第2話 旅の終わり、冒険の始まり
『ゼノ…!ゼノッ…!』
『ッ!やめてくれっ…!ベルナッ…!』
『愛してます!愛してます!ゼノ!貴方も私を愛して?さぁ!受け入れなさい!貴方さえ認めてくれればこのまま気持ち良いことができるのですよ!?そうすればみんな幸せになります!さぁ!さぁ!!」
『苦し…っ息が…』
『あはははは!あははははははは!!!』
「っ…!夢か…?酷い悪夢だ…」
妙に現実味のある夢だった。彼女が教皇である以上、暴力的になることは無いが確かに一度くらい首を絞められていてもおかしくはなかった。…本当に、夢でよかった。今俺の見る天井は昨晩見た、荒い木目の天井だ。潮の香り、波の音、鳥の声が聞こえる。…本当に、本当によかった…
「俺…本当に逃げきれたんだ…」
どことなく寂しさが湧いてくる。というよりも違和感に近い。朝起きて俺の上か隣にベルナがいないことなど、これが初めてだった。
甲板に出て、外の景色を見る。ちょうど陸地が見えてきた…
「坊や!起きたのかい?」
軍服の女はちゃんとそこにいて、徐々に近づきつつある陸地を見ていた。
「ああ。もう着くのか?」
「いいや、アグリーツァはまだ遠い。リヴィドで補給するのさ。まだ寝てていいよ、どうせ坊やが求めてるような新鮮な体験は無いだろうからね」
「…あれがリヴィドなのか?」
レグーナとそう変わらないように見えるが、沿岸部が発展していないレグーナとは違い、港が活気に溢れている。港湾都市というやつだろうか。
「そうだよ。リヴィドに来たことは?」
「ない。月に数回、レグーナの街に連れて行ってもらうくらいだ」
「そうか。もし…もし冒険が終わって、無事に帰ってこられたら、次はレグーナじゃなくてリヴィドに来るといい。ここはいい国だ」
帰ってこられたら…正直冒険の目的などなく、檻から解き放たれたい一心だった。旅の終わりなど考えていなかった…
「お姉さんはリヴィドで生まれたの?」
「いいや、もっと東…極東セクレドだ。聞いたことは?」
「本で読んだことがある。入国することは許されていても、出国することはできない閉ざされた国だって、他の国には無い特別な魔法が使える人達が住んでるって書いてあった」
その本の挿絵は物騒なものだった。薄汚い服を纏った人達が、叫び声を上げながら斬り合ったり、魔力を乗せた矢を使って狩りをする…野蛮なところだと思っていた。
「ま、だいたいあってるね。でもまぁ、その本が書かれたってことは、当然中を見てきて、国を出れた人間がいるわけだけどね」
「まさかお姉さんが書いたのか?」
「いいや。そういう歴史書はだいたい私の師匠の一人が書いたものが出回ってるんだ。大魔女フェリシー、それかDr.フェリックスという名を聞いたことは?」
「ある。ベルナに時々謁見しに来てた人だ」
その大魔女とは帰り際に鉢合わせただけだが、どこか不思議な女性だったことは覚えている。だが直接話したことは無い。少し話をしようと思ったが、ベルナに引き離されてしまったのだ。
「彼女は凄い人だよ。…っと、そろそろ着くけど、どうする?見て回るには時間が足りないが、残るには時間が余るんだ」
気がつけば港とほぼ接していた。通行人達は忙しそうで、こんなに大きな帆船が停泊しているのに見向きもしない。
「残る。冒険への憧れが薄らいでしまわないように。そうだ、絵を描こう。冒険の途中で思い出せるようにな」
「なかなか芸術家志向じゃないか。嫌いじゃない。羊皮紙と羽ペンを用意しよう」
「大丈夫。魔法で描くから」
「…?どうやって…」
「見てて」
左手で黒の魔法を、右手で白の魔法を紡いでいく。どうしようもなく暇になった時に遊んでいただけだが、昨夜彼女の本物の魔法を見た今ならできる気がする。
指先から細く、とても細く練り上げた黒い魔力が、大きく広がった白い魔力の上をタペストリーを編むように、目の前に広がる港町、遙か遠くにそびえ立つ城砦、行き交う人々を描いていった。
「これは驚いた…なるほど、そのサイズの魔石の持ち主に選ばれるくらいだから何かあるとは思っていたが…白と黒の紡ぎ手だったか。それも恐ろしいくらいに緻密な…ありがとう、いいものを見せてもらったよ」
実際に紙に絵を描くよりも数十倍、数百倍も速く、正確に描かれている。今まで足りていなかったのは才能ではない。むしろ己の秘めたる才能に気づくことができた。足りていなかったのは想像力…まさしく芸術作品を生み出すときのようなインスピレーションだった。ベルナの率いた大軍の放つ攻撃をいとも簡単に防いだあの魔法…あれこそが真の魔法とも言える、黄金比のような美しい力だった。
「お姉さんのおかげだ。魔法がなんたるかに気がついたよ」
「ふっ…あんなものに感銘を受けてもらっては先が思いやられるな。だが悪くない。冒険が思うように行かなければ、画家になることをお勧めするよ」
そう言って彼女は船を降り、人混みの中に消えていった。完成した絵は魔力の配列を複製して体内に仕舞い込んでおこう。これを応用すれば何かに使えるかもしれない。今日だけで新たな技術を二つ身につけることができた…大切なのは気付き、発見であるとはこのことか。
「陛下…叛逆の騎士団という組織が見つかりません。構成員も、拠点も、活動も…でっちあげであると判断なさった方がいいのでは…」
