第9話 愛する者のために

無数の騎士の中でたった一人、刀を握るその男の剣術を、どこかで見たことがある。


『手応えのある奴はいないのか』


まさに無双。騎士団は男に手出しすることができないまま、無力に倒れていく。ただ、この男に狂気すら感じるのだ。それはおそらく、この男が一切の躊躇なく敵を殺すところだろう。


リンやローズは無力化に努めていたが、この男は違う。初めから殺す気だ。相手の命を奪うことに一切容赦がない。


『どうした?命の奪い合いは初めてか?』


「惨いことを…」


『惨いだと?人の息子を無理矢理自分のモノにしようとしておいて言うことがそれか?』


ベルナだけはその男と対等に戦う。やはり彼女に兵は必要無いのではと思える。ベルナ一人でレグーナを守れるのではとさえ思えてくる。


「弱者は強者に奪われるのみ。自然の理ではありませんか」


『その言葉、そっくりそのまま返す。こいつらは弱過ぎるから俺に殺されただけだ』


男が刀を振った。ベルナは杖で受けることに成功するが、受け身の姿勢で彼女が不利だろう。…邪魔が入らなければの話だが。


「陛下から離れろ!」


『…まだ動ける奴がいたか』


赤い髪、赤い瞳、真紅のローブを纏った騎士…カトレアだ。


「カトレア…感謝します」


「陛下、ここは私に」


「なりません。この男はここで始末せねば…危険な匂いがします」


「でしたら私も最大限の助力を」


真紅の女…カトレアはセントーレアと対をなす存在だ。騎士団出身で親衛隊になったセントーレアと、聖教騎士の長を今も務め続けるカトレア、互いに名を捨てて忠誠を誓った者だ。


そも、騎士団は女王が抱える組織、聖教騎士団は教皇の支配下にある組織だったのだが、その二つの権威をベルナが一人で保有するため、二つの騎士団はどちらもベルナのものだ。つまり、彼女はレグーナの軍事を全て握っていることになる。その二大巨頭の片割れである彼女までここにいるなんて…


『どいつもこいつも…なんで俺の邪魔をする奴に限って赤い奴なんだ』


「それ程の力を持っていながら、表舞台に立つことはないと、何故だ?」


『ロマンが無いだろ。強者は実力を隠してこそ風情がある』


そんなカトレアを前にしても男は下がらない。


「戯言をッ!」


カトレアが男の首に剣を突き刺した。しかし男は平然と、冷静にカトレアの剣を断ち切った。


『首を刺せば死ぬと思ったか?』


「なっ…!化け物か貴様!」


『化け物?そうさ!化け物はここにいるぞ!さぁ、討ち果たしてみせろ人間!』


甲板が血に染まる。どれだけ刺され、斬られても男は止まらない。


『ほら、死神がやってきたぞ。人間は死から逃れられないのさ』


男がカトレアの首に剣を突きつけた。しかし、男はすぐに後方に吹き飛んだ。


『…痛ぇじゃねぇか。殺されたいのか?』


ベルナの方を向く。獣が牙を向けるように、男は刀を向けた。


「不死身…本当にゼノの父親なのですか?」


『顔を見れば分かる。それに、ガキの頃はこいつみたいに変な女に付き纏われてたからな。さすが俺の息子、立派な女誑しに育ったじゃないか』


「…そりゃどうも」


女誑しとは失礼な。そも、この父親を名乗る男は今まで何をしていたのか。どうして今この船に乗り込んできたのか。


『悪いな息子よ。反抗期だろうが、俺だって一丁前の大人になれた自信は無い。だからお前のことも分かってやれない。正直今だって自分のことで手一杯だ。けど…またいつか家族みんなで暮らせるようにしてやるからよ、今は我慢してくれ』


