ヤンデレな女王様から逃げて冒険者に!進んでも退いても地獄なんだが?
Jack4l&芋ケンプ
第1話 愛が重い女王様から逃げ出した夜
この国で最も偉い人間に言い寄られている…と言ったら信じるだろうか?俺は信じる。なぜなら当事者だからだ。
「ゼノ、良い子にしていましたか?」
「…良い子に、だって?何もすることがないじゃないか」
俺の手足は大きなベッドに繋がれ、体勢を変えることすら容易ではない。そんな俺を見て満足そうにしているのが彼女…『調和の緑』の国レグーナの女王にして今や教皇、簡潔に言えばこの国で最も権力の強い女性…ベルナデッタ・レグーナ。他にも彼女を表す名はいくつかあるが、最も馴染みのある名がベルナデッタだ。レグーナは後から付いた姓である。
「結構。何もしなくてよいのですよ。私が帰ってきた時に、貴方はそこに存在するだけでいい。何の刻苦があるのでしょうか?」
彼女を見ればあまりの美貌に目を覆いたくなるだろう。だが今やその全てが憎くて仕方がない。具体的にいつから、と聞かれても答えかねる。ある日幼い彼女に拾われ、彼女の家で共に過ごし、次第に精神が発達していくと共に彼女のことが嫌いになっていった。いや、自由への渇望が強くなっていったのだ。
いや…それも間違いだ、自由は自由でも、冒険に出ることへの渇望だ。レグーナの隣国、リヴィドを越えた先の海の向こうには魔王が支配する大陸が広がっていると聞く。幼い頃から囚われていた俺は冒険に出ることを渇望しているのだ。
「癒しが欲しいなら犬でも猫でも梟でも、他にも候補はたくさんあるだろう」
ベルナは俺を夫として迎え入れようとしているが、俺が毎日精神を擦り減らして彼女のプロポーズを断り続けているため何とか婚約は成立していない。流石の彼女と言えど、一方的に婚約を成立させるような法までは制定できない。それが最後の希望だ。
話が少しずれた。彼女は俺と結婚したがっているわけだが、俺からすればそれは愛玩動物に成り下がることと大差ない。
「貴方だからいいのです。貴方しか求めていません。貴方さえいれば他に何がいりましょうか?どうか折れてくださいますよう、心から申し上げているのです」
「君と結婚すれば俺は自由になれるのか?」
「いいえ。一歩も外に出すつもりはありません。他の女に言い寄られてはたまりませんから。優柔不断で優しい貴方はきっと断れないでしょう」
「女王に婿入りした男に言い寄る女がいると思うのか」
「ええ。思います」
まさかの即答。いや、意外なことでもないか。本気でそう思っていなければこんな風に監禁したりしないだろう。
「そうか。思うのか」
「…今日は素直ですね」
「本当にそう思うのか?」
「ええ。本心から」
「っ……」
苛立たしい気持ちを必死に堪える。別にどう思われようと勝手だ。何故ならこのわずか数分を耐えれば俺は自由になる…彼女が公務に戻った隙に脱出、そのまま逃亡することができる。長かった。婚約を認めず、それでいて彼女の機嫌をなるべく損ねないようにして一人の時間を増やしていく…どれだけ苦痛だったことか。嫌いな人間に媚を売ることがどれだけ苦痛だったか!だがそれも今日で終わりだ。
「もうこんな時間…宴会に行かなければ。はぁ…貴方を連れて出席できればどれだけ幸せだったことでしょう」
「気にするな。テーブルマナーなんて覚えてないからな」
必死に堪える。『誰が行くかバーカ!』と言ってやりたいが、生憎枷が外れようとも彼女には敵わない。緑の魔法の国、調和と正義の国レグーナにおいて中流貴族から王族へと実力で成り上がり、教皇の座をも獲得する異例の実力者…それが彼女だからだ。対して俺は稀有な白と黒の魔法が使えるだけでそれらの練度は地の底、どうして彼女に勝つことができようか?
