私と、ミスキーガールと、文豪たちのフリースタイルバトルの話

 ミスキーガールに誘われて「文豪フリースタイルバトル」を会場まで観に行ってきた。不惑も超えるとライブホールにどんな格好で出向きどんなノリでいればいいのか分からなかったが、隣でミスキ―ガールが志賀直哉にヤジを飛ばしていたのを微笑ましく眺めていた。決勝で見事に与謝野晶子が石川啄木を破って三連覇を果たし、大会は大団円で幕を閉じた。

 会場を後にした私とミスキーガールは、小腹も減っていたのでいつものようにMisskey.ioのローカルタイムラインの表通り沿いにあるカフェテラスに足を運んだ。今日は表通りも文豪のバトルで話題が持ちきりのようで、行き交う人々はこのほど実装された文豪の絵文字を大量にリアクションシューティングしあっていた。久しぶりに与謝野晶子のMFMアートの数々がどっと押し寄せて、太宰と芥川の関係性の解釈について文豪女子がヒートアップしそうなところに、野次馬のミスキストが菊池寛や三島由紀夫の絵文字を大量にリアクションしてグダグダにしたり、中島敦の絵文字をケモミミの子たちが皆で掲げて記念撮影したりしていた。

 そんな風景を横目に、ミスキーガールはカフェテラスのメニューのげんこつハンバーグを頬張りながら、バトルの余韻を熱く語る。

「やっぱり与謝野晶子最強伝説は揺るぎなかった。偉業。近代日本文学の男性性を鋭く切り裂くリリックは今日も冴えわたっていたね」

「強いんだ、与謝野晶子」

「もちろん強いんだけど、今日も中原中也が太宰治殴ったり、なにかと言い訳して夏目漱石がドタキャンしたりするから、ちゃんとやってる晶子姐さんが自然勝ちあがるんだよね」

「へえ。石川啄木が決勝まで上り詰めるほどちゃんとした人間だとは知らなかった」

「あの人は文学だけは真面目に取り組むからね。それ以外が問題で」

「芥川龍之介が案外弱かったね」

「芥川や三島は論理の完成度が高いけどフロウやライムがバトル向きじゃないんだよ、作品は良いんだけど。三島なんか無理してライミングしないほうが勝てると思うんだけどな、リリックはたぶん日本一だから」

 そう言って眼鏡を指で押し上げて、ミスキーガールはげんこつハンバーグを間食した。カフェテラスの奥からメイド服の子がアイスココアを持ってきてテーブルに置く。そろそろ冷たい飲み物も恋しくなってくる季節だ。

「でもさ、改めて思うけど、みんなバトル好きだよね、何にでも共通するけど」

「というと?」

 私が首を傾げると、ミスキーガールはアイスココアのストローを少し吸って、のどを潤して、言う。

「結局さ、わたしたちは心のどこかで主人公になりたい欲求があるんだよ。主人公になるためには戦わなければならない。戦って勝つことで主人公になれる。そういう欲求を簡易に満足させてくれるのが、ゲームであり、スポーツであり、今の世の中で言えば、SNSなんだよね」

「つまり、レスバは彼らが物語の主人公になりたい欲求の表れだと?」

 私が訊くと、ミスキーガールはゆっくりと頷く。

「その通り。レスバは評論から生まれる。評論は創作物ではないから、悪く言えば手っ取り早い。その手っ取り早さに自分の承認欲求を仮託して、意見が合わない者を批評し、時として論破する。そのときの快感が忘れられず、最初は好きだったものだけの評論から、時事問題、社会問題、ひいては人類全体の問題へと、小さな個人が批評を展開しようとする」

「しかし小さな個人はあくまでも人間だから必ず間違いを孕んでいる」

 私が呟くように言っても、ミスキーガールは聞き逃さずに頷いてくれる。たとえ表通りでアドトラックが突然屋根を開いて、中から志賀直哉が現れてゲリラライブが始まったとしても。

「そう。歴史上の偉大な思想家でも批判の余地があるこの人類世界において、たかだか数年の論戦にもまれただけの人間が限りなく正しさに近づけるなんてことはまったくあり得ない。むしろ独断と偏見が補強された論であることに気づいておらず、さらにSNSのエコーチェンバー効果も相まって偏狭な思考が凝り固まっていく。そんな偏った人間たちがSNSでバトルをするとき、自分のことをきっと何らかの物語の主人公だと考えて愉悦に酔っているはず」

「いまこうして語っている君もその可能性がある」

「もちろん。そして怪文書を書いているときのあなたもね」

 そう言って、ミスキーガールは得意げに微笑んで、眼鏡のレンズを翠色に光らせる。私は空に浮かんだエメラルドの月を見上げたあと、腕組みしてしまって、彼女に訊いてみる。

「でもそれは深刻だな。Misskey.ioがこれから拡大発展の方向に向かうのならば何らかの形でユーザーの参加する『バトル』のステージが必要ってことだろう? 闘争本能を駆り立てることがコミュニティの魅力になるということなら、すべてのSNSが社会問題をダシにしたレスバに行き着いてしまう。正直、そういうのは私は見たくないな」

 私の言葉に、ミスキーガールは少し驚いたように目を見開いて、眼鏡に指を置いて考え込んでしまった。

 街頭では志賀直哉が必死にフランス語で韻を踏んでいたが、通りを行くミスキストは見向きもしない。ミスキーガールがそちらに振り向く。

「うるせーぞ仏語厨!」

「よしなよ、さすがに聞こえるって」

 私が諫めると、ミスキーガールはショートボブの頭をくしゃくしゃとかきむしった。

「うーんどうすればいいんだあ。わたしはMisskey.ioが好き、もっとみんなに集まってきてもらいたい、でもレスバの荒野になるのは絶対に嫌! わかんないなあどうすりゃいいんだあ」

 マイクを持った志賀直哉に向かって道行く人が渋沢栄一の絵文字を投げつけはじめ、トラックはゆっくりと通りから去っていく。その様子を見送ったあと、私は頭を抱えるミスキーガールに、提案してみる。

「とりあえず、そうだなあ、ひたすら『面白さを競う』ことと『日常を否定しない』ことじゃないかな。ラップバトルで暴力をふるったらアウトだと同じように、Misskey.ioでも競うのは純粋な面白さ、誹謗中傷はアウト。それでいて平凡な仕事終わりの報告ノートには偉業をリアクションシューティングする。そういう空間を守るようにしたらいいんじゃないかな」

 そう言うと、ミスキーガールはアイスココアのストローをもうひと吸いして、呼吸を落ち着かせて、小刻みに二、三回ほど頷いた。

「それ賛成」

 ミスキーガールの笑顔は私の胸の緊張を穏やかに解きほぐす。それがたまらなくて彼女のわがままも受け入れてしまう。今のところはそれでいいと思っている。

 Misskey.ioの表通りは今日も熱気に満ちていて、アイスココアの氷もすぐに溶けてしまう。結露がまとわりついたグラスからストローを外して、私はココアを縁からぐっと飲み込んで、その甘さを胸の奥に注ぐのだった。

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