第3話 面倒のその先に生まれる物
「おやおや、新年のあいさつかえ?」
何事か分かっていながら問う奪衣婆に、セキは苛立ちを積もらせていた。
キセルからたゆる煙に、店先の風景が映し出される。
そこに群がるのは、
「この世に未練があって彷徨っているであろうに、あんさん達みたいに実体を保ちたい幽霊が多いのであろう」
…そうなのかもしれない。
それでも、オーナーとの出会いで未練に踏ん切りをつけ、あの世に旅立つ霊もいる。
セキは、どうすることも出来ない物憂さに、ふっとため息をつく。
…そもそも、三途の川の渡し守りが、年の終わりに疲れを癒やす美容室。
実体を保つ秘め事があると信じる霊がいても不思議はない。
さらには…四年に一度、人の姿を現すレモンの木。
この人、アタシ達の気掛かりに気付いていないのかしらね…。
「いいわ。ウイ様のセットは終わったから、とっとと始めましょ」
寒空の下、ずっと扉を守っていたゲンスケ達を労いに向かうオーナーを、ユナもとことこ追いかける。
セキは慣れた手付きで、着流し和服にタスキを回した。
「セキや。わっちの爪に色をのせておくれ」
オーナーの姿が扉の向こう側に消えると、奪衣婆はセキを側に呼ぶ。
「セキや。ただ白いブラウスを着て、髪は緩くまとめているだけ。そんな女がどうしてあそこまで華があるんかのぅ?」
この老婆が、どれほどの数の人間を見てきたかは計り知れない。
良き人間も、愚かな人間も。
そんな彼女が、オーナーを認めている。
マニキュアを女の爪に塗りながら、セキもオーナーを思う。
どんなに薄汚れても、オーナーの美しさと強さを霞ませる事はない。
「オーナーは華以上。あの人に華やかな
「あんさんの顔、ええのぅ。わっちの川を渡ろうとした時とはちごうて、ええ顔やわ」
…オーナーに出会う前のセキは、つまらない人間だったと思う。
『全て面倒と言いたいの? じゃあ、手を振られたら振り返してごらんなさい。頭を下げられたら、自分も下げて見せなさい。ありがとうって言われたら、ありがとうって返してみなさい。面倒を積み重ねたその先に、信頼や友情、愛情だって生まれた仲間ができているものよ』
そうオーナーに言われて、今のセキがある。
押し黙ったセキに、奪衣婆は続けた。
「セキや、ええかえ。契約継続のため、レモンの木は華の力をほしがる。極力、華をレモンに近づけるでない」
それは、セキやゲンスケ達も予測していた。
だから、今日までオーナーが話をしてくれるのを待っていたのだ。
何か、考えがあるのだろう。そう信じているのに…。
「…オーナーが、アタシ達の後ろに立つ事はないわ」
どんな危ない橋があろうとも、オーナーは自ら先頭をきって闊歩する。
闇を蹴散らし、危うさなんて感じさせずに。
「…わこうておる。それでも、あんさんが守りたいのであれば、守り抜いて見せんしゃい」
奪衣婆は、しわがれた声に優しさを含ませゆっくりと煙を吐き出した。
が、吐き出された煙が、ギュル!と渦を巻き扉の外へと消える。
何かに吸い込まれるような圧力に、建物全体が揺れた。
「セキ!!」
頭のバンダナを吹き飛ばされたゲンスケが、丸メガネを抜き取り店内へ飛び込んできた。
「レモンのヤツがユナとオーナーを木の中へ引きずり込んだ!」
「なっ! まだ、早いはず!」
ゴォーン……。
ちょうど、除夜の鐘が、年が明けたことを知らせていた。
ゴォーン……。
どっと、たくさんの幽霊が美容室の木目の扉めがけて押し寄せる。
「セキ! バアさまは!?」
「なかよ!」
「くぅ…。数が多すぎるぜ!」
客の安全確保は絶対条件。
しかし、一度にこんなに多くの幽霊を店の中へ通してしまえば、オーナーの力に負担がかかる。
だいいち肝心のオーナーがいなくては、この数はさばききれない。
「踏ん張って! 早く、オーナーを取り返しにいかなきゃ!」
「どーやって取り返すんだよ!! 木の幹に吸い込まれて行ったんだぞ!」
「バアさまが、言ってたわ! レモンの木は契約の継続にオーナーの力を欲しがってるって」
「だからっ、どーすりゃいいんだよ!」
「変わりを差し出す!」
「変わり…って、おまえか?!」
ゲンスケがセキを見る。
「アタシでも、数年はもつでしょ。あんた達には、世話になったわ」
「…おまえの世話をした覚えはない」
セキはこうする事を決めていたのだ。
「バアさまをよろしく。見ていて。一年でも長く、あの木を維持してみせるわよ」
「ばか…」
うふ…と、ウインクを投げたセキに、ゲンスケからのいつもの憎まれ口は返ってこない。
「ばかは、あんさん達でありんす。わっちを呼ぶ時は、ねえさまと呼びんしゃい!!」
艶やかな鳳凰の着物が舞った。キセルから上がる煙が澄みきって見える月に、ゆらりとたゆる。
奪衣婆の出現に、欲を出す幽霊達は花魁に群がるようにとびついた。
しかし、相手は三途の川の渡し守り。
女に触れた者からことごとく煙と消える。
再び罪の重さを量られそのまま流される行き先は、どこであろうと二度とこの世に戻る事は許されない。
そして三途の川を渡れた幽霊でも、一人として実体を保つ幽霊が現れる事もない。
「何度学べは、気がすむのかえ」
地面をずったぽっくり(下駄)が、土を踏めば、台の部分に入れた鈴がリン…と鳴った。
豪華な
たった一人で数百体の霊を、危なげなく岸の向こう側へと船頭する様子は、やはり、この女が恐怖と畏怖される存在なのだと身に沁みる。
そんな女が、オーナーのこの地を守っている。ただごとでない事態なのだ。
静けさを取り戻した美容室の店先で、セキ達はレモンの木を見上げる。
他の幽霊達が来るまでのほんのいっとき。
今、オーナーを取り戻さなくては!
しかし、目の前で揺れるレモンを睨んでも、普段よりくっきりと引き締まった月が、称えるよう照らすだけだった。
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