ベルナデッタは玉座に腰を下ろしている。とても不機嫌そうに、いや…不機嫌などというものではない。今にも噴火しそうな火山…まさしくそれだ。
「あの人を攫った不埒者を逃すものですか…!捕まえて処刑なさい!敵に回したですって…?そちらこそ誰を敵に回したか分かっていなくて?」
「向かった方向は西方…リヴィドか、それよりも更に西…未開拓領域アグリーツァかと…リヴィドはともかく、アグリーツァまで追うにはあまりにも…」
「あまりにも?それがどうしたと言うのです!あの人がいないのですよ!?あの人が!!私は彼のためならこの地位をも投げ出しましょう!…少なくとも、教皇の座など役に立ったためしがありませんからね!」
「陛下!!無茶を仰らないでください!レグーナには陛下が必要なのです!どうかお気持ちを抑えて…!」
「私にはゼノが必要なんです!!!教皇の名に於いてレグーナに集う全ての信徒に命じます!神の使い、我が天使たるゼノ・ルイス・レグーナを何としてでも奪還しなさい!これは教皇としての命令です!」
「っ…!無茶苦茶な…」
ベルナデッタは酷く昂揚している。ゼノがいない日など今の今までなかったのだ。公務が終わればいつもあの部屋にいて、共に眠るベッドを温めている忠実な犬のような家族が、いずれ夫となるべき幼馴染が。得体の知れない女に奪われようとしているのだ。
だから彼女は力をもって取り戻す。彼女自身の類稀な魔法的な素養だけではない。富、権力、執念…全てが彼女のためにあるのだから
「坊や…別れの時だね」
リヴィドを去り、船に揺られて数日…ようやく大陸に上陸した。リヴィドで積み込んだ荷物を下ろし、現地の人達が街へと運んで行った。あまり整備されていない、一昔前の文明を想起させる街…ここがアグリーツァなのだ。
「今までありがとう。お姉さんはレグーナに戻るんだっけ?」
「そうだね。叛逆の騎士団レグーナ支部の支部長だから」
「…本当にありがとう」
「気にすることじゃない。あの日は偶然出航前に気晴らししてただけだからね。まぁもっとゆっくりしてる予定だったから急な出港で荷物が足りなかったけど…そこはリヴィドで補給できたし、リヴィドでは旧友とも再会できた。これが運命ってやつさ」
彼女が俺を乗せてくれなかったら俺は今頃どうなっていただろう。きっと手か足のどちらか、或いは両方を切断され、二度と彼女の側を離れられなかっただろう。本当に感謝しかない。
「…運命って…お姉さんが言う運命って何なんだ?」
「人が生きる中で縛られる…劇作の中の役みたいなものさ。私達は皆役の中でしか生きられない。王は王だし、奴隷は奴隷だ。それが運命だと私は解釈した」
「…じゃあ俺の運命は?」
「ふむ…一つだけとは限らない。でも一つ確かなことなら…『未だ磨かれぬ原石』…ってところかな。…そうだ、一つアドバイスだ」
磨かれぬ原石…どういう意味なのだろうか…暗に俺に才能がないと言いたいのだろうか?いや、彼女がそんなことを面と向かって言うとは思えない。
「なに?」
「もしアグリーツァの魔王を討ち倒すことを目的とするなら…己の運命に抗う必要がある。己の運命に勝った者だけが、魔王と戦う資格がある。覚えておきなさい」
「それってどういう…」
「それを見つけるのが君の冒険の目的、ということにしておきなさい。君は現状を変えたいと願って冒険に出た。なら、目的は多い方がいい。だろう?」
なかなかいいことを言う…やはり彼女と出会えてよかった。きっと、俺には想像できないほどいろんな経験を積んできたのだろう…
「…ああ。もうお別れだな。…本当に、ありがとう」
「こちらこそ。…そうだ、最後に…本当に最後にひとつだけ」
「何かな」
「やっぱり二つ。まずは…アグリーツァでもしゼロ・スティングレイという人物に出会ったら…どうかリヴィドに戻るように説得してほしい。彼は叛逆の騎士団の団長でね。数年前に魔王討伐にアグリーツァに渡って以降、帰ってきてないんだ。本当に、頭の隅に覚えておくだけで構わない」
恩人の頼みだ。忘れないようにしよう。それが彼女への恩返しになるのなら。
「もう一つは?」
「…私の名はローズ・アラン・モロー。叛逆者に憧れた女だ」
「…どうして名前を?別れが辛くなるって言ってたじゃないか」
航海の中で、じきに来る別れを惜しまないようにするために名前は伏せていたはずだった…しかし今になって何故…
「気が変わったのさ。やっぱり坊やには私を忘れてほしくない。ってね」
「そういうことか。なら…俺はゼノ・ルイス。いつか偉業を成し遂げて、伝記を執筆することになったらお姉さんを一番の恩人として、盛大に誇張して書くことにするよ」
「ああ、是非そうしてくれ。そうすることができることを祈っているよ。…それでは」
別れ…これが別れか。冒険はまだ始まっていないのに、彼女と過ごした数日は既に忘れられないものとなっていた。だが泣いてはいけない。恩人には涙ではなく笑顔を。
「ああ、またいつか」
船は港を離れた。彼女の魔法によって動くあの帆船は、他の乗組員など誰もいなかった。だが彼女は一人ではあったが孤独ではなかった。
…かくして、囚われの少年の旅はここから始まるのだった。
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