「私がゼノの家族になればそれで幸せなんですよ?」


『悪いことは言わねぇ。お前じゃゼノに釣り合わん。こいつはテメェ如きで丸くなるような器じゃねぇ。一度逃げられてるんじゃ、こいつを制御するのは無理だ』


「…傷付ける意図はありませんが、ゼノの魔法では到底…」


気がつけば男が防戦一方になっていた。流石はベルナの魔法…騎士団を蹴散らしたこの男も頭一つ抜けた実力者だが、それすらも抑える彼女の力量に改めて恐怖を感じた。


『俺の息子だぞ?俺に匹敵するか、それ以上に強くなるさ、絶対にな』


男の胸に剣が突き刺さる。それでも止まらない。魔法の豪雨を重い足取りで突き進む。


「…もう体がボロボロではありませんか」


『へっ…だからどうした。俺は死なんぞ。どこまでもお前に噛みついてやる』


「貴様はいったい何者だ…!」


『名乗ってやってもいいが…その前に、帰りの便が到着したみたいだな』


男が不意に海の方を見た。


「なに…?」


『来い!ハイドレスト!三人をアグリーツァまで送り届けろ!』


海面が荒れ狂い、渦の中から青い龍が現れた。獰猛な顔つき、巨大な体躯…憧れていた生命そのものだった。


『行け!』


龍は船にぴったりと寄り添い、背中を差し出している。リンと俺とローズは龍の背中に乗った。海の中にいたからか、ツルツルとしている。背中の棘になんとか掴まった。


「!…逃すな!」


『おっと、お前の相手は俺だぞ』


「くっ…!邪魔をするな!」


『おいおい、お互い様だろ?』


男がカトレアの前に立ちはだかる。龍は男を待っている。


『ハイドレスト、俺はここに残る。お前は使命を果たせ』


龍が低く唸った。口を開き、炎を発しようとしているのが分かる。


『やめろ。俺まで巻き込むつもりか?俺は泳ぐのが苦手なんだ。心配するな、俺が家族を置き去りにすると思うか?』


今度は少し高い声。男には龍の言葉が分かるのだろうか。


『良い子だ。よし行け。振り落とすんじゃねぇぞ?…ローズ!』


龍が飛び立つ直前、男が叫んだ。


『…後は任せたぞ!』


「…分かってる」


龍は大きく咆哮し、翼をはためかせて空を駆けた。風が空を切る。重い空気が漂う海域を抜け、どこまでも飛んでいく。






「逃してしまいましたか…流石とでも言いましょうか、ゼロ・スティングレイ」


『おっと、バレてたのか』


男…ゼロは兜を脱いだ。首の辺りが血塗れで、目も生気を感じられない。ゼノと容姿が似ているが、どこか雰囲気の違う青年だ。


「驚きました。ゼノそっくりですね」


「そりゃそうだろうよ。俺と、俺の妹の間にできた息子だからな。似てないと困る」


この男は衝撃的な事実を平然と言ってのけた。


「実の妹と?正気とは思えません」


「そんなモン、セクレドの民に言ってくれよ。俺だってあの奇習の被害者だ。ま、俺としては立派な息子ができて嬉しい限りだがな。妹も俺とならって滅茶苦茶喜んでたしよ」


「普通、嫌悪を示すものだと思うのですが」


「生憎妹は普通じゃねぇんだ。アイツは今でも俺を恋人かなんかだと思ってやがる。可愛い妹の頼みは断れんがな。まぁ流石に自分の子ども達が三人も集結してたのには驚いたけどよ」


「あのローズという女も?」


「おうよ。最初に生まれた娘さ。アイツも立派な娘だ。真実を告げるのはまだ先になるだろうけどな。目はあいつそっくりだ」


男は鎧を脱ぎ始めた。騎士の甲冑を捨て去り、薄い麻の布だけを身に纏う。


「それでも、ゼノと貴方だけ似すぎていると思うのです」


「良い面してるだろ?でも同じ顔の奴があと一人いるんだぜ?リヴィドで隠居してるクロード…魔神エンバージュってやつなんだけどよ、あの龍はそいつから借りてきたんだ。カッケェだろ?」


「…不愉快です」


ベルナデッタの顔に呆れと怒りが見える。


「…お喋りは嫌いか。まぁ好きな奴の顔で品の無いこと言われたら嫌な気持ちにもなるか。俺だって自分のことがあんまり好きじゃねぇんだ」


男は袖で刀の血を拭った。


「優雅な時間も終わり、ですか。ですが…全盛を過ぎた貴方では私には勝てまい。私はまだ全力など出しておりませんから」


「…そうだな。けどこれなら一矢報いるくらいはできるさ」


男の周りの空気が重くなる。生気を失った目が煌々と輝き、その赤い瞳に炎が灯る。


「禁忌の術…命を燃やす諸刃の剣…」


「命を削る限定強化をよ、無限の命でやったらどうなるんだろうな?無限に苦しみ続けるのか?」


男の足元から紫、白、黒…不気味な色の炎が燃え広がる。


「どうしてそこまで…」


「息子と娘二人のためだよ。俺は自己封印をも辞さない。お前が撤退するまで燃え続ける炎になる。さぁ、お前には俺を鎮めることができるのか?」


男は炎の中で刀を構えた。刀が炎を纏う。


「放て!」


レグーナの船に残った騎士の残党達が放つ魔法が突如として向きを変えて彼らに襲いかかる。前線にいるベルナとカトレアだけが飄々としてそれを見ていた。


「全ての魔力を支配する力…これが俺の全盛期の魔法だ。もっとも、代償がないと使えないポンコツだがな」


「…!総員、撃ち方やめ!…無茶苦茶な魔法だ。陛下、ご決断を!」


カトレアが盾を広げてゼロの操る、元は騎士達が放った魔法を受け止めた。


「ここで潰します。撤退などありえません」


「…ハッ、良いねぇ!俺が燃え尽きるまで付き合ってもらうぞ!俺が自己封印した時、お前達の命がどれだけ残ってるか楽しみだ!」





































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