15.”大事な用事”
―伊織―
「は?」
自分でも驚くくらい不機嫌な声が出た。
隣のテーブルで自習をしていた学生が、ちらりと横目で俺を見てくる。迷惑そうな視線を向けてくるが、静かな空間で自習したいなら学食じゃなくて図書館にでも行ってほしい。
手のひらに滲んだ汗のせいで滑り落ちかけたスマホを握り直す。
「ごめん、何って?」
『だから、今日ご飯行かない?って聞いたんだけど』
電話越しだと、いつも以上に低く響く声に苦笑が混じる。世間ではこういう声を”イケボ”とか言うんだったか。
じゃなくて。
「ご飯って、お前と二人で?」
『お前じゃなくて、瞬ね』
「いやいや、無理」
見えないのに激しく首を横に振ってしまう。
「サシで話すことなんか無いだろ」
『えー?そんなの何でもいいじゃん』
「しかも今日って」
『暇なんでしょ?』
「何でそんな事分かるんだよ」
言ってから、しまった、と思った。
電話の向こう側で笑う気配がする。
『だって、たとえばバイトとかさ。何か用事あるならそう言えばいいのに言わないから』
「う……」
『俺と二人だと緊張する?』
違うと言いたかったが、ちっぽけなプライドが邪魔をする。
せめてもの意地で黙っていると、じゃあさ、と提案が返ってきた。
『友達誘ってよ。俺も誰かメンバー誘って行くわ』
「え?!」
『女の子を誘うのはやめておいてね。騒ぎになったら困るし』
「いや、そうじゃなく」
『あ、ごめん。もう戻らなきゃ。今からちょっと、撮影があって』
「おい、瞬!」
『また連絡するわ』
一方的に言うだけ言って、ぶつりと通話が切れる。
何なんだ、あいつは。急に電話してきて強引に飯に誘って来たかと思えば、友達を誘って来いだって?
いらいらしながらスマホの画面を見つめる。暗くなった画面に反射で映った自分の表情を見たら余計にうんざりした。焦りと狼狽で、ひどい有様になっている。
二人で食事をする風景をぼんやり想像してみたら動悸がした。あんなに整った顔に見られて、ご飯が喉を通るとは思えない。
向かいの椅子に腰掛けて、何やら熱心にメッセージを打ち込んでいた眞白の細い手首を、咄嗟に掴んだ。
びっくりして顔を上げた眞白の、黒目がちな瞳と目を合わせる。
「(夜、用事ある?)」
小さな頭がわずかに傾く。
「(何で?)」
「(ご飯食べに行かない?)」
えー、とでも声が漏れそうな形に唇が開いた。
「(今、約束しちゃった)」
持っていたスマホを振ってみせる。どうやら眞白も、誰かとご飯の約束をしているところだったらしい。
「(明日でもいい?)」
「(今日じゃないと無理)」
「(どうしたん?)」
焦っているのが伝わったのか、眞白の表情が怪訝そうになる。
仕方なく、瞬から急にご飯に誘われた事、二人じゃ気まずいと言ったら友達を誘えばいいと言われて電話が切れた事を伝える。
「(伊織、瞬くんと知り合いやったん?)」
まずそこに驚く眞白に、知り合った経緯も説明した。
ふうん、と眞白は頷いた。
「(ええやん。二人でご飯行ってき)」
「(無理、何話したらいいか分からない)」
「(俺が行ったところで二人の会話には入られへんし)」
「(居てくれるだけでいい、二人じゃ気まずいんだって)」
「(他の友達誘ったらええやん)」
何気ないその一言で、自分の表情が強張るのが分かった。
「……友達なんか、いない」
呟いた声は、食堂のざわめきに紛れて消えていく
俯いた俺の目線の先で眞白が手を振った。
「(今何か言った?)」
聞いてくる眞白に答えず、俺は教科書の詰まった思いショルダーバッグを掴んで立ち上がった。
連れ立って集団で笑い合う学生の間をすり抜け、外へ出る。頭の奥がずきずきと痛んだ。微かな眩暈と共に吐き気まで催してくる。
固く蓋をして閉じ込めていたはずの、苦い記憶が蘇ってくる。
―蔑むように笑うクラスメイト。
自分の周りだけ、見えない壁に張り巡らされているような孤独感。
破られたノート。汚された体操着。
とっくに治ったはずの古傷が、生々しく痛みだす。
振り払うように歩く速度を速めた。
「っ!」
二の腕を掴まれた痛みで我に返った。
振り向くと、走って追って来たのか肩で息をしている眞白と目が合った。
「眞白、なに……」
俺の腕を掴んだまま、ちょっと待ってと言う風に手のひらをこちらに向けて制止してくる。
何回か咳ばらいをして呼吸を調えると、眞白はようやく俺から手を離した。
「(いいよ、一緒に行こう)」
「……え?」
「(今日の夜、ご飯行くんやろ?俺も行く)」
「(何言ってんだよ、誰かと約束あるんだろ。もういいから」
「(良くない、行こ。大丈夫やから。ちゃんと断ったから)」
何でそこまで、と思わず呟いた俺に、眞白はスマホの画面を見せてきた。
メッセージアプリのやり取りが目に飛び込んでくる。
『大事な用事が出来たから、また今度にしよ』
ぽんぽん、と眞白が肩に触れてくる。目を合わせたら、微笑んでくれた。
「……ありがとう」
小さく呟いた声は聞こえなかっただろうけど、眞白はゆっくり自分の両肩を交互に叩いてみせた。
大丈夫、と唇の動きもつけながら。
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