第4話 兄弟

 三階から二階へと下りる途中の踊り場で都長補佐のロートバルターは足を止めた。

「お嬢様、今夜の宿泊先などはもうお決まりですか?」

 入国審査を終えたらすぐに警察のエスコートで宮殿に来たので何も決めていない。

 秋の日はすでに大きく傾いている。暮れてしまえば宿屋を見つけることも難しいだろう。


「いいえ。アルトキールは、宿屋は多くありますか?」

 宿屋が多くても、女性が一人で泊まれるような安全な宿となるとどこの町でも数限られる。そういう宿は往々にして予約で埋まっていたりするので、これから直に見つけるのは骨が折れる。


「ならばうちのホテルに泊まればいい。『ベルタホテル』ならここから近いし」

 提案したのは実業家のロートバルターだった。

 彼が経営をしているホテルがこの馬車道沿いにあり、社交シーズンも終わったので今は若干余裕があるはずだと言った。


「客室が空いていたらそちらをお使いいただいて、もし満室だったとしても私の仕事部屋として確保している部屋があります」

 実業家のロートバルターの屋敷は二区にあるが、仕事で遅くなったり次の日が早い時には『ベルタホテル』の仕事部屋に泊まることがあるそうだ。


「おい、変なことに使っている部屋なんじゃないだろうな」

 腕組みをして詰問するような口調の都長補佐は実業家を睨みつけた。

「仕事場だぞ。仕事以外に何をするんだ。下品なお前と一緒にするな」

「こっちは公爵と上司に報告する義務があるんだよ。変なところに泊めて、お嬢様に何かあったらただじゃ済まねえだろう」

「『ベルタホテル』は街でも指折りの一流ホテルだぞ。お墨付きを出してるのはどこの役所だ。それともろくに審査もせずお墨付きを出すぼんくらばかりなのか、お役所ってのは」


 そこではっと口を噤んで会話は途切れた。男二人は傍らにクロエがいることに気付いたからだった。


「……二人は、ご親戚か何か?」

 クロエが尋ねると、二人は顔を見合わせて、同じ動作をしたのが嫌だったのか不機嫌そうにぷいっと顔をそむけた。


「弟です、腹違いの」

「兄です、腹違いの」


 似てはいないが、実業家の兄と役人の弟で、違うタイプの美男。

 父親とそれぞれの母親はさぞかし鼻が高いだろう。

 

「そうでしたか。では、お二人が一緒の時は『ヨハン様』『マティウス様』とお呼びしてもよろしいですか? わたくしのことはクロエとお呼びください」


 弟の方が息を一つついて先に気を取り直した。

「今夜のところはこいつの……『ベルタホテル』にお泊りください。本来なら公爵の居城であるパルスブルク城に宿泊いただく予定でしたが、公爵夫人があのご様子では取りやめた方がいいでしょう」


 公爵夫人は今日、産婦人科の検診で宮殿内の病院に来ていた。診察が終わり、夫に挨拶して帰ろうとしたところ、公爵は大事な女性客と面会しているから待つように言われ、夫人は何か誤解をしたらしい。


 ただでさえ不安定なのだから、刺激はこれ以上与えない方がいい。


 『ベルタホテル』は国内の高位の貴族や外国の貴賓なども利用する格式の高いホテルで、場所もここから馬車で五分程のところにあるという。

 馬車道沿いで周囲は観光名所が多く、治安もいい。


 それを聞いたクロエはホテルまで観光がてら歩いて行ってみたいと思ったが、馬車がすでに用意されていて、ロートバルターが二人とも乗り込んだらすぐに発進してしまった。


 せめて窓からでも観光できるかと思ったが、外はもううす暗くなっていててよく見えなかった。


 ヨハンが遮光性の高いムゼラス織りのカーテンを引くと、天井に取り付けてあるランプが何もしてないのに点灯した。

 どういう仕組みになっているのだろうとじっと見ていると、ヨハンがランプに手をかざし、左右に手を振るとその度に明るくなった。

「光の魔鉱石です。ある程度の暗さになると感知して発光します。そして、手をかざして振ると明度を調節できます」

 最大でも夜中に本を読めるくらいの明るさだという。

 発熱もわずかでほんのり温かくなる程度なので火事の心配もなく、天井に取り付ければ馬車内が全体的に照らされる。


「魔鉱石は西の森で採れます。他にも様々な鉱石があって、役所で厳密に管理をしております」

 説明したのはマティウスだった。

「採れるのですか?」

「はい。自然発生しています。あの森は魔素が強く、一般の者が容易に入れるところではありませんが、冒険者ギルドなどが定期的に採集に行っています」

 クロエの国では魔鉱石はほとんど採れず、輸入に頼っている。市場に出回っても宝石よりも高価で取引され、それが目的の強盗事件などもあると新聞で読んだことがある。


「盗掘などされませんか?」

「時々、外国の盗賊などが入ったりしますが、元々魔素の強いところですから、普通の人間なら五分と息がもたないでしょう。大抵の場合酷い目に遭って森から放り出されて当局に捕まり国外退去処分です」

 酷い目に遭って? と首を傾げていると、マティウスは片方の口の端だけを上げた。

「魔素が強いということは、当然魔物も多いということです。自分達の領域を侵犯されたと思って襲い掛かってきますから」

 観光は街中だけにしてください、と付け加えた。

 クロエの頭の中には家の図書室で読んだ魔物や獣がでてくる本の挿絵などが浮かんで、絶対に近寄らないと心に決めた。


 馬車道から一本奥の道に入り、ホテルの裏口で馬車は停まった。

「すみません、クロエ様。こちらの方が近道なので」

 ヨハンはクロエが馬車から降りるのに手を貸しながら詫びた。裏は職員通用口になっていて入口には出入りを監視する係員がいた。

 経営者であるヨハンが顔をのぞかせると、係員は二人とも勢いよく椅子から立ち上がって挨拶した。


「お疲れさまです、ロートバルター様」

「君達もお仕事ご苦労様です。すまないが、総支配人に手が空いたら部屋に来るように伝えてくれないか」

 係員が返事をして、ごゆっくりどうぞと言って見送る。ヨハンは勝手を知っているので中に入っていった。

  

 この建物は元々ギレンフェルド国の貴族の別邸だったそうだ。経済的な事情で手放すことになりそれをヨハンが買い上げてホテルに改装したのが四年前。

 当初から特権階級向けの宿泊施設を目的としていて部屋数は多くはないが、滞在を快適に過ごしてもらうために最新の設備を配置しているとヨハンは前を歩きながら説明する。


 クロエ達が歩いているのは従業員用の廊下だ。壁には馬車にもあった光の魔鉱石のランプが一定間隔で吊り下げられている。自動で点灯消灯するので手間がかからないし、絨毯もほとんど足音がしない。忙しなく移動する従業員の物音を客室に響かせないようにだろう。

 裏側だといっても手を抜かないところにヨハンの経営の手腕が垣間見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る