私と、コーヒーが出ないカフェテラスの話

 Misskey.ioのローカルタイムラインの岸辺にあるそのカフェテラスからカフェインの薫りが誘うことは無く、どちらかと言えばココアの甘い香りが行き交いの人々の鼻腔をくすぐるのだった。ならばカフェテラスではなくココアテラスであろうという語義に精緻を求める人は法律家には向いているが詩人には遠く及ばないだろう。

 この店は村上さんが経営しているわけではない。ただ店主がいつか村上さんがやってきてくれるだろうと期待しながらこの店を構えたのだった。だからメニューにコーヒーは存在しないし、今川焼きも大判焼きも御座候もないがベイクドモチョチョは存在する。

 今日もこのカフェテラスにはたくさんのMisskeyの民がやってくる。タブレットで村上さんアートを増産し続ける絵師、ふんぞり返ってわがままを言うメスガキを前に作り笑いで堪えている分からせおじさん、テレパシーで会話をするケモショタ愛好会の諸氏、学園都市キヴォトスやトレセン学園から来た娘さんたちはベイクドモチョチョを楽しそうに分け合い、MFMアーティストは会社の備品のノートPCを目の前にひたすらカスタム絵文字の位置を修正している。もちろん日常報告を連ねるだけの客も拒まれない。そんな客たちの様子を眺めるためだけに.artやFedibirdから足を延ばしてくる者も多い。

「与謝野先生の姿が最近見えないね」

 私が座っていたテラス席の向かいに突然、カフェテラスの店主はそう言って座った。彼の店だから構わないのだが、いつも不意打ちのように現れるのでこちらはいつも気が抜けない。彼もネコミミが生えており、エプロン姿はメイド服の村上さんの隣に並んでもいいようにすこし執事めいた印象を保っていた。私はスマートフォンをジャケットにしまって店主に正対した。

「一時代を築いた方ではありましょうが、与謝野先生も流行の移り変わりには逆らえない。そしてMisskey.ioがこれから長く愛されるにはそうした移り変わりを私たちも受け入れ、かつ楽しまなければならない」

「でもレターパックで現金を送ることはミスキストに普及した、おそらく変わらない文化になる」

「すべて詐欺ですがね」

 私が返すと、店主はネコミミの裏をかきながら店のメイド服の子に合図した。きっと私のココアのお代わりと、いつものようにベイクドモチョチョを少しご馳走してくれるのだろう。

「村上さんはいらっしゃいましたか?」

 私が訊くと、店主は首を振った。

「君みたいなのが来るから避けてるのかもしれない」

「ひどいな。まるで思想犯みたいに」

「村上さんはNSFWに関してはルールを守り次第許可を出しているが、思想性の強いアカウントは警戒している。君が政治宗教を語らないとしてもMisskeyやミスキストについて何らかの思索を語るとき、村上さんはどんなことを考えているか。私は心配でね」

「では、もうこのお店はご遠慮したほうが?」

「その必要はない。君との会話は楽しい」

 運ばれたココアとベイクドモチョチョをメイド服の子に並べさせ、私から視線を外さずに、店主は訊ねる。

「そろそろ君も開示したらどうだい?」

「個人情報ですか? 嫌に決まってるでしょう」

 私が辟易して見せると、店主は笑って首を振った。

「違う。性癖だよ。君の、ゆるぎない性癖。このMisskey.ioでミスキストを引きつけ、かつドン引きするような性癖を」

 そう言われて、私は少し黙ってしまう。性癖、とはなんだろうか。社会的に隠しながら、それでいて思わず漏れ出てしまいそうな、自分の理性と本能を揺るがす、ゆるぎない本性。

「世の中が受け入れる性癖と受け入れがたい性癖があるのは、これ現実だ。国内法に違反するような性癖の表現は処断されなければいけないし、だからこそ性癖の理性的な管理と、その本能のほとばしりを慰める表現行為と同好の志との交流が必要だ。そのためのMisskeyであることはまちがいない。だろう?」

「おっしゃる通りですね」

 私は店主の言葉にうなずくしかできない。

「前から思っていたけれど、君は性癖の慰撫よりも承認欲求が勝っているように見えるね。自己愛があっても、そこに表現の愛があまり感じられない」

 そう言われて、私はこんどは無表情に首を傾げるしかできない。

「自己愛のために無理やり性癖を捏造するのも不誠実でしょう」

「かといって流行の性癖……というのが存在するかは知らないが、そういうマーケティングに基づいて創作することもできない、そうなんだろう」

 店主が詰め寄ってくる表情は、口元は微笑んでいるが、目は笑っていない。じっと私の心の裏側を見つめて、陰になった部分を観察しようとしている。私は必死に自分の弁解を言葉にしようとした。

「訴えたいこと、伝えたいことは無いですが、表現したいことはあると思います。描き出したい目の前の世界がある、とくにいまMisskey.ioの風景を私なりの解釈で書きたいと思っている。それは全く確かなことです」

 二人の間にあるテーブルのココアとベイクドモチョチョはすっかり冷めてしまっていた。私がこの店で温かいメニューを食べたのはいつだったろうか。すくなくとも1カ月前にはここに居なかったのだから、それより後にはなるのだろうけれど。

 私の弁明に、しばらく黙って視線を外さなかった店主は、目の前のベイクドモチョチョをかじって、中のカスタードクリームを見つめた。

「美味しいものは包まれている。その薄皮をかじって中身がとろけだす様に人々は堪らない慕情を抱く。君ももっと中身をとろけだすべきだ」

「その言い方は何だかタブロイド的ですね。自分から中身を出す露出狂の迫力というより、隠そうとするアイデンティティをはぎ取る強姦魔の心象に近い」

 私が少し上目遣いに言うと、店主はふっと噴き出して半欠けだったベイクドモチョチョを頬張った。

「どちらにしろMisskey.ioの側面の一つは、社会的には鼻白むような秘密を肴に楽しむ場所だ。君もそういう場に来たのだから、仲間になるべきだよ。そうでなければ」

 店主は冷めたココアをひと息に飲んで、私を、猛禽類のような深度の瞳で見据えた。

「またここでも、だれにも仲間になれずに終わるよ。いままで離れてきた場所たちのように」

 店主は席を立って、店の奥へと引っ込んでいった。私は自分のカップのココアに映る、Misskey.ioの翠色の空を跳ね返す表面を眺めながら、いままで去って来たたくさんのコミュニティに思いを馳せ、ため息しか出ないのだった。


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