第3話 木陰の矢車菊
未開拓領域アグリーツァに乗り込んだ人類が勝ち取った僅かばかりの領域、それがグロウタウン。レグーナにはいなかった獣人やエルフ、混血種が街を行き交う。ここでは俺は一人の少年として存在することができる。一人で街を歩くのは不思議な感覚だ。
「冒険に出るには装備を整えないと…けど金が無いな…流石に物乞いになるわけにはいかないか…」
まだ今後の予定も決まっていない。ローズによると、このグロウタウンに定住する者もいれば、冒険から帰って一休みするだけの場所として扱う者の二つが多いらしい。当初の目的に沿うならば後者が向いていると思うが、最初からそのような危険に溢れた冒険に身を投じるのは無謀というものだ。
「すまない、何か安全で効率のいい依頼はないか?」
依頼の申請や受理の手続きを行う役人のような人物にとりあえず聞いてみることにした。
「新しく来られた方ですか?それでしたらこちらの依頼はどうでしょう。北西の森で薬草を採取する依頼です。安全とは言いきれませんが、外に出ればどこも同じです」
「分かった。その依頼を受けよう」
「了解しました。採取した薬草は直接依頼人に渡すか、集積場に届けてください。納品が済めば依頼人或いは集積場の管理人からサイン等の証拠品をこちらに。それで依頼完了となります」
「ありがとう」
「冒険と開拓に幸あれ。それではお気をつけて」
物腰柔らかな女性だ。よく考えれば純粋な優しさという類のものを俺は知らない。ベルナの笑顔は常に狂気が見え隠れしており、一方的な愛だったからだ。
さて、そんな経緯を経て、俺は名も無き北西の森へと赴いている。レグーナでは見たことのない生物がたくさんいる。ドラゴンかと見紛う凶悪な顔つきの爬虫類、大型犬ほどもあろうかという大きさの蜘蛛、やたらと大きく育ったキノコなどだ。
「ベルナが見たら発狂しそうだな…」
彼女はかなりの虫嫌い…いや、そもそも生物が嫌いなのだ。彼女が国の頂点に立ったのは、同じ人間とは言え、自分以外の生命が自分の上に立つことを良しとしなかったからだろうと解釈している。加えて未知のものに対する恐怖も凄い。本当に、彼女がここに来れば数分ともたずに森ごと消し去ってしまうのではないだろうか。流石に少し盛ったが、彼女ならやりかねない。
「薬草…こういう見た目なのか…思ってたのとちょっと違うな…」
もっと色彩豊か、あるいはグロテスクな見た目を想像していたが随分と地味なものだ。雑草と言われても納得してしまうだろう。
−バキッ…!
枝を踏む音…近い。後方に約10歩程の距離だろうか。
「!誰かいるのか?」
恐る恐る振り向く。樹木の間を黒い影が移動した…おそらく獣の類ではない…人だ。その影からはみ出している煌めく金属質の何か…矢だ。こちらに構えている…あの形の弓には心当たりがある。
「…もう追手が来たのか。西に逃げればそりゃリヴィドかアグリーツァの二択に絞られるだろうけど…」
冷静を保ってこそはいるが正直、今にも逃げ出したい…いや、そうするのが正解なのだろう。相手はレグーナからの追手、対して俺はほとんど丸腰も同然。採取用のナイフこそあれど戦闘には役立たない。だが使うしかない。
「…陛下の寵愛に何の不満があった?」
「っ…!」
向こうから近づいてくる。黒衣で顔まで覆われているが、体型と声からして女…心当たりがある。もし予想が当たっていれば今ここで俺の冒険者生活は幕を閉じることになる。
「私とて君を気に入ってはいたが…陛下から逃げるということは私からも逃げるということだな。悲しいよ、ゼノ」
聞き覚えのある声…予想は最悪の形で的中した。彼女はベルナに使える親衛隊の中でも有数の実力者…使用人を除いて、何人たりとも俺に女性を近づけようとしなかったベルナが唯一少しだけ接触することを許した女性…
「セントーレア…」
黒衣で隠れている素顔がどれ程美しいものか、俺は知っている。ベルナへの忠誠の証である白髪、あまりに珍しい、純粋な生まれ持っての菫色の瞳…そして髪の一部を彼女が好きな矢車菊の菫色に染めている。姓を持たない彼女は決して不貞を働くことの無いという点でベルナの信頼を勝ち取った。もちろん、彼女自身の実力も評価されてのことだ。
「この大陸には矢車菊が見られないな。実に悲しいことだ」
弓を捨て、杖を構えて歩み寄ってくる…後退りするが彼女はペースを落とすことなく、少しづつ確実に距離を詰めている。
「君を送り込んできたってことはベルナは二分の一を引き当てたってことか」
「いいや、リヴィドにはカトレアが向かった。正確には私が二分の一を引き当てたのさ」
