第4話 それぞれの思惑

 美しい三日月の下、レモンの木が揺れる。

 朽ちる事が許されない木。


 不自然に切られた枝がある以外、木の腐蝕は見えはしないのだが、幹の色とは違うどす黒い色が、根に近づくにつれ色濃く染まっていた。

 

 おそらく、同化している者の力が限界に近い。


 限界なら、眠らせてやればいい…。

 

 だが、契約とは厄介なもので、互いの意思など関係ないのだ。

 さらには、この契約者は自分の限界を認めることができないでいる。


「自惚れ男の面倒なところね」

 

 セキ本来の、低く響くハスキーな声。


 この木の向こう側に、オーナーとユナがいる。


 恐ろしくない といえば嘘になる。

 だが、行かなくては助ける事も、守る事もできない。


「最初にユナが捕まったんだ。オーナーはユナを助ける為にあとを追った」

 

「でしょうね」


「どうやって入る?」


 助言を求めて奪衣婆を振り返る。


 だが、女は首を振った。 

 

「わっちが手助けできるのは、ここまででありんす。アレは、三途の川との契約に属しておらぬゆえ、わっちといえど手は出せん。オーナーを引き戻したいのであれば、あんさん達の力でやりんしゃい」


 すっぱり切り捨てられたセキは、後ろ髪惹かれる思いを断ち切ろうと、顔をそむけた。


 何を、バアさまに頼っている? あの人を取り戻すための覚悟くらい、できていたはずなのに…。


 そんなセキに、小さく舌打ちをした奪衣婆は、再びキセルを取り出した。

 清涼を感じる煙は、今年最初の月に吸い込まれるよう、澄んだ冷気にゆるりとたゆる。

 

 情けを断ち切れずにいるのは、奪衣婆も同じだった。


「…ええかえ。あんさん達と…ララカが過ごした時間は決して短くない。気づかぬして、力は磨かれていたであろう。音をつこうてみるがええ」


 見た目は月夜に映える美しい花魁が、セキを見て珍しく目尻を下げた。


「セキや。荷がおもうて手に負えん、その時は…力不足と認めて、わっちを呼びんしゃい」


 しわがれた声に慈愛を滲ませ「おさらばえ…」と、煙と一緒に消えていく奪衣婆の残像を、セキは何も言えずに見送った。

 

「音…。アタシ達がオーナーに近づく力があるとすれば、音以外にないでしょうね」


「じゃあ正月らしく…サクラで行くか?」


「あんた、琴はいける?」


 あざけるセキに、ゲンスケは「ふん!」と、鼻を鳴らす。


 だが、セキ達が音を鳴らすその前に、レモンの木が先に葉を揺らした。


 ザワザワと寒風かんぷう吹きすさぶ木の根本から、男が姿を現す。

 灰色のローブは、セキも見覚えがあるレモンの契約者。表情は…わからない。


「…二回、うるう年の新月が雪でしたから、十二年ぶりですかね」


「……」 


「オーナーと、ユナちゃんをお返し頂きたい」


 目の前に現れた男に、セキは自分が余裕を持って会話できている事に安堵する。


「あんた、人間の言葉忘れちまったのか?」


 ゲンスケも、揶揄する余裕はあるようだ。

 だが…時間がない。焦る。


「あんたの役目に対しては敬意を示す。だが、うちのオーナーを差し出す訳にはいかねぇんだよ」


 焦る。……焦る。


 腰をおとしたゲンスケに、エモトも飛びかかるタイミングをはかりながらジリ…と、近づく。


 男に気付かれようが、このチャンスを逃す訳にはいかない。


 だが、ふぁさ…と、フードが外れた男の顔を見て息を呑んだ。


 髪が抜け落ちた坊主頭から顔にかけ、渦巻く葉が皮膚に浮かんでいた。

 腕や、マントから見え隠れする足にも、レモンの太く短い棘のある枝が、螺旋らせんをかきながら皮膚を刻む。


 泥砂で作ったような黒い指は、今にもボロ…と崩れそう。

 

「俺の腕も、足も黒く染まった。光を取り込まないと木を維持できない」


 セキは、吐き出しそうな悪寒に襲われながらも、男の前に出た。

 オーナーの戦うこの場所こそ、セキに勇気を与える。

 

 恐怖で後ろに下がるなど、できるはずがない!


「では、この身体を使えばいい。数年たって朽ちたら、その時また考えればいいでしょう」


「その時は、俺を使え」


 セキに、ゲンスケが続く。


「その身体も朽ちたら、次は自分だ」


 エモト…。


「だから、オーナーを返せっ」 


「俺は、あの眩しい光がほしい」


「…わかる。ですが、この場所を守る人はあの人しかいない」


「…おまえ達は、何の為にいる?」


「あの人の変わりが務まる人間なんて、この世界にいないんですよ」


 その時、一つのレモンがぼとりと落ちた。

大きく膨らんだレモンが光を放ち、そこから微かな歌声が闇に響く。


 さくら… さくら…

 野山も 里も… 見渡す かぎり…

 かすみか 雲か… 朝日に におう…

 さくら  さくら… はなざかり


 光から、ぶわっと、桜の花びらが舞い上がり、中から現れたのはユナだった。


「「ユナ!!」」


「くそ! どうやってっ」


「オーナーが、道を作った」


 立ち上がったユナは、悲しい目で男を見つめる。


「ユナちゃん!」


 セキは慌てて自分の身体の後ろにユナを押しやり、ゲンスケとエモトでユナを挟む。


 男の苛立ちはあきらかだ。


「俺は…寒さの厳しい冬の夜も、一人でこの木を維持している」


 地を這うような低い声。


「たった一人だ。おまえ達は扉の向こう側でぬくぬくと光の中で守られて」


「…望んだ契約だったのでは?」


「そうだ! 望んだ! だが見ろ? 気がつけば真っ黒だ!!」


 男の罵声に呼応して、身体に浮かぶレモンの枝が螺旋状に蠢めきだした。


 棘が男の皮膚を突き破る!


 だが、シャボン玉が弾けるような微かな音がするだけで、皮膚から血が流れるわけでもない。


「俺は、この木と契約した。だから、これからも、この先も、ずっとこの木の一部となって生きていく」


 男が消えようとレモンの木に身体をうずめた。


 地からは蠢く闇が、臭気となってセキ達の足に絡みつく。


 もう、闇に染まったこの男には無理だ!


 気づけばセキは叫んでいた。


「オーナー! 聞こえる? アタシを使って。オーナーならできるはずでしょ?!」


 何もかもかなぐり捨てたセキの声に、オーナーの歌声は優しく続いていた。


 さくら… さくら…

 弥生の空は…


 ギュル!と、視界が回転した。


「やべぇ! 掴まれ!!」


 ゲンスケの声に「何処によ!」と、返すのが精一杯。互いに身体を掴んで支え合う。


 吸い込まれる圧力に堪えるセキ達の周りを、ふわりと桜の花びらが踊った。


「…っ」

 

 結局、守られてばかりだ!

 

 この男を、このまま幹に同化させていいはずがない。


「ゲンスケ! 動ける?!」


「くぅ…。無茶…言うなっ」


 木が完全に閉じる直前、男を呼び止めようと叫んだのはユナだった。

 

「待って! 兄さま!!」


「――!!」


 三人から驚愕きょうがくの顔を向けられたユナは顔を歪めた。


 いざや… いざや…

 みにゆかん…

 

 ほんの一瞬、緩んだ圧力に、オーナーの歌声が闇の臭気を全て消し去る。


 だがその後、完全に閉じたレモンの木から、再び歌声が聞こえる事はなかった。

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