私と、シン・ウンチゲボザウルスの話

「ウンチゲボザウルスだ!」

 Misskey.ioに巨大なウンチゲボザウルスが現れた。MFMアートを飾り立てるビル群の向こうから、いまにもウンチを吐かんとするペールオレンジの怪物が、ずしり、ずしり、とこちらに迫っていた。

 ローカルタイムラインの表通りを、人々が一目散に逃げていく。転ぶメスガキを起こして走るケモショタ、柔らかな見た目からは想像できない速度で走るblobcatの群れ、気持ちは急いでいるのに全く速度が出ない村上さんツチノコの親子。その様子を私は眺めながら、通り沿いのカフェテラスに座っていた。カフェテラスの店主やメイド服の子たちは既に避難していたが、どう言えばいいのか、私は逃げるのに乗り気ではなかったのだ。

「早く! 逃げないと! なにしてんの!」

 通りの向こうからミスキーガール――私のMisskey.ioでの友人とでもいうべき人――が駆けてきて、私に向かってそう言ったのだが、私は腕組みをして椅子の背にもたれていた。

「なぜ私たちはウンチゲボザウルスを、ウンチゲボザウルスと認識できているのだろう」

「いいから早く逃げないとウンチにまみれて死んじゃうよ!」

 ミスキーガールがの言葉に、私は質問を返す。

「ちょっと待って。ウンチゲボザウルスはウンチを食べてゲボを吐く怪獣なんだろう? ということはウンチではなくてウンチゲボにまみれて死ぬんじゃないかな」

「そんなのどっちでもいいでしょう!」

「ウンチゲボザウルス、か」

 見上げると、ウンチゲボザウルスはMisskey.ioの翠色の空の光をさえぎって、私たちのいるカフェテラスに大きな影を落としていた。大きい。そして、強烈なウンチゲボの臭いがする。

 そのとき同時に私は考えていた。

「あれは本当にウンチゲボザウルスなのかな、いや、ひょっとして、シン・ウンチゲボザウルスなのでは?」

 普段、私たちがMisskey.ioで目にするカスタム絵文字のウンチゲボザウルスは、単純な線で描かれた、ウンチゲボをゲロゲロ戻し続ける非常にコミカルな存在だ。しかし目の前のウンチゲボザウルスは、まるで特撮の怪獣のような重量感で歩き、ウンチゲボを吐かずにゆったりとした威圧感で街を歩き続けている。やはりウンチゲボザウルスではない他の何かだ。そして、ウンチゲボザウルスとそうでないものが存在する状況で、何を考えるべきだろうか。

「私たちがウンチゲボザウルスとシン・ウンチゲボザウルスを判別する必要にさらされる時とはどんな時だろう」

 私が言うと、ミスキーガールが泣きそうな顔で私にすがってくる。

「ねえ早く逃げようよ、貴方がMisskey.ioからいなくなるのはやだよう」

「でもウンチゲボザウルス、もしくはシン・ウンチゲボザウルスに踏みつぶされたり、ウンチゲボの濁流に飲み込まれたとして、私たちはMisskey.ioからいなくなる、つまりサイレンスにされたりBANされたりするのだろうか?」

「は?」

「サイレンスやBANに値する行為と、ウンチゲボザウルスもしくはシン・ウンチゲボザウルスによる被害は別物と考えると、ウンチゲボザウルス/シン・ウンチゲボザウルスの襲来は何を意味するんだろうか?」

 刹那、衝撃が私のこめかみを襲った。ミスキーガールが私を殴打したのだ。怯んだ私の腕を取って、ミスキーガールは走り出す。

「もう嫌なんだ! わたしの大切な人がわたしの周りからいなくなったりするのは! あなただってMisskey.ioでしかつながりはないけれど、大切だから失いたくない! もっと周りの人のこと考えてよ!」

 ミスキーガールに引っ張られながら、私はウンチゲボザウルスを見上げた。すると、シン・ウンチゲボザウルスが、スマートフォンを取り付けた自撮り棒を高く掲げて、自身を撮影し始めたのだ。

「見ろ! スマホでライブ配信している! シン・ウンチゲボザウルスはMisskey.ioを襲って人気者になりたいんだ!」

「そんなことどうでもいいから逃げよう!」

「あの怪獣を止める方法がわかったぞ!」

 私はミスキーガールの手を振りほどいて、人々が逃げる流れを逆走した。そして、積み上げられたパンケーキチャレンジの塔の非常階段を駆け上がり、最上階でシン・ウンチゲボザウルスに向かって叫んだ。

「待つんだ! シン・ウンチゲボザウルス! お前は人気者になりたいんだろう? それならそんな迷惑系YouTuberみたいなことをせず、村上さんアートや怪文書で人を楽しませたらいいんだ!」

 私の呼びかけが、言葉として聞こえたのかもしれなかった。シン・ウンチゲボザウルスは立ち止まってゆっくりと私のほうに振り向いて正対した。

「そうだ、わかるだろう? Misskey.ioはミスキストの皆で支え合って生きる場所だ。ウンチゲボザウルスであることは何の問題もない。でも、その力を横暴に振るって.io壊してしまうなんてことはすべきではないんだ」

 そういう私を、シン・ウンチゲボザウルスはじっと見つめている。

「分かってくれたかい?」

 私が言った瞬間だった。シン・ウンチゲボザウルスが嗚咽し始め、口からウンチゲボを吐き出し、私は大量の吐瀉物に飲み込まれた。

「うわーっ!!」


* * *


 まぶたが開いた。暗闇を割くような一筋の光が見えた。しかしここが現実なのか死後の世界なのかわからない。光の下には巨大な脳味噌のようなものが中空に浮かんでいて、それ以外全くの暗闇だったからだ。

