私と、私の自己満足を責める女の話
Misskey.ioという繁華街のカフェテラスに月光が射す夜だ。LEDより明るい月はなぜなら私たちミスキストの心に低温で燃える欲望の炎を照り返しているからだった。真っ暗な部屋に煌々と明るいスマホやPCの画面がこのほど一万を越えんとしていた、そのすべてを反射して光るMisskey.io上空のエメラルドに輝く満月だった。
翠色の光で読む「みだれ髪」は古語に不案内な私の戸惑いを一層加速させてほぼ気がふれる寸前であった。とはいえ、街の外で抑圧されてローカルタイムラインの表通りで狂気を解放しているミスキストが今夜もテラスの目の前を往来していることを考えれば、私も少しは楽しいMisskey.ioライフが送れるかもしれなかった。
「あなたですね、Twitterの悪口で作家気取りを決め込んでいるひとというのは」
テラス席に座る私の後頭部から降ってきた言葉は女の声だった。振り返ると、女は私に裏通りの吐瀉物に向けるような視線で話を続ける。
「Misskeyを褒めるならそれだけをキチンと褒めればいいのに、卑怯者は必ず他を下げて言説を展開します。あなたを軽蔑します」
私は振り向いている首が凝るのも嫌だったので、メイド服の子にココアを頼んで、女に向かいの席を勧めた。
「せっかくだから」
「結構です。あなたにお伝えしたかっただけなので」
「伝えたいことだけがあって、表現したいことが無いのは、自慰行為だよ」
私の言葉に、女はぐっと唇を噛んで、私の向かいの席にどっかと座った。
「表現したいこと! ありますよ。あなたみたいな自己表現に名を借りた侮辱を続ける人間を一言で打撃する言葉をツイートしたい。だから言葉を洗練させる必要があるんです」
「言葉を尽くすという考えはないのだね」
私が返すと、女は鼻で嗤った。
「言葉を尽くすだけの価値のある人間であればそうします。ああ、こうしている間にもイライラします、なぜあなたを居合のような言葉で、そのだらしない思想の陰茎を切り落とせないかと、いまも、きっとこれからずっとそうなのでしょう、不愉快です」
そこまで言って、女は運ばれてきたココアを一気に飲み干した。熱くないのかと心配になったが、女は少し落ち着いた様子なので、私はそれだけでも満足だった。
「美味しいかい」
私が訊くと、女は空のカップの底をじっと見つめて数秒、頭を抱えてしまった。
「毒が入っている可能性をすっかり忘れいました。そもそもこんな場所の飲み物なんて」
「こんな場所って、どんな場所だい」
そう訊くと、女は流し目で待ちの行き交いのほうを見た。今夜もNSFWの格好の老若男女や、怪文書をばらまくミスキストたちが、全方向に向かって狂気を散らしていた。
「あなただって自覚があるのでしょう、こんな場所ですよ」
女が顎で行き交いを指すので、私は笑ってうなずいた。
「自覚はあるよ。でもこういう考え方もある。自分の居場所がこの世で一番いい場所でないという、言わば謙虚さであるということを」
「ご自身の自覚を謙虚さとすることほど傲慢な態度は無いですね」
そう言って、女は腕組みをして私を見据えた。私は翠色の満月を見上げながら、そういえば今日はベイクドモチョチョを食べていないなと気づいた。
「私はね」
ひと言、私の口から洩れると、そこからは言葉が決壊していくようだった。
「創作活動のことでTwitterでたくさんケンカもしたよ。でも自分と相手の戦いだったから、負ければ反省だし、相手に一理あると思えば勉強だと思えた。ところがね、いつの間にかニューストレンドにスキャンダルや社会問題が取り上げられるようになって、そのことばかりを話題にして、人と論争を繰り広げるアカウントが増えていった。論争じゃない、人の不幸を肴にして自分の言葉に酔いながら暇つぶしをしているだけにしか見えなかった。いつのまにかTwitterが面白いクリエイティブが湧き出る泉から憎悪が渦巻く沼に変わったいたんだ。もちろん、自分で面白いクリエイターを探して、嫌いなアカウントをブロックして、自分のアカウントを育てろというのは合理的解決策だ。でもね、その作業一つに対して十倍以上のノイズが押し寄せてくるんだ。ただ楽しみたいだけなのにそれができないのは制度設計の破綻だろう? 私が現状のMisskey.ioに希望を見出しているのは、Twitterにそういう仕打ちを受けたからだということを、声を大にして言いたいね」
翠色の満月がうっすら霞んで見えるのを、私はあわてて生あくびでごまかした。女は首を傾げながら疑問を眉根に寄せて黙っていた。
「わかったかな」
私が努めて笑顔で訊くと、女は首を横に振った。
「大好きなんじゃないですか、Twitter。まるで分かれて諦めきれない恋人みたいに思い出に浸ってる」
「大好きだった、としておきたいね」
私の残りのココアに口を付けると、やはり今日も冷めていて、そろそろ春だしいっそアイスココアのほうが良かったかなとも思った。
「面白いものが観れて良かったです。わたしはこの辺で。きっとあなたはMisskey.ioにも幻滅する日が来ます。Twitterに幻滅したように」
「それはなぜ」
「なぜ?」
私の問いに女は露骨に戸惑って見せた。そんなに驚くようなことを訊いただろうかと思ったが、女は深くため息をついて、首をぶんぶん横に振った。
「あなたは様々なことに幻滅する側の人間だということがいま明らかになったじゃないですか。わたしはあきらめない側の人間です。決定的に違います。あなたはいずれ自分の人生にも幻滅して自ら去っていきます」
「それにはもうずいぶん前から幻滅している。だからMisskey.ioに来たんだ」
私がまっすぐ見据えてそう言うと、女は、きっとそのとき初めてだろう、翠色の月を見上げた。
「詭弁ですね。では失礼します。こんな気持ち悪い色の満月が出るところにはもう来ませんから」
女はそう言ってMisskey.ioのローカルタイムラインの雑踏へと消えていった。以前もこんな風景を見たことがあったな、と思いながら、思い出せないまま、私はベイクドモチョチョを食べていないことを思い出して、メイド服の子を呼んだのだった。
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