私と、萩原朔太郎(なりきり垢)の話
今日もMisskey.ioに夜が来た。ローカルタイムラインの表通りは21時を回ると一層勢いが速くなり、行き交いの人々の肩がぶつからんほどに混みあって、リアクションシューティングが盛んにやり取りされる。
表通りに面したカフェテラスでは、今日も客たちが賑やかに談笑したり、作業したりしている。それぞれの何気ない会話に、偉業、スーパー偉業、偉業の達人、とリアクションをインフレーションさせている。常駐しているミスキストはスマホから怪文書作家のノートを通知破壊しながらカラカラと笑う。絵師がタブレット端末で村上さんアートを描く横で、MFMアーティストがカスタム絵文字のコードを調整している。
そんな中で、私と同じように、ぼんやり何もせずにテーブル席に座っている男がいる。背広姿で、粒あんのベイクドモチョチョを器用に“こぼしながら”、その男は憂鬱そうに眉根をひそめて、ギョロギョロした目でカフェテラスを見渡している。
見たことがある顔だ。インターネットや文学館で肖像を度々目にしたことがある。その男は明らかに萩原朔太郎だった。
以前、Misskey.ioでは文豪や著名人のカスタム絵文字が大量に実装され、またそれに乗じたなりきり垢も増えていた。太宰治はいまでもローカルタイムラインに顔を出して、無頼派を気取ったりしている。
口語自由詩人のカスタム絵文字となると中原中也がいるけれど、なりきり垢は見当たらない。与謝野晶子女史は歌人が本業だし、そもそもMisskey.ioでは異形の怪物めいている。詩人は小説家や歌人俳人に比べるとマイナーに扱われるのは事実だ。
そんな朔太郎を、しばらく遠くから眺めてみる。きっと彼もなりきり垢の人間なのだろう。私のことなど視界にも入っていないのか、朔太郎はココアを啜ったり、ベイクドモチョチョをこぼしたり、ときどき月を見上げて、また俯いたりしている。
私は勇気を出して朔太郎に声をかけてみることにした。自分のココアとベイクドモチョチョをいったん平らげて、テーブルから立ち上がって、ゆっくりと朔太郎に近づく。
「こんにちは。もしかして萩原先生ですか」
私の声に、朔太郎はビクッと体を硬直させて、こちらを見上げた。
「あ、はい」
爛々とした驚きが張り付いた眼で私を見上げ、朔太郎はつぶやくようにそう返した。
「なりきり垢の方ですね」
当たり前のことを訊いてしまったな、と言ったあとで思ったが、朔太郎はそれにも特段の反応もせず返事する。
「あ、はい」
「なにも、挙動不審なところまで真似されなくても」
「いや」
そこまで会話して、朔太郎は初めて私に薄笑いのような表情を見せた。
「これはこれで楽しいので」
私は朔太郎の向かいの席に座って、店員のメイド服の子に新しいココアを頼んだ。朔太郎は含み笑いを浮かべたまま伏し目がちにキョロキョロしている。
「ひょっとして、カスタム絵文字が登録されるのを狙ってます?」
後から思えばちょっと意地悪な質問だったかなと思ったが、Misskey.ioに来て文豪のなりきり垢をやっていてそんな下心が無い方がおかしいだろうから、まあ別にいいだろうと思った。
「ええと、ええ」
朔太郎は視線を合わすことなく小さくうなずく。私は彼をちょっと試してやろうという気になった。
「Misskey.ioにいらっしゃらないときは、どんな風にお過ごしで?」
私の質問に、朔太郎ははじめて顔を上げて、こちらと視線を合わせた。
「カメラに凝っている。ほんとうは写真屋で身を立てようと思ってたけれど、ぼんやりしてたらデジタルの時代になってしまって、やっぱり僕は詩人だなという気分だ」
「Misskey.ioに絵師さんたちがどんどん集まってきてますけど、お好きな絵師さんは見つかりましたか?」
私の問いに、朔太郎は首を傾げて見せる。
「どちらかと言えば、そういうときは.ioよりも別鯖にいる」
ひょっとして、と思って私は質問を重ねる。
「もうすこしゾンビ娘とか描いてくれる絵師さん増えるといいですよね」
「そうだね、もっと見たいね。死体写真はBANされてしまうだろうから、せめて絵師の皆さんに頑張ってもらえればと思うね」
あらあら、と思いながらも、私は楽しい気分になった。生前の朔太郎には会ったことは勿論ないが、なり切ってるなあ、という感想を抱かざるを得ない。
「ここは楽しい」
朔太郎はそう呟いて、ココアを啜って、表通りのほうを眺めた。ちょうどブロブ与謝野晶子の巨大な山車が車道を練り歩いて、与謝野晶子のコスプレをした少女たちが楽しそうにスマホで自撮りをしているのが見える。
「お気に召しましたか?」
私が訊くと、朔太郎はゆっくり数回、深く頷いて、息をつく。
「みんな傷ついてここに来たんだねというのが分かる。傷のなめ合いであったとしても、救いがある。他の場所だと、まるで傷を擦りこみあうような人たちばかりだから」
その言葉に、私は何回も頷いてしまう。
「エメラルドの月」
朔太郎が空を見上げて呟く。エメラルド色の半月が今日は、切りあつらえた果物のように瑞々しく光を湛えている。
「ええ、美しいですよね。.ioでもとりわけ感動的なものだと思います」
そう言って私も半月をじっと見上げる。二人してしばらく沈黙する、騒がしいカフェテリアの夜。
「もっと他の文豪垢と絡まれたらよろしいのに」
私が見上げたまま言うと、朔太郎も見上げたまま答える。
「犀星がいないから。そうだ、君が犀星になりなよ」
その言葉に、私は首を振ってしまう。
「わたしは小林素顔でありたいですね」
「なんだい、小林素顔の名で文豪の仲間入りしたいのかい?」
朔太郎はいままで強張っていた表情を崩して、ニヤリと笑ってみせた。
「そんな大それたことは思ってはないですよ。ただ複垢管理が面倒なだけで」
「小林素顔って名前の由来は?」
朔太郎に訊かれて、私は肩をすくめながらココアを啜る。
「読売ジャイアンツに小林という捕手と菅野という投手がいるのですが、そこからそれぞれ苗字を拝借して、少しもじってこうなりました」
「野球は良く知らないな」
「野球というより、なんJの知識です」
「もっと知らない」
「知らない方がいいです」
Misskey.ioの夜は更けていく。.ioに来た人々はミスキストとして新しい生を受けて、この夜空を高々と自由に飛び回る。風は優しく、それでいてミスキストの心と体をしっかりと支えて持ち上げていく。どこへ運ばれるかはわからないが、いまはこの風を受けて遠くまで飛んでいきたいと思う。
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