14.きらきら

―朝陽―

すっかり陽が暮れた通りを歩いていたら、勝手に鼻歌がこぼれ出てきた。どこか足取りもふわふわとしているけれど、別にお酒を飲んだ訳じゃない。

……変なの、俺浮かれてるのかな。一緒にパンケーキを食べただけなのに。

甘い香りに満たされた可愛らしい店内で、気まずそうにしていたあの人を思い出す。

真っ直ぐで太い眉、切れ長の鋭い眼差し。鼻が高くて横顔のラインが整っていて、無表情だとちょっと近寄りがたい。

でも実は、甘い物といちごが好き。

考えていたら勝手に口元が緩んだ。

「可愛いなー」

「何、一人で喋ってるの」

不意に声を掛けられて驚いた。

振り向くと、ちょうど帰って来たところだったらしい亮が怪訝そうな表情で俺を見ていた。

「おかえりー、亮。今日は車?」

「うん。スーパー寄りたかったから」

車のキーと、食材がいっぱいに入ったビニール袋を掲げて見せてくれる。

「鍋しようと思って。一緒に食べる?」

「いいの?やった」

誘われるがまま、亮の部屋へついて行く。


同じマンションに住む同い年の彼は、都内の私立大学で中国語の非常勤講師をしている。

最初の出会いは一年前、引っ越してきたばかりだった亮が、ゴミ出しの場所が分からずに困っていた所へ偶然居合わせたのがきっかけだった。

『ゴミ捨てる所なら向こうですよ』

声を掛けたら、少し困った顔をされた。

『ありがとうございます。地図と説明が、分かり、にくくて』

言い方が少しぎこちないのが気になった。もしかして日本の人じゃないのかな、と思いながら、結局一緒についてゴミを捨てに行った。

その数日後、今度はエレベーターに乗るタイミングが一緒になった。

この間はどうも、とエレベーターの中で亮の方から声を掛けてきた。亮はその時、トマトがいっぱい入った紙袋を両手で抱えていた。

『それ、全部トマト?』

思わず聞いた。

そう、と亮は困り顔で肩をすくめた。

『実家でトマトを作っている学生がいて。食べきれないから貰ってほしいと…』

『学生?』

『はい、僕の授業を受けている学生です。僕は大学で、中国語を教えていて』

そこまで聞いたところでエレベーターの扉が開いてしまった。

もう少し話したかったな、と思ったら亮も同じだったらしい。あの、と遠慮がちに声を掛けられた。

『良かったらトマト食べませんか?あ、嫌いだったら、無理しなくていいんですけど』

『えっ、いいんですか?俺トマト、めっちゃ好き』

『本当?じゃあ、部屋まで持って行きます』

俺の部屋がある階で一緒に降りた。お茶を飲みながら、色々と話を聞いた。

亮は、中国系アメリカ人の父親と日本人の母親の間のハーフらしい。両親は中学生の時に離婚しており、母親に連れられて日本に来たという。

料理好きな亮は、一人で食べても味気ないからと時折俺に夕飯をご馳走してくれるようになった。

今ではすっかり親しい仲で、記憶喪失の件も亮には話していた。


リビングの丸テーブルの上に置かれた鍋から、酸味の強い香りが漂う。

「朝陽の好きなトマト鍋だよ」

亮が鍋の蓋を取ってくれる。見栄え良く並べて煮込まれた具材は真っ赤なトマト色に染まっていた。

ふ、と思わず笑ってしまう。

「何笑ってるの?」

取り皿によそってくれながら亮が訝しげに聞いてくる。

「さっきも鼻歌なんか歌っちゃって。ご機嫌だね」

「ふふ。ねえ、亮」

「ん?」

「俺、トマト嫌いなんだって」

「何言ってるの、トマト好きなくせに」

「ねー、不思議だよね」

柔らかく煮込まれたトマトを口に入れる。

「うん、美味しい」

「何か嬉しい事でもあった?」

「ん?」

「表情がきらきらしてる」

「今日ね、原宿でデートしてきたの」

え、と亮が驚く。

「彼女?」

「ううん、彼女じゃないけど。可愛い人と」

「何それ。じゃあ朝陽の片思い?」

聞かれて、少し首を傾げた。

「うん……」

口の中に残った、トマトの酸味を噛み締める。

ちょっとからかう度に耳を真っ赤にして慌てていた彼の姿を思い浮かべたら、やっぱり笑ってしまった。

「片思いかあ」

その響きがちょっと恥ずかしくて、頬が火照った。

「そうなのかも」

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