私と、裏垢女子の話

 SNSなんていつでも戻ってこれるのだからアカウントを消すを必要はないのじゃないか、という人がいる。私もそうだと思う。残されたものは寂しい。ただ、去るものの気持ちとしては、そういう人たちの思いさえ振り払ってしまわないといけない事情というものがあるのだろう、それも十分に理解できる。私たちが堕落してしまう多くの場合は悪意ある有償の愛と、無知な善意でできた無償の愛だから。

 今日もMisskey.ioのローカルタイムラインの表通りは人々がひしめき合っている。このほど新しい住民が大勢移ってきてみな.ioの目新しさと騒がしさに驚きながらも楽しんでいるという印象である。新しい住民に古参勢が「知っておこう」を共有し、見ず知らずの人々の間でリアクションシューティングが交わされ、性癖絵師たちが無垢な精神の奥に眠る情熱をこじ開ける。しかしなかにはカスタム絵文字の多さに、ぜんぜんわからん、と悩む人もいたり、絵師のうちの子たちがNSFWブランドの服を着ずに肌も露な格好で歩いて冷ややかな視線を向けられたりもしていた。

 私は今日もココアとベイクドモチョチョを頂きに表通り沿いのカフェテラスにやってきた。だがそこで目にしたものはいつもと違う光景だった。

 カフェテラスのテーブル席に座る髭面でトレンチコートの中年の男――彼はリアクションシューターと名乗っている――が、その傍に立つショートボブで眼鏡の女――彼女を私はミスキーガールと呼んでいる――に、あたりに響く声で問い詰められている。私の知り合いのその二人の向かいには、私の知らない一人の少女が座っている。ジャケットとショートパンツをモノクロームで統一してブーツの底も厚い子が、二人の前で俯いてときどきすすり泣くようにしている。

「なに、どうしたの」

 私は思わず三人に向かって声をかけていた。

「あ、小林、ちょっと聞いてよ、このオッサンひどいんだよ!」

 ミスキーガールがリアクションシューターを指さして言う。

「オッサンはひどいだろ、俺はこの子を励まそうと思ってだな!」

 リアクションシューターが必死の形相で言う。

「だからって当たって砕けろなんて言い方ないでしょう!」

「いや、砕けろってのは確かに謝るけど、でもだな、俺が言いたいのは行動しないと駄目だろってことで!」

 二人が声を張り上げる中でも、少女はいっこうに顔を上げないで黙っている。

「待って、話が見えない。ねえ君、何があったの? この人たちは君に何をしたの?」

 私が訊いても少女は答えない。そこに、リアクションシューターが割って入ってくる。

「だからさっきから俺が説明している通り、この子が一歩踏み出せずに悩んでいるみたいだったから、俺がいつものように『無理しないで』ってリアクションシューティングして、それでちょっと二人で話すことになって、動いてごらん、何か変わるよ、って意味で『当たって砕けろ』とは言ったさ」

「何について?」

 私が訊くと、リアクションシューターは首を傾げる。

「いや何かは知らないよ? 本人が何も言わずにただ行動できずに悩んでるって言うから」

「何かも聞かないで当たって砕けろとか言ったの? 本当に意味わかんない」

 ミスキーガールがかぶりを振って呆れて見せる。空気は悪くなる一方だった。

「そうか、そうだね。ごめんね、君。僕から謝るよ」

 私が少女に言うと、少女はようやく首を振ってこちらと意思の疎通を取ってくれた。

「いいんです。私がいけないんで」

「話せる時期が来たら、だれか大切な人を選んで、ちゃんと話しなさい」

「大切な人」

 私の言葉にそう反応して、少女はこちらに顔を上げて見せた。

「大切な人とはもうお話しできない気がします」

 その言葉に私は不安を覚えた。数々の大切な人を失った記憶が脳裏をよぎった。自暴自棄になった日々を思った。この子をこのままにしておいていいかどうか迷った。

「そうか、そうなんだね。だとしたら、ここで話せる範囲で話したら、少し気が楽になるかな」

 私の提案に、少女はただ黙っているが、目線は私を含めた三人の表情をうかがっている。私はカフェテラスのメイド服の子を呼んで、少女の分のココアを頼んだ。

「ご馳走するよ、遠慮なく飲んで」

 私と、ミスキーガールとリアクションシューターも、テーブルに座ってココアを手に手に、じっと少女を待つ。

「……いただきます」

 飲んでもらえた時点で、ある程度の信頼は得ていると確信できた。少女と私たちとの沈黙の間、ローカルタイムラインの行き交いでは村上さんアートを描いたアドトラックを皆でスマホで撮影し、「かわいい祭り」のリアクションシューティングが行われていた。

 トラックが過ぎ去ったあと、少女はゆっくりと話し始めた。

「あの、昔、Twitterで裏垢やってたときに仲良くしてくれてた、その子も裏垢で、それで、いろんな相談とかもしてたんですけど、その子が突然アカウント消しちゃって。すごく悲しかったし、わたし何か悪いことしたかなっていっつも気になってて。それでMisskeyに来たら、ひょっとしてあの子じゃないかなっていうアカウント見つけて。でも、わたしのせいでTwitter辞めてたら、わたしがフォローしたらブロックされたり、もしかしたらMisskeyもまた辞めちゃったらどうしようかなって、それが怖くてフォローできずにいたんですけど」

 そこまで言って、少女は堰を切ったように泣き始めた。

「それで、怖かったんだね」

 私が言うと、少女はしゃくり上げながらこくり、こくりと頷いた。私はココアを一口飲んで、深く一呼吸したあと、少女に言った。

「いまは無理かもしれないけど、また仲良くなりたい気持ちがあるなら、辛抱強く、その子がTwitterでの思い出を話すのを待つしかないね」

「思い出?」

 少女が訊き返すのに、私は頷く。

「SNS長くやってるとどうしても思い出話をしたくなる瞬間があるし、とくにMisskey.ioにいるとTwitterでの思い出を話したくなると思うんだ。君が声をかけられそうな思い出話とか、ひょっとしたら君のことを話し始めるかもしれないから、そのときに声をかけてごらん。そうじゃないときに話しかけるのは、まだその子が過去を思い出したくないときだと思うから」

 私がそう言い終わったときには、少女は泣き止んでいて、ミスキーガールもリアクションシューターも、すっかり落ち着きを取り戻していた。

「出来そうなんで、やってみます。ありがとうございます」

 少女はそう言って、ココアをぐっと飲み、マスカラの具合を確認した後、カフェテラスをあとにした。

「で、オッサン、今日は優しさが裏目に出たね」

 私が言うと、リアクションシューターは口をとがらせて言う。

「そうは言うけどリアクションシューティングは.ioの文化じゃないか、その言い方はひどいぜ」

「でもそのあと訳知り顔で相談に乗ったのは完全にアウト」

 ミスキーガールの言葉に、リアクションシューターは言い返すことも出来ずに、ココアをちびちび飲み始めた。

 Misskey.ioが開かれたのはごく最近のことだから、まだ思い出話になることはないだろう。でもいつしかここも誰かの思い出になり、喜びも悲しみもないまぜの場所になって語り継がれるのだろう。ローカルタイムラインの行き交いを眺めながら、私はベイクドモチョチョを頼んだのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る