私と、偉業スーパーの話
「すまない、ベイクドモチョチョが売り切れてしまったんだ」
そう言って、カフェテラスの店主は申し訳なさそうに眉尻を下げた。Misskey.ioのローカルタイムラインの表通りに面したテラス席で、私はココアを飲みながら、なぜかテーブルの向かいに座っている店主の話を聞いていた。
「お陰さまで店は順調で、ベイクドモチョチョだけじゃなく、げんこつハンバーグもトンカツも、パフェやアイスの材料も売り切れてしまってね、嬉しい悲鳴だよ」
そうやって困った風に見せながらも、得意げに微笑んでいる店主の精神性は、私には大いに疑問だった。
「嬉しい悲鳴を上げてる場合じゃないでしょう、今すぐバイトの子に買い出しに行かせるなりすればいいじゃないですか」
私が言うと、店主は腕組みして首を傾げる。
「いや、いつも買い出しは私が行くのだけど、あいにく忙しくてね」
「じゃあバイトリーダーに店を任せてあなたが行けばいいでしょう」
「いやあ、そんなに任せられるバイトの子もいないし、そうだ、君が行ってくれないか?」
「どうしてそうなるんです?」
私は露骨に眉をひそめていただろうが、店主はそんなことも気にせずに、ズボンのポケットから財布を出して、一枚のカードを引き抜いた。
「これ使って」
渡されたのは、ICチップの付いた黒一色のカードで、大きくPatreonのロゴの入っていた。
「ブラックカードじゃないですか」
「まあね」
「そんなに儲かってるんですか」
私が驚いてカードと店主を交互に見ていると、店主は誇らしげに鼻息を吐いた。
「いつか村上さんのトップスポンサーになるのが夢だからね。まだまだこんなんじゃ止まらないよ」
「そんな高い目標があるのに買い出し行けないほどバイトを育成できてないのは何故なんです?」
その質問への答えを聞くより先に、二人の横からブラックカードを奪う手が伸びた。
「すごい! ブラックカードじゃん! 行こう買い物! わたし欲しいものあるんだ!」
ブラックカードを手にして、ショートボブに丸眼鏡の女性は満面の笑みではしゃぐ。ミスキーガールだ。
「待て待て、私は好きなもの買っていいなんて言ってないよ、店のものを買い出しに行ってくれって頼んだんだ」
慌てる店主に、ミスキーガールは不服そうに眉根をひそめる。
「ケチ! どうせ経費で落ちるんだから好きなもの買っていいじゃん!」
「で、どうするんですか、買い物行けばいいんですか?」
私が言うと、店主は目を丸くしてこちらを見つめる。
「本当に買いに行ってくれるの?」
「まさかブラックカードの自慢だけのつもりだったんですか?」
かくして、私はミスキーガールと二人でカフェテラスMisskey.ioの食材の買い出しに行くことになった。カフェテラスの建物の裏側に停めてある店主の愛車のregretcarで、Misskey.ioの郊外にある「偉業スーパー」まで約30分。自動車一台より長いボンネットのモンスターマシンをミスキーガールはいとも簡単に運転して、私たちは二台分の駐車料金を払って「偉業スーパー」の店内へと入っていった。
「でかいなあ」
「偉業スーパーっていうより、偉業モールだね!」
スーパーと名は付いているが、ミスキーガールの言う通りショッピングモールを思わせる規模の建物で、生鮮食品売り場以外にも、衣料品、生活雑貨、電化製品やおもちゃ売り場までそろっており、一日では回り尽くせないほどの大きさだった。ひとまず私たちはショッピングカートを押して生鮮食品売り場に向かった。
「業務用の材料とか売ってるのかな」
「売ってるって言ってたから来たんじゃない」
「まあそうだけど」
渡されたメモにある通りに売り場の地図を進んでいくと、たしかに業務用の徳用品が山積みされていて、私たちはそれらをカートに入れていった。
「アイス多くない?」
レジの列に並び、カートを確認しながら私が訊くと、ミスキーガールは首を横に振った。
「大丈夫。これお店用と、これわたし用」
ミスキーガールが指さしたアイスクリームのパックは、あきらかに「わたし用」が「お店用」の倍近いサイズがあった。
「その、わたし用、デカくない?」
訊くと、ミスキーガールはキョトンとして首を傾げた。
「デカいよ、なんで?」
「なんで」
レジで精算を済ませて袋詰めしていると、売り場に面したデジタルサイネージに大きく「――ドルお買い上げのレシートでMisskey.ioロゴ入りモバイルバッテリーが当たる抽選会にご参加いただけます」というお知らせのテロップが流れた。ミスキーガールはもちろん見逃さなかった。
「欲しい! ロゴ入りバッテリー欲しい!」
「いやでもそんなに買って、……いや、たぶん買ってるな」
レシートを確かめると、参加要件の額ぴったりで買い物していた。
「行こう! 三階だって!」
私たちはカートを押してエレベーターで抽選会場に向かった。会場にはすでに列ができており、回転式抽選器のくじの玉をかき混ぜるガラガラという音の鳴るたび、ため息とともに参加者にポケットティッシュが渡されていた。
「ケチくさいなあ、これだけ買ってるんだからモバイルバッテリーぐらい参加者全員に渡せばいいのに」
ミスキーガールが言うのに、私は苦笑いしながら小さく頷く。
「このご時世だからね、プレゼントも渋くなるのも無理はないよ」
そんな会話をしているうちに、抽選の番が私たちにまわってきた。私がレシートを係員に見せると、ミスキーガールは勇んで抽選器のハンドルをつかんだ。
「よござんすか? よござんすね?」
「いいからやんなさいよ」
私が呆れてそう言うと、ミスキーガールはぐるり、と勢いよく抽選器を回した。すると、回転ドラムからくじの玉が弾丸のように射出され、天井の隙間にめり込んだのだ。
「ハマった! 何色? 当たりかな?」
ミスキーガールとともに見上げると、球の色は翠色、Misskey.ioの空の色と同じだった。
「翠色だ! 当たりでしょう!?」
ミスキーガールが訊くと、係員は会場の奥から大きな箱――とてもモバイルバッテリー一個ではなさそうな――を持ってきた。
「翠色の景品はこちらです」
箱から取り出されたのは、「偉業」のカスタム絵文字をかたどった、30センチ立方ほどの大きな、なんか、なにかだった。
「……いや、いまさらリアクションシューティングの絵文字なんか景品でもらっても」
ミスキーガールが言うと、係員は鷹揚に首を振った。
「こちらはMisskey.ioを代表するカスタム絵文字『偉業』をかたどった現代アートでございます」
「現代アート」
Misskey.ioの翠色の空の下、私たちは今日も朝食を、通勤通学を、帰宅を、就寝をノートして、「偉業」のリアクションで互いを讃え合う。それは日々の暮らしに癒しと輝きを与える、生活の行いである。しかし私たちは目の前の「現代アート」と呼ばれる「偉業」を目の当たりにして、ただ戸惑うばかりであった。
ミスキーガールは首を傾げて、つぶやく。
「……メルカリで売れるかな、現代アート」
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