私と、路地裏の金星の話

 Misskey.ioの街で酒を飲んでいる。ローカルタイムラインの表通りからMisskey飲酒部チャンネルの小道に入った場所にあるその居酒屋は路地にテーブルが据えてあり、夜風に吹かれながら酒を楽しむことが出来る。

 テーブルをはさんだ目の前で様々な酒を飲みながらしたたかに酔っている女性がいる。ダークブラウンのショートボブに丸眼鏡をかけて、いつものリブセーターにサブリナパンツとコンバース。ケラケラと笑う声が印象的だ。私は彼女をミスキーガールと秘かに呼んでいる。

「どう? 久しぶりのお酒は」

 ガッと音が聞こえそうな勢いでグラスの赤ワインをあおりながらミスキーガールが訊いてくる。私はちびちびと日本酒を舐めながら答える。

「酒はやっぱり楽しく飲むものだね、独り酒は悪酔いするから」

「でしょ?」

 表通り沿いのカフェテラスで甘いものばかり摂っていたので、酒のアテで頼んだフライドポテトや軟骨唐揚げが新鮮な味覚として舌に乗る。しかし油物はこの歳の胃袋に厳しい。私は休み休み食べながら、日本酒を喉に注いでいく。

「もっと食べて、もっと飲みなよ、寂しいじゃん」

「もう私も若くないから、食べ過ぎると胃にもたれるし、飲みすぎると思考が曇るんだよ」

 私の言葉に、ミスキーガールは意地悪な笑顔を浮かべる。

「大した知性もないのに頭の回転が鈍るのが怖いの?」

「ひどいな。そもそも頭痛持ちなんだ、あんまり深酒できない」

 濃い碧色の空が東の方から淡い翠色に明けていく。夜通し飲むなんて学生の時以来だ。エメラルド色の三日月が東の空の陽の光を浴びて輝いている。その傍で、ひときわ輝く星が一つ。

 空をうっとり眺めているのが気になったのだろう、ミスキーガールも振り向いて、私に向かって訊いてくる。

「なに、ミサイルでも飛んできた?」

「ちがう、明けの明星が出てる」

 私が指さした方角をミスキーガールはもう一度見上げて、あーあれね、と言ってワイングラスをまたあおる。

「金星だっけ? Misskey.ioの空にも出るんだね」

「すこしだけ翠色がかってるね」

 レモンイエローとでもいうべきか、金星は絞れば雫が落ちそうなほどの鮮度を思わせて輝いている。

「金星ってヴィーナスだっけ、美の女神」

 ミスキーガールが訊くのに、私はおしぼりで口を拭きながら答える。

「ローマ神話の女神がギリシア神話の美の女神と同一視されて、だったかなんだか、多分そんなような話だったね」

「神仏習合?」

「だいぶざっくりだなあ」

 私が呆れると、ミスキーガールはキョロキョロと空を見回し始める。

「火星は見えるの?」

「火星は、見たこと無いな、.ioでは」

 私が言うと、ミスキーガールはなにやら納得したようにうなずき、空いたワイングラスに今度はロゼワインを注いで、唐揚げを一つつまんだ。

「あんまり.ioでは見たくないね、火星」

「どうして?」

「戦争の神様なんでしょ? やだよそんなの」

 彼女の言葉に、私は感心してしまって、腹の具合も忘れて一番大きな唐揚げをつまんでしまう。

「それは確かに。.ioで戦争の話は嫌だね」

「でしょ?」

 そんな私たちのテーブルのそばに、ひとりの人影が立った。

「あの、すいません」

 若い、しかし落ち着いた雰囲気の女性の声に振り向くと、そこにはひざ丈の黒のサロペットワンピースに三つ編み姿の女の子がいた。あまりこんな時間のMisskey飲酒部チャンネルの小道では見かけない、むしろ現れてはいけないような年頃の子である。

「はい、どうしたの?」

 ミスキーガールはそんなことを気にもしないのか、朗らかに応じてみせる。

「このあたりで、髭が濃くて、トレンチコートを着て、虹色の銃を持ってる人、見かけませんでしたか?」

 あまりに分かりやすい特徴に私は驚きと笑いを堪えられなかった。カラフルなライフル銃にカスタム絵文字の弾丸を込め、Misskey.ioのローカルタイムラインでミスキストにリアクションシューティングする男、人呼んで「リアクションシューター」であることはおそらく間違いなかった。私は三つ編みの子に謝りながら答える。

「ごめんなさい、笑ってしまって。でもこの辺りじゃあ見つからないんじゃないかな、彼は酒は飲まないから」

「お知合いなんですか?」

 三つ編みの子は目を見開いて訊いてくる。その横でミスキーガールはニヤニヤしている。

「お知り合い?」

 いたずらっぽくミスキーガールが訊くのに私も応じざるを得ない。

「まあ、お知合い。むしろ命の恩人」

 そう答えると、三つ編みの子は頬を上気させて真剣な眼差しになる。

「あの、会えないでしょうか。ご連絡を取ってもらえないでしょうか」

 なにか差し迫ったものを感じさせたが、面倒事には巻き込まれたくなかったので、誠実に、しかし調子のいい回答は避ける。

「あー、ダイレクトはしたことないからなあ、どうだろう。もし暇な時間があるなら、こんな時間じゃなくて、お昼間に、ローカルタイムラインの表通り沿いのカフェテラスにいらっしゃい、彼は時々そこでココアを飲んでるよ」

 私が言うと、三つ編みの子はパッと表情を明るくして頭を深々と下げた。

「ありがとうございます!」

「ねえ、訊いてもいい?」

 三つ編みの子に、ミスキ―ガールが首を傾げながら質問する。

「はい?」

「どうして彼を探してるの? お父さんかおじさん?」

「いえ」

 口ごもった三つ編みの子は、いよいよ耳まで真っ赤になって、か細い声で答える。

「好きな人、です」

 そう言い残して、三つ編みの子は私たちの前から駆け出し、ローカルタイムラインの表通りへと消えていった。

 私とミスキーガールは椅子から崩れ落ちそうなほどに脱力してしまった。

「オイオイオイ、オイオイオイ」

「ちょっとお、犯罪になっちゃうよお」

 ミスキーガールはズレた眼鏡を戻しながら姿勢を立て直す。私も座り直して、二人して少し黙る。

「まあ、でも、なんだろう、金星も輝いとるし、うまくいくといいね」

 私が言うと、ミスキーガールは空のグラスにロゼワインを注いで私に差し出した。

「ヴィーナスは愛の女神」

 そう言った彼女からグラスを受けとって、私は掲げるように持つ。

「そう。愛の女神と、“あの男”と、少女の恋に乾杯」

 ミスキーガールも自分のロゼワインのグラスを持ち上げて、グラスはカチン、と路地に響いた。

「あるぷっぷー」

「そう、あるぷっぷー」

 表通りのほうから、おはようのノートが鳴らすカポポ、カポポというタイムラインの更新音が聞こえてくる。リアクションシューティングのカスタム絵文字が浮かんでは消えていく。グラデーションの空の三日月も、金星の輝きも、ずいぶん薄くなっている。もう朝だ。徹夜の分の睡眠はMisskey.ioから離れてから取らなければならない。私はラストオーダー前の最後の一杯を、ぐいと傾けたのだった。

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