「貴方には必要ないでしょう。いずれ私の口移しでしか食事をとらせないようにしますから。ね?」
俺の頬に軽い片付けをし、部屋を出た。窓はカーテンで閉め切られているが、時間はおそらく夕方から夜だろう。彼女の足音が遠ざかっていくのを確認し、手枷を解く。この日のために毎日少しづつ物理的にも、魔法的にも破壊活動を進めていた。俺の魔法の才能でどれだけ時間がかかったことか…事前準備を進めていたとは言え、それでもかなり時間を使ってしまった。しかしその分足枷はすぐに解くことができた。久しぶりに全身を動かせる。何と開放的なことか…。
「…っよし…」
食事の際に失くしたフリをして隠しておいたナイフで窓を破る。涼やかな外気に肌が触れた。
「…何を迷ってる。もう後戻りはできないんだぞ」
そう自分に言い聞かせる。隣国である『回帰の青』の国リヴィドから取り寄せたという、貴重な窓ガラスを割ってしまっては言い訳はできないだろう。
「大丈夫…きっと上手くいく」
そう決心し、窓から身を投げた。かなりの高さからの落下だが、このすぐ下に垣根があることは把握済みだ。服が少し破れ、汚れてしまったが問題はない。
「はぁ…!はぁ…!早く逃げないと…!」
ベルナ自身が『そういうこと』をするために他の部屋とは隔離し、音が漏れないようにはしていたが、流石にあの音を完璧に誤魔化しきれるとは思えない。久しぶりの運動で体が悲鳴を上げるが、休んでいる暇はない。当てなどない、とにかく……とにかく遠くに逃げなければ…。
…どれだけ走ったかは分からない。途中、何度も足を止めそうになり、その度に鼻で笑われるような自己強化の魔法で体力を補っていた。しかしそれも便利なものではない。例えるなら、底をつきそうな染料に水を足し続けているようなものだ。決して回復しているとは言えない。そんな具合に、自分でも驚くほどの粘りで港までよろよろと走ったのだった。
「ぜぇ…!はぁ…!そこのお姉さん…!海渡しかい!?」
息が切れて上手く話せたか分からないが、港で大きな帆船を泊めていた若い女性は俺の言葉が通用したようだった。
「そうだけど…珍しい格好だね。どこかのお偉いさんかい?」
そうは言うがよく見れば彼女も珍しい格好をしている。あれは本で見たことがある、確か隣国リヴィドの一昔前の戦争で使われた軍服…並行世界を行き来すると言う魔法使いがもたらしたものだと聞いたがまさか本当に存在していたとは…いや、あくまでお伽話の本の挿絵を参考に真似ただけかもしれないが…
「そんなところだ…!悪いけど乗せてくれないか…!?」
「そんなに息切らしちゃって…いいけど、どこに行くつもりだい?」
「リヴィドを越えた先…!…西の大陸だ」
ようやく少し息が落ち着いてきた。追手も見えない。逃げ切れたのだろうか。
「アグリーツァまで?あそこに進んで行きたがるなんて珍しいね。貴族のお偉いさんが冒険者ごっこかい?坊や、悪いことは言わないからやめときな。あそこは好奇心で訪れる場所じゃない。知ってるかい?罪人の流刑地だったアグリーツァは今でも冒険者の開拓の目標だが、誰一人として帰ってきてないんだ。あそこには恐ろしい魔王がいるというからね」
本で見た通りだ…ますます期待に胸が膨らんだ。
「それでもいいんだ!連れてってくれ!そこで野垂れ死んでも構わない!本気だ!」
死にたくはないが、それでもベルナに飼われるよりはマシだ。このまま戻れば確実に、二度と彼女の側から離れられないのだから。
「坊や、そこまで言うからには覚悟はできてるんだね?確かに私はアグリーツァまで坊やを連れて行ける。けどすぐにレグーナに帰ってくるから、もし帰りたくなっても私はいないんだよ?」
…ここに帰ってきて何になるというのか。
「構わない。それが僕の運命だとしても」
坊や、と呼ばれたからか、俺はまるでベルナに拾われた頃の、純粋無垢で彼女に救われたと思っていた頃の少年の心に戻っていた。
「…運命ね…次に運命と口にする時…その言葉を軽々しく使うんじゃないよ。…金は払えるかい?」
「代わりのものなら」
純金の耳飾りと赤い宝玉のペンダントを差し出した。ベルナから渡され、毎日身につけることを強要されていた物だ。彼女との思い出を忘れ去れるのなら、こんなものはいくらでも捨ててかまわない。