セントーレアはとうとう黒衣を脱ぎ捨てた。貴族に特有のフリルが付いていたり、変に着飾ることの無い素朴な装い。それでいて気品を感じさせるのは彼女くらいだ。レグーナで俺が一番尊敬するのは誰かと聞かれればまず彼女を思い浮かべるだろう。貴族としての権威を捨て、騎士団長としての地位を捨て、実力と忠誠で親衛隊になった生粋の武人でありながら、誇りと優雅さを捨てない完璧超人…はっきり言ってしまえば、ベルナよりよっぽど好みの女性だった。
「俺には二分の一すら与えられなかったわけか。運が悪いことこの上ない」
「同情するよ。だがお喋りはここまでだ。大人しく着いてくるか、陛下より先に味見されてから差し出されるか、好きな方を選ぶといい。ああ、もちろん君が気を失っている間にするから、証拠は残らないよ」
「冗談はよせ。さっさと帰りたいって顔だ」
俺に言葉を返すことなく、セントーレアが杖を振り払って戦闘態勢に入った。あの構えを知っている。魔法を放つ構えではない。剣を振るう構えだ。そも、あれは杖でありながら、その中身は鍔の無い剣である。つまり、彼女は本気で俺を捕える気らしい。
「忠犬のふりをした狂犬め…ベルナには君に純潔を奪われたと言っておこうかな」
そう言い終わるかどうかのうちに、彼女が動いた。剣がすぐそこまで迫っている。ナイフで僅かに軌道を逸らさなければ一撃で終わっていたかもしれない。
「逃亡者と忠犬、陛下はどちらを信じるかな?」
華麗な斬撃…セントーレアは魔法を使うことなく俺を追い詰める。俺には何もできない。そもそも戦闘の経験が違う。俺は軽い運動のために丸太相手に剣を振るうことしか許されていなかった。対して彼女は国を守る盾であり、時には矛となり、俺とベルナを害虫から守る執事でもある。…ベルナに護衛が必要かと聞かれると、はっきり言って必要ないと思うが…
「くっ…!何か…」
「こんな森に何かあると思うのかい?」
「うッ…!がはッ!」
柄頭で腹を突かれる。息が苦しい。ここで旅が終わるのか………いや…否、断じて否。そのようなことがあっていいはずがない。ベルナのように、他人の心を理解しない者に屈するわけにはいかない。
「さぁ、最後の決断を聞こ…何をしている!?やめろ!!」
俺は首にナイフを押し当てた。そうだ、これが彼女の弱点。彼女は絶対に俺を傷つけられない。ベルナは完璧主義者的な一面がある。セントーレアもそれを理解しているはずだ。つまり、もし俺が大怪我をして帰ってきたら、捕縛した本人であるセントーレアを許すだろうか。
「おっと、遅かったな」
『シュッ』という風を切る音。俺は自分の首筋を素早く切った。血が噴水のように飛び出して彼女の純白の髪と煌めくプレートを朱に染める。
「なっ…!まずい…どうすれば…!ゼノが死んでしまうのか…?そんなことがあってはならない!薬草…いや効果は無い、傷を塞ぐものは…!」
セントーレアが取り乱す。こんなにも動揺する彼女を見たのは初めてかもしれない。若き天才と言えども動揺は隠せないか。…とはいえ少し出血が多い、このままでは本当に死んでしまうかもしれない。俺も少し焦り始めてきた。
「ああ私はどうすれば…!クソ!治癒魔法の習得を怠った結果がこのザマか!!」
魔法…そうか、魔法を使えばいい。ちょうど自身の魔法の才能の片鱗に気付かされたばかりではないか。そうとなれば早速傷を塞ごう。
「!…何をしている…?待て、触ると雑菌が…!」
絵を描いたように、魔力を細く練る。これが縫合糸となって皮膚を引っ張る。右手は若干白魔法が使いやすいが、黒と何の差があるのか、俺の魔法の腕では大した差が分からない。
「出血が止まった…?無事なのか?」
セントーレアの目の端に涙が見える。余程処罰が嫌だったのだろう。何もかも捨てて得た地位ともなればそれも分かる。
「ああ、けどこの傷がある間は…な?」
「……してやられた。これでは私は帰れないではないか」
「俺の冒険、手伝ってもらうぞ」
「…傷が治るまでだ」
皮肉なことに、ベルナが信用した騎士は俺ごときにしてやられたわけだ。
「どうだろう、このまま2人でベルナから逃げないか?」
「…………それは…回答を拒否する」
流石にないか。セントーレアなら口説き落として丸め込めると思ったが…いや、この言い方では彼女が尻軽女だと思われかねない。彼女の名誉のために説明しておくが、あくまで俺自身への絶大な自信だ。そもそも、あのベルナデッタ・レグーナを満足させるために磨かれた…言い換えれば、国で最も偉い女を満足させるために幼少の頃からその女のために育てられた男が俺なわけで…後は説明しなくても分かるだろう。
ともかく、自信満々な俺の提案は却下されてしまったわけだ。
「まだ悩んでいるのか。傷が完全に癒えたらまた答えを聞こうと思う。それまでに君を落として、俺と逃避行をしたいと思わせてみせるさ」
