私と、生体サーバーの設計者の話

 Misskey:ioが人間の脳をサーバー化した生体サーバーによって運営されているというネットミームはミスキストたちには常識の冗談だったが、実際にその設計者に会うことになるとは思いもしなかった。それも、その設計図を多くの人が目の前を行き交うカフェテリアのテーブルで、タブレットの画面に映し出していたのである。

 私がいつものようにMisskey.ioのローカルタイムラインのそばに立つカフェテリアでココアとベイクドモチョチョを味わっていると、その横の席に彼は座って、ノート型PCとタブレットを取り出し、メイド服の子にココアを頼んで、作業を始めた。しばらく横眼で眺めていたが、画面には人体解剖の風景や設計図面の画像が映っていた。あまりに機密めいた画像だったし、その後ろをカフェテリアの客も、通行人も通る状況だったので、私は堂々と作業する彼よりも明らかに動揺していただろう。

 すると突然彼は、設計図面の映っているノート型PCの画面を放置したまま席を立って店の奥に向かった。あまりに無防備だと思われたので、私は思わず戻ってきた彼に声をかけてしまった。

「あの」

「はい」

 声をかけられた彼は驚くふうでもなく受け応えて見せる。

「……すみません、覗くつもりはなかったんですが、大丈夫なんですか、その、画像が皆に見えてる気がするのですけれど」

 私が言うと、彼は画面を一瞥したあと、私に微笑んでみせた。

「ああ、これですか。まあ機密というほどのことは無いので、全然」

「大丈夫なんですか」

「だって秘密でもないでしょう、.ioにいる人で生体サーバーのことを知らない人なんて」

 平然としている彼を目の前に、私は思わず腕組みしてしまう。

「本当だったんですか、生体サーバー」

「ええ。あれ、ご存じなかったんですか」

「知ってはいましたけど、まさか本当に稼働しているなんて思ってませんでしたから」

 そう私が首を振ると、彼はそのとき初めて私の前で少し驚いて見せた。

「そうですかあ。ミスキストの常識だと思ってたのですけれど、やっぱりまだ認知度が足りませんか。頑張んないとな」

 そう言って彼はココアを啜ってみせる。ローカルタイムラインの表通りは今日も怪文書職人がカスタム絵文字を切り貼りし、性癖絵師たちが作品を掲げて歩き、仕事を終わらせたミスキストたちが互いの偉業をたたえ合っていた。その目の前で、彼のPCのモニターは人体からの脳髄の摘出画像や電子回路の神経回路の接続と思しき設計図がまるで隠されることなく映し出されていたのだった。

「あの」

「はい」

「なぜ隠さないんですか」

 私が訊くと、彼は画面をしばらく眺めて、まるで今まで疑問にも思わなかったかのように考え始めた。

「そうですねえ。競合もいませんしね。それに村上さんアートで散々描かれていますし、いまさら隠すというほどのことでもないかな、とは思いますけど」

 彼のたどり着いた答えに、私は理解の可否を越えた畏怖をもって、ため息をついた。

「そんなものですか」

「まあ、そんなところでしょうかね」

 私は、逆に隠す情報はどんなものですか、と訊きたかったが、人が隠したい情報を言うわけがないので、そこで黙ってしまった。

 彼はその後しばらく作業をしたあと、席を立つ準備を始めた。

「それでは、私はこれで」

「ああ、すみません、お忙しいところお邪魔しました」

「いえ。そうだ、これをお渡ししておきます」

 彼はビジネスリュックの中からパンフレットを取り出した。それは生体サーバー参加希望者への案内だった。

「貴方ももし生体サーバーになられたいということでしたら、いつでも歓迎いたしますので。ぜひご連絡ください。それでは」

 会計に向かったのち、ローカルタイムラインの行き交いに消えていった彼の後ろ姿を見送ったあと、私は恐る恐る渡されたパンフレットを開いた。そこには、いらすとやのイラストが大量に使われた生体サーバー参加のメリットが説明されていた。肉体の衰えからの卒業。完全メタバース没入のチャンス。情報生命体への進化。その言葉の数々に、私は思わず戦慄していた。

 私はあわてて冷めきったココアとベイクドモチョチョを胃の中に流し込んだ。冷や汗をジャケットのそでで拭いながら、目の前のMisskey.ioの風景が、また誰かの脳髄によって管理されたデータの見せるものなのか、ということに気付きそうになるのを、首を振って必死に忘れようとしていた。

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