「このペンダント…っ!…純粋な魔石か!?坊や、どこでこれを!?…いや、先に乗るといい。なんか切羽詰まってるんだろう?こんなものを持ってるくらいだから状況は察した。さぁ早く!」
帆船に足を踏み入れた。生まれて初めて乗る船がこんなにも豪華なものだとは思わなかった。不思議と揺れは少ない、魔法で何か細工をしているのだろうか。
「…何だあいつら。坊やの追手かい?」
既に錨を上げた帆船は陸から離れ始めていた。陸の方には弓を携えた黒衣の者達が数人、こちらを見ていた。その中に混じって、よく知った顔が見えた。雪よりも白い髪、新緑のエメラルドグリーンの瞳…ベルナデッタ…
「ああ。…ッ!アイツら…!魔法を放ってくる!」
「ベルナデッタ・ルイス・レグーナ…面倒な人を敵に回したみたいだね〜」
「言ってる場合か…!彼女が本気になったらこんな船、すぐに沈むぞ!」
陸にいるベルナの表情は見えない。けれど、笑っているか、ものすごく怒っているかのどちらかだろう。対して今隣にいるこの女はどうか…余裕そうに笑っている。
「こんな船、だって?アカエイ号を舐めないでもらいたいね。それに…私がいる」
いつのまにか陸に集った大軍が松明を掲げ、杖と弓を向けている。先頭にいるベルナが手を振り下ろした。無数の矢と魔法が飛来する。さながら横に降る炎の雨。船はまもなく沈むだろう。そっと目を閉じた。…しかしその時はやってこない。
「ね?安心しなよ」
「防いだのか…?アレを?」
攻撃の手が少なくなっている。狼狽えているのかもしれない。
「ベルナデッタ・レグーナ!!」
女が大声で語りかけた。
「叛逆の騎士団を敵に回したこと!本部に伝えておくからね!!」
陸からの返事はない。
「ふぅ…女王様が夢中になってる男ってのは君のことか。随分と愛されてるね」
それだけ言うと彼女はスッキリしたように、舵を取りに後方に行ってしまった。陸に見えていた松明の明かりがもう去っていくのが分かった。…逃げ切れたのだろうか。
「ねぇ、叛逆の騎士団って?」
後を追いかけ、舵を取る彼女に聞いた。
「アグリーツァに着いたら別れるっていうのに、そんなに知りたいかい?」
「いや…それよりかはさっきのペンダントについて知りたいかも」
仲良くすると別れが辛くなる、と言うやつだろうか。感謝こそしているが、互いに踏み込まない方が気が楽なのだろう。
「これか。やはり君が持っているべきだ。これは受け取れない。ただ、とても貴重なものだ。間違っても失くしたり、売ったりするんじゃないよ。それこそ、命に変えてでも守り抜くんだ。これはそれくらい価値があるし、同時に危険なものでもある。悪いけどこれ以上は教えられない。分かったかい?」
「そんなものなら尚更あなたに渡したほうがいいと思う」
これから冒険に出る予定の中、こんな悪い思い出ばかりのペンダントを片時も離さず持っている自信はない。
「馬鹿言え。私にも手に負えない代物だ。これまで平気だったのなら君の手にあるべきという運命なんだよ」
「さっき、運命って言葉を軽々しく使うなって言ってなかった?」
「ああ言ったとも。だからこれは本気の話だ。私を信じなさい。いずれ分かるさ…もう夜も遅い。アグリーツァは冒険の楽しさが詰まってると聞くが、それ以上に過酷な場所だ。良い子はもう寝なさい」
そうは言われてもどうにも寝る気になれない。起きたら全て夢で、変わらずベッドの上で拘束されているのではないだろうか、という不安があるのだ。
「女王様に追われてるような奴が良い子だと思うのか」
「目を見れば分かる。君は良い子だ。私の気が変わって君を襲ってしまわないうちに寝なさい」
「どうして?」
「私の口から言わせるか?流石女王に追われる女誑しだ。正直君の顔と性格が好みなものでね。分かったら早く寝なさい」
そういうことか。ベルナの旧姓、ルイス家に拾われてからは化粧や身体作り、身だしなみなどは口煩く指導されていたものだ。それもベルナを満足させるため。忌まわしき思い出だが、そのおかげでこのお姉さんに気に入られ、船に乗せてもらえたのならヨシとしようではないか。
「…分かった。おやすみなさい。良い夜を」
「ああ、良い夜を、少年。今のうちに安らかに眠るといい。それこそ死人のように。君の冒険はこれから始まるのだから」
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