 私は照らされる脳味噌に近づいてみる。数十メートルという距離だろうか、それは遠くからでも巨大だと分かったが、どうやら人間が膝を抱えて丸くなったくらいの大きさだった。

 より近づいて、その脳味噌をよく見てみたが、それは脳味噌ではなかった。小太りの、40代くらいの、頭の禿げあがった男性が、膝を抱えて丸くなり、脊髄から沢山の神経回路を伸ばしながら中空に浮かんでいたのだった。

 私はその姿を見て直感した。

「貴方はもしかして、全裸中年男性……?」

〈そう名乗っていたときもある。Twitterでの話だが〉

 その声は何処から聞こえてきたか分からなかった。しかし鼓膜が揺れていないことがなぜか自覚できた。

「私の脳に、直接話しかけている?」

〈その通り。僕は君の意識の中にこの姿を投影している。だから幻影にすぎないが、それでも真実の姿に近い〉

 そう言う全裸中年男性の表情は、抱えた膝に顔をうずめているので読み取れない。しかし、語りかけてくる声の調子はとても落ち着いていて、コミュニケーションは取れる相手だと判断できた。

「ひょっとして、貴方が、シン・ウンチゲボザウルス?」

 私が訊くと、全裸中年男性は答えた。

〈その通り。今まで起こったことと、この状況ならすぐわかるね〉

 暗闇は夜より暗く、光は昼より明るく、全裸中年男性の汗ばんだ肌がキラキラと輝いていた。私は彼に質問を続ける。

「なぜ全裸中年男性がMisskey.ioを襲おうと?」

〈全裸中年男性といってもたくさんいる。僕はその中の一人にすぎず、そしてつまらない全裸中年男性だった。面白くて奇抜で突拍子もない全裸中年男性を目指そうとしたが、無理だった〉

 そう言うと、全裸中年男性は体をよじった。動かないものだと思ったので声を上げて驚きそうになるのを、私はぐっとこらえて彼の話に集中する。

〈とてもいらだった。僕は昔から寂しかったけれど、Twitterでまで寂しい思いをするとは思わなかった。これでは全裸中年男性ではなく、ただのロスジェネの非正規雇用の独身中年男性だ。笑えないんだ〉

「私も似たようなものですよ」

 そう返すと、見えないはずの全裸中年男性の顔が、微笑したように見えた。

〈Twitterではアンチフェミやネトウヨをすることも出来ただろうけれど、それは僕には出来なかった。論破の能力がなかった、いや、論破と言い張る厚かましさが無かったんだね。とにかく思想で遊ぶのは不向きだった。かといってクリエイティブなことは一切できないと分かったから、絶望してしまってね〉

 全裸中年男性の肩が震えている。私は彼の悔しさを、知っているような気がした。

〈いっそ死ぬなら愉快な思いをして死にたいと思った。そのときTwitterにMisskey.ioのスクショが流れてきた。嫉妬したよ。あまりにも異常な頭脳で排出される怪文書の数々に僕は圧倒されてしまった。そして同時に思った。ここをテロルしよう、ここに襲い掛かってすべてを台無しにしてしまおうと〉

「それであなたはウンチゲボザウルスになった」

 私が言うと、全裸中年男性の震えが止まり、深くゆっくりとした呼吸を始めた。

〈冷静に考えたら、Misskey.ioに来てウンチゲボザウルスになれたことは、本当は.ioに祝福されていることだったのだろうけれどね。でも時すでに遅しだ。僕はもう行くよ〉

「今からでも遅くない。村上さんとしゅいろさんに謝って、ミスキストとして生きよう」

 全裸中年男性はゆっくりと首を横に振った。私は思いとどまらせようと彼に一歩近づいた。途端、光が消え、私は暗闇に飲み込まれた。


 気がつくと、私はコンナトコロ病院のベッドの上にいた。横を見ると、ミスキーガールと、カフェテラスの店主が心配そうな表情でこちらの顔を覗き込んでいた。

「気がついた? ねえ、気がついた!」

「おお、本当だ! よかったよかった!」

 二人が泣いて喜んだことに私は驚いてしまって、しばらく呆然としていた。

「本当にもうやめてよね! 怪獣のゲボに飲み込まれて死んじゃうなんて冗談じゃないんだから!」

 ミスキーガールが目を赤く腫らせて言うのに、私は首を傾げて訊いてしまう。

「あの、ウンチゲボザウルスは、どうなった?」

「ああもう、村上さんに通報が間に合ってBANだったよ。まあ、表通りはウンチゲボまみれになっちゃったけどな」

 店主に言われて、私は思わず腕組みをして、舌打ちをしてしまった。

「なに、どうしたの?」

 ミスキーガールが訊いても、私は答えられなかった。

「いや、なんでもない」

 そうやって、Misskey.ioから一つのアカウントが消えた。

 翠色の街、Misskey.io。今日もまた新しく申請されたアカウントに「レターパックで現金送れ」とリアクションが送られる。怪文書を書くアカウント、MFMアートや性癖絵を描くアカウント、仕事の辛さを「偉業」とたたえ合うアカウント、そしてどこかでサイレンスされたり、BANされたりするアカウント、など、様々がある。

 私もその中の一人にすぎない。そして、いつサイレンスやBANにさらされる側のアカウントになるかもわからない。誰しもが過ちを犯す可能性を持っている。それも、愛されたいとか、優しくありたいとか、世に言う善性のものと全く同じ心理の現れとして。

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