第10話 愛するアナタだけのために


「…さっきはごめん。二人が頑張ってくれたのに俺は諦めようとしてた」


港に到着し、龍が海へと潜っていくのを確認した俺は二人に謝罪した。


「…いいんだ。それよりも…」


「これからどうしよう?」


それが問題だ。あの父親は強かったが、ベルナ相手に勝利することは不可能だ。もはや理由など考えるだけで馬鹿馬鹿しい。彼女だから、それだけで説明がつくのだ。


「とりあえず…宿に案内してくれないか?少し疲れた。もし彼が突破されれば、もう眠ることもできなくなるだろうからね」


そうしようか。確かに疲れた。気持ちの整理もできていない。アイツは本当に俺の父親なのか、今まで何をしていたのか、どうしてもっと早く助けてくれなかったのか…


やめよう。考えても答えは出てこないのだから。


「…この匂い…」


「どうかした?」


「いや…何でもない。気のせいだ。この部屋でいいのか?」


匂い…何か匂うだろうか。もしかして気に入らない香りでもしているのか?それとも、潮の匂いに慣れていたとか…


「ああ、そっちは別の部屋。私達の部屋はこっち…って、どうしたの?」


リンが訝しげな表情をする。ローズは何やらドアの向こうが気になるようだ。その部屋はナターシャとセントーレアが使用している部屋のはずだが…


「少し甘い匂い…だが隠しきれない血の匂い…どこかでこの匂いを…」


「鼻がいいんだね。私は何も匂わないよ?」


「俺もだ。一応知り合いの部屋ではあるが…」


勝手に入っていいものか、一人で使うには広いからと二人ずつ入居しているわけだが、ナターシャは研究で閉じこもっているかもしれないし、セントーレアは療養中のはずだ。


「入っていいよ。怒られたら私が責任とる」


「…ありがとう。どうしても好奇心を抑えられないんだ」


ローズがドアの取っ手に手をかけた。いったい何がそんなに気になるのか。ドアは軋みながら開いた。


「ゼノとリンか。帰ってきていたのだな。…そこの客人は…ん…?」


「初めまし…ん?」


セントーレアとローズの間に微妙な空気が流れる。軽く会釈くるローズの頭がぴたりと止まった。二人は互いに数秒フリーズし、見つめ合った。


「「…殺すッ!」」


「「え?」」


セントーレアとローズ、俺とリンの声が重なった。次の瞬間にはローズが弩を構え、セントーレアがベッドの傍から杖を取った。


「ストップ!なに!?なんなの!?」


「やめろセントーレア!何をしている!?」


俺がセントーレアを、リンがローズを必死に止める。二人は俺とリンより少し背が高く、幾分か歳も上だろう、とても力が強く、長く抑えてはいられない。


「離してくれリン!こいつはここで…!」


「離せゼノ!そいつは殺さないといけない!」


「理由を説明してくれ!とりあえず剣を納めろ!」


いったいどうしたと言うのだ。確かに立場だけ見れば対立しているはずだが、あの時セントーレアからローズが見えていたとしてもローズからはセントーレアを視認することはできなかったはずだ。ベルナの部隊は黒布で顔を隠していたからだ。


「この裏切り者!どのツラ下げてアグリーツァに来た!」


「貴様こそ…!貴様がリヴィドを出てからどれだけ大変だったか!」


リンはローズをいよいよ抑えられなくなり、それを見て俺もセントーレアを解放した。このままではセントーレアが一方的に襲われるからだ。


「今ここで罪を償わせてやる!」


「上等だ!穢らわしい花弁を燃やし尽くしてやる!」


ローズの弩に番えた矢に炎が灯る。見たこともない、黄金色の炎だ。一方でセントーレアも杖に隠した刃を露わにした。そして剣先で白銀の、どこか液体感のある水銀のようなものを操っている。


