私と、優しい世界が濾しとり切れなかった感情の話

 Misskey.ioのローカルタイムラインの表通りは日に日に人が増えている。道行く人々はカスタム絵文字でおはよう、おやすみ、三食の報告などを交わし合い、「閲覧注意」と大きく描かれたNSFWブランドのTシャツを着た女の子たちが、地雷系やメイド服を着た男の子たちとはしゃいだりしている。エメラルドの月が浮かぶ碧色の空を背景にした巨大なデジタルサイネージには、かめりあ氏の楽曲をBGMにした村上さんのアニメーションが流れ、その映像に様々な偉業系のカスタム絵文字が投げ込まれていた。

 みな、リアクションシューティングで情緒の遣り取りを盛んに行いながら、価値観の擦り合わせまで深入りしない環境に居心地の良さを感じているのだろう。そんなミスキストたちは新しくここに来る人々を警戒していたりする。これ以上の人口が増えたら価値観の違う人々がどっとなだれ込んで今まさに崩れているSNSと同じ轍を踏むのではないか、とそんな心配を抱えているのだろう。しかし、先にMisskey.ioに来て心配している自分自身が価値観の衝突の原因の側にならないと本当に思うのならそれは自惚れだろう。私だってそちら側なる可能性がある。恐ろしいがそういうものだと思う。

 表通りに面したカフェテラスまでの道のりを歩く。今日もココアとベイクドモチョチョを楽しみに歩く。しかし、道中の人混みは行く手を塞がれるほどで、本当に人が増えたと実感する。

 すると突然、腕をつかまれて、裏通りの横路に引きずり込まれた。驚いて振り向いた瞬間、頭に衝撃が走り、私は地面に倒れてしまった。アスファルトから立ちのぼる電子の臭いと、鼻血の臭いが混じるのがわかる。

 頭を押さえながら見上げると、そこには一人の若い男が立っていた。手にしているのは「長い」のカスタム絵文字。Tシャツのプリントは見覚えのあるアイコン画像だった。

「お前、いっつも俺の怪文書に『長い』ってつけてる奴だろ」

 私が絞り出すように言うと、男は剣幕を唸らせて言う。

「そうだよ。あんた調子に乗ってるだろ。文豪とかリアクションされて真に受けてるんだ」

 私は立ち上がりながらジャケットからハンカチを出して顔を押さえた。おそらく鼻血が出ている。

「申し訳ないけどブロミュするぞ」

「いいよ。どうせアカウント消すから。その前に俺の話を聞け」

 男は「長い」を手にしたまま私に詰め寄ってくる。

「あんたなんかただのラッキーなんだよ。新しい場所が開けるタイミングで運よく注目されてちょっとその界隈だけで有名になっただけなんだ」

「嫉妬か?」

「ああ嫉妬だよ。俺だってアイドルみたいにチヤホヤされたかった」

 男の言葉に、私は苦笑いしてしまう。

「この歳でアイドルみたいにってのは、自分でもちょっと自覚は無いな」

「嘘だ。絶対に嬉しいはずだ。そうじゃなきゃその歳で短期間であんなに怪文書を増産しているわけがない」

 男はそう言うと、わあっと叫んで「長い」のカスタム絵文字を裏路地のポリバケツに投げつけた。ガコンと高らかに乾いた音がして、ふたたび、裏路地の室外機の音が満ちた騒がしい静寂に戻る。

「いまどんどんTwitterからアルファや著名人が流入してきてる。じきにアンタみたいなのもご意見番になって、MisskeyもTwitter化していくんだ、間違いない」

 男がこちらに振り向いて言うのを、私は身構えながらも、頷いて聞く。

「そうならないよう努力はするよ」

「どうやって?」

「それはまだ分からないけれど」

 私のしどろもどろの答えに、男は頭をぐしゃぐしゃとかき乱して、今にも泣きそうだった。

「分かんねえのにどうやって努力すんだよふざけんなよ。無名の絵師だって誰だって希望を抱いて.ioに来ても、そのうち人気の格差が出て嫉妬が渦巻く。そのときがMisskey.ioの終わりの始まりだ」

 その言葉に、私は少し苛立ってしまう。

「今から終わりの始まりを語るのは村上さんたちに失礼だろう? そうならないようにミスキストの皆で考えるのが筋ってもんだろう」 

「うるせえ、ふざけんな馬鹿」

 男は聞く耳を持たずに語り続ける。

「俺だってTwitterで有名になりたかった。でも先にアルファツイッタラーが人気を独占してて太刀打ちできない。そこにMisskeyが現れた。新しい場所なら俺にもチャンスがあると思った。でもなにをやってもうまくいかない。そこにきてあんたみたいなオッサンがダラダラと怪文書を書いてチヤホヤされてる。Misskeyだってクソだ。ふざけんなだよ」

 男が地面を蹴りながら言うのに、私は腕組みして首を傾げてしまう。

「君、そういうけど、出してるクリエイティブはどんななの? 怪文書? MFMアート? イラスト?」

 そう訊くと、男はこちらをじっと睨みつけたあと、伏し目がちに言う。

「ゲーム実況を、YouTubeで」

「見せてよ。アドレスは?」

「いい! もういい! YouTubeのチャンネルも消す!」

 男はそう怒鳴って、こちらの顔に指をさしてくる。

「Misskeyはあるがままでいられる良い場所だなんて嘘だ、リアクションが欲しかったら一芸に秀でないと振り向いてももらえない」

「それは一概には言えないだろう。ローカルタイムラインに挨拶を流せば誰かしらリアクションを返してくれる。それを大切にするのがMisskeyだろう?」

 私が言うと、男はギリリと歯ぎしりを食いしばって、言う。

「綺麗事言ってんじゃねえ! アンタみたいに目立つことができた人間の上から目線なんかもううんざりなんだ! 人間は人間になってからずっと格差と革命の繰り返しだ! 革命出来ないならMisskeyなんてクソだ! ふざけんな!」

 そう言った男が振り向いて歩き出すと、表通りに出る前にその姿を霧散させて、跡形もなくなってしまった。その残像を眺めながら、私は、自分も彼のような時期があったことを思い出して、彼を否定することができないと強く感じながら、一方で、彼の意見を受け入れることができない状況にいま自分がいることを感じていた。

 どんなことをしていても人は誰かと衝突しなければならないとしたら、どれだけ自分のしていることを信念をもってできるかということになる。それは同時に、どれだけ特定の人に冷たくできるかを試されるということになる。

 裏路地をツチノコ村上さんがミヂョミヂョと這っている。私は血に染まったハンカチを眺めながら、Misskey.ioの行く先に対して自分が出来ることの少なさを思って、ため息をついたのだった。

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