こんなことを言っているからベルナの愛がますます重くなっていくのだろう。正直、彼女に心を無茶苦茶にされた自覚はある。愛の言葉を囁くのになんの躊躇いも無くなってしまった。いつか本当に心から愛した人に対して同じ振る舞いをしてしまうのかと思うと残念で仕方がない。
「ふん…この鉄のような女の氷を溶かしてみせろ」
ベルナ曰く、想いを分かってもらおうとするのは二流だと。では一流は何なのかと聞いてもニコニコと圧のある笑みを浮かべて答えてくれなかった。俺が鈍感なのだろうか?なるべく彼女を怒らせないように敏感になっていたつもりだったのだが…
それはそれとして、セントーレアにも薬草採取を手伝ってもらった結果、かなり早く依頼を達成できた。これが初の依頼…自分で仕事をこなして手にした初めての報酬は特別に見えた。金貨の一枚一枚がより輝いて見える。
「金なら私が工面したというのに」
「冒険者として、自分のことは自分でやりたいんだ」
「まるで人が変わったみたいだ。今の方が好感は持てるが」
無感情なのか本心なのか…さてはベルナの元に帰るのを怖がっているな?手ぶらで帰ることも出来ず、今の俺を連れて帰ればベルナの信頼を失い、かと言って傷が治るのを待っていても彼女自身の実力を疑われる。俺がベルナに報告するリスクがあることも考えれば、戻りたくない気持ちも分かるが…
「そりゃどうも。もうベルナの愛玩動物だった頃の俺とは違う。…ようやく人として生きられるんだ」
「陛下に必死に媚びる君を見ていると不思議な気持ちになる」
こいつもそっち側か…セントーレアにも主導権を握られてはならないだろうな…
「媚びなかったらどんなに酷いことになってか。ベッドで骨が折れるまで抱きつかれるのはごめんだ」
「…!そ、それは…な、何でもない…」
「何を想像してる?本当にただ抱きつかれるだけで骨が折れかけてるんだぞこっちは」
実際、骨にヒビが入ったのではないかと疑うことは何度もあった。まぁ確かめようがないのだが。
「陛下にとってはそのまま折れてしまった方が良かったことだろう」
「彼女は完璧主義者だ。俺の体に傷一つ付けることは許さない。例え自分だろうとな」
セントーレアが首筋をジロジロと見てくる。やはり気にしているのだろうか。思えば彼女の前で魔法を使ったのはこれが初めてだろうか。普段は稀少な魔法故に狙う輩がいるかもしれないと、ベルナの監視下でなければあまり魔法は使えなかった。一応低級なら魔法なら許可されていたが、白と黒を使うことは許されなかった。
「…別に今知ったことじゃないだろ。俺が白と黒の魔法を使えることくらい」
俺は今少し動揺している。他人に体を見られて恥ずかしさを感じることがあるとは思わなかった。全てベルナのせいなのだが…
「聞いてはいたが随分と緻密な操作に驚いている。一度発現させた魔法がこんなにも長く残ることも珍しい」
「君に言われると調子に乗ってしまいそうだ。ベルナからは貧弱で可愛らしいという評価しか受けなかったからな」
自分でも情けない魔法だと思っていたが、予想外に応用が効いて驚いていることだ。
「不思議な魔法だ。他に白と黒の使い手が存在すればレグーナはどれだけ繁栄していたことか。アグリーツァも今頃もっと開拓されていたに違いない」
「…そのことなんだけどさ、今後冒険するにあたってどこかギルドに入った方が効率がいいと思うんだよ、どうかな」
「ギルド…騎士団のようなものか。確かに、仲間が増えれば安全か…いいだろう、だが条件として、ギルドで出会う者はあくまで協力者として接すること。仲良くなって、ましてや恋仲にまで発展することは許さない。そのようなことがあれば例え辞職することになっても君を連れ戻す」
「おっかないねぇ…無自覚に落としてしまうかもしれないぞ?ベルナはそうだったな。昔のことだからあんまり覚えてないが」
5歳ほどの時に拾われてかれこれ12年、当時彼女は10歳だっただろうか。となると今俺は17で彼女は22歳か…改めて思うが、あの若さで実力で女王になったのだから本当に恐るべき女だ。どうりで誰も俺を助けてくれないわけか…
「その身は陛下のためのものだということを忘れないでくれ」
「はいはい、俺はどうせモノでしょうよ」
「では募集中のギルドを探しに行こう。あまり人目のつく場所に長居はしたくない」
「君、案外乗り気だな?」
セントーレアもバカンス気分なのだろうか。まぁ彼女の普段の激務を考えれば気持ちは分かる。もしかしたら上手いこと丸めこめるかもしれない。
「…まぁ、カトレアじゃなくてセントーレアだったからよかったかな…」
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