「おい!本気でやるつもりなのかよ!」


「どうしちゃったの二人とも!?まず話し合おうよ!」


俺とリンの叫びは届かない。黄金の炎と、白銀の水が放たれる。


その2つが接触する…ことはなかった。


「…っ!?なんだ…?」


「魔力が逆流して…!?」


白銀と黄金は小さな爆発を残して消え去った。


「はいストップ。まったく、人の部屋で騒がないで。私は研究中なんだよ?」


「ナターシャ!よかった…!」


部屋の奥からナターシャが黒い結晶を持って現れた。その結晶は炭のように黒く、深い光を放ち続けている。


「ナターシャ…すまない…」


「ナターシャ?…!その赤髪と海色の瞳…!ナターリヤ・アークス・ベルナールか!」


「ナターシャでいいよ。貴方は…聞くまでもないか。黄金魔法の継承者となると、モロー家の人間だね?」


ナターシャはこの一瞬でローズを見抜いたのか?確かに、あんな黄金の魔法は見たことがない。五色から逸脱している。


「…どうしてそれを…」


「見れば分かる。…あんまりモロー家の人間には似てないけど。もう片方の親に似たのかな?」


「母親がモロー家出身だよ。しかし今はセクレドに住んでいる。それより…どうして君がここにいる?マリー先生はどうした?」


「お母様は相変わらずハイドレストの教員だよ。どうせ手を焼くような学生に囲まれて忙しく過ごしてるんでしょ。それで?人の部屋を木っ端微塵にしようとした理由は何?」


少し…というか表面に現れないだけで内心かなり立腹しているのだろう。ナターシャは腰に手を当てて不機嫌そうにしている。


「…裏切り者には容赦できない」


「フン…どっちが裏切り者なんだか」


「何があったのさ」


二人は武器を納めたが、未だに殺意を抑えられていない。虎と龍…まさしくそんな剣幕だ。


「聞いてくれるな。思い出すだけで吐き気がする」


「マキナに聞いてくれ。私の口からは言いたくない」


「その名はもう捨てた!」


「落ち着け。こっちは疲れてるんだ」


まだ整理したいことが山ほどあると言うのに…


「そうだね。私も疲れた。先に休むから、滞在する間は仲良くね?」


「待て、ここに滞在するのか?正気ではない!」


「仕方ないでしょ、船を置いてきたんだから」


「貴様と言う奴は…!」


仲良さそうだなぁ…などと現実逃避している場合ではないか。だが今日はもう…休みたいのだ。この気持ちを整理しなければならないのだ。






「おかえりなさいませ猊下。此度の遠征はいかほどに」


教皇としてのベルナデッタは残った兵…カトレアを引き連れて城へと帰還した。本来ならばまず教会にでも寄るべきなのだろうが、手元の結晶が彼女をそうさせなかった。


「…カトレアと私以外全滅しました」


「なんと…」


「…ですがかの叛逆者がここに」


ベルナデッタが赤色の結晶を見せた。血よりも深い赤、黒々とした負のエネルギーが渦巻くその結晶は手のひらに収まるくらいの大きさだ。


「…自己封印によって魔石化しています。出てくることは無いかと」


「おお!魔石があれば…!…猊下?」


「…こんなもの…!ゼノがいなければ何にもならないでしょう!…おのれゼロ・スティングレイ!二度とその檻から出られると思わないことですね!」


手のひらの結晶を力強く握りしめた。当然その程度では破壊されやしない。魔石は嘲笑うかのように黒々と輝きを増した。


「…そうだ、このいけ好かない男を使ってゼノを私のモノにしましょう。本当に父親であるのなら、彼も助けないわけにはいかないでしょう」


「囮、というわけですか。うまくいくでしょうか。セントーレアも帰還しておりませんし…」


「あの場に居なかったということは返り討ちに遭って死んだのでしょう。目をかけていた者ですが、それまでの実力だったというだけです。私の勘違いだったのでしょう」


もはやセントーレアのことなど気にもかけていないように思える。それも彼女にとっては仕方ないことだ。愛する者がいないのだ。せっかく再会できたのに逃げられてしまったのだ。絶対的な力を持つこの自分から。


「あの少年にそれ程価値があるようには思えません。白と黒の紡ぎ手と言えども、あの程度の魔力では…うぐッ!?げ、猊下…!?」


首を見えない手で締め付けられているかのように苦しみ始め、顔が真っ赤になっていく。


「貴様は二度とゼノを語らないでください。もうここから出て行きなさい。不愉快です」


恐ろしく冷たい目線だ。彼女の前に立っていて平気でいられる人間はいないだろう。


「ひっ…!こ、殺される…!」


まさに尻尾を巻いて逃げていくようにして扉を豪快に開け、足を絡ませながら走っていってしまった。


「…またやってしまいました。アナタがいないとどうも心が落ち着きません。…どうして私のそばにいてくれないのですか?私に何の不満があるのですか?容姿も、権力も、富も、アナタへの愛情も、全てにおいて私に勝る者などいないというのに。私がアナタに何か無理な要求をしたことがあったでしょうか。私はただアナタを愛しただけではありませんか。毎朝毎晩欠かさずアナタに愛を注いだではありませんか。国王になったのも、教皇になったのも、全てアナタに一分たりとも不便を感じて欲しく無いからこのような権威を手に入れたというのに。この力を手に入れたのも、アナタを脅かす全てを払いのけてアナタに絶対的な安息を与えるためだというのに。…アナタはこれ以上私に何を求めるのですか?」


誰もいない広い空間で狂ったように、虚ろに呪詛のような愛を囁き続ける彼女を見れば、きっと廃人のようにしか見えないのだろう。


「…父親である貴方なら、分かることなのですか?」


手の中の魔石に呟く。


「…やはり愛を感じられなかったのでしょうか。父母からの愛を知らない彼は、私の愛を受け取ることができなかったのでしょうか。だとしたら貴方の責任です、ゼロ・スティングレイ。本当なら今頃私と彼は結ばれて盛大な式を挙げている頃だというのに。…私はどこで間違えたのでしょうか。……いいえ、私は間違ってなどいない…!そう!全て私の愛を受け取れない彼が間違っているのです!であれば早急にその間違いを正さねば!ああ可哀想なゼノ!父親がこんな碌でなしだったがために真実の愛に気が付けないだなんて!アッハハ!待っていてください!すぐに愛を教え直して差し上げますから!」
















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