶつかり合い、光の帯は孔雀の尾のように地上を目指す。


 そうして、四方から集まった光を腕に絡め…引っ張り込んだ!

 

 ドォ―――…ン!!


 天位一点、光りから大量の水が落ちてくる。水は木の根をすり抜け、地下深くの囚獄目指して落ちて行った。


 だが、底に辿り着くまでには遥か遠く、水は幾度も根にぶつかり、きりもやにかわりゆく。滝壺になるはずだった囚獄では、囚人が溺れることはない。

 ただ…光のしずくと水蒸気が、闇の渇きを潤していた。




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