私と、私の文学の師たる先生の話

 Misskey.ioのローカルタイムラインの表通りは時として怪文書の濁流であり、性癖の大河であり、通勤通学を偉業として讃え合う天の川である。しかし本日においては、柔らかな猫の群れの行列であった。ミスキストたちのblobcatパレードが行われていた。

 涙目のblobcat、サイリウムを振るblobcat、虹色に点滅するblobcat、みな思い思いにblobcatの格好をして色々な感情を表し、ショタやメスガキはblobcatを可愛くハロウィンコスチュームのようにアレンジしていた。総じてかわいいことに揺ぎなく、その一体感は表通りを黄色い高揚感で染めていた。

 人類は猫の不定形な柔らかさを愛している。その猫の可塑性を具現化したのがblobcatであり、Misskey:ioにおいてはその柔軟な存在感がミスキストの心をとらえ、特定の心象を表すことに的確だとされたのだろう。blobcatは喜怒哀楽のすべてを可愛くしていた。

 コーヒーを吹くblobcatがこのカフェテラスに居たら面白そうだと思ったが、座っているのはblobcatの群れにリアクションシューティングを送り、性癖にストライクしたblobcatコスプレをお気に入りにこっそりとしまう、つつましやかなミスキストたちであった。そんな中で私は今日も、Misskey.ioのローカルタイムラインという表通りに面したカフェテリアで、ココアとベイクドモチョチョを頂きながら、にぎやかな風に吹かれていたのだった。

 そのテーブルに、音もなく、人影が射しこんでくる。

「地に落ちたな」

 声に振り向くと、そこには背広姿の白髪の男性が立っていた。

「先生」

 私の文学の師匠たる先生であった。先生は私を、枯れて腐った鉢植えを眺めるようなまなざしで見下ろしていた。

「どうされたんですか。どうしてMisskey.ioにいらっしゃるんですか」

 私が訊くと、先生は首を横に振った。

「孫が面白いSNSがあるからと言うので連れられて来た。SNSというのは査読のないエゴの漏洩だと思っているが、ここは特にひどいな」

「なぜ、私がここにると」

「喫茶店を探していたらたまたま君がテラスにいた。変わっていないな、その間抜けなツラは」

 先生はそう言って私の向かいに座り、ジャケットの内ポケットからスキットルを取り出して口を付けた。

「君、なにやら怪文書とやらを書いているそうじゃないか、無邪気に」

「ご覧になったんですか」

 私が冷や汗をそのままに竦んでいると、先生はパレードの光景を極めて不服そうに眺めていた。

「こんな無償ポルノサイトみたいなところで自分の下等な思想と出来損ないの文章力を褒めてもらって満足か、君は」

「そんな風におっしゃらなくても」

「私に師事しておいてこんな体たらくで生きているのだから、それだけの侮辱は覚悟のことだと思っていたのだがな」

 ひときわ巨大なblobcatの山車が目の前を通り過ぎていく。周りではサイリウムを振りながら踊るblobcatのコスプレのキヴォトスの娘たちが笑顔を振りまいている。

「この騒がしい群れと同じなんだよ、君の駄文は」

 その言葉に私は今日、先生を目の前にして初めて反駁を試みようとした。

「……私の作るものが駄文であることは認めましょう。でも彼ら彼女らを蔑むような言いぶりはお控え願えますか」

 私が言うと、先生は鼻で嗤う。

「君、昔から変わらないな。高踏を決め込まないと文学的な観察眼は得られないと何度となく行ってきただろう。君はそれを拒否してあらゆる問題の当事者になって訴えようとした。そんなことはひとりの人間に出来るはずがないのに。案の定君はくだらない独り身の貧乏人という現代の弱者としての当事者性しか抱えられず、世界を相手に論を展開する力を得られず、この先ダラダラと死にそびれて人生をフェードアウトしようとしている。情けないとは思わないのか」

 先生がゆっくりと、しかし一切の割って入る隙を与えない語り口で私をそう評したとき、巨大なblobcatが虹色に激しく点滅し始めた。観客に倒れるものが現れたりして騒然となっても、先生は私から一切目を逸らさない。私は絞り出すように言葉を返す。

「私は、ただ、救われたかったんです。文学は私を救ってくれると思っていた」

「救われたいと思うならそれ相応の自己犠牲が必要だろう、文学に対しての」

「そんなにも、文学というのは、苦しみなのですか」

「少なくとも、救済を求めて書かれるものではあっても、君のように慰撫を求めて書くものではない。換金を図らないだけまだ節度があるとだけは言っておこう」

 先生はそう言って、席から立って、軽く手を挙げた。視線の先には、孫娘であろうか、十代くらいの女の子が手を振っていた。

「じゃあ、もう会うことは無いだろうが」

「待ってください」

 私は立ち上がって、先生の眼を正面から見つめた。

「文学が慰みではないのは百歩譲って認めましょう。でも文学も慰み事も、それぞれに価値があって、等しく価値が無いのですよ、先生」

「なに?」

「貴方は文学と相思相愛になれた運のいい人というだけで、それが文学を絶対的に価値あるものとするわけではない、それはむしろあなたの自惚れです。救いになるなら、スポーツでも、金融でも、怪文書でも、等しく価値がなく、等しく救いになる。それが、私があなたから離れて、過ごしてきた時間の中で出した答です」

 私がそこまでまくしたてると、先生は無表情に視線を落とした。

「君の思想は一切、全く持って受け入れがたいが、一人の人間として一つの答えに到達した、そのことだけは褒めてやろう」

 先生はそう言って、カフェテラスから去っていった。

 blobcatのパレードは佳境に入り、超巨大ツチノコ村上さんのバルーンが通りの奥から現れて、行き交いのひとびとはスマホを掲げて写真を撮り始めた。村上さんも柔らかな猫の一人であり、その柔軟性は人間社会を潜り抜ける哲学の体現であると言えるだろう。では私の思想は?

 一匹のblobcatが、村上さんのバルーンの下を、泣きじゃくりながら歩いている。多くのblobcatが喜びを爆発させる中で、まるで私みたいに。

 やめよう。私は考えるのを諦めて、冷めきったベイクドモチョチョを頬張りながら、先生と過ごした青春の日々を思い返して、後悔することもできない自分の無力に打ちひしがれるのだった。

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